ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

夫婦別姓訴訟東京地裁判決に関する雑感

2013年05月29日 22時58分02秒 | 法律学

 昨日から報じられていましたが、今日、東京地方裁判所で夫婦別姓訴訟の判決が出ました。朝日新聞夕刊(今日付)11面4版に「『夫婦同姓』民法は合憲 東京地裁判決 事実婚夫婦ら敗訴」という記事が掲載されています。

 予想通り、合憲とする判決でした。夫婦別姓を憲法は保障していない、という趣旨です。

 既に、法制審議会は1996年に選択的夫婦別姓制度の導入を答申しています。しかし、この類の問題は政治的にも解決が難しいものです。私自身、福岡の天神で、夫婦別姓制度の導入に反対する街頭演説などを見ました。

 正直なところ、日本国憲法は夫婦別姓か同姓かを選択する権利を保障していない、と見るのが素直な解釈でしょう。少なくとも積極的には保障していませんし、要請もしていないでしょう。最高裁判所の判例で、外国人の選挙権について許容説が採られているように、憲法は夫婦別姓について禁止をしていないが要請もしていない、と理解するのが妥当でしょう。

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「外れ馬券は経費」という判決~これまでの実務への疑問~

2013年05月23日 23時59分22秒 | 法律学

 今日の朝日新聞夕刊15面4版「外れ馬券代 経費と認定 大量・継続購入を重視 大阪・猶予判決」、日本経済新聞夕刊15面4版「『外れ馬券も経費』認める 払戻金無申告 脱税額は大幅減 大阪地裁が有罪判決」および「所得分類で異なる『経費』 競馬での収入、無申告多く」という記事には、とくに競馬ファンにとって注目すべきでしょう。そればかりでなく、税法を専攻する者にとっても興味深いものです。

 私自身は競馬などをやりません。サテライト日田問題に取り組んでいた頃にも、競輪などはやっていません。競馬場と競輪場のある川崎市に生まれ育ちましたし、東京競馬場の最寄り駅である府中本町を通るJR南武線を利用していましたから、手を出そうと思えば簡単でしたが、手を出したことはないのです。もっとも、大きなゲームセンターに行けばメダルの競馬ゲームがありますから(溝口や二子にはあります)、そちらのほうで遊んだことは何度もあります。

 これまでの実務では、競馬などの払戻金は一時所得として扱われました。これ自体は妥当でしょう。しかし、外れ馬券について、所得税法第34条第2項にいう「その収入を得るために支出した金額」(日経は「経費」と書いていますが、こういうものは経費と言わないでしょう。所得税法も厳密に使い分けています)に該当しないと扱ってきたことについては、かなり前から疑問に思っていました。

 第一に、これまでの実務の扱い、およびそれを支持する学説は、競馬などをやったこともないような人たちが考え付いたのでしょう。そうとしか思えないのです。おそらく、ゲームセンターの競馬ゲームなども知らないでしょう(スーパーマーケットのゲームコーナーにもある場合があります)。

 競馬中継でも聞けばすぐにわかりますが、1レースでは一点買い(たとえば、16頭立てのレースで単勝3番のみに賭ける、というようなもの)する人よりも、数点を買う(たとえば、本命で3番、対抗で10番、押さえで8番などとして、馬連で3-10、3-8、8-10と賭ける)場合が多いでしょう。そのため、当たり馬券のみを「その収入を得るために支出した金額」とすることについて、競馬などをやる人たちの多くは違和感を覚えるはずです。

 実際、今回問題となった事件では、外れ馬券を、一時所得であれば「その収入を得るために支出した金額」、雑所得や事業所得などであれば必要経費に入れるか入れないかで争われており、入れなかったために利益よりも「脱税」額がはるかに多くなるという、非常におかしな事態となったのです。余談で、しかも被告人となった方には申し訳ない表現となりますが、30億円余りの払戻金を得るために28億7000万円ほどを投じられているということからすると、果たして割に合う商売と言えるのかどうか、疑問に思えます。「いや、それだからこそギャンブルなんだ」と言われるならば「そうですね」と答えざるをえませんが。

 第二に、一時所得とすると、今回の事件のようなものには合いません。事案を見れば、立派な事業とも言える内容です。そうでなくとも、判決が指摘しているように娯楽の範疇を超えています。雑所得と認定されているのは、被告人の状況によるものでしょう。場合によっては事業所得と認定されてもおかしくありません。

 今回、被告人は懲役2カ月、執行猶予2年の判決を下されましたが、控訴をしないとのことです(先程見ていた、日本テレビの「NEWS ZERO」によります)。それはそうで、刑事訴訟から離れて課税の観点からすれば、被告人にとっては実質的な勝訴判決です。無申告であったことについては非難を免れませんが、そうなると第三の問題につながります。

 第三は、大体競馬や競輪で勝ったとして、多くの人は申告などしないでしょう。一時的・偶発的な所得であるくらいですから、トータルでは負けていたりする訳です。それに、課税となると税務署のほうでも手間ばかりかかってどうしようもないはずです。

 これがおかしいと言う人は少なくないと思われるので、申し上げておきます。宝くじの当選金には所得税などが課されません。宝くじは刑法でいう富くじで、立派なギャンブルですが、課税されていないのです。競馬や競輪などの公営競技もギャンブルであることは言うまでもなく、これを私人が行えば賭博罪となります。宝くじも公営競技も、元々、地方財政の改善のために導入されたという経緯があります。それならば、競馬や競輪などの払戻金についても課税されないのが当然ではないでしょうか。少なくとも、宝くじと公営競技で釣り合いが取れていないのは問題です。

 公営競技の払戻金については所得税の対象となるのに、宝くじの当選金については非課税となるのは、管轄官庁の違いによるものなのか、あるいは寺銭の違いなのか、と考えてしまいます。公営競技の寺銭は2割5分で、宝くじの寺銭は5割である、というような話を聞いたことがあります。

 日経の夕刊には国税関係者の怒りの声などが掲載されていますが、上に記したことからすれば、無申告であったことについての怒りを除けば筋違いとしか言いようがありません。また、木山弁護士のコメントも掲載されていますが、ネットはともあれ、馬券の大量購入は最近の現象ではなく、「国税庁が通達を出した約40年前には想定できなかった事態」でもないでしょう。個人で、ということであれば、あまり例はないでしょうが、皆無ではなかったはずです。1レースに、それこそ一点買いで何千万円も馬券を買う人がいる(一番人気に賭けていたそうです)、という話を、学部生時代に聞いたことがあります。

 ともあれ、今回の事件には、色々と考えさせられました。

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まだ見られる(?)デヤ7200+デヤ7290 その5

2013年05月20日 07時54分40秒 | 写真

昨年(2012年)の9月8日、長津田車両工場のそばに行ってみたら、デヤ7200とデヤ7290が置かれていました。その時の模様はこのブログでも取り上げました。

まだ見られる(?)デヤ7200+デヤ7290 その1」(2012年9月9日付)

まだ見られる(?)デヤ7200+デヤ7290 その2」(2012年9月10日付)

まだ見られる(?)デヤ7200+デヤ7290 その3」(2012年9月11日付)

まだ見られる(?)デヤ7200+デヤ7290 その4」(2012年9月12日付)

それから8ヶ月半ほど経過した今年の5月19日、また長津田車両工場のそばに行ってみたら、デヤ7200とデヤ7290はまだ敷地の中に止まっていました。

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 全く移動していないのか、昨年9月と同じ位置に止まっています。運転台の向きなども同じです。上の写真は、本来であれば下り側(こどもの国線で言うならばこどもの国側)にあるべきデヤ7290で、増設運転台をこちらに向けています。

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手前がデヤ7290、奥がデヤ7200で、何故か本来の運転台側を向け合った形で止まり続けています。

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 事業用車では珍しいさよなら運転を2012年2月26日に行い、引退したはずですが、解体されるでもなく、譲渡されるでもなく、長津田車両工場の敷地内に置かれ続けています。今後、何かが予定されているのでしょうか。

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いつまで見られるかわかりませんが、もうしばらくは楽しめるかもしれません。

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今月で引退! 東急8090系(先頭車のクハ8090形)

2013年05月19日 20時39分05秒 | 写真

 いよいよ、今月で東急から8090系が引退します。正確に記すと、先頭が8590系の編成の中間車はまだしばらく運用されるでしょうが、正面非貫通車であるクハ8090形を先頭車とする編成は東急線から離れることとなります。現在、大井町線でヘッドマークをつけた編成が走っていますが、もしかしたら長津田車両工場へ行っても見られるかもしれないと思い、新しい愛車のポロを運転して、こどもの国線恩田駅のそばまで走り、撮影してきました。

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 クハ8082が、他の車両から切り離されています。最初は見慣れないデザインだったのですが、不思議に溶け込んできました。

 8090系がデビューしたのは1980年のことです。量産型としては日本で最初の軽量ステンレスカーで、最初は東横線で7両編成として登場し、すぐに8両編成化され、主に急行として運用されました。正面は、5200系(1958年登場)以来の非貫通です。

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 それまでの8000系や8500系などとは全く印象の異なる斬新なデザインで、東急では初めて、側面にも赤い帯を巻き、見る者に強い印象を与えました。また、車内からでもわかりますが、裾を絞ったような形状となっており、天井のほうもわずかながら絞られています。

 しかし、8090系、とくにクハ8090形が東横線で活躍した時期は短いものでした。1980年代に、横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転が決まりました。実はかなりの紆余曲折を経たようで、当初、みなとみらい線の直通の相手は国鉄(JR)横浜線だったようです。ともあれ、地下鉄との乗り入れが決まったことで、正面非貫通車では問題が生じます。そこで、1988年に正面に貫通扉を設けた8590系(デハ8590形およびデハ8690形)を製造し、中間車を組み替えて東横線に登場させるとともに、先頭車がクハ8090形の編成は全て5両編成化して大井町線に転用することとしました。これにより、8090系は大井町線の主力として活躍することとなります。

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 大井町線に移籍してから、急行などとして走ることはなくなりました。しかし、8090系が同線を走るようになってから、20メートル4扉車にまとめられるようになり、それとともに、まさに大井町線の顔として活躍を続けてきました。

 しかし、同線に急行が走るようになり、また、東横線と副都心線との直通運転が決定されたことから、8090系の運命は再び大きく変えられることとなりました。

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 こちらは8090系の大井町線移籍と入れ替わるように東横線に登場した8590系のデハ8593です。正面の方向幕は、営業用の黒地ではなく白地で、赤く「訓練車」と書かれています。

 既に記したように先頭車両のみの形式で、中間車は全て8090系のデハ8190形、デハ8200形およびサハ8300形となっています(デハ8400形は使用されていません)。8090系では5M3Tであったのに対し、8590系の編成は6M2Tとなりました。みなとみらい線直通運転のために製造され、やはり東横線の急行として運用されました。その後、1997年に8694Fと8695Fが田園都市線に移籍し、2001年には8693Fも田園都市線に転籍しています。2002年に5000系が登場したことにより、2003年には8590系の全編成が再度東横線に揃いました。

 しかし、2004年2月1日のみなとみらい線開業以降、実際に8590系が同線および東横線で用いられたのはわずか2年程度でした。既に東横線と副都心線との相互直通運転が決まっていたことから、その対応のために5050系がデビューします。これは、東横線の在籍車両を大幅に入れ替えることを意味しました。副都心線のATO、ワンマン運転、ホームドアに対応する必要があり、さらに東武東上線、西武有楽町線・池袋線に直通運転することから、東横線の車両は基本的に5050系(8両編成)、5050系4000番台(10両編成)および横浜高速鉄道のY500系(8両編成)に統一されることとなり(他に5000系の8両編成4本が在籍しています)、8000系が完全に引退したのを始め、8590系および9000系も東横線を離れることとなりました。そのために玉突き現象が起こり、とくに9000系が大井町線に移籍して主力となり、8090系が大井町線を去ることとなったのです。

 8590系について記すならば、2005年に8691Fが5両化されて大井町線に移籍し、2006年には8692Fおよび8693Fが大井町線に移籍します。また、8694Fと8695Fは2006年に再び10両化されて田園都市線に移籍しました。2012年に8692Fが営業運転から離脱しており、8693Fも営業運転から離脱しています。「訓練車」という幕の表示が、現在の位置を示しているようです(何の訓練なのかはわかりませんが)。

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クハ8082にヘッドマークが付けられていることがわかります。本当は正面から撮影したかったところですが、位置の関係で仕方がありません。

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 再び8590系のデハ8593です。後にも8090系の中間車が止まっていました。8590系も、この先の活躍期間は長くないかもしれません。田園都市線の2編成も、東武伊勢崎線・日光線に乗り入れることができないため、運用時間帯などは限られており、平日のラッシュ時でなければ見るチャンスはほとんどありません。8500系よりも早く消滅する可能性もあります。

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 8090系、8590系のどちらも、広い意味では8000系に入ります。8090系の最初の編成である8091Fで8000系の第12次車となります。界滋チョッパ制御、中空軸平行カルダンタワミ板継手式の駆動装置など、8000系の基本構造は受け継がれています。勿論、多くの機器に改良が加えられています。

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 手前が8090系のクハ8082、その後が8590系のデハ8593です。8090系、8590系のどちらも、大井町線で運用される時間は、もうあまり長く残されていないのかもしれません。そして、東急線内で他に移動できる路線はないので、他社へ譲渡されるか、解体されるかのどちらかとなります。既に8090系の一部は秩父鉄道に譲渡されています。

 撮影するなら今のうちです。

 日本最初の量産軽量ステンレスカーの功績は、これからも長く語られることでしょう。8090系の登場がなければ、JR各社を中心とした軽量ステンレスカーの普及はなかったのですから。

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明日の「行政法Ⅰ」(国学院大学法学部)で課題を出します。

2013年05月16日 21時14分01秒 | 受験・学校

 今年度、金曜日4限に戻った「行政法Ⅰ」(国学院大学法学部、渋谷校舎)で小課題を出します。

 詳細は、明日の朝までにK-SMAPYにあげておきます(講義で配布するプリントに書かれています)。また、私のサイトの「講義用資料・スライド」(http://kraft.cside3.jp/slide2013.htm)および「行政法小演習室」(http://kraft.cside3.jp/Raum0.htm)にも掲載します。 

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伊豆急行の8000系と2100系

2013年05月11日 21時06分12秒 | 写真

 今回は伊豆急行の電車を取り上げます。ここには、東急東横線を代表する車両であった、日本最初のワンハンドルマスコン車である8000系が主力として走っています。

 8000系が東横線および大井町線から引退したのは2008年のことで、かなり多くの車両が系列の伊豆急行に移り、主力として活躍しています。伊豆急行と言えば、開業当初からの車両であるハワイアンブルーの100系、リゾート21として運用される2100系が有名ですが、伊豆半島東側の海岸沿いという苛酷な環境のため、塩害による車体の腐食が深刻な問題となりやすいのです。そのため、100系は既に引退しており、2100系の一部も8000系に置き換えられています。

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 伊豆急下田駅に8000系が停車しています。沿線の人口減少に伴い、伊豆急でも乗客の減少が深刻であり、伊豆高原から伊豆急下田まで一部の普通電車でワンマン運転となっています。8000系はそのワンマン運転用の車両です。勿論、東急時代は車掌も乗務していました。

 また、上の写真では3両編成となっていますが、伊豆高原駅で分割または増結が行われます。そのため、熱海~伊東(JR伊東線)および伊東~伊豆高原(伊豆急行線)では6両編成、伊豆高原~伊豆急下田では3両編成として運行されます。

 ちなみに、この8000系は、JRの路線を走る車両としては唯一、T型のワンハンドルマスコンを採用しています。

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 黒船列車のリゾート21として運用される2100系の第4編成が停車しています。どう見ても特急用車両であり、実際に特急「リゾート踊り子」としても運行されますが、実は普通電車用、つまり各駅停車用として製造されており、多くの運用も普通電車です。伊豆急行線を走る特急「踊り子」にはJR東日本の185系も使用されますが、同系列が特急用としてはあまりにも見劣りのする車両であるため、特急料金の不要なリゾート21の普通電車で移動するほうが楽しいのです。

 2100系は1985年にデビューしました。翌年にブルーリボン賞を受賞してます。第2編成は、落成後、伊豆急行線で運転される前に東急線を走っており、私も田園都市線の溝の口駅で見ました。その後、JR東海道本線の起点である東京駅まで乗り入れる編成も登場し、特急「リゾート踊り子」には2100系が使用されることになります。また、この第4編成は南武線にも乗り入れたことがあり、臨時特急として、立川から伊豆急下田まで走りました(南武線内の途中停車駅は府中本町、登戸、武蔵溝ノ口、武蔵小杉で、尻手から浜川崎支線に入ったために川崎駅を通っていません)。

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 写真撮影日にはリゾート21に乗らなかったのですが、車内もなかなかの装備で、これで普通電車というのが勿体無いくらいです。

 現在、2100系は第3編成、第4編成および第5編成が伊豆急行に在籍しています。第1編成と第2編成は既に廃車となっています。これは、先程記した塩害のために老朽化が早く進行することと、最初の2編成が100系の機器類を流用していたためです。伊豆半島へ行かれたら、リゾート21には是非とも乗車されることをお勧めします。

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 さて8000系に戻ります。この編成に、妻と一緒に伊豆高原まで乗りました。東急時代、先頭車は必ずクハ8000形であり、電動車は中間車のデハ8100形、デハ8200形(およびデハ8400形)でした。伊豆急行に移籍してから、先頭車の一部が電動車に改造されています。

 東急8000系は、この伊豆急行とインドネシアのJabotabek鉄道に移籍していましたが、日本国内では伊豆急行以外の会社に譲渡されていません。東急の車両と言えば、旧3000系以来、全国各地の中小私鉄に譲渡されており(中には大手私鉄の名古屋鉄道も含まれています)、譲渡先が複数というのが通常なのですが、8000系は国内の譲渡先が伊豆急行のみとなっています。これは東急の車両としては唯一の例でしょう。譲渡されなかった車両は全て解体されています。

 なお、伊豆急行8000系のうちの1両であるクモハ8152のみは、東急8500系デハ8700形のデハ8723からの改造となっています。8500系は現在も田園都市線、大井町線、東京メトロ半蔵門線、さらには東武伊勢崎線・日光線を走っていますが、一部が長野電鉄や秩父鉄道などに移っています。

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 伊豆急下田駅から伊豆高原駅まで、普通熱海行きに乗って移動します。しかし、気分は東横線または大井町線です。伊豆急行に移ってから内装も改造されており、海側(東側)は一列クロスシートとなっていて、私はそちらに座ったのですが、山側(西側)はロングシートのままです。

 幼少時から東横線をよく利用していた私は、当然、8000系にもよく乗りました。田園都市線、大井町線でも運用されていましたから、何かと乗る機会が多い車両でした。ただ、東横線では、登場してから長らく各駅停車専用で、外観から想像されるように地味な車両でした。急行にも運用されるようになったのは1980年代もかなり経過してからのことであったと記憶しています。初代7000系が東横線を離脱してからは急行としても走行するようになりましたし、東横線に特急が登場してからは種別に関係なく運用されていました。

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 8000系は非冷房車として登場しましたが、1980年代に全て冷房化されました。扇風機は東急時代から変わっていないようです。違うのは吊り革で、東急時代は扉の部分にも吊り革がありましたし、座席部分の吊り革も長かったのです。路線の性格の違いがよく表わされています。

 2013年3月からの東横線・副都心線相互直通運転開始を前に、2012年から東横線にも東京メトロ7000系が走っていましたが、一度だけ中目黒駅でその7000系のくたびれたアルミ車体を見て、それなら東急8000系や8590系、9000系が東横線に残っていてもよかったと思いました。ホームドアの寸法の関係なのでしょうが、8000系は元々が新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)用として想定されていました。つまり、当初から地下鉄乗り入れ用として設計されていたのです。8590系も同様ですし、9000系は南北線乗り入れ用として想定されていました。東急の、初代6000系以降の車両で当初から地下鉄乗り入れが想定されていなかったのは、7200系、8090系、2代目6000系および2代目7000系です。

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 8000系は1969(昭和44)年から11年間ほど製造されました。東急車輌のプレートが現在も付けられています。その下には、伊豆急行への転籍の際に改造を担当した東横車両電設(現在の東急テクノシステム)のプレート(ステッカーかもしれません)が貼られています。

 何度か記していますが、私は、この8000系がローレル賞を受賞できなかったことが今も不可解でなりません(受賞したのは名鉄モ600形でした)。東横線での最終運転が行われた日の翌日の新聞記事で電車の概念を変えたとまで評価された車両なのです。界滋チョッパ制御は広く普及しなかったものの、これがなければ省エネ技術も進まなかったであろうと評価してよいくらいで、国鉄201系などへの影響も多大なものでした。VVVF制御も、チョッパ制御があってのものでしょう。また、T型ワンハンドルマスコンは、東急は勿論、阪急(6300系など)、京王、京浜急行、京成、帝都高速度交通営団(東京メトロ)、東京都交通局、静岡鉄道、西鉄などで標準となり、西武や東武でも採用されています。この変形が片手操作のワンハンドルマスコンですから、やはり東急8000系の影響力はあまりに過小評価されていたとしか思えません。

 (「ひろば」第520回として、2013年4月8日から16日まで掲載。一部修正。写真撮影日は2010年12月30日。)

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今日の「天声人語」は「さとり世代」の話

2013年05月06日 12時01分42秒 | 社会・経済

 3月16日付で「さとり世代」という文を記しました。今回はその続編とでも言うべき内容です。

 大学の教員になって、今年で16年が経過しました。仕事柄、10代後半から20代前半の人たちと接する機会が多いので、気になっています。こういう稼業をやっていると、世代という幅ではなく、年ごとのカラーの違いがあるということがわかってきます。同業者の多くがそうではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 勿論、十人十色と言うくらいですから、性格から何から人それぞれ、個人ごとの差異があります。それを承知で敢えて記すなら「その学年の色彩」というものがあります。つまり、今年入学した学生たちと昨年入学した学生たちとの、気質などの違いがあるのです。多分に感覚的なものですので、説明は難しく、新聞記事にもしにくい訳ですが、この16年間、違いに戸惑ったりしながら、学生と接したりしてきました。少人数クラスやゼミを担当すると「学年ごとの色彩」がよくわかってきます。とてもではないですが「世代」と乱暴にまとめることはできません。いつの世においても世代論が展開されますが、こういう「論」を行う人には若い世代(でなくともよいのですが)と密接に接する機会に恵まれていない、あるいは敢えて接しないという者も少なくないのではないでしょうか。または、職業のせいで、私は世代論に違和感を覚えるのでしょうか。

 以上に記したことを考えながら、今日の朝日新聞朝刊の「天声人語」を読みました。今となっては懐かしい「24時間戦えますか」のキャッチコピー(CMソング)に触れつつ、1989年、つまり平成元年、バブル経済の絶頂期の話から始まります。まさに「浮かれた世相」でした。悪い表現を使えば「狂った世相」です。良いこともなくはなかったのですが、あの頃の遺産は一体何だったのだろうと思っています。「徹夜仕事のお供に、眠気防止のためのドリンク剤が定番とされた時代」にその「徹夜仕事」をした人たちは、労働をし、消費をし、投資をして、わずかながらの余裕を与えられつつも、挙げ句の果てには、なけなしの手切れ金も受け取れずに、労働市場からも金融市場からも追い出されたのではないでしょうか。勿論、この人たちが産出した財の大部分は、ほんのわずかな部分しか手に取ることができず、大部分はほんの一部の法人などに帰属します。こうして貧富の格差は拡大していくのです。橘木俊詔氏が岩波新書の『日本の経済格差』で指摘しているように、ジニ係数はバブル期から上昇していました(但し、日本の場合は長らく貧困状況の調査などがまともに行われていなかったので、ジニ係数が社会をまとめて表現するような形になっていないという可能性は高いのですが)。

 まさに経済の奴隷となり、弊履のごとく捨てられる人間。状況はますます悪化しています。我々が産み出したはずのものに、作り出した道具であるはずのものに、我々が物的にも精神的にも支配されている時代。結果という一面のみに振り回される社会。

 バブルは崩壊しますが、世界的にはグローバリゼイションが席巻します。世界のどこかでバブルが起こり、我々は浮かれ続けます。喩えは悪いですが、これまでの麻薬や覚醒剤に満足できなくなり、いっそう強い効き目の薬物を求める中毒患者ばかりがあふれています。旧約聖書に出てくるソドムとゴモラの話の変形ではないかとすら思えてきます。

 私自身がそうでしたし、私が接してきた学生もそうなのですが、若者はどこかで世間、社会を冷静に見ています。ニヒリズムと間違えられるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。たとえ熱狂に同調していても、醒めた部分は残ります(もとより、その範囲は人によって違います)。そして、世間や社会に反感を抱きながらも、その中でどのように生きていくのかを考えるのではないでしょうか。或る世代の者から見れば、若者は「やわ」かもしれませんが、実はどこかにしたたかな部分を持っています。今日の「天声人語」にも登場する「さとり世代」は、その「したたかな」世代ではないでしょうか。

 何せ、「右形上がりの成長を知らずに育った世代である。だからか、万事、欲がない」とか「結果をさとり、高望みしない」とかと書かれる世代です。本当に無欲かどうかは別として、或る意味で無欲くらい強いものもありません。私は、3月16日の段階で「所得が低いのに気概も覇気も生まれるのか。よく『今時の若者には覇気がない』と言われますが、過程よりも結果が重視され、失敗すれば大きな責任を、しかもトカゲの尻尾切りのような形で負わされることがわかっていて、合理的な思考を持つ者のうちの誰が上を目指そうとするでしょうか」と記しました。よく考えると、ここには世間体も見栄も関係ないという姿勢が見られますから、世間一般に言われるのとは違う意味でのしたたかさにつながります。ただ、今の段階では十分に姿を現していないだけです。何かの機会に力を発揮し、どうかすれば暴発するかもしれません。

 「あきらめの世代」あるいは「諦観の世代」とも表現できる世代は、表現とは逆の強さを秘めている。このように言えるのではないでしょうか。彼らこそが、経済の奴隷となっている我々の現状を、どれほど静かな形であっても確実に掘り崩すことの可能な存在でしょう。徐々に進み、大きな変化を生み出す、新しい姿の革命を担うかもしれません。

 「天声人語」は、次のように終えています。

 「趨勢として若い世代の考え方は確かに変わりつつあるらしい。バブル時代の狂騒を思えば、真っ当な方向だ。景気回復もいいが、あんな時代に戻りたくない。」

 今の段階では、この意見に賛同する、とだけ記しておきましょう。

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ゴルフ(車です)の話

2013年05月04日 00時07分04秒 | 写真

約7年11か月も乗ってきた車を換えることになっていますので、今日は車の話を記しておきます。

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 上の写真が、2005年5月下旬(実質的には6月と言ってもよいのですが)からの愛車、フォルクスワーゲンの5代目ゴルフGLi(2.0 FSI)です(ナンバーの文字だけ消すという加工を施しています)。私が初めて買ったドイツ車にして3ナンバーの車であり、初めて買ったオートマティック車です。これまで故障もなく、順調でした。これまでの中で最も気に入っている車です。

 排気量が2リットルと大きかったこともあって、燃費などには問題がありましたが、同じクラスの様々な車と比べれば良いほうだったようです。高速道路(など)で順調に走れば、1リットル辺りで15キロメートルから17キロメートルくらいは走れます(瞬間的でしたが1リットルあたり21キロメートルという平均燃費が表示されたことがありました)。

 これまで4台の車を買い、乗ってきましたが、その中では5代目ゴルフが最も長い期間となりました。勿論、気に入っていたからです。特にブレーキペダルの操作具合と利き具合には感心しました。また、ブレーキペダルが大きめでしっかりとしており、安定感があって操作しやすいのです。福岡の天神にある某社のショールームで見た車のブレーキペダルは細く、急ブレーキをかけたら折れるのではないかと思えるほどでしたが、ゴルフのペダルは違います。同調される方がおられるかどうかわかりませんが、私は、乗り物で最も重要な性能は加速よりも減速であると考えているので、安心して運転できました。

 勿論、ブレーキだけではありません。高速でも低速でも思い通りに走ってくれます。3ナンバーですので車幅が1.7メートルを超えますが、小回りが利きます。また、計器類の照明が青系の色でしたので、暗い所でも目に優しく感じます。椅子の座り心地もよく、車酔いをしやすい人がゴルフに乗ったときだけは全く酔わなかったくらいでした(乗り物酔いの原因の一つが椅子の座り心地であるという話を聞いたことがあります)。

 総じて言えば、外見も中身も申し分なし、というところです。敢えて記すならばマニュアルミッションのほうが燃費もよいし、この車の性能をもっとよく引き出せたのではないかと思っています。購入当時、まだマニュアルミッションのGTIが発売されていなかったので、GLiにしてみました。今、日本ではマニュアルミッションが全滅に近い状況になっており(復権という噂もありますが)、「エコ」が叫ばれる割には矛盾していると感ずるのは私だけでしょうか。

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Windows 8を導入してみた

2013年05月03日 14時03分13秒 | デジタル・インターネット

 長らく、研究室のパソコンはWindow XPのものでしたが、機能的にも限界に達しつつあるため、思い切ってWindows 8のパソコンを買いました。私にとっては16年ぶりの東芝dynabookで、15.6インチという大きな画面のものを選んでみました。

 Windows 8が出始めた時に渋谷や梶ヶ谷で見たのですが、使いにくそうなOSでした。しかし、これは慣れの部分があることでしょう。さらに使ってみてから、感想のようなものを記してみたいと考えています。

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