今回は伊豆急行の電車を取り上げます。ここには、東急東横線を代表する車両であった、日本最初のワンハンドルマスコン車である8000系が主力として走っています。
8000系が東横線および大井町線から引退したのは2008年のことで、かなり多くの車両が系列の伊豆急行に移り、主力として活躍しています。伊豆急行と言えば、開業当初からの車両であるハワイアンブルーの100系、リゾート21として運用される2100系が有名ですが、伊豆半島東側の海岸沿いという苛酷な環境のため、塩害による車体の腐食が深刻な問題となりやすいのです。そのため、100系は既に引退しており、2100系の一部も8000系に置き換えられています。
伊豆急下田駅に8000系が停車しています。沿線の人口減少に伴い、伊豆急でも乗客の減少が深刻であり、伊豆高原から伊豆急下田まで一部の普通電車でワンマン運転となっています。8000系はそのワンマン運転用の車両です。勿論、東急時代は車掌も乗務していました。
また、上の写真では3両編成となっていますが、伊豆高原駅で分割または増結が行われます。そのため、熱海~伊東(JR伊東線)および伊東~伊豆高原(伊豆急行線)では6両編成、伊豆高原~伊豆急下田では3両編成として運行されます。
ちなみに、この8000系は、JRの路線を走る車両としては唯一、T型のワンハンドルマスコンを採用しています。
黒船列車のリゾート21として運用される2100系の第4編成が停車しています。どう見ても特急用車両であり、実際に特急「リゾート踊り子」としても運行されますが、実は普通電車用、つまり各駅停車用として製造されており、多くの運用も普通電車です。伊豆急行線を走る特急「踊り子」にはJR東日本の185系も使用されますが、同系列が特急用としてはあまりにも見劣りのする車両であるため、特急料金の不要なリゾート21の普通電車で移動するほうが楽しいのです。
2100系は1985年にデビューしました。翌年にブルーリボン賞を受賞してます。第2編成は、落成後、伊豆急行線で運転される前に東急線を走っており、私も田園都市線の溝の口駅で見ました。その後、JR東海道本線の起点である東京駅まで乗り入れる編成も登場し、特急「リゾート踊り子」には2100系が使用されることになります。また、この第4編成は南武線にも乗り入れたことがあり、臨時特急として、立川から伊豆急下田まで走りました(南武線内の途中停車駅は府中本町、登戸、武蔵溝ノ口、武蔵小杉で、尻手から浜川崎支線に入ったために川崎駅を通っていません)。
写真撮影日にはリゾート21に乗らなかったのですが、車内もなかなかの装備で、これで普通電車というのが勿体無いくらいです。
現在、2100系は第3編成、第4編成および第5編成が伊豆急行に在籍しています。第1編成と第2編成は既に廃車となっています。これは、先程記した塩害のために老朽化が早く進行することと、最初の2編成が100系の機器類を流用していたためです。伊豆半島へ行かれたら、リゾート21には是非とも乗車されることをお勧めします。
さて8000系に戻ります。この編成に、妻と一緒に伊豆高原まで乗りました。東急時代、先頭車は必ずクハ8000形であり、電動車は中間車のデハ8100形、デハ8200形(およびデハ8400形)でした。伊豆急行に移籍してから、先頭車の一部が電動車に改造されています。
東急8000系は、この伊豆急行とインドネシアのJabotabek鉄道に移籍していましたが、日本国内では伊豆急行以外の会社に譲渡されていません。東急の車両と言えば、旧3000系以来、全国各地の中小私鉄に譲渡されており(中には大手私鉄の名古屋鉄道も含まれています)、譲渡先が複数というのが通常なのですが、8000系は国内の譲渡先が伊豆急行のみとなっています。これは東急の車両としては唯一の例でしょう。譲渡されなかった車両は全て解体されています。
なお、伊豆急行8000系のうちの1両であるクモハ8152のみは、東急8500系デハ8700形のデハ8723からの改造となっています。8500系は現在も田園都市線、大井町線、東京メトロ半蔵門線、さらには東武伊勢崎線・日光線を走っていますが、一部が長野電鉄や秩父鉄道などに移っています。
伊豆急下田駅から伊豆高原駅まで、普通熱海行きに乗って移動します。しかし、気分は東横線または大井町線です。伊豆急行に移ってから内装も改造されており、海側(東側)は一列クロスシートとなっていて、私はそちらに座ったのですが、山側(西側)はロングシートのままです。
幼少時から東横線をよく利用していた私は、当然、8000系にもよく乗りました。田園都市線、大井町線でも運用されていましたから、何かと乗る機会が多い車両でした。ただ、東横線では、登場してから長らく各駅停車専用で、外観から想像されるように地味な車両でした。急行にも運用されるようになったのは1980年代もかなり経過してからのことであったと記憶しています。初代7000系が東横線を離脱してからは急行としても走行するようになりましたし、東横線に特急が登場してからは種別に関係なく運用されていました。
8000系は非冷房車として登場しましたが、1980年代に全て冷房化されました。扇風機は東急時代から変わっていないようです。違うのは吊り革で、東急時代は扉の部分にも吊り革がありましたし、座席部分の吊り革も長かったのです。路線の性格の違いがよく表わされています。
2013年3月からの東横線・副都心線相互直通運転開始を前に、2012年から東横線にも東京メトロ7000系が走っていましたが、一度だけ中目黒駅でその7000系のくたびれたアルミ車体を見て、それなら東急8000系や8590系、9000系が東横線に残っていてもよかったと思いました。ホームドアの寸法の関係なのでしょうが、8000系は元々が新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)用として想定されていました。つまり、当初から地下鉄乗り入れ用として設計されていたのです。8590系も同様ですし、9000系は南北線乗り入れ用として想定されていました。東急の、初代6000系以降の車両で当初から地下鉄乗り入れが想定されていなかったのは、7200系、8090系、2代目6000系および2代目7000系です。
8000系は1969(昭和44)年から11年間ほど製造されました。東急車輌のプレートが現在も付けられています。その下には、伊豆急行への転籍の際に改造を担当した東横車両電設(現在の東急テクノシステム)のプレート(ステッカーかもしれません)が貼られています。
何度か記していますが、私は、この8000系がローレル賞を受賞できなかったことが今も不可解でなりません(受賞したのは名鉄モ600形でした)。東横線での最終運転が行われた日の翌日の新聞記事で電車の概念を変えたとまで評価された車両なのです。界滋チョッパ制御は広く普及しなかったものの、これがなければ省エネ技術も進まなかったであろうと評価してよいくらいで、国鉄201系などへの影響も多大なものでした。VVVF制御も、チョッパ制御があってのものでしょう。また、T型ワンハンドルマスコンは、東急は勿論、阪急(6300系など)、京王、京浜急行、京成、帝都高速度交通営団(東京メトロ)、東京都交通局、静岡鉄道、西鉄などで標準となり、西武や東武でも採用されています。この変形が片手操作のワンハンドルマスコンですから、やはり東急8000系の影響力はあまりに過小評価されていたとしか思えません。
(「ひろば」第520回として、2013年4月8日から16日まで掲載。一部修正。写真撮影日は2010年12月30日。)