5月19日付の「司法試験予備試験の受験者が1万人を超えた」のコメント欄に、香川大学・愛媛大学連合法務研究科、広島修道大学、久留米大学、鹿児島大学、獨協大学の法科大学院の募集停止について記しました。最大で74もあった法科大学院ですが、今年に入ってから次々と募集停止が発表されており、総計で20ほどになるはずです。すぐに50ほどに減少する訳ではないのですが、5年後、10年後には法科大学院の数が20か30ほど、いやもっと少なくなるかもしれません(制度が続けば、という前提です)。
そして、6月26日、栃木県小山市にある白鴎大学が、法科大学院の募集停止を発表しました。27日付で読売新聞社が「法科大学院募集停止 定員割れで維持困難」として報じています(栃木版の記事のようです)。
白鴎大学のサイトには「大学院法務研究科(法科大学院)の学生募集停止について」というページが掲載されています。それによると、2015年度以降の募集を停止することを「学校法人白鷗大学理事会(6月18日開催)並びに法務研究科教授会(6月19日開催)において決定いたしました」。この決定に至った理由として、「法科大学院制度発足後数年で、制度全体が、司法試験合格者総数の抑制や法律事務所での採用数の低迷、さらに予備試験制度の導入などの諸要因により、プロセス教育の重要性を理解する余裕のない状況となり、全国の入学志願者総数の減少傾向に構造的に歯止めがかからない事態に陥りました。このような事態の打開は、もはや、一つの法科大学院がいかに努力しても可能なことではなく、大変残念なことではありますが、この時点で苦渋の決断を行うに至りました」と説明されています。
上記読売新聞記事には、法科大学院が「司法制度改革の目玉」と記されています。本当の目玉は裁判員制度ではないかと思うのですが、それは脇に置いておきます。目玉と位置づけられた法科大学院がこの惨状ですから、司法制度改革は、全面的とは言えないまでも多くの部分で失敗に帰した訳です。しかも、法科大学院のおかげで法学研究科への入学者が減り、将来の法学部教育を担うべき者の数も極端に少なくなっています。
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法学部の講義を主に担当し、法科大学院の講義も担当する(但し、今年は受講者がいなかったので担当していません)者の目から見ると、法科大学院には、カリキュラムからして疑問となる点が多々ありました。未修者のために法学(とくに法律用語などの学習を中心とする科目)が必要なのに設置されていない、司法試験、さらには法学との直接的な関連性が稀薄である科目がある、などというところです。法学部と法科大学院との棲み分けがうまく行かなかったことは認めざるをえません。
また、多くの法学部でコース制が採用されていますが、それと法科大学院のカリキュラムとの接点は非常に弱く、法学部卒業者であるから既修者コースという選択には無理がありました。例を挙げておくと、大東文化大学法学部法律学科の場合、司法コース、行政コース、企業・国際コースがあります。2年生の時点でコースを選択するのですが、コースによって必修科目が違っているのです。司法コースでは刑事訴訟法、民事訴訟法、会社法が必修となっていますが、行政法は必修となっていません。行政コースでは行政法が必修となっていますが、刑事訴訟法や民事訴訟法は必修となっていません。そのため、司法試験に向けての勉強を開始するのに、会社法を勉強していない、行政法を勉強していない、などという学生が多いのです。もうだいぶ前のことになりますが、某大学の公務員講座で行政法を担当した際に、法科大学院の学生が何人か受講しており、理由を尋ねたところ、学部時代に行政法を履修していなかったという答えが返ってきました。その大学の法学部もコース制を採用しています。
行政法を学部時代に履修しなかったという例より問題なのは、刑事訴訟法、民事訴訟法、会社法などの科目を履修していないという学生が存在することです。いわゆる六法は憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法および刑事訴訟法ですが、その六法のうちの半分ほどを学ばないまま卒業してしまうという学生が少なくない訳です。
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また、以前から疑問を抱いているのが、親族・相続法を選択科目としている法学部が多いということです。或る意味でこの分野ほど我々に身近であり、必要とされるものはないのですが、親族・相続法を勉強しないままに卒業する法学部の学生は非常に多いのです。むしろ、他学部で法学の講義を選択して履修した学生のほうが、親族・相続法に関する知識を持っているかもしれません。
ちなみに、私は、大分大学教育福祉科学部在籍中の7年間に、学校教育課程の「法律学概論I」および「法律学概論Ⅱ」を担当しており、必ず親族・相続法の部分を扱いました。学校の教員になろうとする者にこの分野に関する基礎的知識は必要である、と考えていたからです。また、同学部の人間福祉科学課程の「法学」でも親族・相続法を扱いました。社会福祉関係の仕事をするにはこの分野の知識が不可欠であるためです。但し、私は民法専攻でないため、かなりの負担にはなりました。
税法の講義で相続税法を扱う際に、私が民法第5編「相続」の基礎部分を解説しなければなりません。それ以前に第4編「親族」の基礎部分を解説する必要も生じます。相続税法の理解のためとはいえ、時間をとられてしまうのです。
大学での必修化が無理であれば、むしろ中学校か高等学校、何なら小学校で、親族・相続法を扱って欲しいと考えています。
講義期間中の金曜日、私は渋谷区の常磐松で仕事をします。その帰り、田園都市線三軒茶屋駅で途中下車しました。大学院生時代には太雅堂書店などの古本屋に行くため、何度となくこの街を歩いていました。
キャロットタワーの1階に、世田谷線の三軒茶屋駅があります。所在地は世田谷区太子堂4丁目です。1969年5月に玉川線(渋谷~二子玉川園)が廃止されるまでは渋谷~下高井戸の運行でしたが、以後はこの三軒茶屋で折り返します。全駅(停留所)が世田谷区内にあります。
以前、世田谷線の駅は三茶パティオの辺りにありました。商店に囲まれたような小さな駅で、玉川線が廃止されたことにより、いかにも間に合わせで造られたかのような外観でしたが、それなりに味のある駅でした。交番のある交差点からすずらん通りという飲み屋街(何故か関西弁(?)で「喰うてかへんか?」と書かれた大看板が出ている)も近かったからでしょう。現在は上の写真の通りです。
2両編成の電車は、駅を発車するとすぐに踏切を通ります。目黒、ではなくて目青不動尊としても知られる最勝寺の門前を過ぎ、右にカーブすると西太子堂に着きます。ここも世田谷区太子堂4丁目で、三軒茶屋駅から歩いても10分とかかりません。実際、300メートルくらいしか離れていないのです。但し、実際に歩くとなると、道は細く、しかも所々で曲がりくねっています。
上の写真は下高井戸方面の乗り場です。「駅」と表示されていますが、世田谷線は軌道ですし、西太子堂には駅員が配置されていないので、停留所と表現するほうが合っています。
なお、世田谷線の全駅には番線表示がありません。関西では番線表示(のりば番号表示)がない駅が珍しくないのですが、関東地方の大手私鉄では、一本しかホームがない駅を除けば番線表示があるのが普通です。東京都23区地域で番線表示がないのは、私の知る限り、世田谷線、都電荒川線、東京モノレールの一部の駅くらいです。
奥にキャロットタワーが見えます。その下が世田谷線の三軒茶屋駅ですから、西太子堂駅からも近いことがおわかりになるでしょう。
世田谷線の駅は、三軒茶屋駅、上町駅の三軒茶屋方面ホーム、下高井戸駅を除き、駅員が配置されておらず、改札口もありません。全線均一料金なので、改札口は不要であるとも言えます。
この踏切の右側が太子堂4丁目で、左側は若林1丁目です。道の狭さをおわかりいただけるでしょう。世田谷線沿線では環状7号線や世田谷通りなどを除き、このような道ばかりなのですが、とくに西太子堂駅周辺の狭さと込み入り方は特筆に値するでしょう。
駅の歴史に触れておきましょう。西太子堂駅が開業したのは1925年1月のことで、当初は西山と名乗っていました。1939年に西太子堂と改められます。玉川線に太子堂という名の電停があったことによるものでしょう(1939年に東太子堂と改められた後、程なく休止、そして廃止)。太子堂電停は国道246号線の三軒茶屋交差点と三宿交差点の間にあったそうです。
三軒茶屋行きの300系301編成です。1964年に150形が投入されて以来、玉川線廃止を経て長らく新車が投入されていなかった世田谷線ですが、1999年に300系がデビューしました。東急らしくステンレス製の車体で(但し、鉄道線と異なってセミステンレスだそうですが)、ペコちゃんこと200形以来の連接構造です。現在は10編成あり、全て塗色が異なっています。
301編成は、デビューからしばらくの間は緑一色で、前面にサザエさんの顔が描かれたシールを貼り付け、側面にマナー広告を貼り付けていました。2005年、200形デビュー50周年ということで現在の玉電カラーとなりました。
三軒茶屋行き乗り場の裏の通りです。ここを歩けば三軒茶屋駅に行けますが、少しばかり遠回りです。道なりに進むと世田谷線から離れてしまうので、途中の交差点を右に曲がる必要があります。
このような狭い道路ばかりの街を歩き回ると、ちょっとした発見があったりするもので、それはそれで楽しいのですが、今回は歩いて三軒茶屋駅に戻ることとします。
昨日、白山から千石を通って巣鴨まで歩きました。千石駅周辺の様子を撮影するのが目的でしたが、それは「待合室」のほうに掲載するとして、今回はJR山手線と都営三田線との乗換駅である巣鴨駅の近くで見かけたものをとりあげます。
有名なとげ抜き地蔵などへ行くには、山手線の駅から白山通りを北の方へ、つまり、西巣鴨のほうへ歩くことになるのですが、今回取り上げるものは逆の方向、つまり千石駅のほうに向かって歩くとすぐの所です。白山通り沿い(西側)のローソン巣鴨一丁目店の真ん前に、下の写真のような石碑があります。
豊島区巣鴨一丁目。ここに江戸幕府第15代将軍、つまり最後の将軍である徳川慶喜が居住していたのです。もっとも、彼が巣鴨に邸宅を構えたのは明治30年のことで、わずか4年間のことでした。
石碑の右側に立っている説明板です。木の影が映り込んでいるので読みづらいかもしれませんが、ご容赦ください。この碑の裏は白山通りで国道17号線、昔の中山道です。
徳川慶喜は、慶応2年に将軍となります。しかし、翌年に大政奉還を行い、またその翌年には駿府、つまり現在の静岡市に移ります。上の説明板にもありますが、彼が巣鴨に移ってきたのは61歳になってからのことでした。また、彼が巣鴨を離れ、現在の文京区小日向(丸ノ内線茗荷谷駅付近)に転居して、明治35年には公爵となります。亡くなったのは西暦で1902年ですので、明治35年、つまり公爵となって間もなくのことでした。
彼が巣鴨を離れたのは、現在の山手線の建設が決まったことが原因である。説明板にはこのような趣旨が書かれています。本当かどうかはわかりませんが、もったいないことをしたと思うのは下衆の何とかなのでしょうか。
そろそろ、前期試験などについてお知らせする時期となりました。そこで、このブログに書いておきます。
1.大東文化大学法学部で担当する科目(曜日・時限順)
①税法(月曜日3限):前期試験を行います。定期試験期間中です。現在のところ、例年と同じく論述式で、2問か3問を出題し、その中の1問だけを選択して解答していただくことを考えています。一切の参照を不可としますが、条文などが必要な場合には当方で用意します。
②4年生の専門演習(火曜日5限):前期試験は行いません。
③3年生の専門演習(水曜日2限):前期試験は行いません。
④行政法1(木曜日1限):前期試験を行います。定期試験期間中です。現在のところ、例年と同じく論述式で、2問か3問を出題し、その中の1問だけを選択して解答していただくことを考えています。一切の参照を不可としますが、条文などが必要な場合には当方で用意します。
⑤基本法学概論(木曜日2限):前期の最終授業日に期末試験を行います。従って、7月17日(木)の2限に行うこととなります。全問必答です。一切の参照を不可とします。
⑥法学特殊講義2A(木曜日5限):前期試験は行いませんが、レポートの提出を願うこととなります。テーマ、字数(枚数)、提出日、提出方法については、改めてお知らせいたします。
2.國學院大學法学部で金曜日の4限に担当する行政法I
國學院大學の通年科目については前期試験の期間が設定されていないため、前期試験は行いません。その代わり、夏休みのビッグ・プレゼントとして夏期休暇課題を出題します。暑い日が続く中でも頭などを使っていただこうという訳です。詳細は7月に入ってから話すことといたします。