少し前に、文教堂書店溝ノ口本店で『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)を購入しました。朝日新聞の記者、原真人氏による著書です。
原氏といえば、朝日新書の『日本「一発屋」論』(2016年)もあり、何度となく読み返しました。また、昨年度の火曜日の朝日新聞朝刊に掲載されていた「波聞風問」(非常に読み応えがあったので、完全復活を希望したいところです)にもよく原氏の論考が掲載されており、切り抜いたりしたものです。朝日新聞の全体の論調とは異なる部分も少なくないのですが、これは原氏が元々日本経済新聞社の記者であったことと関係するのでしょう。消費税の税率引き上げについて、立場を貫かれている点は立派です。今、なかなかこのようにすることはできないからです。
『日本銀行「失敗の本質」』は、たしか日刊ゲンダイのサイトで高野孟氏が取り上げ、高い評価を与えていたと記憶しています。私も一読を、とくに学生に薦めたいものです。高校生(高校生は学生でなく、生徒です)でも読めるでしょう。というより、本当なら、高校生であれば朝日新書、岩波新書、中公新書、講談社現代新書、光文社新書、集英社新書のどれか一冊くらいは読めておかしくないと思っています。
高野氏も、『日本銀行「失敗の本質」』における旧日本軍と日本銀行との対比を評価されていたはずですが、何年経っても根は同じ思考回路なのかと愕然とすることでしょう。目的の曖昧さは、金融緩和に限らず、東京湾アクアラインのような公共事業などにもみられるところです〔橋山禮治郎『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』(2014年、集英社新書)も参照〕。経済政策の目的が曖昧では困るのですが、「民主主義国家なのだからツケは国民が負えばよい。だから我々は好きなように政策を作って、カッコイイ言葉でも使って説明しておけばよい」などと考えられているのでしょうか。
また、原発の安全神話と同じように「アベノミクスの『呪文』」(146頁)が引用されており、「呪文」とは上手い表現だと感じました。同じような言葉が税制改正大綱でも何年にもわたって繰り返されており、まさしく「呪文」です。お経のようなものでしょうか。
また、原氏の著書でも同じような趣旨が書かれているはずですが、このところの、通称「骨太の方針」などの文書における言葉の軽さ、曖昧さには困惑させられます。その典型が「見える化」です。何となく意味はわかるのですが、具体的に、誰が、何を、誰に対して、どのように「見える」ようにするのかが不明確です。国民全体に向けてというのであれば、その割には情報公開などが不徹底であり、そればかりか、国際ジャーナリスト団体の「国境なき記者団」が発表している報道の自由度ランキングでは日本の順位が年々下がっているほどですから、何をもってして「見える」ようにするのかがわかりません。
さらに記すならば、言葉の軽さ、曖昧さという点では、例えば改革、革命という語が多用されていることをあげればよいでしょう。私は、自治総研478号(2018年8月号)掲載の「地方税法等の一部を改正する法律(平成30年3月31日法律第3号)」において)、2018(平成30)年度税制改正に関連して、次のように書きました(原文にある注は省略)。
「平成30年度与党税制改正大綱は、『経済の成長軌道を確かなものとするため』に 『生産性革命』と『人づくり革命』を行い、『デフレからの脱却を確実なものにしていく』とともに『人生100年時代を見据え、わが国の経済社会システムの大改革に挑 戦することにより、誰もが生きがいを感じられる「一億総活躍社会」を作り上げる必要があ』り、そのために『働き方改革』の後押しとして『給与所得控除・公的年金等控除の制度の見直しを図りつつ、一部を基礎控除に振り替えるなどの対応を行う」と 述べる。平成29年度税制改正に続く『個人所得課税改革』の第二弾の実行を明言した訳であるが、具体像が十分に示されないままに『改革』、『革命』などの語が多用される点に違和感を禁じえず、『働き方改革』と『給与所得控除・公的年金等控除の制度の見直し』との具体的な関係について、十分と言える程に明確にされているとは言い難い。」
「生産性革命」、「人づくり革命」。いずれも大げさな表現なのですが、何を言いたいのでしょうか。革命という言葉にもいくつかの意味があり、私の電子辞書に入っているデジタル大辞泉では①「被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること」、②「物事が急激に発展・変革すること」、③「古代中国で、天命が改まり、王朝の変わること」などと説明されています。その上で、類語として変革、維新、改新、政変、内乱、反乱、暴動、クーデターの語が現れます(いずれも①についてです)。
どう考えても③の意味でないことは明らかですし(現代に置換すれば政権交代になってしまいますから)、①の意味でもないでしょう。そうすると②でしょうか。しかし、②は或る意味で自発的、あるいは自然発生的な変化とも受け取られます。政府が「物事」を「急激に発展・変革する」のであれば、①の意味合いも含まれてきます。しかし、それを革命とは言いません。いや、20世紀の社会主義体制の諸国で見られた「上からの革命」であるとも考えられます。そこで、私は、「生産性革命」、「人づくり革命」を、いずれも要するに「上からの革命」の経済版なのだろうと理解したいのですが、いかがでしょうか。
昨今の政治では、こうしたスローガン、あるいはプロパガンダのようなものがやたらと目立ちます。そして曖昧であることも、スローガンやプロパガンダに共通する点であるとも言えます。
『日本銀行「失敗の本質」』にも登場する「デフレ脱却」なども、多用されている割には具体像が十分に示されていない言葉でしょう。原真人氏は、次のように記しています。
「アベノミクスと異次元緩和にも、日本軍と通じる『あいまいさ』が存在する。象徴的なのが、政策目的の『デフレ脱却』だ。『デフレ』とは何か——その定義からして、いまだにはっきりしない。」(134頁)
「政府はいまだデフレ脱却宣言をしないまま現在に至っている。」(136頁)→「デフレではない、しかしデフレ脱却とは言えない——。何が言いたいのか、まったくわからないおかしな説明だ。」(137頁)
そして、原氏は「事実を実証的に分析し、政策に生かした、という話はあまり聞かない。安倍政権は『成果』を演出できる都合のよいデータだけを選び出し、『成功した』と連呼し続ける」(148頁)とも指摘します。これは、何もアベノミクスに限定されないことで、公共事業などで繰り返された甘い見通しに通じるものがあります。とは言え、この指摘は重要でもあります。今年(2019年)の1月に発覚した毎月勤労統計調査での不正問題につながることですし、国会においても経済政策に限らず様々な政策について質疑応答がなされていることでもあるからです。
事実の実証的分析という点では、「地方創生」という看板政策にも疑問符がつけられるところでしょう。これもまた、言葉の軽さ、曖昧さが滲み出ているものですが、デジタル大辞泉には創生という言葉が掲載されておらず、同じ読みでは創世、創成が出てきてしまいます。それはともあれ、地方分権はもとより、民主党政権時代の「地方主権」と比較しても軽い響きですし、中央が地方を創り出すという意味合いが強いのです。つまり、中央集権的発想以外の何物でもないのです。
アベノミクスが日本全国では上手くいっていなかったからということなのかどうか、2014年11月28日に、どういう訳か(「ふるさと」と同じく、最近の傾向でしょうか?)平仮名を多用した「まち・ひと・しごと創生法」が公布されました。この法律の第1条は、次のようなものです。
「この法律は、我が国における急速な少子高齢化の進展に的確に対応し、人口の減少に歯止めをかけるとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、それぞれの地域で住みよい環境を確保して、将来にわたって活力ある日本社会を維持していくためには、国民一人一人が夢や希望を持ち、潤いのある豊かな生活を安心して営むことができる地域社会の形成、地域社会を担う個性豊かで多様な人材の確保及び地域における魅力ある多様な就業の機会の創出を一体的に推進すること(以下「まち・ひと・しごと創生」という。)が重要となっていることに鑑み、まち・ひと・しごと創生について、基本理念、国等の責務、政府が講ずべきまち・ひと・しごと創生に関する施策を総合的かつ計画的に実施するための計画(以下「まち・ひと・しごと創生総合戦略」という。)の作成等について定めるとともに、まち・ひと・しごと創生本部を設置することにより、まち・ひと・しごと創生に関する施策を総合的かつ計画的に実施することを目的とする。」
しかし、実際は、少子高齢化、人口減少、東京一極集中のいずれにも歯止めが掛かっていません。2019年6月11日に、夕張市の人口が8000人を下回ったと報じられていますし、2019年6月8日付の朝日新聞朝刊1面14版△のトップ記事は「昨年の出生数 最少91.8万人 合計特殊出生率1.42 低下傾向続く」です。東京一極集中ということでは、2018年6月1日に「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の就学及び就業の促進に関する法律」が公布されましたし、税財政面での地域間格差(これも東京一極集中につながります)ということでは、今年の3月29日に「特別法人事業税及び特別法人事業譲与税に関する法律」が公布されました。しかし、首都圏および京阪神地区以外の地域にある大学の状況にはあまり変化がないようですし、税財政面での地域間格差については2008年の「地方法人特別税等に関する暫定措置法」、2004年の地方法人税法、さらに「ふるさと納税」があるにもかかわらず、是正されていないようです。立法を行うにはそれなりの事実があり、それなりの事実分析があるはずですが、どうなのでしょうか。
これまた私の論文の引用で恐縮ですが、公益財団法人地方自治総合研究所監修「地方自治関連立法動向第6集 第196常会〜第197臨時会」に掲載されている「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出 による若者の就学及び就業の促進に関する法律(平成30年6月1日法律第37号)」において、私は次のように記しました(なお、法律の名称が長すぎるので、地域大学振興法と略しています)。
「総合科学技術・イノベーション会議、未来投資会議および経済財政諮問会議の名簿には内閣総理大臣以下数名の閣僚が入る一方、都道府県知事や市町村長など地方公共団体の関係者は入っておらず、メンバー構成に共通性・同質性がみられることにも、注意しておく必要がある。
大学が高等教育機関としての使命を果たすことよりも、時の政権や経済界の意向に振り回され、産業競争力の強化のための駒に堕するようでは(科学)研究力が低下するのも当然である。まして、地域大学振興法は大学を地方創生の道具として扱おうとするものである。大学の高等教育機関としての本質に関する議論または検討は彼方に追いやられていると言いうるであろう。これでは、その名称の通りに各地域の大学の振興に結びつくのか、 心許ないと評さざるをえないであろう。
また、地域大学振興法は地方六団体の意見を取り入れた形を採るが、或る意味において都合のよいものであったから取り入れられたとも見受けられるのであり、地方公共団体間の複雑な利害関係に何処まで顧慮したのかという疑問も残る。その意味において、地域大学振興法は、地方公共団体を地方創生という政策のために動員するものとして扱っているとみることが可能であり、地方創生の行き詰まりを見せつける存在であると評価することが許されるのではなかろうか。」
書き終えてしばらくしてから思い付いたのですが、この法律は、プロレタリア文化大革命期に行われた上山下郷運動で有名な下放政策の何歩か手前の段階を示すものかもしれません。というより、「地方創生」が上手くいかないのであれば、下放政策をとるしかなくなるでしょう。勿論、日本国憲法に違反しますが、改憲派なら喜ぶはずです。まさしく総動員、総活躍の社会を創り出すきっかけにはなるはずですから。しかし、実際には上山下郷運動が人心の荒廃など過大な禍根を産み出してしまったことも知られています。事実の実証的分析に裏打ちされない政策の怖さが極端な形で現れた訳です。
悪いことに、今の日本もスローガン、プロパガンダが多用される政治と同じようなスパイラルに陥っています。デフレ脱却もそうですし、地方創生もそうです。統計不正問題も端的な表れであると言えますし、蕎麦屋ではないけどモリ・カケ問題に見られた意思決定過程の不透明性、時に質問や意見を許さない強圧的な態度も同じ根から発していると言えます。我々は、デフレスパイラルを心配すべきではなく、スローガン・スパイラルやプロパガンダ・スパイラルを心配し、恐れるべきなのです。
★★★★★★★★★★
「蕎麦屋ではないけどモリ・カケ問題」などと書いたので、ここで付け加えておきます。私は蕎麦を好んでおり、我が地元溝口は四丁目の蕎麦屋さんによく行きますし、渋そば、名代富士そば、などの立喰い蕎麦屋にも行きます。