ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

加藤訓子さんのアルバム「カントゥス(CANTUS)」

2013年07月28日 23時04分55秒 | 音楽

 昨日、渋谷のナディッフ・モダンで、またCDを3組買いました。その中から1枚を紹介します。

 店の中で流れていて、すぐに手にしていたのが、加藤訓子さんのアルバム「カントゥス」です。イギリスのグラスゴーにあるリン・レコード(Linn Records)から今年発売されたもので、東京エムプラスという会社が輸入し、発売しています。

 加藤訓子さんの演奏を初めて知ったのですが、日本のパーカッション奏者で世界で活躍されています。リン・レコードからは既に「クニコ・プレイズ・ライヒ」が発売されており、これもナディッフ・モダンにあったかもしれませんが、今回は購入していません。

 店の中で流れていたのが明らかにスティーヴ・ライヒの曲だったので飛びついた訳ですが、それ以上に目に付いたのは、エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルト(Arvo Pärt)の作品が4曲も収録されていることです。アルヴォ・ペルトと言えば、ギドン・クレーメルの「フロム・マイ・ホーム」という、ジャケットの秀逸さで知られるアルバムの2曲目にFratresが収録されていますが、「カントゥス」にも収録されています。但し、加藤さん自身の編曲によるFratresは、クレーメルのアルバムに収録されているものとは全く別の曲に聞こえます。

 打楽器(マリンバ、ヴィブラフォーンなど)の演奏のため、全体的にミニマル風にはなっていますが、必ずしもその枠にとらわれているとも思えません。6曲中、加藤さんのアレンジが施されていないのは5曲目のPurl Ground(作曲はハイウェル・デイヴィス)のみです。

 非常に興味深い内容で、これからも聴き込めますが、注意しなければならないのは音量です。クラシックのCDは、ロックなどと比べると一般的に音量が小さめですが、「カントゥス」の小ささは他に例がないほどで、最初は聴きづらいかもしれません。とくに、オープン・スピーカーの場合には注意を要します。しっかりとしたオーディオ・システムを使うのであれば別でしょうが、ノートパソコンなどで再生すると、とくに5曲目はほとんど聞こえず、不良品かと思ったくらいです。ヘッドフォンを使用してみたら、低音の響きがしっかりと聞こえました。

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暑中見舞い、ということで

2013年07月24日 09時02分52秒 | 写真

 文月も下旬となり、暑中見舞いに相応しい時期かと思われますので、私が持っている扇子の写真を載せておきます。

 私は文月生まれであり、そのためかどうかわかりませんが夏を好みます。しかし、ここ数年続いている猛暑や酷暑には戸惑います。そうでなくとも、夏にはとくに注意しなければならないことが多いのです。タオルは欠かせませんし、水分補給も怠りません。着替えの回数も多くなります。冷房に弱いほうなので、その対策もしなければなりません。食事にも気をつけます(生肉、刺身などの類を食べないようにしています)。

 暑さを和らげたりするためには様々な手段があります。溝口や青葉台ではスプレー、シートなども売られており、私も「ほんとに効果があるのかな?」などと思いながら見ているのですが、もっと手っ取り早く、携帯にも便利な手段がこの日本に存在することを、決して忘れてはなりません。

 使い方次第では様々な用途に重宝するもの、それが扇子です。

 この扇子は、2011年5月15日、青葉台東急スクエアのS1別館地下1階にあったハンズセレクトで見つけ、買ったものです。何種類か置かれていましたが、幼いころから好きで、図鑑などで何度も見ている鳥獣戯画ということで、迷うことなく買いました。2000円でお釣りがきたと思います。

 (ちなみに、現在はS1本館3階にハンズ・ビーがあります。ハンズセレクトのほうがよかったような気もします。)

 京都市右京区にある高山寺に伝わってきた絵巻物、鳥獣戯画は、第1巻と第2巻が平安時代、第3巻と第4巻が鎌倉時代に書かれたものと言われています。最も有名なものは第1巻で、御覧のように兎や猿などが擬人化され、遊戯などをしています。

 実は、私はまだ一度も本物を見たことがありません。NHK教育テレビ(Eテレ)の「日曜美術館」で取り上げられたことがあり(「アートシーン」かもしれません)、東京のどこかの展覧会で公開されたのですが、時間をとることができなくて断念しました。やはり実物を目にしたいものです。

 それにしても、それぞれの動物が生き生きと、しかもユーモラスに描かれています。日本の漫画の元祖という評価があるのも理解できます。

こちらは兎と蛙です。何かを担いで運んでいます。当時の庶民生活を戯画化したものなのでしょうか。

 こちらの兎は、矢が当たったという訳ではなく、腰に着けた物(はっきりわからないのですが)に矢を入れて踊っているかのように見えます。あるいは、狩りをして、獲物に喜んでいるという図でしょうか。

 青葉台のハンズセレクトで売られていた扇子の絵柄は上の写真のものですが、他のヴァージョンもあったかもしれません。この類のものは、どうやら年によって絵柄などが異なっており、翌年(2012年)、そして今年も、東急ハンズなどで見たりしているのですが、鳥獣戯画の絵柄の扇子は見当たりません。同じことはTシャツなどにも言えることで、気に入ったデザインのものなら早めに買っておくのがよい、ということです。

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岩波書店が六法の刊行を終了した

2013年07月22日 22時56分11秒 | 法律学

 読売新聞社が今日の18時24分付で「岩波の『六法全書』、昨年秋の13年版で終了」として報じていました(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130722-OYT1T01392.htm)。

 この記事を手がかりにして、岩波書店のサイトを見たところ、少々わかりにくい形で「謹告」が掲載されており(http://www.iwanami.co.jp/topics/kinkoku.html)、「六法の刊行終了にあたって」と題された文書が掲載されていました。ここでは一部のみを紹介しますと、1930年、京都帝国大学の末川博教授の発案で『六法全書』の刊行が開始されました。当時は小型判だったようです。その後、『コンパクト六法』なども発売されたのですが、2008年から『セレクト六法』、『基本六法』、『判例基本六法』の3種類が登場します。また、『判例基本六法』は『判例セレクト六法』に変わっています。

 この三種の刊行が終了してしまうのは、やはり、需要の低迷によるものです。岩波書店の「謹告」でも「今日、市民生活における法の重要性がいよいよ高まり、市民の法意識の向上が課題となる一方で、インターネットの普及等により条文や判例へのアクセスも多様化した結果、大学教育等の場において六法の需要は低迷し、その在り方が問われる状況が現出していることも事実です」と記されています。そこで「法律書の刊行態勢をあらためる」ということになり、「昨秋刊行した平成25年版をもって岩波版六法の刊行を終え」ることとした、という訳です。

 私自身は有斐閣の六法、ぎょうせいなどの会社が刊行する専門分野の六法を愛用していますが、学部生時代には岩波書店の『コンパクト六法』を使用していたことがあります。また、『セレクト六法』を使用したこともあります。

 かく記す私も、最近ではイーガブの「法令データ提供システム」(http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi)を利用することが多いのですが、講義などの際には六法が欠かせません。電子データではかえって検索などが面倒な場合が多いからで、冊子の六法は今でも必需品なのです。しかし、冊子では限界があるのも事実です。

 これでますます、講義や演習で六法を持参せず、あるいは持ってきても開かず、法律の条文をまともに読むことのないような学生が増えるのではないか、と懸念しています。税法の講義ではとくに多いように感じるのですが、他の分野でも似たようなものでしょう。実際、期末試験などで条文の読解を試すような問題を出すと、法科大学院を除いては全滅の答案が多かったりします。にわか仕込みでは条文を読みこなす力などつきません。

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3000人合格方針が撤回されるか

2013年07月16日 13時19分59秒 | 受験・学校

 先程、時事通信社のサイトを見たら、今日の12時14分付で「『合格3000』撤回を決定=司法試験見直し-閣僚会議」という記事が掲載されていました。

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2013071600037

 「法曹養成制度関係閣僚会議」が方針として決定したのは、次の4点です。

 1.これまで政府が設定していた、司法試験の合格者を年間3000人程度とする方針を撤回する。

 2.合格実績に乏しい法科大学院に対し、定員削減、さらに統廃合を促す。

 3.現在は5年間で3回までとなっている受験制限を、5回まで緩和する。

 4.短答式試験の内容を、現在の7分野から3分野(憲法、民法、刑法)に減らす。

 今後は、内閣官房に司法試験改革に関する担当室を設けることとしており、この担当室が2年かけて具体的な内容を調査するとのことです。また、司法試験そのものの見直し(上記の3および4が該当します)については、来年開かれる通常国会に司法試験法改正法案を提出することを目処としているようです。

 「合格実績に乏しい」という言葉の具体的な意味が問題とはなりえますが、いよいよ、大多数の法科大学院にとってはのっぴきならない情勢となってきました。

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土曜日の夕方、たまプラーザ駅へ行く

2013年07月16日 09時39分42秒 | 写真

 田園都市線に限らず、首都圏の駅で、たまプラーザ駅ほど大きく姿を変えた駅は、少なくとも最近ではないでしょう。しかも、この駅は、渋谷のように何本もの路線が集まる所にありません。写真を見ても、一本の路線しか通らない駅であるとは信じられないのではないでしょうか。

Img_0031

 たまプラーザ駅は、1966年4月1日に開業しました。これは、田園都市線の溝の口~長津田が開業したことによるものです。私が知っているのは1979年からの橋上駅舎ですが、一カ所しかなかった改札口もそれほど大きくなく、隣の鷺沼やあざみ野と比べても小さな駅という印象を受けました。

 大きく変わったのは最近で、たまプラーザテラスの開業によります。改札口は1階にあり、ホームは地下にあることとなるのですが、地下駅であるという訳ではありません。地形の関係でこのようになっているだけで、南口(新石川のほう)からであれば電車は見えます。また、1階からも電車を見下ろすことができる場所があります。

Img_0032

 改札口は円形を基本としており、デザイン的にも興味深いものとなっています。私が立っているのは中央改札ですが、反対側に東改札があります。大きな空間が広がっており、温室かと思えるほどですが、たまプラーザテラスと一体化しており、明るい感じの駅となっています。

 たまプラーザ駅は、あざみ野駅と並んで青葉区北部のバスターミナルともなっており、地域の路線バスの他、成田空港や羽田空港へ向かう高速バスも発着します。この辺りを走る東急バスは、基本的に虹が丘営業所の所管であるため、川崎ナンバーとなっています。ターミナルは北口と南口の両方にあり、成田空港行きのバスも発着する北口は地下2階にあります。羽田空港行きのバスが発着するのは南口で、こちらは地上にあります。いきなり住宅地に入るかと思うと國學院大學たまプラーザキャンパスがあるなど、意外な変化を見せてくれるところです。

 これだけ大きな駅ですが、実はたまプラーザ駅の一日平均の乗降客数は2011年度で7万3700人で、意外に少ないのです。隣のあざみ野駅は、横浜市営地下鉄との乗換駅であることもあって、平均で12万8986人(2011年度)ですから、かなりの差があることもわかるでしょう。他の路線との乗り換えがない駅で乗降客数が多いのが青葉台で、2011年度の一日平均乗降客数は10万8857人となっています。私もよく青葉台へ行きます。青葉区南部のバスターミナルともなっているのですから当然でしょうか。

 東京急行電鉄のサイトに「各駅乗降人員」(2011年度)が路線別で掲載されています。それを参照して、田園都市線の駅の中でたまプラーザが何位となるのか、示していきましょう。

 1.渋谷駅(641,781)←半蔵門線への直通客を含む。東横線の乗降客数は含まれていません(改札口が別であったためです)。

 2.溝の口駅(144,335)←大井町線を含まないそうです。

 3.あざみ野駅(128,986)

 4.三軒茶屋駅(122,133)

 5.長津田駅(121,375)

 6.青葉台駅(108,857)

 7.中央林間駅(97,512)

 8.二子玉川駅(77,422)←大井町線を含まないようです。

 9.たまプラーザ駅(73,700)

 10.駒沢大学駅(70,244)←急行通過駅では最も多い数です。

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国学院大学法学部「行政法Ⅰ」(金曜日4限)の夏季休暇課題について

2013年07月14日 18時01分43秒 | 受験・学校

 先程、国学院大学のK-SMAPY、および私のサイトに、国学院大学法学部「行政法Ⅰ」(金曜日4限)の夏季休暇課題を掲載いたしました。

 http://kraft.cside3.jp/PrVwR40.htm

 夏休みの課題など、レポートについては、少し早めに掲載することとしています。

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飯塚駅周辺を歩く

2013年07月13日 08時41分57秒 | 旅行記

2006年9月3日、新飯塚駅から筑豊本線に乗りました。終点の原田駅まで乗ろうと思ったのですが、桂川での接続が悪かったので、飯塚駅を訪れてみました。

 日曜日の夕方の飯塚駅です。飯塚市の中心部は、筑豊本線と後藤寺線との接続駅である新飯塚駅のほうが近いのですが、私は飯塚駅で降りました。 曜日のためなのか、時間帯のためなのか、それとも地域のためなのか、乗降客は少なく、人通りも少ないのが印象的でした。客待ちのタクシーが何台か止まっていましたが、私がこの駅を降りた時には、タクシーに乗り込んだ客はいなかったと記憶しています。

 飯塚駅は、福岡県内にある有人駅らしく、自動改札機が設置されています。ここから、筑豊本線・篠栗線経由で博多まで1時間足らずで行けますから、通勤圏内である、ということなのでしょう。

 筑豊本線は、若松から原田までの路線で、若松からこの飯塚までは複線です。元々は、原田ではなく、上山田を終点としていました。後に飯塚~上山田は上山田線となりましたが、1980年代に廃止されています。筑豊本線は、直方、飯塚などの炭鉱地帯を走ることもあって、複線化は鹿児島本線より早く行われました。一部区間では複々線化されていたほどでしたし、寝台特急も走ってました(博多を通らない特急列車があったのです)。しかし、石炭産業の斜陽化などにより、筑豊本線はローカル線に転落しました。事実、電化は遅れ、折尾~桂川が電化されたのはつい最近のことです。それとともに、実質的には若松~折尾が若松線、折尾~桂川が福北ゆたか線、桂川~原田が原田線と分割されており、若松線と原田線は非電化のまま、原田線は1日にたったの7往復という寂しい路線になりました。本線とは名ばかりですが、九州では久大本線、豊肥本線も同様に扱われています。

 この飯塚駅も、炭鉱地帯にある駅として栄えていました。その痕跡が駅構内にあります。駅の東側は、線路こそほとんど取り払われていますが、上山田線が到着していたと思われる場所、そして、石炭を満載した専用の貨車などが停まっていたと思われる場所が、広々と残っています。

 写真の奥には、近畿大学九州短期大学の校舎も見えます 。こちら側にも改札口を設ければ便利だと思うのですが、そうなっていません。JR九州の場合、よほど大きな駅か高架駅でなければ、改札口は1箇所だけという駅が多いようです。橋上駅舎もあまりみかけません。

 駅前通りを歩きましたが、人通りはほとんどありません。多くの店が閉まっています。この風景自体は、割に「ありきたり」であると思うのですが、買い物客もいなければ、通りすがりの人もいません。時折、車やバイクが通るくらいでした。まだ日が暮れていないのに、京浜地区の深夜よりも静かです。炭鉱全盛期には、このあたりも相当の人通りがあったのだろう、と想像しながら歩いていましたが、そうなるとわびしさを覚えます。

飯塚駅前のロータリーです。駐車場がありますが、平日には車が多いのでしょうか。パークアンドライドを推進するにしても、これでは厳しいでしょうか。

 持っていたデジタルカメラのせいか、猫の目が黄色く光っています。この右側のほうに店があり、そこに別の猫(おそらく子猫)がいて、やかましいくらいに鳴いていました。この写真の猫も鳴きながら歩いていて、その店の中に入りたがっていたようなのですが、果たして、入ることはできたのでしょうか。

 溝の口西口商店街を思い出させるような商店街ですが、似ているのは通りの狭さと、簡易型アーケードと言えるような屋根がついていることくらいでしょうか。溝の口西口商店街は、最近の再開発によって短くなってしまいましたが、買い物客など、通行人が多い所です。しかし、こちら、飯塚の新天街商店街は、夕暮れ時とは言え、不気味な暗さでした。

 入口にある文房具屋は開いていましたが、残りの店は全て閉まっていました。日曜日ですので、店休日なのかもしれません。それにしても、ここまで暗いと驚きます。私が知る限りでは、他に中津市新博多町くらいしか思い当たりません。好奇心もあって、新天街商店街という、この短い商店街(奥で左に曲がっていて、すぐに公道に出ます)を歩きましたが、他に歩いていたのは一人だけでした。

 先ほどの写真の所から歩き続け、商店街の出口にたどり着きました。数件の店が開いていましたが、商店街の入口・出口に近い店だけです。それに、人通りがありません。18時頃で、私にとって、夕食をとるのに早過ぎる時間です。

 この商店街を歩いて、もう一箇所、思い出した所がありました。川崎市の某所にあった、南武百貨店というところです。新天街商店街と構造がよく似ていました。既に消滅しています。もう20年くらい前のことでしょうか。

 川崎市の某所のほうには南武百貨店という名前がついていましたが、大都市にある百貨店とは異なります。小売市場と言えばよいのでしょうか、一つの建物の中に雑貨屋、魚屋、肉屋などが入っていて、それぞれの店は独立していました。二本の通りがあり、コの字のような形になっていました。私の高校生時代までは、川崎市にこのような店がたくさんありました。溝の口駅の近くにも、ヤストモ、溝口百貨店などがあったのです。

 この日に訪れた新天街商店街も、暗く、ほとんどの店が閉まっていて、人通りもほとんどなかったのですが、南武百貨店の末期がまさにそうでした。入口のほうにあった雑貨屋だけが残っていました。

 こうして歩いていると、行政法学専攻者の悲しい性と言うべきか、中心街空洞化問題などを思い浮かべます。飯塚市は、大分大学時代にも何度か通っていますが、実際に歩いたのは今年9月3日が初めてのことです。新飯塚駅周辺と比べてみなければよくわからないのですが、やはり、炭鉱という一つの産業がなくなった影響はあまりに大きいような気もします。直方や田川を歩いて思ったことです。しかし、このまま崩壊させてよいものでしょうか。

 日本は、歴史的にみても、中心だけが肥大化し、その他は疲弊するという伝統に恵まれています(変な表現ですが、意図的にそうしています)。現在、格差社会云々と言われています。先日、格差社会云々と騒ぐのは馬鹿である(この馬鹿には、当然、学者が入っています)という論者の主張を見ましたが、この人は地方の現状などを全く知らないのでしょう。データをよく読むのは当然として、こうして、九州でも北海道でもどこでもよいから、実際に歩いてみればよいのです。格差社会は、単に人の間の所得の格差だけではなく、一極集中など、地域間格差なども含む表現なのです(今年の集中講義期間中、福岡県内のいくつかの場所を歩いてみて、改めて理解したことです)。

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後期担当講義の教室変更

2013年07月12日 10時19分23秒 | 受験・学校

 あくまでも現段階ということですので、正式には東松山校舎の掲示を見ていただきたいのですが、私が担当する科目の教室が、9月から変更となります。
 木曜日1限の行政法1:9月19日から、5号館523教室で行います。
 木曜日2限の基本法学概論:9月19日から、5号館521教室で行います。

 なお、7月中(と言っても7月18日のみですが)の教室はこれまでと同じです(行政法1は2号館213教室、基本法学概論は1号館125教室)。

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2010年8月30日、黒崎駅周辺を歩く

2013年07月12日 03時08分23秒 | 旅行記

 何度か記していることですが、川崎市に生まれ育った私は、28歳の時まで西明石駅より西へ行ったことがなく、1997年大分大学教育学部(当時)に就職することになって初めて九州に足を踏み入れたのでした。しかし、それからは、大分市に7年間住み、その後も9年にわたり、福岡市で集中講義を担当してきました。

 元々、あちらこちらへ行っては歩き回ることが好きな私は、頻度こそ福岡市に劣るものの、何度か北九州市を訪れています。九州最初の政令指定都市は、門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、そして若松市が合併して誕生しました。現在は7つの区で構成されていますが、区名を見れば歴史は明らかです。

 北九州市にある駅と言えば、何と言っても小倉駅が最も有名でしょう。また、門司駅、門司港駅、そして折尾駅が有名です。私はそのどれにも行っていますが、同市の西の中心とも言える黒崎駅を忘れてはなりません。隣に八幡駅がありますが、八幡西区の中心部は黒崎駅前地域です。それだけではありません。JR九州の駅で、黒崎駅の乗降客数は、長らく博多、小倉に次いで第3位でした。しかし、21世紀に入ってから低落傾向にあり、現在は鹿児島中央駅、折尾駅、大分駅に抜かれています。

 私は、これまで何度か黒崎駅周辺を歩いています。現時点での最後は2010年8月30日です。今回はその時の模様を取り上げます。なお、内容の基本は「待合室」の第389回「黒崎駅周辺を歩く」(2010年11月15日~22日掲載)であり、修正などを施したことをお断りしておきます。

※※※※※

 集中講義の期間中に、太宰府天満宮を訪れ、そこから北九州市へ行きました。黒崎駅周辺の様子が気になったことと、門司港駅付近に行ってみたかったことからです。しかし、宿泊先として滞在していた福岡市中央区から行くとなると、太宰府天満宮と北九州市では方向が全く逆になります。そのため、どのようなルートで行こうかと考えることになりました。とりあえずは西鉄天神大牟田線と太宰府線を乗り継いで太宰府天満宮へ行き、参拝を済ませました。或る意味で気楽な一人旅なので、ここから先は変わったルートをたどるのも面白いものです。

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 太宰府駅の前にバス停があり、そこから宇美営業所へ行くバスがあることがわかりました。しかも、それほど待たずに乗ることができそうでした。そこで、そのバスに乗ることとしました。途中の勝田あたりから、廃止された旧国鉄勝田線の跡に沿うように走ります。吉塚から志免(しめ)、宇美を経由して筑前勝田までの路線であった勝田線は、福岡都市圏の路線であったにもかかわらず本数が少なく、その結果として廃止されたのですが、旧国鉄の経営状態の悪さと問題点を極端な形で示した路線として有名でした。起点の吉塚は博多の隣の駅ですし、志免駅があった志免町は福岡県内の市町村でも有数の高い人口密度の市町村です。通勤路線としても活用できたはずです。これより悪い条件の路線が生き残っていることを考えると、当時の国鉄が勝田線を赤字のまま放置していたことの不可解さが際立ってくるのです。

 バスの終点の宇美営業所は宇美町の中心部から少し外れたところにありますが、宇美駅まで歩いてもそれほどの時間はかかりません。そこで宇美町役場のある市街地をゆっくり歩きました。勝田線の宇美駅の跡はよくわからなかったのですが、どういう訳か、香椎線の宇美駅と勝田線の宇美駅は離れていたそうです。我が川崎市にある浜川崎駅と同じような構造であったということになります。

 太宰府から北九州市の黒崎へ向かうのに宇美経由のルートを使うというのは、常識的に考えるとおかしいかもしれませんが、私は宇美に出てしまいました。ここから香椎線に乗り、長者原で篠栗線に乗り換えるつもりです。勿論、香椎で鹿児島本線に乗り換えるという手もあります。

Kurosaki01

 長者原で篠栗線に乗り換え、そのまま筑豊本線を通り、黒崎駅に出ました。雨に降られた2006年9月4日以来、およそ4年ぶりのことです。

 ここは折尾駅ほどの知名度がありませんが、ソニックなどの特急電車も停車します(かつては寝台特急などが通過していましたが、現在は通過列車がないようです)。

 黒崎は八幡西区の中心であり(駅の近くに区役所もあります)、北九州市では副都心としての地位を得ています。しかし、最近はあまり明るい話題がありません。黒崎駅の乗客数も減少傾向にあり、かつてはJR九州の駅で博多駅、小倉駅に次ぐ利用者がいたということですが、現在は6位となっています。

Kurosaki02

 私が降りたのは南口です。御覧のようにペデストリアンデッキとなっています。下を通るのが国道3号線です。

 西側にコムシティ(COM CITY)があります。複合商業施設で、2001年に開業したのですが、運営会社である第三セクター、黒崎ターミナルビルが2003年に自己破産に至ります。現在、北九州市立こどもの館、西鉄イン黒崎などが入っており、また、1階がバスターミナルと筑豊電気鉄道の黒崎駅前停留所となっていますが、かなりの部分が空き家状態となっているようです。

Kurosaki03

 今度は東側です。地元では有名な百貨店である井筒屋黒崎店があります。メイト黒崎ビルという建物で、ここに黒崎そごう、黒崎フォーラス(ジャスコから転換)があったということです。1999年に黒崎フォーラスが閉店し、翌年には黒崎そごうも閉店しました。井筒屋黒崎店がここに移転したのは2001年のことです。

Kurosaki04

 黒崎のアーケード街が見えてきました。月曜日の昼です。2006年に来た時もこの商店街を歩いています。その当時、やはり空洞化の波がこの黒崎をも襲っていましたが、開いている店舗は比較的多かったと記憶しています。さて、今回はどうでしょうか。

 この商店街はカムズ黒崎といいます。アーケードの入り口にはCAMS KUROSAKIと書かれているのですが、読みにくいデザインです。「繁昌横丁」と書かれていますが、歩いている人は少なそうです。

Kurosaki05

 アーケード商店街を歩き始めてほどなく、人通りの少なさもさることながら、営業中の店舗が少ないことがわかります。シャッターが下りている店舗は、私の印象では4年前より増えているような気がします。昼とはいえ、お客が入っている店舗もあまりないようです。黒崎は、商業地域としては地盤沈下の傾向が続いていると指摘されているところで、実際に歩いてみるとよくわかります。

 シャッター通りと言われる商店街を歩くと、シャッターや窓などに「売物件」とか「貸店舗」などと書かれた不動産屋の案内板が貼りつけられているのをよく見かけます。右側にある建物もまさにその「売物件」で、2階にもかつては店舗があったのであろうと推測されます。アーケードから吊り下げられている案内表示に、閉店した店舗の名称が今でも残されています。黒崎の場合はそうなのですが、商店街によっては店舗の名称が消されている場合もあります。

Kurosaki06

 4年前に歩いた時に、ここがどうであったか、全く覚えていません。今回は空き地となっていました。アーケードがあることからして、ここには大型の建物があったものと思われます。奥のほうに大型のパチンコ屋があるだけに、この空白は目立ちます。

 奥に見えるのが井筒屋Annex-1です。ここには無印良品、ブックセンタークエスト、アイ・メゾンなどが入っています。実はここがかつての黒崎店でした。また、ブックセンタークエストは、元々、井筒屋が展開してきた書店で、現在は福岡市の積文館書店が経営しています。

Kurosaki07

 黒崎のアーケード商店街を歩き続け、アーケードがなくなったところで西のほうへ向かいます。風俗関係の店舗が多く並んでいる一角があり、再びアーケード商店街になりますので、今度はその商店街を駅のほうへ向かって歩き続けます。三角形のような感じでしょうか。

 ここも人通りはそれほど多くなく、閉まっている店舗もあります。4年前に偶然見つけたゲームセンターに入ってみたら、まさに昔ながらのゲームセンターであったので、懐かしくなり、つい長居をしてしまいました。

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民法第900条第4号に関して、最高裁判所大法廷で弁論が開かれました。

2013年07月11日 06時11分48秒 | 法律学

 昨日(7月10日)の朝日新聞夕刊1面および15面、日本経済新聞朝刊14面にも記事が掲載されていましたし、今日の朝日新聞朝刊では1面トップで報じられていますが、昨日、最高裁判所大法廷で、双方の当事者による弁論が行われました。

 夕刊には午前中に行われた一件について報じられていましたが、午後にもう一件、同じ論点の訴訟の弁論が行われました。

 2013年2月27日付の「気になる記事2件」において記したことですが、元々、今回の訴訟は最高裁判所の第一小法廷に係属していました。しかし、2月27日、第一小法廷は真理の場を大法廷に移す旨を決めました。

 そして、2013年4月6日付の「民法第900条第4号について違憲判決が出されるのか?」で記したことですが、4月4日、大法廷は二件の訴訟について7月10日に弁論を開くことを決定していました。実は今回が初めてのことではなく、2010年から翌年にかけて、やはり大法廷が審理を行っていましたが、この時は当事者間の和解によって裁判が終了しました。

 今回の弁論は、非常に重要な手続となっています。最高裁判所大法廷が1995年7月5日に下した決定を、大法廷自身が何らかの形で見直す可能性が非常に高いからです。いかなる結論に至るかが注目されます。

 私は、大分大学教育福祉科学部に所属していた時分に日本国憲法の講義を担当していました。そのため、ホームページにも長らく憲法の講義ノートを掲載していました。そこに書いておいたことを再び記すならば、民法第900条第4号はまさに「親の因果子に報いる」を地で行くものであり、出生に何の責任もない子に親のツケをまわすようなものではないか、と考えています。親は子を選べるかもしれませんが、子は親を選べないのです。上記4月6日付の記事にも同じことを書いていますが、繰り返してもよいでしょう。

 この問題については、上記の他、次のページで取り上げています。

 2011年11月14日付「今年8月24日に大阪高等裁判所が出した決定は、今後の判例になるのか?

 2012年2月3日付「名古屋高等裁判所の違憲判決

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