ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

判例変更か?

2020年10月30日 12時00分00秒 | 法律学

 昨日(2020年10月29日)付の朝日新聞朝刊33面13版に、気になる記事がありました。「議員処分は裁判対象外? 最高裁大法廷が弁論 判例変更か」です。

 10月28日、最高裁判所大法廷で口頭弁論が行われました。

 事件が大法廷で扱われていること自体、判例変更の可能性があるということを意味します。裁判所法第10条は「事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない」と定めています。「左の場合」とは、「当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。)」(第1号)、「前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき。」(第2号)および「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき。」(第3号)です。高等裁判所で出された判決について上告がなされると、通常は3つある小法廷のいずれかで扱われますから、事件が大法廷に回送されたということは、法令について初めて合憲・違憲の判断がなされるとき、法令の合憲・違憲について既に存在する判例が変更されるとき、法令の解釈運用に関する判例が変更されるときには、大法廷で扱われるということです。

 また、口頭弁論が開かれることにも注意が必要です。地方裁判所や高等裁判所であれば口頭弁論が開かれるのが通常ですが、最高裁判所は違います。民事訴訟法第319条は「上告裁判所は、上告状、上告理由書、答弁書その他の書類により、上告を理由がないと認めるときは、口頭弁論を経ないで、判決で、上告を棄却することができる。」と定めていますから、上告を棄却するのであれば、口頭弁論を開く必要もない訳です。同じく民事訴訟法の第321条第1項は「原判決において適法に確定した事実は、上告裁判所を拘束する。」と定めており、高等裁判所が下した判決における事実認定に、最高裁判所は拘束されます。その上での口頭弁論ですから、法令の解釈運用などに関する最高裁判所の判断が変更される可能性もある訳です。

 問題となっている事件について記しておかなければなりません。2016年、宮城県は岩沼市の市議会議員であった原告は、議会における発言が理由で23日間の出席停止処分を受けました。これに対し、原告は処分の取消および議員報酬の支払いを求め、岩沼市を被告として訴訟を提起しました。仙台地方裁判所平成30年3月8日判決(判例時報2395号45頁)は原告の訴えを却下したのですが、仙台高等裁判所平成30年8月29日判決(判例時報2395号42頁)は事件を仙台地方裁判所に差し戻す旨の判決を出しました。岩沼市が上告し、今回の話につながったのです。

 争点は「地方議会による出席停止処分が裁判所による審査の対象となるか」です。これについては最高裁判所昭和35年10月19日大法廷判決(最高裁判所民事判例集14巻12号2633頁)が「自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがあ」り、「出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする」と述べています。ただ、除名処分のみ異なり、これは「議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らない」ために裁判所による審査の対象になるとも述べています。出席停止は「議員の権利行使の一時的制限に過ぎない」から、ということでしょう。

 このような判断が妥当なところなのか、議論はあります。懲戒処分である以上は裁判所法第3条第1項にいう「法律上の争訟」の対象であり、権利義務に関わるものなのですから、裁判所による審査の対象となると考えるべきであるという見解も有力であると思われます。国会議員の場合は憲法第55条に「両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。」という明文の規定があるので、裁判所による審査の対象になりません。しかし、地方公共団体の議会の議員については、憲法はもとより、地方自治法などにも明文の規定がありません。そうである以上、司法審査の対象から外すには十分な根拠が必要であると考えるべきでしょう。

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姫島村の話題

2020年10月29日 11時00分00秒 | 国際・政治

 朝日新聞社のサイトを見ていたら、「車で一周30分、冬眠ほとんどが顔見知りの選挙戦 大分」(https://www.asahi.com/articles/ASNBW6T59NBTTPJB006.html)という、10月28日11分50分付の記事を見つけました。大分県にある姫島村の話です。

 この姫島村は、国東半島の北側にある離島の姫島のみを領域とする村で、国東市の伊美港(合併前は国見町)からフェリーに乗ると到着します。私も一度だけですが行ったことがあります(大分大学時代、当時の県内58市町村全てをまわっています)。平成の大合併では東国東郡の4町と合併するという案が大分県から示されていましたが、姫島村は自立を選択します。そのため、大分県では現在唯一の村であり、人口も最少です(1938人)。

 現在の村長は1984年に初当選して以来、現在まで9期務めています。現在の村長の父親である前村長が7期連続で無投票当選、現在の村長は8期連続で無投票当選でした。これはかなりの記録であると思うのですが、2016年、久しぶりに現職と新人の争いとなりました。実に61年ぶりの村長選挙戦となった訳で、何度かテレビ番組などでも取り上げられました。結果は現職の勝利で、現在は9期目です。

 そして今年、2020年です。11月1日に村長選挙が行われるということで、村長選挙の告示は10月27日に行われました。現在の村長が当選すれば10期目となり、九州では最多当選、最長在職期間となります。候補者は2人で、2016年の村長選挙と同じです。

 1955年の村長選挙から2016年の村長選挙までの61年間、姫島村の村長選挙で無投票当選が続いたのは、1955年の村長選挙戦で島を二分する程の激しい争いとなり、住民の間でしこりが残ったからであると言われています。おそらく、島民の間で長く語られてきたのでしょう。

 姫島村には選挙ポスターに関する条例がありません。そのため、選挙戦などではおなじみのポスターは作られていません。また、選挙カーも使われてこなかったのでした。本当に選挙カーがないのか、村長選挙について使われなかっただけなのか、村長選挙でいずれかの候補が使わなかっただけなのかはわかりませんが(村議会議員選挙も行われていますので)、記事にも書かれているように姫島は車を使えば30分ほどで一周できるほどの大きさの島なので(車で文字通りの一周をすることはできなかったと記憶していますが)、選挙カーは不要であるとも言えます。

 21世紀に入ってからの一時期、地方公共団体の長(都道府県知事、市町村長)の多選が問題とされ、いくつかの地方公共団体において多選自粛条例が制定されました。しかし、憲法上の疑義が出されたこともあり、制定当時の長にのみ適用される(私が住んでいる川崎市の条例もこの類です)、または廃止されることで、現在も施行されている地方公共団体は非常に少なくなっています。

 「近年、長の多選に対する批判が強くなり、多選自粛条例を制定する自治体も登場している。勿論、多選が直ちに地方政治に弊害をもたらす訳ではないという意見もある。平松氏は、一貫してその立場を取り続ける。しかし、現実の問題として、長の在任期間が長ければ長いほど、停滞感が漂い、腐敗などが起こりやすくなるのも事実である。少なからぬ国民が、このことを実感しているし、国際政治や歴史などの観点からしても、いわば経験知に属するであろう。」

 これは、私が2003年に書いた「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」(月刊地方自治職員研修2003年10月号31〜33頁)からの抜粋です。今も考えを変えていませんが、市町村の場合はそれぞれの事情があり、簡単に書けるものではないことも承知しています。

 しかし、姫島村の現状をどう打開するかという視点は必要です。1955年には人口が4200人ほどであったそうですが、現在は1938人で、そのうち有権者は1780人です。御多分に漏れずというべきか、高齢化率も高く、65歳以上の住民が全住民の51%を占めています。これは大分県内で最も高い数字であるとのことです。また、姫島村といえば水産業(養殖を含みます)ですが、従事者も20年前と比較して6割も減り、200人程となっています。

 大袈裟かもしれませんが、姫島村の将来を決める村長選挙と言えそうです。どのような結果になるのか、注視したいと考えています。

 ※※※※※※※※※※

 多選をどのように定義するかは難問とも言えますが、群馬県は5期以上を務める県内市町村長のデータを公式ホームページで紹介しています。また、全国知事会の公式ホームページによると、現在、7期目が石川県知事、5期目が青森県知事、兵庫県知事、徳島県知事、大分県知事、4期目が岩手県知事、栃木県知事、富山県知事、岐阜県知事、奈良県知事、熊本県知事となっています。

 ※※※※※※※※※※ 

 平成の大合併は、西高東低の傾向があったとは言え、日本全国を覆いました。大分県は市町村合併に熱心であった県の一つで、2000年12月15日に発表した市町村合併推進要綱において別府市を除く全市町村について合併を促し、県内を14の行政区域にまとめるという案を提示しました。実際にはこの案の通りにならない所もありましたが、18の市町村に統合される結果となりました。合併せずに残ったのは、別府市、日出町、玖珠町、九重町、津久見市、そして姫島村です。やはり、それぞれの事情があります。合併協議が難航した結果によるところもあれば、そもそも合併協議につくこともできなかったところもあります。

 当時、私は勤務地の都合などもあって市町村合併問題に取り組んでおり、講演をしたり論文を書いたりということを行っていました。今でもその頃のことを思い出すことがあります。今は中津市の一部となった耶馬溪町で講演をさせていただいた時の、会場の熱気は忘れられません。

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コロナ渦でも地方移住は進まない?

2020年10月24日 00時00分00秒 | 社会・経済

 共同通信社のサイトにある47NEWSに、興味深い記事が掲載されました。10月23日7時付の「コロナで地方移住、結局進まない理由 テレワークに悲鳴 都心マンションへ回帰」です(https://this.kiji.is/691237551379055713)。

 この記事の内容をどのように受け取るかは、人によって異なるでしょう。いずれにしても、コロナ渦で地方移住が進むというような話は簡単に進まないということです。しかも、先行きが読めません。 

 記事は、次のような文章で始まります。

 「コロナ禍で在宅勤務が広がれば、地方移住が進む-。地域経済の低迷、人口減少に悩む地方では、こんな希望的観測の下、移住者受け入れに向けたプロモーションに力を入れる自治体が相次いでいる。しかし、不動産市場を冷静に見ると、移住に向けた動きは弱い。在宅勤務は限界を露呈し始め、コロナ禍で都会地からの来訪者を過剰に警戒する『村社会』の弊害もイメージを悪化させた。」

 東京都から南へ、多摩川を渡ってすぐの場所にある川崎市では、他都道府県のナンバーの車が走ることなど当たり前です。そのため、他都道府県のナンバーの車に警戒する、他都道府県から帰省した人の家に「さっさと帰って」という紙が投げ込まれるようなことは、私の知る限りではありません。他都道府県ナンバーの車はお断り、という趣旨が書かれた紙を駐車場に貼っておく、というような店などもありません。そのようなことをしたらお客が来なくなります。「首都圏だけの話だろう」と言われたら「まあそうでしょうね」としか答えようがないのですが、人口が増えるか増えないかはこのようなところにも現れるのかな、とは思います。

 47NEWSの記事は、住宅評論家である櫻井幸雄さんの解説という形で書かれています。

 長らく進む東京一極集中を是正することは、第二次以降の安倍内閣でおいて政策として掲げられました。勿論、地方創生との関係です。「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の就学及び就業の促進に関する法律」も制定されました(平成30年6月1日法律第37号。なお、リンク先は私の論文です)。私はこの法律を「地方創生の行き詰まりを見せつける存在である」と考えていますが、記事にもあるように、政府は一極集中の是正の「糸口が、コロナ禍でみつかった」と考えたかもしれません。同じような思いは、いち早く5月上旬に緊急事態宣言が解除された多くの地方公共団体も抱いたでしょう。「災い転じて福となす」という表現はきついのですが、少なからぬ関係者の本音かもしれません。

 先日、テレビ朝日のニュース番組で過疎地の古民家に移住する、またその古民家をセカンドハウスにする人々について報じられていました。私も少しばかり考えついたことです。ただ、首都圏内か首都圏から近い場所が多いようです。また、古民家を探す人は増えても購入するまでには至らないという人も多かったようです。

 記事の内容はあまり詳しくないものなので、よくわからないところもあるのですが、「地方移住は、思ったほど増えなかった。その理由として大きいのは、テレワークの広がり方が限定的だったことだろう」と書かれています。考えてみれば当たり前とも言えることで、テレワークを導入しやすい業種とそうでない業種がありますし、導入しやすい業種であっても業務の内容の全てがテレワークに向いている訳でもないのです。一週間のうちの数日はテレワークでも、残りの数日は出勤しなければならないというような会社も少なくありません。その原因はハンコだというような主張もありますが、一因ではあっても全てではありません。

 緊急事態宣言が発せられてから、テレワークの問題を、記事の表現を借りるならば「身をもって知った」人も多いはずです。実際、4月以降、在宅勤務のおかげで家庭内の雰囲気が悪化したという趣旨の記事を何度も目にしました。家庭内どころか本人の精神状態も悪化するという例も報じられています(いや、程度の差はあれ悪化した人は多いと思っています)。

 記事では「家事を受け持つ人(多くの場合は妻)にとっては、日々の買い物が不便であること、虫や雑草に悩まされること、田舎特有の人間関係になじめないこと、など田舎暮らしから想像される不便さはいくつもある」と書かれています。記事に書かれていませんが、医療なども考えなければならないでしょう。地方移住の失敗例は経済誌などの記事に散見されます。失敗の理由に医療問題があげられているのです。また、車がなければ、運転できなければ話にならない地域も多く、その不便さは、別に老後を迎えなくともじわりとわかってきます。いや、わかってからでは遅いのです。私もそのような社会で7年間を過ごしました。風邪をひこうが怪我をしようが車を運転しなければ仕事にも買い物にも行けないのです。駐車場完備の飲み屋があるのも理解できます。以前、こう書いたら訳知り顔の人が「運転代行を知らないのか」と書いてきましたが、勿論知っています。そのための出費も考えておく必要があるのです。

 そのためかどうか、「コロナ禍は大きな問題だが、いずれ元に戻ると考える人が多いため、東京23区内の新築分譲マンションは売れ行きが回復している」とも書かれています。本当かと少し疑いますし、仮にそうであるとしても完全に元に戻るかどうかはわかりませんが、一極集中が大きく是正されるようなことはないのかもしれません。

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2021年度税制改正の方向は

2020年10月22日 00時00分00秒 | 国際・政治

 2020年10月21日付の朝日新聞朝刊7面14版△に「税制改正、自民税調が議論 住宅ローン減税延長/デジタル投資優遇」という記事が掲載されています〔但し、見出しはインターネット版(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14665495.html)によるものです〕。

 10月20日、非公式ながら自民党税制調査会の幹部会合が開かれ、税制改正大綱に向けて議論を開始したということです。

 検討課題は多く、様々な意見、議論が出そうです。とくに新型コロナウイルス対策の意味も有する経済対策やデジタル化、中小企業の再編などが注目されるところです。

 住宅ローン減税やエコカー減税の延長、固定資産税の軽減策(2021年が土地などの評価替えの年であるため)、デジタルトランスフォーメイションへの投資に対する優遇税制などが並びます。記事に書かれている「主な検討項目」を見る限りでは減税、負担軽減措置、非課税措置、優遇税制の延長や創設が多いようです。一方で「巨大IT企業を対象とした国際課税のあり方」も検討項目に並んでいます。

 また、電子申告の推進(記事では「電子化の推進」)、税務手続における押印の廃止も検討項目にあげられています。

 電子申告の推進と言えば、私がまだ大分大学教育福祉科学部の講師であった1998年か1999年、日本税務研究センターの電子申告に関する研究会へのお誘いを受けて「ドイツの電子申告制度」という論文を書いたことがあります(その後、税務弘報2001年1月号に「ドイツの電子申告制度における現状と課題」として掲載されました)。DATEV(Datenverarbeitungsorganisation des steuerberatenden Berufs in der Bundesrepublik Deutschland eG)方式およびELSTER(elektronische Steuererklärung)方式について記したのですが、日本ではあまり資料を入手することができないということで、インターネットでドイツのサイトを見て、ついにはドイツ連邦税理士会に手紙を書き、丁寧な御教示、さらに当時日本では入手しえなかった資料を送っていただいたことを、今でも覚えています。それから20年、日本でも電子申告制度が存在していますが、何処まで定着したのでしょうか。

 ついでに記すならば、ドイツでは、1976年の公課法(Abgabenordnung)の制定当初から電子帳簿に関する規定がありました。

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どういう議員辞職勧告か? 滅茶苦茶としか言い様がない

2020年10月21日 20時00分00秒 | 国際・政治

 10月21日17時30分付で朝日新聞社のサイトに「1年生市議に異例の辞職勧告『住民訴訟を起こしたから』」という記事が掲載されました(https://digital.asahi.com/articles/ASNBN67HHNBJOIPE039.html)。

 一読して「何なんだこれは?」と思わざるをえないものでした。これでは地方議会に良質な議員が生まれようもない、まともな人なら議員にならないであろう、とすら思えてきます。「辞職勧告は、この勧告に賛成した議員にこそ向けられるべきである」と考えられる方も少なくないでしょう。

 場所は愛知県弥富市で、9月の弥富市議会定例会で、議員のA氏に対する辞職勧告決議案が可決されたのですが、その理由が、某議員が議員になる前に弥富市に対して住民訴訟を起こしたというものでした。

 これだけでも滅茶苦茶としか言い様がありません。このブログに載せた「『地方の腐敗は日本の腐敗』 同感せざるをえない」に「地方政治の腐敗」を記しましたが、腐敗以前の無知としか言い様がないものです。無知から腐敗が生まれるのでしょう。「オンブズマン活動で市に大きな負担を負わせた」というのは言い掛かりと同じでしょう。市政がまともであればオンブズマン活動など起こりませんし、「市に大きな負担を負わせた」ことの原因が市議会にあることくらいわからないのでしょうか。

 そもそも、ここで問題になっている住民訴訟の発端を作ったのが弥富市議会の議員のB氏であるというのです。壁問題とも言われており、議員所有のアパートの壁が市有地の水路に65センチほどはみ出していたという問題は、弥富市対某議員という構図に発展しています。そこにA氏の住民監査請求が入り込んだということです。

 また、A氏は、今年の2月に完成した弥富市の新市庁舎建設について住民訴訟を提起しています。7月に却下されたそうですが、これがA氏への辞職勧告決議案の提案理由となっていますが、おそらく直接的には、ということでしょうか。

 この決議案に対する賛成者は7名、反対者は7名でした。賛否同数でしたので、議長(実はB氏)が賛成したことにより可決されました。

 上記朝日新聞社記事には決議の全文が掲載されているので御覧いただきたいのですが、その中に次のような一節があります。

 「本来オンブズマン活動は、行政の外部から行政を監視しこれを是正するものであります。地方議会は地方行政の一翼を担っている側面があり、地方議会の議員がオンブズマン活動を行うことは本来の趣旨に合致しない要素もあり、オンブズマン活動を歪(ゆが)めてしまう可能性もあります。なお、『弥富市政を考える会』は、平成27年2月13日に解散している(愛知県公報第3171号別冊1号11項)との事ですので選挙公報にも疑義が生じます。」

 たしかに、地方公共団体の議会の議員がオンブズマン活動を行うことには、活動内容に矛盾があるとも言えます。しかし、議員がオンブズマン活動をすることを禁止する法令はありませんし、実際に議員がオンブズマン活動またはそれに類似する活動をする例、議員が住民訴訟を提起する例は時々みられます(とくに大都市圏で多いかもしれません)。私が地方財務2017年10月号で発表した「高槻市里道占有損害賠償請求住民訴訟(財政法判例研究第9回)」は、このような議員の方が原告となった訴訟の大阪地方裁判所に関する評釈です。議会活動が低調であるからこうなるというのが実態に合う解釈でしょう。

 上記朝日新聞社記事を読んでいてもっと驚いたのが、決議案提出者であるC議員のコメントです。「訴えが却下されたにもかかわらず謝罪をしなかった」という言葉には開いた口が塞がりません。その上で「これまでの振る舞い、言動にも問題があった」というのですが、それはそれ、これはこれでしょう。

 賛成したD議員も「一言申し訳なかったと言えばいいだけのことなのにしなかった。反省していない」と語ったそうですが、「何を考えているのだ?」と思います。住民訴訟を提起した原告が敗訴したら謝罪だ何だのを行わなければならないのでしょうか。「それが当然だ」とおっしゃるのであれば、「オンブズマン活動はけしからん」というのであれば、今すぐ地方六団体にでも国にでも、住民監査請求制度および住民訴訟制度を廃止するよう提案してください。地方六団体が動けば、住民監査請求制度および住民訴訟制度は簡単に廃止されるでしょう。

 A氏は、住民監査請求および住民訴訟が「市民の権利。負けたから賠償する、謝るなんて聞いたことがない」と語ったそうです。これが地方自治法のとる立場でもあります。むしろ、卑屈であるのは、住民訴訟が提起されると地方公共団体が有する損害賠償請求権を放棄する(ことを議会が議決する)という姿勢でしょう。残念ながら、数年前に行われた地方自治法の改正で、条件付きではありながら認められたので、地方自治法自身が住民監査請求および住民訴訟の意味を減らしてしまいました。

 それにしても、今回の話を読んでみて、地方に巣くう病は根深いと感じます。これだけ様々な意見を排除しようとする傾向が強いのであれば、地方定住が進まないのも理解できますし、それはむしろ当然のことでしょう。新型コロナウイルス感染症の影響で東京からの人口流出が流入を上回るようになりましたが、頑迷とも言える閉鎖性を維持するのであれば、首都圏からの人口流入は一時的なものに終わるでしょう。定住をしようとする者に失望以外の何物も与えないからです。

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近藤等則氏が死去

2020年10月18日 23時51分30秒 | 音楽

 この訃報には驚きました。

 世界的に活躍したジャズ・トランペット奏者(いや、トランペットだけではないですが)の近藤等則氏が、10月17日、71歳で死去したというニュースが流れました。氏の公式ホームページに書かれています。

 勝手なイメージなのですが、日本で一番のトランペット奏者(ジャズの)は近藤さんではないかと思っています。しかもトランペットの枠にとらわれないところもよいのです。

 私は、1980年代にFM東京で土曜日の21時から放送されていた渡辺香津美さんの番組「グッド・ヴァイブレーション 渡辺香津美ドガタナワールド」で、近藤さんの演奏を知りました。タイトルなどを覚えていませんが、たしかチベタン・バンドの当時の新作「空中浮遊」であったと記憶しています。中学生の私には、とにかく凄いとしか表現しようのない演奏でした。

 その後、高校生時代に六本木WAVEで、今はない冬樹社から刊行された「東京ミーティング」というカセットブックを買いました。高橋悠治、渡辺香津美、坂本龍一、仙波清彦、ビル・ラズウェル、ペーター・ブロッツマンなど、錚々たるメンバーによる2日間の即興演奏大会(たしか会場は渋谷のパルコ)の録音です。私は、とくにB面の1曲目に収録されていた近藤さんと高橋さんのデュオをよく聴いていました。メガホンか何かを持った近藤さんの歌も面白かったし、高橋さんがピアノを弾きながら、ブレヒト作詞・ヴァイル作曲の「人間の努力は長続きしない」を歌い(但し、日本語)、そこへ近藤さんが色々な楽器で合いの手を入れたりするところが面白かったのです。

 それからまた少し経ち、大学生(学部生)になってから、近藤等則IMA「ヒューマン・マーケット」をCDで手に入れました(買ったのではありません。入手経路を書くのは恥ずかしいのでここでは記しません)。これも何度聴いたやら。当時、フジテレビであったと記憶していますが歌番組にIMAが出演し、近藤さんが「Tokyo Girl」を歌ったのをたまたま見ていますし、深夜番組でも近藤さんの演奏を見たりしています。どう考えてもジャズ・フュージョン系の人が出演するような番組でもなかっただけに、驚いたのでした。「ヒューマン・マーケット」には近藤さんのヴォーカル曲がいくつか入っていますが、曲によって声の高さから歌い方から変えていたことにも興味を惹かれました。

 1970年代から80年代までのフュージョンには、乱暴な分け方をすればジャズ系と非ジャズ系(ジャズ寄りとポップス寄り)があったのですが、私はジャズ系のフュージョンが好きでした(ウェザー・リポートなど)。先鋭的であったし、アドリブが楽しかったからです。近藤さんの場合はフリー・ジャズの流れが濃厚であったため、一般的な理解は得られなかったかもしれませんが、一度はまれば……というところです。

 どこかに前衛的な、あるいは尖ったところがないと、音楽はつまらない。10代、20代の私はそう思っていましたし、実は今でもそうです。

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御覧ください

2020年10月13日 00時37分10秒 | 国際・政治

 私も役員(理事)の一員である日本財政法学会は、2020年10月12日付で同学会役員会名で「日本学術会議第25期新規会員任命に関する緊急声明」を発表しました。

 日本財政法学会のホームページを開いていただき、下にスクロールしてください。または、トップページから日本財政法学会の「ブログ」へ進んでください。

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メモ:『ブランショ政治論集1958-1993』に書かれていたこと

2020年10月11日 22時39分09秒 | 国際・政治

 専門的でも何でもないのですが、20代の頃からモーリス・ブランショに関心があり、時折、邦訳書を買っては読んでいます(本当はフランス語で読みたいのですが、そこまでの力がありません)。

 月曜社から刊行されている『ブランショ政治論集1958-1993』の31頁に、次のような言葉があります。

 「権利とは、各人が自分のために自分に対して責任をもち、完全かつ自由に自己を拘束する自由な力なのです。これ以上強いものも、これ以上重大なものもありません。」

 これは、アルジェリア独立戦争の際に出された「121人宣言」に関するブランショへのインタビュー記事の中で彼が語った言葉の中にあります。メモのつもりでここにあげておきます。

 今年は武満徹生誕90年だということで、今、「ノヴェンバー・ステップス」がNHK教育テレビで流れています。

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「ローカル線の悲鳴」

2020年10月08日 00時37分40秒 | 社会・経済

 朝日新聞朝刊の経済面に「けいざい+」というコーナーがあります。10月7日付7面13版Sに掲載された記事は「ローカル線の悲鳴1 往時の石炭路線、豪雨で寸断」です(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14649367.html)。

 記事に書かれていたのは、このブログでも何度か取り上げた日田彦山線です。北九州市にある日豊本線の城野駅から日田市にある久大本線の夜明駅までの非電化路線で、終点の夜明駅を除き福岡近郊区間に入っています。

 2017年7月に九州北部豪雨がありました。その時より、添田町にある添田駅から夜明駅までの区間が不通になっています。被害箇所は63箇所でした。存続か廃止かの議論がなされましたが、結局、今年の7月にこの区間のバス路線化が決定されました。

 日田彦山線の歴史は複雑です。かなり簡略化して記しますと、明治時代に小倉鉄道によって開業し、戦時中に買収による国有化がなされています。その際には添田線という名称が付けられました。起点は今の城野駅ではなく東小倉駅、終点は添田駅ですが経路が現在と異なり、田川後藤寺駅を通らず、大任駅を経由していたのです。一方、田川伊田駅から田川後藤寺駅を経由して西添田駅までの区間は九州鉄道によって開業し、田川線の一部とされていました。添田線は終戦までの間に彦山駅まで延長されます。

 また、添田駅から夜明駅までの区間ですが、戦前に開業したのは宝珠山駅から夜明駅までの区間で彦山線という名称が付けられていました。戦後間もなく、大行司駅から宝珠山駅までの区間が開業しますが、彦山駅から大行司駅までの区間の開業はさらに後のことです。

 戦後、添田線と彦山線が統合されて日田線となり、香春駅から田川伊田駅までの部分が開業し、その少し後に日田線は田川伊田駅および田川後藤寺駅を経由する路線となり、香春駅から大任駅を経由して添田駅までの区間は添田線として分離されます。1980年代に添田線は廃止されました。

 1980年代前半の地図を見ると、北九州市、田川市など筑豊地域には煩雑と言える程に国鉄の路線網が築かれていたことがわかります。そのほとんどは「石炭路線」であり、あちらこちらの炭鉱を結んでいました。日田彦山線もその一つと言えます。しかし、エネルギー革命と言われる石炭から石油などへの転換により、筑豊地区の炭鉱は次々に閉山となります。これに伴い、旅客輸送も貨物輸送も激減した鉄道路線は深刻な赤字に見舞われます。沿線の人口も減りました。1980年代には、添田線の他、上山田線、室木線、漆生線、香月線など、筑豊地区の鉄道路線が次々に廃止されます(伊田線、田川線および糸田線は平成筑豊鉄道の路線として現存)。

 日田彦山線は残りましたが、沿線の人口は減少しています。上記朝日新聞記事では東峰村の様子が書かれています。この村は平成の大合併によって誕生しており、それまでは小石原村と宝珠山村でしたが、おそらく両方の村の人口を合計すると1950年代に8000人台の人口であったということなのでしょう。現在は約2000人とのことです。

 この東峰村は、バス路線化される添田駅から夜明駅までの区間に入っています。この区間の平均利用者数はJR九州発足時に比較して3分の1まで減少したということです。この区間に70億円の工事費を注ぎ込むことに、JR九州が「及び腰だった」というのも理解できます。1両だけのディーゼルカーで十分に過ぎるほどの輸送量ですし(本数もかなり少なかったのでした)、1年で2億6000万円ほどの営業赤字が出ていたというのですから。

 一方で、鉄道路線の廃止に東峰村が反発したのも理解できます。添田駅から夜明駅までの区間にある市町村のうち、廃止によって鉄道路線がなくなるのは東峰村だけです。通学通院のために必要な路線ということであり、観光のためにも必要であるという訳です。また、赤字鉄道路線を廃止してバス路線化するのがよいと昔から言われており、今もよく言われるのですが、実際にバス路線化するとさらに利用客が減り、ついには公共交通機関空白地帯になり、人口の減少も加速化するというのは、九州や北海道でよく見られる経験です。地元の懸念も当然でしょう。

 また、日田彦山線が城野駅から添田駅までの路線となった時に、とくに田川後藤寺駅から添田駅までの区間が気になります。部分廃止されたことによって残った区間の利用客数にも影響が出るのではないかと予想されるからです。

 「けいざい+」でどこまで九州のローカル線が取り上げられるかはわかりませんが、日田彦山線だけでもあれこれと考えさせられることは間違いありません。

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高津地区と橘地区

2020年10月05日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 神奈川県の北部にある川崎市の大部分は橘樹(たちばな)郡の領域に属していました(麻生区の一部のみ、都筑郡に属していました)。その橘樹郡の中心が千年(ちとせ)や子母口(しぼくち)にあったということからか、高津区には橘地区という名称が残っています。

 溝口などは高津村の領域で、千年や子母口などは橘村の領域でした。いずれも川崎市に編入され、1972年に政令指定都市となってから高津区の領域になりました。なお、1982年に宮前区が分区しています。

 かつての村の名残で、高津区は高津地区と橘地区とに分かれます(一部、高津村にも橘村にも属しなかった地域があります)。高津地区は高津区役所所管区域、橘出張所は橘地区所管区域(事務によっては高津区役所が担当)で、社会福祉協議会の対象地域も高津地区と橘地区とに分かれます(高津地区についてはさらに3つに分かれます)。

 高津地区は、高津区役所の直轄地域です。次の町丁が含まれます(住居表示未実施地区については※印を打っています)。

  ・高津第一地区社会福祉協議会対象地域

   溝口(みぞのくち)1〜6丁目

   久地(くじ)1〜4丁目

   久地(くじ)※

   宇奈根(うなね)※

  ・高津第二地区社会福祉協議会対象地域

   下作延(しもさくのべ)1〜7丁目

   下作延(しもさくのべ)※

   久本(ひさもと)1〜3丁目

   坂戸(さかど)1〜3丁目

   上作延(かみさくのべ)※

   梶ヶ谷(かじがや)1〜6丁目※←Wikipediaは橘地区としていますが、誤りです。高津区梶ヶ谷はかつて宮前(みやさき)村の一部でした。

   向ヶ丘(むかいがおか)※←かつて向丘(むかおか)村の一部でした。

  ・高津第三地区社会福祉協議会対象地域

   二子(ふたご)1〜6丁目

   瀬田(せた)

   諏訪(すわ)1〜3丁目

   北見方(きたみかた)1〜3丁目

   下野毛(しものげ)1〜3丁目

 橘地区は、橘出張所の所管区域です。全て橘地区社会福祉協議会の対象地域で、次の町丁が含まれます。

   明津(あくつ)※

   蟹ヶ谷(かにがや)※

   北野川(きたのがわ)

   子母口(しぼくち)※

   子母口富士見台(しぼくちふじみだい)※

   新作(しんさく)1〜6丁目←「し」にアクセントを置いて読みます。

   末長(すえなが)1〜4丁目

   千年(ちとせ)※

   千年新町(ちとせしんちょう)※

   東野川(ひがしのがわ)1〜2丁目

   久末(ひさすえ)※

 他の区を見ても、出張所も支所も置かれていない中原区と麻生区を除けば、概ね、かつて存在した村に対応するような形で区役所所管地域と出張所所管地域とに分けられているようです。

 川崎区:川崎区役所、大師支所、田島支所

 幸区:幸区役所、日吉出張所

 宮前区:宮前区役所、向丘出張所

 多摩区:多摩区役所、生田出張所

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