梶が谷駅3番線にあるものです。
日比谷線は、18メートル車8両編成から20メートル7両編成に変わることが決まっており、既に新車も投入されています。いつまでこの停止標が残されるのでしょうか。
(お断りしておきますが、田園都市線の営業運用で日比谷線に直通するものはありません。)
梶が谷駅3番線にあるものです。
日比谷線は、18メートル車8両編成から20メートル7両編成に変わることが決まっており、既に新車も投入されています。いつまでこの停止標が残されるのでしょうか。
(お断りしておきますが、田園都市線の営業運用で日比谷線に直通するものはありません。)
管理人の権限を利用して、お知らせです。
地方自治総合研究所から刊行されている雑誌「自治総研」の最新号(2016年6月号。通巻464号)が刊行されました。
この中に、私の「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための地方税法及び地方交付税法の一部を改正する法律等の一部を改正する法律(平成28年11月28日法律第86号)(地方自治関連立法動向研究15)」が掲載されています(68~98頁)。お読みいただければ幸いです。
また、この雑誌は、地方自治総合研究所のサイトでもPDFファイルで見ることができますので、御覧いただけば幸いです。
〔今回は、「待合室」の第509回として、2013年1月15日から同月22日まで掲載したものです。写真撮影日である2009年10月9日当時の様子をお伝えしたく、文章に修正の手を加えておりません。〕
今回は「東急東横線途中下車」の一環として取り上げるほうがよいのかもしれません。しかし、この「待合室」で東横線をシリーズとして取り上げる予定はありません。私が取り上げるまでもなく、多くのサイトや雑誌などで取り上げられているからです。
一方、大井町線となると話が少しばかり違ってきます。東横線や田園都市線に比べれば知名度も低く、有名な駅が多くないからですが、東急多摩川線と世田谷線を除く東急各線と接続し、利便性が高い上に、沿線に独特の味がある大井町線は、私が好きな路線の一つでもあります。
その大井町線と東横線の乗換駅が、今回取り上げる自由が丘です。何度も足を運んでいますし、写真も多いので、何回かに分けることとします。なお、今回の写真は、全て2009年10月9日に撮影したものです。
自由が丘駅には3箇所の改札口がありますが、こちらは正面口で、表玄関です。その真上に東横線の上り電車が到着する5番線および6番線のホームがあります。勿論、特急、通勤特急、急行のいずれも停車します。
正面口の前には、小さいながらもロータリーがあり、バス、タクシーの乗り場もあります。真ん中に女神像も置かれていますが、名称は「自由の女神」ではなく、「蒼穹」(あおぞら)です。
この辺りは道路の幅が狭く、人通りも多いのです。バス通りですら、自動車での走行には苦労します。歩行者最優先であり、自動車は「通していただいている」と思って運転するのがよいでしょう。まして、脇道に入ったりすると、自転車はともあれ、自動車は走行不可です。そのため、自由が丘へ行くのであれば、なるべく電車を利用するのがよいでしょう。気兼ねなく、食べ歩きも飲み歩きも雑貨屋めぐりもできますから。
さて、現在では日本の至る所に「●●が丘」などという駅名や地名がありますが、この自由が丘こそは元祖です。但し、最初から自由が丘という名称ではありません(「自由ヶ丘」から「自由が丘」に改称されたのは1966年1月20日のことです)。
よく知られているように、この駅名および地名は、自由ヶ丘舞踏研究所および自由ヶ丘学園が設置されたことから、地元の要請を受けて付けられました。次はあまり知られていない話ですが、元々、この辺りは衾(ふすま)と言われていました。北改札口のすぐそば、東横線の高架橋には、その名称として「衾」と書かれています。つまり、衾という駅名となってもおかしくなかったということになります。
駅の開業は1927年8月28日で、東京横浜電鉄の渋谷~丸子多摩川(現在の多摩川)の開業と同時です。その時は九品仏という名前でした。現在、自由が丘駅の隣にある大井町線の九品仏駅は2代目であり、初代の九品仏駅は自由が丘駅である、ということになります。1929年11月1日、目黒蒲田電鉄の支線である大井町線の初代九品仏~二子玉川が開通し、同日に初代九品仏駅は自由ヶ丘に改められ、同時に現在の九品仏駅も開業しています。さらに、同年12月25日には大井町線の大岡山~自由ヶ丘が開通しています。
私が最初に自由が丘を訪れたのがいつのことだったのか、全く覚えていません。幼少時であったということだけは間違いがないのです。小学校低学年の一時期、音楽の勉強のため、この街をよく訪れていました。その後も、小学生にとって面白い雑貨屋があったので、時々来ては歩いていました。
かなり細い道路ですが、真っ直ぐ歩けば熊野神社へ行けます。
この自由が丘デパートはかなり古くからあります。デパートとは言っても、百貨店ではなく、小売市場のようなもので、ビルの中には様々な小売店や飲食店が入居しています。東西の幅はかなり狭いのですが、南北の長さはかなりのもので、東横線の都立大学駅側に向かって最初の踏切の近くまで伸びています。この写真ではわかりませんが、左側に一誠堂があり、さらに道を歩けば有名なモンブランなどがあります。
大井町線のホームは地上にあり、マリ・クレール通りのそばの南口があるのは1番線で下りホーム、北口に近いのは2番線で上りホームです。2番線から、急行大井町行きが発車しました。次の緑が丘を通過して大岡山に停車します。
この線の急行として使われるのが2代目6000系で、2008年に登場しました。全て6両編成で、急行専用です。田園都市線の二子玉川~中央林間を走ることもありますが、その場合も急行として運用されます。現在、大井町線には車庫がないため、同線の車両は全て長津田検車区に所属しており、2代目6000系は梶が谷車庫や鷺沼車庫に、8090系、8500系(5両編成)、8590系および9000系は鷺沼車庫に留置されることが多いようです(なお、自由が丘にも1本だけ留置線があり、6000系以外の車両が留置されます)。
1番線に緑各停の溝の口行きが到着するところです。日本最初の量産軽量ステンレスカーである8090系です。1980年にデビューし、東横線で運用されていましたが、クハ8090の正面に貫通扉がないことなどから、みなとみらい線への直通運転に向かず、1988年に8590系(先頭車だけの形式)がデビューすると、編成を組み替えて大井町線に転属しました。それ以来、長らく大井町線の主力として活躍していますが、一部が秩父鉄道に譲渡されています。
6番線に停車し、特急渋谷行きを退避している5050系5167Fです。5050系は田園都市線を走る5000系の東横線版で、2004年にデビューしました。この系列が増備されたことで、8000系が東急線から引退し、8590系が大井町線および田園都市線に転属し、9000系の大部分も大井町線に転属しています。なお、5000系の一部も8両編成として東横線に在籍しています。
東横線の上りホームから撮影してみました。区界の辺りです。左側が世田谷区奥沢、右側が目黒区自由が丘、ということになります。
東横線の5番線に特急渋谷行が到着しました。9000系の9003Fです。上の写真を撮影した時は東横線で8両編成として運用されましたが、現在は大井町線に移り、5両編成で各駅停車として運用されています。9000系は1986年にデビューした、東急で最初の本格的なVVVF制御車で、9007Fを除いて東横線で活躍してきましたが、最近はほとんどが大井町線で運用されており、東横線には2編成くらいしか残っていないはずです。
東横線の上りホーム、5番線と6番線から撮影しました。次の田園調布の方向です。
自由が丘駅は目黒区にありますが、南端といってよい部分であり、ホームのすぐ先に区界があります。真下に道路があるのですが、中央部分が九品仏川の暗渠になっており、ちょうどその部分が目黒区と世田谷区の境界となっているのです。上の写真では、学校法人魚菜学園のビルから世田谷区奥沢五丁目となります。東横線は世田谷区を通るのです。但し、世田谷区内に駅はなく、次の田園調布駅は大田区にあります。
一方、大井町線のほうはと言えば、自由が丘駅の西側にあった車庫(現在は留置線)の中に区界が通っています。そのため、トレインチは世田谷区奥沢5丁目と目黒区自由が丘2丁目にまたがっています。
自由が丘と言えば、最近ではゴールデンウィーク中に行われるスイーツフェスタが有名ですし、その他にも面白い所が多く、ゆっくり歩けて楽しい街ですが、また、機会を見つけてここに取り上げることといたします。
今年度も基本法学概論という科目を担当していますが、用語の意味、とくに「●●の原則」の意味をしっかりと理解しているのか、と疑いたくなる答案がいくつか出てきました。
まず、民法の三大原理として、私的自治の原則と無過失責任主義(無過失責任の原則)の両方が記されている答案です。それぞれの原則の意味を理解していれば、両者が衝突すること(矛盾すること)がわかるはずです。無過失責任は、過失責任の修正として言われる訳ですから、あくまでも例外です。もし無過失責任の原則が通るのであれば、その時点で私的自治の原則は意味を失います。
また、私的自治の原則と契約自由の原則が並べられている答案もありました。講義の場でも言いましたが、契約自由の原則は私的自治の原則の一部であり、完全に別物という訳ではありません。しかも、今回(6月22日実施)においては、Ⅱの問題文をよく読めばⅠの正解にもたどりやすくなるようになっています。
上記とは全く別の話となりますが、基本法学概論では、将来のことを考えて、新聞記事などを利用した時事問題(あるいは高校の政治経済レベルの問題)を出します。いつも正答率が低いのですが、今回も同様です。国際通貨基金の略語であるIMFを聞いたことも見たこともない大学生は多いのでしょうか。また、金融緩和や財政出動と言えばアベノミクス、日本銀行と出てきて欲しいところですが、アベノミクス、日本銀行のいずれの言葉も、やはり聞いたことも見たこともないのでしょう。長らく同一労働同一賃金ということであれこれの議論がなされてきたのですが、それについても壊滅的でした。「高労働高賃金」とか「最低労働最低賃金」とか、意味のわからない言葉が続出しました。
財務省がOECDのEconomic Outlook 98を引用・参照しつつ、G7諸国+ギリシャの政府債務残高(対GDP比)を紹介しており、これを利用した問題も作成しましたが、日本の政府債務残高が対GDP比で200%を超えることは知っておいて欲しいことです(ちなみに、G7諸国で100%未満であるのはドイツとカナダのみです。また、ギリシャは2016年度において200%となっていました)。
今後も、政治分野、経済分野、国際分野のニュースを題材にした問題を作り、小テストに出しますので、よく読んでおいてほしいものです。
6月17日に、早稲田大学名誉教授の新井隆一先生が逝去されました。
同月の22日に通夜が、23日に告別式が、所沢市斎場にて行われました。
1992年4月に早稲田大学大学院修士課程に入学してから5年間(修士課程3年間、博士後期課程2年間)、私は新井隆一先生の御指導を受け、行政法などの研究を進めてきました。その後も、研究会などでもやはり御指導を受けました。文章の意味などについて、とくに厳しい御指摘を受けたことを、今もよく思い出します。
また、先生がよく私におっしゃられたことで、とくに印象に残っている言葉がいくつかありますが、私自身が講義などの場で使わせていただいているのは(無断使用になってしまって申し訳ないのですが)「法律学は言葉の学問である」というものです。大学院を出て大学の教職に就いてから今年で20年となりますが、意味するところの深さを常々、そしてますます深く感じるようになってきています。
改めまして、先生の御冥福をお祈り申し上げます。
平成29年度税制改正で、行政法の観点から注目すべき点があります。
「所得税法等の一部を改正する法律」(平成29年3月31日法律第4号)第10条は「国税犯則取締法(明治33年法律第67号)は、廃止する。」と定めています。
但し、国税犯則調査手続に関する規定がなくなる訳ではありません。「所得税法等の一部を改正する法律」第8条は、国税通則法の改正に関する規定ですが、そこに「第11章 犯則事件の調査及び処分」が加えられます。「第1節 犯則事件の調査」は第130条から第154条まで、「第2節 犯則事件の処分」は第155条から第160条までです。
以上の改正は、「所得税法等の一部を改正する法律」附則第1条第5号ニおよびヘにより、平成30年4月1日から施行されます。
資格試験などの勉強を進めておられる方々には、注意していただきたいところです。