ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東京都だけで1300人超?

2020年12月31日 18時26分30秒 | 社会・経済

 やはり、寒くなってCOVID-19の感染拡大が顕著になってきました。

 私は、第一波も第二波も第三波もない、新規感染者の数が多少増えたり減ったりしている程度で第一波のまま続いていると考えています。それにしても東京都だけで1337人の新規感染者が判明したというのは……。

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大晦日に 20年以上変わらない、私の年越しの仕方

2020年12月31日 10時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 例年の通り、年末年始は仕事をしながら過ごしています。講義などではなく、原稿を書いたりしているのです。

 2020年がもうじき終わろうとしていますが、COVID-19には関係のないことであり、むしろ、季節の関係なのか新規感染者も増え、変種も登場するなど、ますます活発になっています。2021年1月には恐ろしい事態が待ち受けているのではないかと懸念しています。何しろ、大学関係者にとって睦月は大学試験共通テスト(昨年までのセンター試験)、期末試験など、行事が多いのです。注意しなければ。

 2020年度に入って間もなく、4月上旬から5月の下旬まで、首都圏の多くの街で人通りが激減し、大規模店舗など多くの施設が営業を休止しました。電車やバスの利用客も激減し、人間を運んでいるのか空気を運んでいるのかわからない状態となりました。私も、とくに4月に気分が落ち込み、何もやる気が起こらず、一種の鬱状態になりました。そのためか、コロナ痩せというべき状態にもなりました。悪いことに、一度落ち込むと引き摺ります。

 また、2020年度は、いわゆる対面授業を行っていません。ZoomやWebex(数回だけSkype)を使ったオンライン生講義が圧倒的に多く、一校だけオンライン+録画講義でした。どちらも最初は非常にやりにくい方法です。オンラインの双方向講義であればまだ慣れやすいのですが、放送関係者でない私には、録画講義はやりにくくて仕方がありません。しかも、その録画は、YouTubeなどにアップするのでなければ、データ容量の関係で5分か10分しかアップできないということでぶつ切りにしてしまうしかないのです。

 大学によっては2021年度に教室での対面講義か録画講義かという選択を迫るところがあるのですが、何故にZoomやWebexを使ってのオンライン生講義を行ってはいけないのか、理解に苦しみます。説明らしい説明が書かれた文書も何もないからです。私としては教室+オンラインの生講義にして欲しいところです。

 あるいは大学受験予備校や司法試験予備校などでは当たり前の方法でもよいです。それは、教室での生講義を録画しておき、後にその録画を見ることができるというものです。大学などの学校関係者は、よほど司法試験予備校を敵視している、または無視しているのでしょうか。良いところは学んでいかなければならなかったのです。予備校は大学などよりも20年から30年、あるいは40年ほど先を進んでいたのかもしれません。

 そんな年も暮れていきます。今日は2020年12月31日、大晦日です。

 大晦日と言えば、私が毎年、年末のテレビ番組で唯一楽しみにしているものが東急ジルヴェスター・コンサート(テレビ東京)です。この番組を見逃したことがありません(逆に、生まれてこのかた、紅白はまともに見たことが一度もありません)。渋谷の文化村オーチャードホールで行われているこの年越しコンサートを生中継するとは、さすがテレビ東京と思います。ただ、コンサート自体は22時から開かれているので、どうせのことなら最初から中継して欲しいものです。まあ、私たち夫婦が文化村オーチャードホールへ行けばよいことではあるのですが……

 もう25年以上になりますが、12月31日から1月1日に変わる瞬間をコンサートの生中継とともに過ごしています。今でも、飯守泰次郎さんが指揮した2013年のカウントダウン曲、ヴァーグナー作曲の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲のことを思い出します。一番よかったのではなかったでしょうか。演奏は、毎年、東京フィルハーモニー交響楽団が行っています。2019年1月1日になってからの、渋谷の工事現場(おそらく現在の渋谷スクランブルスクエア)での清水靖晃&サキソフォネッツの演奏も印象に残っています。

 今回のカウントダウンの曲は、ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章である、とのことです。面白い選曲だと思いましたが、考えてみれば2020年を締めくくるに相応しい曲です。何故なのかは、聴いてみればおわかりと思います。単に2020年がベートーヴェンの生誕250周年であったからではないでしょう。

 以前、ジルヴェスター・コンサートでベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されたこともありますが、交響曲第9番と言えば傑作が多いことでも知られます。ベートーヴェン然り、シューベルトの「ザ・グレート」(Die große C-Dur)然り(最近では第8番とされることが多いのですが欧米では今も第9番とされることがあります)、ドヴォルザークの「新世界から」然り、ブルックナー然り(未完成なのですが)、そして変ニ長調の第4楽章が交響曲の金字塔と言うべきマーラー然り。

 2020年、あまりCDを買ったりしなかったのですが、とあることがきっかけで、ピエタリ・インキネン指揮、日本フィルハーモニー交響楽団演奏のCD(非売品)を入手しました。2018年10月13日、サントリーホールで行われた第704回東京定期演奏会の様子を録音したものです。曲はブルックナーの交響曲第9番ニ短調です。第3楽章までしかなく、未完成です。しかし、シューベルトの第7番(第8番)ロ短調と同じで、内容的には完成していると考えてよいでしょう。価値は高いと思います。

 ブルックナーの交響曲で私が特に好んでいるのは第7番ホ長調で、第1楽章と第4楽章にある独特の浮遊感がたまらないのですが、第9番も傑作です。興味深いのは、第9番の第3楽章もホ長調であることです。シューベルトの第7番(第8番)の第2楽章もホ長調で、未完成であることで有名な交響曲の、完成された部分では最後の楽章として面白い共通点と言えます。

 最後にこの写真です。クラシック音楽と実は深い関係があるのが、このビーグル犬が登場する「ピーナツ」で、漫画でシュローダーがおもちゃ(?)のピアノでベートーヴェンなどの曲を弾いていますし、ベートーヴェンの誕生日がネタになっている話もたくさんあります。また、ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章にある"nicht diese Töne"がスヌーピーの台詞(と言っても考えているだけですが)に登場します。

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第17回 行政指導

2020年12月30日 00時00分00秒 | 行政法講義ノート〔第7版〕

 1.行政指導の性質および定義

 いつのことからか、日本の行政は不透明であると諸外国 (とくにアメリカ)から批判されるようになった。その大きな原因の一つが行政指導である。

 まず、行政指導は、行政組織法の根拠を必要とする。しかし、行政作用法の根拠を必要としない。と言うよりも、法律の根拠がないという事態に臨機応変に対応するための方法であり、法的効果もない事実行為であり、権限の所在や指揮系統・行政責任の不明確性もあって(意図的に不明確にしている場合もある)、当事者以外からは見えにくいものとなっている。とくに、国による行政指導は、官庁の監督権限と結びついて行政の不透明性・密室性を拡大させ、また官民の癒着をも進行させた。日本の行政手続法が制定されたのは、行政指導に関する諸外国からの批判に答える(あるいはかわす?)という意味もあったのである。

 しかし、行政指導が全て悪であるという訳ではない。地方公共団体、とくに市町村において、国の法律の不備、しかも、条例を制定できるかどうかも疑わしい場合などを補う形で、例えば無秩序な宅地開発を防止するために、行政指導が用いられた。

 行政指導には定型がないので、これに対する定義も様々であり、法律においても様々な用語が用いられる(指導、勧告など)。行政手続法第2条第6号は、行政指導を「行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないもの」と定義している。この定義にも現われているように、行政指導は、相手方に法的な義務を課するものではなく、任意的な協力を求めるものであるたとえ要綱などにおいて行政指導の基準を定め、相手方がそれに従わない場合の対応措置を定めたとしても、それによって法的な行為にはならない。要綱は内部的な基準にすぎないからである。

 そして、行政指導は、何らかの具体的な行政目的を実現するための手段である。行政指導に従わない私人は、事実の公表や給付の打ち切りなどの制裁を受けることもあるが、刑罰を科される訳ではない。その意味において、行政指導は非権力的手段である。もっとも、前記の制裁も、刑罰よりはソフトであるとはいえ、場合によっては問題を残すであろう。

 

 2.行政指導の分類

 前述のように、行政指導には定型がない。この点が行政行為などと異なるのであり、行政手続法第2条第6号も一応の定義であるにすぎない。そのため、行政指導の種類と言っても、実態からの帰納的分類であり、実際に果たす機能をみた上での便宜的な分類に過ぎない。実際の行政指導には、社会保障行政などで見られる助成的な指導、規制的な指導、調整的な指導があると言えるが、実際にはいくつかの性格を兼ね備えていることも多く、いずれも、何らかの意味において規制的な機能を帯びる点において共通している。

 ①規制的な行政指導

 行政指導において典型的なものであり、多くの行政指導が、何らかの形で行政の相手方である私人(個人、私企業など)の活動を規制する目的のためになされるものであると言いうる。例として、次のようなものがある。

 ・消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保のための消費税の転嫁を阻害する行為の是正等に関する特別措置法第6条第1項に基づく、公正取引委員会による勧告。

 ・経済産業省によって行われる、不況時における操業短縮勧告(積極的な規制目的)。

 ・建築確認の留保とセットで行われる行政指導。

 ・料金の値上げをめぐる行政指導。

 ②助成的な行政指導

 情報提供による助成であり、単なる情報提供とは異なり、何らかの政策目的を実現するための手段として位置づけられる。

 ③調整的な行政指導

 私人間の紛争を解決するための手段としてなされる行政指導である。例として、マンションの建築主と周辺住民との間での紛争を解決するために行われる行政指導があげられる。ただ、この場合は、実質的にマンションの建築主などに対する一種の規制として働くことが少なくない。その意味においては規制的な行政指導の変種と言えなくもない。帰納的な分類であるため、一つの、あるいは一連の行政指導が複数の性格を有しうることは、むしろ当然のことである。

 

 3.行政指導の問題点

 事実行為であるはずの行政指導は、様々な場面において行政目的を実現するための手段として多用されている。それだけに、様々な問題が存在する。

 ①法律の根拠

 既に述べたように、行政組織法の根拠は必要である。それは、所掌事務の範囲内であることが求められるためである(行政手続法第32条も参照)。

 これに対し、行政作用法の根拠が必要であるか否かは問題とされる。既に述べたように、事実行為であることからすれば、行政作用法の根拠は不要であると言いうる。実際的な側面においても、法律の根拠がないという事態に臨機応変に対応するための方法なのであるから、行政作用法の根拠は不要であるとも言えるであろう。判例も、おそらくは行政指導の実態に即して考察したのであろうか、侵害留保の原則から行政作用法の根拠を不要と解する。しかし、学説は様々で、判例と同旨の説、(行政指導の実態に鑑みて、であると思われるが)法律の根拠を必要とすると解する説などがある。

 ②制定法の趣旨・目的との関係

 行政指導について行政作用法の根拠が不要であるとしても、このことから直ちに、行政指導がいかなる内容のものであってもよいということにはならない。行政作用法の趣旨や目的にそぐわない行政指導は違法または不当の評価を受けうることとなる。また、かような行政指導に従ったことによって自らの行動の正当性を主張することも許されないと解さざるをえないであろう(但し、この場合は一定の配慮が必要となる場合も考えられる)。

 ●最三小判昭和57年3月9日民集36巻3号265頁

 事案:事業者団体である石油連盟は、第一次オイルショック後に石油製品の価格を引き上げる決定を行い、加盟各社に通知した。これに基づいて加盟各社が製品の価格を引き上げたところ、公正取引委員会は、このような行為が独占禁止法第8条第1項第1号に違反するという審決を行った。これに対し、石油連盟は、前記決定の後に当時の通商産業省から価格引き上げの幅を縮小すべしという行政指導を受け、石油元売業者もこの行政指導に従ったことを理由として、石油連盟による前記決定の違法性は消滅したと主張したが、公正取引委員会はこれを認めなかった。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、独占禁止法第8条第1項第1号にいう「競争の実質的制限」の解釈を示した上で、「事業者団体がその構成員である事業者の発意に基づき各自業者の従うべき基準価格を団体の意思として協議決定した場合においては、たとえ、その後これに関する行政指導があったとしても、当該事業団体がその行った基準価格の決定を明瞭に破棄したと認められるような特段の事情がない限り、右行政指導により当然に前記独占禁止法8条1項1号にいう競争の実質的制限が消滅したものとみることは許されない」として、石油連盟の上告を棄却した。

 この判決は、行政指導に従ったからといって、行為の違法が阻却される訳ではないということを示している。但し、行政事件訴訟と刑事事件とでは違法性に関する判断が異なるということもありうる。

 ●最二小判昭和59年2月24日刑集38巻4号1287頁(Ⅰ-96)

 事案:基本的な部分は前掲最三小判昭和57年3月9日と同じである。石油連盟およびこれに加盟する各社の行為が独占禁止法第2条第6号にいう「不当な取引制限」であって同第3条に違反するとして、石油元売会社などの刑事責任が問われた。これに対して、被告人らは当時の通商産業省による行政指導に従ったことを理由として無罪を主張した。東京高判昭和55年9月26日高刑集33巻5号511頁は被告人らの主張を全て退け、懲役刑または罰金刑を言い渡した。最高裁判所第二小法廷は、被告人らの一部について無罪の判決を言い渡した。

 判旨:「物の価格が市場における自由な競争によつて決定されるべきことは、独禁法の最大の眼目とするところであつて、価格形成に行政がみだりに介入すべきでないことは、同法の趣旨・目的に照らして明らかなところである。しかし、通産省設置法三条二号は、鉱産物及び工業品の生産、流通及び消費の増進、改善及び調整等に関する国の行政事務を一体的に遂行することを通産省の任務としており、これを受けて石油業法は、石油製品の第一次エネルギーとしての重要性等にかんがみ、『石油の安定的かつ低廉な供給を図り、もつて国民経済の発展と国民生活の向上に資する』という目的(同法1条)のもとに、標準価格制度(同法15条)という直接的な方法のほか、石油精製業及び設備の新設等に関する許可制(同法4条、7条)さらには通産大臣をして石油供給計画を定めさせること(同法3条)などの間接的な方法によつて、行政が石油製品価格の形成に介入することを認めている。そして、流動する事態に対する円滑・柔軟な行政の対応の必要性にかんがみると、石油業法に直接の根拠を持たない価格に関する行政指導であつても、これを必要とする事情がある場合に、これに対処するため社会通念上相当と認められる方法によつて行われ、『一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進する』という独禁法の究極の目的に実質的に抵触しないものである限り、これを違法とすべき理由はない。そして、価格に関する事業者間の合意が形式的に独禁法に違反するようにみえる場合であつても、それが適法な行政指導に従い、これに協力して行われたものであるときは、その違法性が阻却されると解するのが相当である」。

 ③比例原則、平等原則など

 当然に妥当するものと解される。そのため、度を越した公務員の退職勧奨は不法行為とみなされる場合がある(最一小判昭和55年7月10日判タ434号172頁)。また、信義誠実の原則が妥当することがある〔最三小判昭和56年1月27日民集35巻1号35頁(Ⅰ―29)など〕。

 ④相手方の任意性

 行政指導は、一応、非権力的手段と位置づけられているが、実際には相手方の任意性を失わせ、何らかの行為を強要する結果につながることが多い。 地方公共団体の要綱(行政規則の一種)には、行政指導の基準を定めるとともに、指導に従わない者の氏名の公表(当然、経済的あるいは社会的な損失を招く)、許認可などの留保を定めるものが多い。

 ●最三小判昭和60年7月16日民集39巻5号989頁(Ⅰ―124)

 事案:東京都品川区東大井にマンションを建設する計画があり、業者Xは東京都に建築確認の申請を行った。しかし、住民の反対が強かったことから、東京都はXに住民との話し合いを指導した。Xはこの指導に従って話し合いをしたが、解決をみなかった。一方、東京都は新高度地区案を発表して建築確認の留保を明示し、Xにさらに話し合いを進めることを指導した。結局、Xはこれ以上指導に従わないこととし、金銭補償によって住民との紛争を解決し、ようやく建築確認を得た。Xは、その間に建築確認が留保されたことを不服として出訴した。東京地判昭和53年7月31日判時928号79頁はXの請求を棄却したが、東京高判昭和54年12月24日判時955号73頁はXの請求を一部認容したため、東京都が上告し、Xも附帯上告した。最高裁判所第三小法廷は、東京都の上告を棄却し、Xの附帯上告も棄却した。

 判旨:「関係地方公共団体において、当該建築確認申請に係る建築物が建築計画どおりに建築されると付近住民に対し少なからぬ日照阻害、風害等の被害を及ぼし、良好な居住環境あるいは市街環境を損なうことになるものと考えて、当該地域の生活環境の維持、向上を図るために、建築主に対し、当該建築物の建築計画につき一定の譲歩・協力を求める行政指導を行い、建築主が任意にこれに応じているものと認められる場合においては、社会通念上合理的と認められる期間建築主事が申請に係る建築計画に対する確認処分を留保し、行政指導の結果に期待することがあつたとしても、これをもつて直ちに違法な措置であるとまではいえない」。しかし、「右のような確認処分の留保は、建築主の任意の協力・服従のもとに行政指導が行われていることに基づく事実上の措置にとどまるものであるから、建築主において自己の申請に対する確認処分を留保されたままでの行政指導には応じられないとの意思を明確にしている場合には、かかる建築主の明示の意思に反してその受忍を強いることは許されない筋合のものであるといわなければならず、建築主が右のような行政指導に不協力・不服従の意思を表明している場合には、当該建築主が受ける不利益と右行政指導の目的とする公益上の必要性とを比較衡量して、右行政指導に対する建築主の不協力が社会通念上正義の観念に反するものといえるような特段の事情が存在しない限り、行政指導が行われているとの理由だけで確認処分を留保することは、違法であると解するのが相当である」。そのため、「いつたん行政指導に応じて建築主と付近住民との間に話合いによる紛争解決をめざして協議が始められた場合でも、右協議の進行状況及び四囲の客観的状況により、建築主において建築主事に対し、確認処分を留保されたままでの行政指導にはもはや協力できないとの意思を真摯かつ明確に表明し、当該確認申請に対し直ちに応答すべきことを求めているものと認められるときには、他に前記特段の事情が存在するものと認められない限り、当該行政指導を理由に建築主に対し確認処分の留保の措置を受忍せしめることの許されないことは前述のとおりであるから、それ以後の右行政指導を理由とする確認処分の留保は、違法となるものといわなければならない」。

 ●最二小決平成元年11月8日判時1328号16頁(Ⅰ-92)

 事案:武蔵野市は宅地開発指導要綱を定めた。これは、中高層建築物について住民の同意を得ること、教育施設負担金を同市に寄付することを事業主に求め、従わない場合には上下水道などについての協力を行わないというものである。A建設は、同市内にマンションを建設しようとして住民の同意を得る努力をしたが得られなかったので、市長の承認を得ずに東京都に建築確認申請をして確認を得た。同市はA建設からの給水契約の申し込みを拒否したが、A建設は建設を強行した。A建設は何度も給水契約の申し込みをしたが同市は書類を受理しなかった。こうした同市の対応が水道法第15条第1項に違反するとして、同市長が起訴された。東京地八王子支判昭和59年2月24日判時1114号10頁は同市長を罰金10万円に処し、東京高判昭和60年8月30日判時1166号41頁は同市長の控訴を棄却した。最高裁判所第二小法廷は、市長の上告を棄却した。

 決定要旨:同市長がA建設などから提出された給水契約の申込書の受領を拒絶した時期には、既にA建設が「武蔵野市の宅地開発に関する指導要綱に基づく行政指導には従わない意思を明確に表明し、マンションの購入者も、入居に当たり給水を現実に必要としていた」から「このような時期に至ったときは、水道法上給水契約の締結を義務づけられている水道事業者としては、たとえ右の指導要綱を事業主に順守させるため行政指導を継続する必要があったとしても、これを理由として事業主らとの給水契約の締結を留保することは許されないというべきであるから、これを留保した被告人らの行為は、給水契約の締約を拒んだ行為に当たる」。水道事業者である武蔵野市は、「たとえ指導要綱に従わない事業主らからの給水契約の申込であっても、その締結を拒むことは許されないというべきであ」り、同市長に「本件給水契約の締結を拒む正当の理由がなかった」。

 ●最一小判平成5年2月18日民集47巻2号574頁(Ⅰ-98)

 事案:Xは武蔵野市に3階建て賃貸マンションの建設を計画した。武蔵野市は、前掲最二小決平成元年11月8日に登場する要綱に基づいて教育施設負担金の寄付を要請した。Xは不満を抱いたが制裁などを恐れたため、市に教育施設負担金を納付した。Xは、この寄付が武蔵野市の強迫によるものであるとして意思表示の取消しを主張した上で、教育施設負担金相当額の返還を求めて出訴した。東京地方八王子支判昭和58年2月9日民集47巻2号603頁はXの請求を棄却し、東京高判昭和63年3月29日民集47巻2号610頁もXの控訴を棄却した。最高裁判所第一小法廷は、次のように述べて、Xの主張のうち、強迫の主張を退けたが、国家賠償の請求について破棄差戻判決を出した。

 判旨:「行政指導として教育施設の充実に充てるために事業主に対して寄付金の納付を求めること自体は、強制にわたるなど事業主の任意性を損うことがない限り、違法ということはできない」が、「指導要綱は、法令の根拠に基づくものではなく、被上告人において、事業主に対する行政指導を行うための内部基準であるにもかかわらず、水道の給水契約の締結の拒否等の制裁措置を背景として、事業主に一定の義務を課するようなものとなっており、また、これを遵守させるため、一定の手続が設けられている。そして、教育施設負担金についても、その金額は選択の余地のないほど具体的に定められており、事業主の義務の一部として寄付金を割り当て、その納付を命ずるような文言となっているから、右負担金が事業主の任意の寄付金の趣旨で規定されていると認めるのは困難である。しかも、事業主が指導要綱に基づく行政指導に従わなかった場合に採ることがあるとされる給水契約の締結の拒否という制裁措置は、水道法上許されないものであ」る(水道法第15条第1項、前掲最二小決平成元年11月7日参照)。本件において、武蔵野市の担当者の対応からは「本件教育施設負担金の納付が事業主の任意の寄付であることを認識した上で行政指導をするという姿勢は、到底うかがうことができ」ず、「右のような指導要綱の文言及び運用の実態からすると、本件当時、被上告人は、事業主に対し、法が認めておらずしかもそれが実施された場合にはマンション建築の目的の達成が事実上不可能となる水道の給水契約の締結の拒否等の制裁措置を背景として、指導要綱を遵守させようとしていたというべきであ」り、Xに対して「指導要綱所定の教育施設負担金を納付しなければ、水道の給水契約の締結及び下水道の使用を拒絶されると考えさせるに十分なものであって、マンションを建築しようとする以上右行政指導に従うことを余儀なくさせるものであり、米久に教育施設負担金の納付を事実上強制しようとしたものということができる」から、「右行為は、本来任意に寄付金の納付を求めるべき行政指導の限度を超えるものであり、違法な公権力の行使であるといわざるを得ない」。

 

 3.行政指導に関する行政手続法第32条以下の規定

 ①第32条

 この規定は、行政指導の一般原則を示すものである。

 まず、第1項は、行政指導が行政機関の任務や所掌事務を逸脱するものであってはならない旨を、そして、相手方の任意の協力によってのみ、行政指導の目的が実現されるという旨を規定する。

 次に、第2項は、行政指導に従わなかったことを理由とする不利益な取り扱いの禁止を規定する。但し、法律によって、行政指導としての勧告に従わない者について改善命令や許可の取消処分(実際には撤回処分の場合が多い)をなすという構成がとられている場合には、ここにいう不利益な取り扱いに該当しない。

 この規定に関係する一つの問題として、行政指導に従わなかったものの氏名の公表がある。この問題は後の回において扱うこととする。

 ②第33条

 この規定は、申請の取り下げ、または申請内容の変更を求める行政指導に関するものであり、 申請者が行政指導に従わない意思を表明した場合には、なおも行政指導を継続することなどによって申請者の権利行使を妨げるようなことをしてはならない旨が示されている。これは、申請者が一度行政指導に従うと、自分の意思で、すなわち任意に協力したものとみなされるため、大きな不利益を被っても事後的に争えなくなってしまうためである。

 ③第34条

 この規定は、許認可等の権限に関連する行政指導に関するものである。行政機関がこうした権限を行使できない場合(例、処分基準に達していない、実は処分基準として定められていない、など)、または行使する意思がない場合に、こうした権限を行使しうるという趣旨を殊更に強調することは許されない。

 ④第35条

 この規定は、行政指導の方式に関するものである。第1項は、行政指導の趣旨、内容、責任者の明確性を定める。第2項(平成26年改正により追加)は、「行政指導に携わる者」が行政機関の許認可権限等を示す場合に、私人に対して示すべき事項(権限行使の根拠となる法令の条項、要件、権限の行使が要件に適合する理由)を示さなければならない旨を定める。また、第3項は、書面交付請求に対する交付の義務を定める。さらに、第4項は適用除外に関する規定である。

 ⑤第36条

 この規定は、複数の者を対象とする行政指導についての原則を示すものである。

 ⑥第36条の2

 この規定は、平成26年改正により追加されたものであり、行政指導が法律の定める要件に適合しないと私人が思料した場合に、行政機関に対してその行政指導の中止等を求めることができる旨を規定する。行政機関は、この求めを受けて調査を行い、行政指導が法律の定める要件に適合しないと認めたときには中止等の措置をしなければならない。但し、本条が適用されるのは「法令に違反する行為の是正を求める行政指導」に限られる。

 

 4.行政指導と訴訟

 (1)取消訴訟 処分性の有無

 行政指導は事実行為である。そのため、行政指導が違法であるとしても、一般的には処分性が認められず、取消訴訟によって争うことはできない(通説・判例)。

 但し、次の判決に注意を要する。

 ●最一小判平成16年4月26日民集58巻4号989頁

 事案:Xは食品輸入業者であり、「フローズン・スモークド・ツナ・フィレ」(冷凍スモークマグロ切り身)100kgを輸入しようとしたが、Y(成田空港検疫所長)から食品衛生法第6条に違反する旨の通知を受けた。そこで、Xはこの通知の取消を求めて出訴した。千葉地判平成14年8月9日民集58巻4号1017頁はXの請求を却下し、東京高判平成15年4月23日民集58巻4号1023頁もXの控訴を棄却した。最高裁判所第一小法廷は、次のように述べて事件を千葉地方裁判所に差し戻した。

 判旨:食品衛生法第16条は「厚生労働大臣が、輸入届出をした者に対し、その認定判断の結果を告知し、これに応答すべきことを定めて」おり、食品衛生法違反通知書による通知は同条に根拠を置く。従って、厚生労働大臣の委任を受けたYは、Xに対して「本件食品について、法6条の規定に違反すると認定し、したがって輸入届出の手続が完了したことを証する食品等輸入届出済証を交付しないと決定したことを通知する趣旨のものということができる。そして、本件通知により」Xは「本件食品について、関税法70条2項の『検査の完了又は条件の具備』を税関に証明し、その確認を受けることができなくなり、その結果、同条3項により輸入の許可も受けられなくなるのであり、上記関税法基本通達に基づく通関実務の下で、輸入申告書を提出しても受理されずに返却されることとなる」から「本件通知は、上記のような法的効力を有するものであって、取消訴訟の対象となる」。

 ●最二小判平成17年7月15日民集59巻6号1661頁(Ⅱ-160)

 事案:医師であるXは、富山県高岡市内において病院の開設を計画し、Y(富山県知事)に対し、病床数を400床として病院開設に係る医療法第7条第1項の許可の申請をした。これに対し、Yは、医療法第30条の7の規定に基づいて「高岡医療圏における病院の病床数が、富山県地域医療計画に定める当該医療圏の必要病床数に達しているため」という理由で、Xに対し、病院の開設を中止するよう勧告した。Xはこの勧告を拒否し、速やかに許可をするように求めたので、Yは病院開設の許可を出したが、同日に、富山県厚生部長名により、中止勧告にもかかわらず病院を開設した場合には昭和62年9月21日付厚生省保健局長通知において保険医療機関の指定の拒否をすることとされている旨の通知も行った。Xは、病院開設中止の勧告が医療法第30条の7に反するから違法であるなどとして、勧告の取消および保険医療機関指定拒否の旨の通知の取消を求めて出訴した。富山地判平成13年10月31日訟月50巻7号2028頁はXの請求を却下し、名古屋高金沢支判平成14年5月20日訟月50巻7号2014頁も控訴を棄却した。最高裁判所第二小法廷は、以下のように述べて病院開設中止勧告が行政事件訴訟法第3条第2項の「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に当たると判断し、本件を富山地方裁判所に差し戻した。

 判旨:①「医療法は、病院を開設しようとするときは、開設地の都道府県知事の許可を受けなければならない旨を定めているところ(7条1項)、都道府県知事は、一定の要件に適合する限り、病院開設の許可を与えなければならないが(同条3項)、医療計画の達成の推進のために特に必要がある場合には、都道府県医療審議会の意見を聴いて、病院開設申請者等に対し、病院の開設、病床数の増加等に関し勧告することができる(30条の7)。そして、医療法上は、上記の勧告に従わない場合にも、そのことを理由に病院開設の不許可等の不利益処分がされることはない」。

 ②「健康保険法(平成10年法律第109号による改正前のもの)43条ノ3第2項は、都道府県知事は、保険医療機関等の指定の申請があった場合に、一定の事由があるときは、その指定を拒むことができると規定しているが、この拒否事由の定めの中には、『保険医療機関等トシテ著シク不適当ト認ムルモノナルトキ』との定めがあり、昭和62年保険局長通知において、『医療法第30条の7の規定に基づき、都道府県知事が医療計画達成の推進のため特に必要があるものとして勧告を行ったにもかかわらず、病院開設が行われ、当該病院から保険医療機関の指定申請があった場合にあっては、健康保険法43条ノ3第2項に規定する「著シク不適当ト認ムルモノナルトキ」に該当するものとして、地方社会保険医療協議会に対し、指定拒否の諮問を行うこと』とされていた(なお、平成10年法律第109号による改正後の健康保険法(平成11年法律第87号による改正前のもの)43条ノ3第4項2号は、医療法30条の7の規定による都道府県知事の勧告を受けてこれに従わない場合には、その申請に係る病床の全部又は一部を除いて保険医療機関の指定を行うことができる旨を規定するに至った。)」。

 ③「上記の医療法及び健康保険法の規定の内容やその運用の実情に照らすと、医療法30条の7の規定に基づく病院開設中止の勧告は、医療法上は当該勧告を受けた者が任意にこれに従うことを期待してされる行政指導として定められているけれども、当該勧告を受けた者に対し、これに従わない場合には、相当程度の確実さをもって、病院を開設しても保険医療機関の指定を受けることができなくなるという結果をもたらすものということができる。そして、いわゆる国民皆保険制度が採用されている我が国においては、健康保険、国民健康保険等を利用しないで病院で受診する者はほとんどなく、保険医療機関の指定を受けずに診療行為を行う病院がほとんど存在しないことは公知の事実であるから、保険医療機関の指定を受けることができない場合には、実際上病院の開設自体を断念せざるを得ないことになる。このような医療法30条の7の規定に基づく病院開設中止の勧告の保険医療機関の指定に及ぼす効果及び病院経営における保険医療機関の指定の持つ意義を併せ考えると、この勧告は、行政事件訴訟法3条2項にいう『行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為』に当たると解するのが相当である。後に保険医療機関の指定拒否処分の効力を抗告訴訟によって争うことができるとしても、そのことは上記の結論を左右するものではない」。

 いずれの判決も、事実行為としての通知や勧告が、後の行政行為(など法的な行為)につながるという制度に関するものである。従って、両判決によって行政指導が一般的に処分として取消訴訟によって争いうるようになった、と考えるべきではない。

 前掲最二小判平成17年7月15日を例にとると、この判決において勧告に処分性が認められたのは、医療法第30条の7ではなく、健康保険法第43条の3(1998年改正前)の存在であろう。医療法第30条の7による勧告そのものは、開設許可に何らの影響も与えない。しかし、健康保険法第43条の3により、保険医療機関の指定が拒否されるとすれば、病院を開設してもほとんど意味がなくなってしまう。このような構造(当時は機関委任事務の制度が存在していた)では、勧告が次の保険医療機関指定許否処分につながりうることとなる。そのため、勧告は、いわば先行処分のような機能を実質的に有することとなるのである。

 (2)国家賠償法

 行政指導に従った結果として損害を受けた場合には、国家賠償法第1条に基づいて損害賠償を請求できる場合がある。前掲最一小判平成5年2月18日がその代表例である。行政指導が国家賠償法第1条にいう「公権力の行使」に該当することを否定する理由は見当たらない。

 (3)建築確認の留保の争い方

 行政指導継続中の建築確認の留保は、直接的には行政行為の不作為の違法性が問題となっているので、その不作為の違法性を理由にする不作為の違法確認訴訟または損害賠償請求によって争う。 また、行政事件訴訟法第37条の2に定められる義務づけ訴訟により争うこともできるであろう。

 (4)給水拒否の争い方

 行政指導不服従の結果としての給水拒否の場合には、給水拒否の違法を争う損害賠償請求、または給水契約締結を求める訴訟によって争うことになる。

 

 ▲第7版における履歴:2020年12月30日掲載。

 ▲第6版における履歴:2015年11月30日掲載(「第15回 行政指導」として。以下同じ)。

                                2017年10月26日修正。

            2017年12月20日修正。

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第16回    行政契約

2020年12月29日 21時31分00秒 | 行政法講義ノート〔第7版〕

 1.行政契約の意義

 行政契約(Verwaltungsvertrag)とは、簡単に言えば、行政主体(国、都道府県、市町村など)が締結する契約のことである。多くの場合に行政主体と私人との間で行われる権利変動の行為形式の一つで、双方行為の性質を有する。

 芝池義一『行政法総論講義』〔第4版補訂版〕(2006年、有斐閣)238頁が指摘するように、行政行為は行政庁の行為とされ、行政契約は行政主体(国、都道府県、市町村など)の行為とされる。なお、芝池義一『行政法読本』〔第4版〕(2013年、有斐閣)181頁を参照。

 現在の行政法学では行政契約または行政上の契約として一括されるが、かつては公法契約と私法契約とに分けられるのが一般的であった。

 公法契約は、その名の通り、公法による契約のことで、公務員の勤務契約、公共用地取得のためになされる土地収用法上の協議などが該当する。なお、行政主体が一方当事者であるから公法契約であるという訳ではないので、注意を要する。

 これに対し、私法契約は、やはり名前の通り、私法(民法など)による契約のことで、物品納入契約、建築請負契約、交通・郵便・電話などの利用関係などが該当する(但し、特別法の規定があれば別である)。

 国または地方公共団体の契約についての第一の参考書として、碓井光明『公共契約法精義』(2005年、信山社)をあげておく。

 実は、行政事件訴訟法第4条・第39条において公法上の当事者訴訟が予定されていることから、公法契約と私法契約との分類が全く無意味ではないものとされている。しかし、両者の区別は困難である。また、公表上の当事者訴訟があまり利用されておらず、民事訴訟と区別しがたい点もある。従って、冒頭に掲げたように行政契約を理解するのが便宜でもあり、妥当であろう。

 行政契約の例としては、次のようなものがあげられる。

 ①都営地下鉄、都営バスなど:事業主体は東京都交通局であり、請負契約(運送契約)ということになる。

 ②官公庁などの建物の建築工事 :民法上の請負契約による。

 ③水道事業 :水道法により、給水契約という方式による。

 ④道路などを建設するための用地取得:ほとんどの場合は民事上の売買契約による(それでも取得できないときに、土地収用法に基づく収用裁決という行政行為が登場する)。

 ⑤開発などの際に納入を要請される負担金:これは、宅地開発要綱などに基づく行政指導の結果として、開発業者などが行政主体に対して支払うものであるが、贈与契約の形をとることとなる。

 ⑥公害防止協定。

 ⑦本来は国や地方公共団体の業務とされるものを民間委託する場合の委託契約(最一小判昭和48年12月10日民集27巻11号1594頁を参照)。

 ⑧地方自治法第252条の14に定められる、地方公共団体間で行われる事務委託契約。

 ⑨学校教育法第40条に基づいて行われる、市町村間で行われる学校事務の委託契約

 また、行政契約でも可能と考えられるものの例をあげておく。

 ・補助金の交付 :これは法律の定め方による。一般的に、現行の補助金適正化法は補助金の交付決定を行政行為と位置づけている、と理解されている。

 ・公務員の任用(採用): 現在では一般的に相手方の同意を要する行政行為(特許に該当する)と考えられているが、公法上の契約と解する考え方も少数ながら存在する(ちなみに、民間企業の場合、労働基本法によって契約とされている)。

 

 2.行政契約の種類・分類

 行政契約には様々な種類があり、分類の方法も論者によって異なる。以下は、塩野宏『行政法Ⅰ』(第六版)〔2015年、有斐閣〕209頁以下の分類による。

 〔1〕「準備行政における契約」

 「物的手段を整備する行為」に関する契約のことであり、基本的に民法上の手法が利用される。売買契約や請負契約である。

 ※芝池義一『行政法総論講義』〔第4版補訂版〕240頁にいう「行政の手段調達のための契約」や「財産管理のための契約」も、塩野教授のいう「準備行政における契約」と同旨と思われるが、「公務員の雇用契約」や「私人への事務の委託の契約」が「行政の手段調達のための契約」に含められている。なお、芝池義一『行政法読本』〔第4版〕182頁の分類も参照。

 但し、土地収用法が利用される場合もあり、会計法・国有財産法・物品管理法・地方自治法というような特別法が適用される場合もある。また、公金の支出を伴うため、入札など、民法上の契約の原理が修正されることがある。従って、契約の締結に際して行政主体の裁量権が問題となる場合がある 。

 (1)国有財産について 国有財産法が適用されることがある。

 (2)契約の締結に際しては、国の場合は会計法、地方公共団体の場合は地方自治法(第234条以下)が適用され、入札という手続がとられる。

 会計法第29条の3第1項は、「契約担当官及び支出負担行為担当官(以下「契約担当官等」という。)は、売買、貸借、請負その他の契約を締結する場合においては、第三項及び第四項に規定する場合を除き、公告して申込みをさせることにより競争に付さなければならない」と定める。また、同第2項は、「前項の競争に加わろうとする者に必要な資格及び同項の公告の方法その他同項の競争について必要な事項は、政令でこれを定める」という規定である。

 これらの規定に示されているのが一般競争入札であり、原則とされている。しかし、実際には原則と例外とが逆転しているような状況であると言いうる。すなわち、同第3項は、「契約の性質又は目的により競争に加わるべき者が少数で第一項の競争に付する必要がない場合及び同項の競争に付することが不利と認められる場合においては、政令の定めるところにより、指名競争に付するものとする」と定め、指名競争入札によることを認めている。この方法は、一応の競争が予定されている点では一般競争入札に近いが、行政主体が予め入札への参加者を指名し、競争相手を限定しているため、常にメンバーが固定されうることとなる。その意味では次の随意契約に近く、談合などの温床となりやすい(実際に、そのように機能してきた)。

 同第4項は、「契約の性質又は目的が競争を許さない場合、緊急の必要により競争に付することができない場合及び競争に付することが不利と認められる場合においては、政令の定めるところにより、随意契約によるものとする」と定める。問題は、この随意要件を採用すべき場合としてあげられている要件の解釈であろう。

 また、第5項は、「契約に係る予定価格が少額である場合その他政令で定める場合においては、第一項及び第三項の規定にかかわらず、政令の定めるところにより、指名競争に付し又は随意契約によることができる」と定めている。

 以上の点などに関する判例としては、次のようなものがある。

 ●最一小判平成18年10月26日判時1953号122頁(Ⅰ−94)

 事案:有限会社Xは、平成10年度まで徳島県の旧木屋平(こやだいら)村(現在は美馬市の一部)が発注する公共工事の指名競争入札に参加していたが、平成11年度から平成16年度まで、旧木屋平村長から公共工事への入札参加者として指名されず、入札に参加することができなかった。この指名回避が違法であるとして、Xは国家賠償請求訴訟を提起した。一審判決(徳島地判平成16年5月11日判自280号17頁)はXの請求を一部認容したが、控訴審判決(高松高判平成17年8月5日判自280号12頁)はXの請求を全面的に退けたため、Xが上告を行った。最高裁判所第一小法廷は、以下のように述べて一部を高松高等裁判所に差戻し、一部を棄却した。

 判旨:①地方自治法第234条を受けて同法施行令第167条は「指名競争入札については、契約の性質又は目的が一般競争入札に適しない場合などに限り、これによることができるものと」定めており、「このような地方自治法等の定めは、普通地方公共団体の締結する契約については、その経費が住民の税金で賄われること等にかんがみ、機会均等の理念に最も適合して公正であり、かつ、価格の有利性を確保し得るという観点から、一般競争入札の方法によるべきことを原則とし、それ以外の方法を例外的なものとして位置付けているものと解することができる。また、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律は、公共工事の入札等について、入札の過程の透明性が確保されること、入札に参加しようとする者の間の公正な競争が促進されること等によりその適正化が図られなければならないとし(3条)、前記のとおり、指名競争入札の参加者の資格についての公表や参加者を指名する場合の基準を定めたときの基準の公表を義務付けている。以上のとおり、地方自治法等の法令は、普通地方公共団体が締結する公共工事等の契約に関する入札につき、機会均等、公正性、透明性、経済性(価格の有利性)を確保することを図ろうとしているものということができる」。

 ②一方、「木屋平村においては、従前から、公共工事の指名競争入札につき、村内業者では対応できない工事についてのみ村外業者を指名し、それ以外は村内業者のみを指名するという運用が行われて」おり、「確かに、地方公共団体が、指名競争入札に参加させようとする者を指名するに当たり、〔1〕工事現場等への距離が近く現場に関する知識等を有していることから契約の確実な履行が期待できることや、〔2〕地元の経済の活性化にも寄与することなどを考慮し、地元企業を優先する指名を行うことについては、その合理性を肯定することができるものの、〔1〕又は〔2〕の観点からは村内業者と同様の条件を満たす村外業者もあり得るのであり、価格の有利性確保(競争性の低下防止)の観点を考慮すれば、考慮すべき他の諸事情にかかわらず、およそ村内業者では対応できない工事以外の工事は村内業者のみを指名するという運用について、常に合理性があり裁量権の範囲内であるということはできない」。同村では「平成13年度までは、本件資格審査要綱、本件指名基準及び本件運用基準は制定されておらず、本件指名停止等要綱を除いて、指名に関する基準は明定されていなかった。さらに、平成14年4月以降施行された上記の本件資格審査要綱等をみても、本件資格審査要綱において村内業者と村外業者とが定義上区別されているものの、その外に上記のような村内業者で対応できる工事の指名競争入札では村内業者のみを指名するという実際の運用基準は定められておらず、しかも、村内業者とは、木屋平村の区域内に主たる営業所を有する業者をいうとされているにとどまり、主たる営業所あるいは村内業者の要件をどのように判定するのかに関する客観的で具体的な基準も明らかにされていなかった。このような状況の下における木屋平村の上記のような運用は、村内業者で対応できる工事はすべて指名競争入札とした上で、村内業者か否かの判断を適当に行うなどの方法を採ることにより、し意的運用が可能となるものであって、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律の定める公表義務に反し、同法及び地方自治法の趣旨にも反するものといわざるを得ない」。このため、Xについて「上記のような法令の趣旨に反する運用基準の下で、主たる営業所が村内にないなどの事情から形式的に村外業者に当たると判断し、そのことのみを理由として、他の条件いかんにかかわらず、およそ一切の工事につき平成12年度以降全く上告人を指名せず指名競争入札に参加させない措置を採ったとすれば、それは、考慮すべき事項を十分考慮することなく、一つの考慮要素にとどまる村外業者であることのみを重視している点において、極めて不合理であり、社会通念上著しく妥当性を欠くものといわざるを得ず、そのような措置に裁量権の逸脱又は濫用があったとまではいえないと判断することはできない」。

 ●最二小判昭和62年3月20日民集41巻2号189頁

 事案:長崎県福江市(現在は五島市)内にあったごみ焼却炉が故障し放置されていたことから、同市は新たにごみ焼却炉を建設することとなった。しかし、実際に企画、立案などにあたった同市の保健衛生課は、設計能力の問題、他の自治体でもほとんど随意契約を採っていたことなどから、競争入札を採るのは適切でないと考え、四社を指名業者とした上でそのうちの一社と随意契約を締結しようとした。四社による技術説明会、見積書の提出を経て、福江市長の職務代理者であったY(被告、被控訴人、上告人。最高裁係属中に死亡)は、四社のうちのA社と契約をすることとし、昭和47年1月30日に随意契約の形でA社と建設請負契約を締結した。建設工事は同年10月20日に竣功し、福江市がA社に対して工事代金を支払った。これに対し、同市の住民X(原告、控訴人、被上告人)がこの随意契約による市の支出を違法とし、住民訴訟を提起した。長崎地判昭和55年6月30日行集31巻6号1361頁はXの請求を棄却したが、福岡高判昭和57年3月4日判時1054号79頁はYの契約締結行為を違法と判断した。Y側が上告し、最高裁判所第二小法廷は福岡高等裁判所判決を破棄し、事件を同裁判所に差し戻した。

 判旨:①地方自治法第234条第1項は「普通地方公共団体の締結する契約については、機会均等の理念に最も適合して公正であり、かつ、価格の有利性を確保し得るという観点から、一般競争入札の方法によるべきことを原則とし、それ以外の方法を例外的なものとして位置づけているものと解することができる。そして、そのような例外的な方法の一つである随意契約によるときは、手続が簡略で経費の負担が少なくてすみ、しかも、契約の目的、内容に照らしそれに相応する資力、信用、技術、経験等を有する相手方を選定できるという長所がある反面、契約の相手方が固定化し、契約の締結が情実に左右されるなど公正を妨げる事態を生じるおそれがあるという短所も指摘され得ることから、令167条の2第1項は前記法の趣旨を受けて同項に掲げる一定の場合に限定して随意契約の方法による契約の締結を許容することとしたものと解することができる」。

 ②地方自治法施行令第172条の2第1項にいう「その性質又は目的が競争入札に適しないものをするときは「不動産の買入れ又は借入れに関する契約のように当該契約の目的物の性質から契約の相手方がおのずから特定の者に限定されてしまう場合や契約の締結を秘密にすることが当該契約の目的を達成する上で必要とされる場合など当該契約の性質又は目的に照らして競争入札の方法による契約の締結が不可能又は著しく困難というべき場合がこれに該当することは疑いがないが、必ずしもこのような場合に限定されるものではなく、競争入札の方法によること自体が不可能又は著しく困難とはいえないが、不特定多数の者の参加を求め競争原理に基づいて契約の相手方を決定することが必ずしも適当ではなく、当該契約自体では多少とも価格の有利性を犠牲にする結果になるとしても、普通地方公共団体において当該契約の目的、内容に照らしそれに相応する資力、信用、技術、経験等を有する相手方を選定しその者との間で契約の締結をするという方法をとるのが当該契約の性質に照らし又はその目的を究極的に達成する上でより妥当であり、ひいては当該普通地方公共団体の利益の増進につながると合理的に判断される場合も同項1号に掲げる場合に該当するものと解すべきである。そして、右のような場合に該当するか否かは、契約の公正及び価格の有利性を図ることを目的として普通地方公共団体の契約締結の方法に制限を加えている前記法及び令の趣旨を勘案し、個々具体的な契約ごとに、当該契約の種類、内容、性質、目的等諸般の事情を考慮して当該普通地方公共団体の契約担当者の合理的な裁量判断により決定されるべきものと解するのが相当である」。

 ●最三小判昭和62年5月19日民集41巻4号687頁

 事案:大阪府泉南郡東鳥取町(一審係属中に阪南町となる。現在は阪南市の一部)にあったA共有地は、近畿圏の保全区域の整備に関する法律第9条にいう近郊緑地保全区域であり、かつ森林法第25条による保安林の指定がされている区域にあった。しかし、東鳥取町は小学校増改築のための財源を確保する必要に迫られており、A共有地を300万円で売却することとした。最終的に、A共有地についてはYらに売却することとなり、東鳥取町長はYらとの間で、随意契約により、A共有地の売買契約を締結した。これについて、同町の住民らが、本件売却価格が不当に低く、地方自治法第238条の3に違反すると主張し、Yらに対して所有権移転登記の抹消登記手続および未履行の所有権移転登記手続の差止を求めた。一審大阪地判昭和55年6月18日行集31巻6号1334頁は原告の請求を一部認容し、これを大阪高判昭和56年5月20日行集32巻5号818頁も支持したため、阪南町長が上告した。最高裁判所第三小法廷は、大阪高等裁判所判決を破棄し、住民らの請求を棄却した。

 判旨:地方自治法第234条第2項が「指名競争入札、随意契約又はせり売りは、政令で定める場合に該当するときに限り、これによることができる」と規定することを受けて同法施行令第167条の2第1項が随意契約による場合を列挙していることから、「列挙された事由のいずれにも該当しないのに随意契約の方法により締結された契約は違法というべきことが明らかである。しかしながら、このように随意契約の制限に関する法令に違反して締結された契約の私法上の効力については別途考察する必要があり、かかる違法な契約であっても私法上当然に無効になるものではなく、随意契約によることができる場合として前記令の規定の掲げる事由のいずれにも当たらないことが何人の目にも明らかである場合や契約の相手方において随意契約の方法による当該契約の締結が許されないことを知り又は知り得べかりし場合のように当該契約の効力を無効としなければ随意契約の締結に制限を加える前記法及び令の規定の趣旨を没却する結果となる特段の事情が認められる場合に限り、私法上無効になるものと解するのが相当である」。

 ●最三小判平成16年7月13日民集58巻5号1368頁(Ⅰ―6)

 事案:名古屋市は、1989(平成元)年に世界デザイン博覧会を開催した。同市は財団法人世界デザイン協会を設立しており、その会長には名古屋市長が、副会長には市助役が、監事には市収入役が就任した。この博覧会は、当初の予想よりも入場者数が下回り、赤字が予想されたので、博覧会で使用された諸施設や諸物件の売却のための契約が、市と同協会との間で結ばれた。その際、議会の議決を回避するために50の契約に分割されている。これに対し、名古屋市の住民が契約の不当性を主張して、市長、市助役、市収入役、同協会を被告として住民訴訟を提起した。一審判決(名古屋地判平成8年12月25日判時1612号40頁)は、各契約(一部を除く)が民法第108条の類推適用によって無効であると判断し、損害賠償請求、不当利得返還請求を認めた。二審判決(名古屋高判平成11年12月27日判自200号32頁)は、契約については名古屋市議会の議決が行われたことで追認があったとした上で、契約の一部に裁量権の逸脱・濫用があったと認め、同協会の残余財産を限度とする損害賠償責任を認めた。最高裁判所第三小法廷は、名古屋高等裁判所判決の一部を破棄自判、一部を破棄差戻し、一部について上告を棄却し、住民の請求を棄却した。

 判旨:①「普通地方公共団体の長が当該普通地方公共団体を代表して行う契約締結行為であっても、長が相手方を代表又は代理することにより、私人間における双方代理行為等による契約と同様に、当該普通地方公共団体の利益が害されるおそれがある場合がある。そうすると、普通地方公共団体の長が当該普通地方公共団体を代表して行う契約の締結には、民法108条が類推適用されると解するのが相当である。そして、普通地方公共団体の長が当該普通地方公共団体を代表するとともに相手方を代理ないし代表して契約を締結した場合であっても同法116条が類推適用され、議会が長による上記双方代理行為を追認したときには、同条の類推適用により、議会の意思に沿って本人である普通地方公共団体に法律効果が帰属するものと解するのが相当である」。

 ②「(事実認定などによれば)デザイン博は市の事業として行われたのであって、市は、第1審被告協会の設立に際し、第1審被告協会(注:財団法人世界デザイン協会)に市の基本的な計画の下でデザイン博の具体的な準備及び開催運営を行うことをゆだねたものと解することも可能であり、両者の間には実質的にみて準委任的な関係が存したものと解する余地がある。そうであるとすれば、市が、第1審被告協会に対し、同協会がデザイン博の準備及び開催運営のために支出した費用のうち、市が同協会にゆだねた範囲の事務を処理するために必要なものであって基本財産と入場料収入等だけでは賄いきれないものを補てんすることは、不合理ではなく、市にその法的義務が存するものと解する余地も否定することができない。そして、上記の点は、本件各契約の締結に裁量権の逸脱、濫用があったか否かを判断する上で、重要な考慮要素となるというべきである。そうすると、デザイン博の準備及び開催運営に関する市と第1審被告協会との関係の実質、第1審被告協会が行ったデザイン博の準備及び開催運営の内容並びにこれに関して支出された費用の内訳を検討しなければ、本件各契約の締結について裁量権の逸脱、濫用があったかどうかを判断することはできないものというべきである」。

 〔2〕「給付行政における契約」

 「特別の規定がない限り、契約方式の推定が働く」が「法律の特別の規定において、契約ではなく、行政行為による権利変動が予定されていることがある点に注意しなければならない」(塩野・前掲書211頁)。

 行政行為とされている例として、補助金適正化法による補助金交付決定、地方自治法第244条の2による公の施設の利用関係、国民年金法第16条、厚生年金保健法第32条がある。介護保険法においては行政行為、行政契約などの複数の行為形式が組み合わされている。

 契約による場合であっても、平等原則が適用され(差別的取り扱いの禁止)、供給義務を課す場合がある。この場合は、契約の解除についても法的な制約が課されることになる。なお、私企業であっても、同じような義務が課される場合がある (電気事業法第18条、電気通信事業法第25条、ガス事業法第16条、水道法第15条)。

 この点で、とくに問題とされてきたのが、水道法第15条第1項にいう「正当の理由」 の解釈である。

 ●最一小判平成11年1月21日民集53巻1号13頁

 事案:福岡県糟屋郡志免町は、福岡市に隣接しており、人口が急増していたが、地形の関係などにより、水道の水源を新たに確保することが難しいという状況にあった。このため、志免町は給水規則を改正し、一定の戸数を超える共同住宅などについては給水を拒否するというような規定を置いた。不動産会社のXは同町内にマンションの建設を計画し、420戸分の給水契約を申し込んだが、志免町はこの契約の締結を拒否した。そこで、Xは、この給水拒否が水道法第15条第1項にいう「正当の理由」に該当しないとして出訴した。福岡地判平成4年2月13日判時1438号118頁はXの主張を認めたが、福岡高判平成7年7月19日高民集48巻2号183頁はX敗訴部分を取り消したので、Xが上告した。最高裁判所第一小法廷は、Xの上告を棄却した。

 判旨:水道「法15条1項にいう『正当の理由』とは、水道事業者の正常な企業努力にもかかわらず給水契約の締結を拒まざるを得ない理由を指すものと解されるが、具体的にいかなる事由がこれに当たるかについては、同項の趣旨、目的のほか、法全体の趣旨、目的や関連する規定に照らして合理的に解釈するのが相当である」。水道法は「市町村を始めとする地方公共団体に対し、水の適正かつ合理的な使用に関し必要な施策を講じなければならず(法2条1項)、当該地域の自然的社会的諸条件に応じて、水道の計画的整備に関する施策を策定、実施するとともに、水道事業を経営するに当たっては、その適正かつ能率的な運営に努めなければならないとの責務を課し(法2条の2第1項)、他方、国民に対しては、市町村等の右施策に協力するとともに、自らも、水の適正かつ合理的な使用に努めなければならないとの責務を課している(法2条2項)」から「市町村は、水道事業を経営するに当たり、当該地域の自然的社会的諸条件に応じて、可能な限り水道水の需要を賄うことができるように、中長期的視点に立って適正かつ合理的な水の供給に関する計画を立て、これを実施しなければならず、当該供給計画によって対応することができる限り、給水契約の申込みに対して応ずべき義務があり、みだりにこれを拒否することは許されないものというべきであるしかしながら、他方、水が限られた資源であることを考慮すれば、市町村が正常な企業努力を尽くしてもなお水の供給に一定の限界があり得ることも否定することはできないのであって、給水義務は絶対的なものということはできず、給水契約の申込みが右のような適正かつ合理的な供給計画によっては対応することができないものである場合には、法15条1項にいう『正当の理由』があるものとして、これを拒むことが許されると解すべきである。従って、「水の供給量が既にひっ迫しているにもかかわらず、自然的条件においては取水源が貧困で現在の取水量を増加させることが困難である一方で、社会的条件としては著しい給水人口の増加が見込まれるため、近い将来において需要量が給水量を上回り水不足が生ずることが確実に予見されるという地域にあっては、水道事業者である市町村としては、そのような事態を招かないよう適正かつ合理的な施策を講じなければならず、その方策としては、困難な自然的条件を克服して給水量をできる限り増やすことが第一に執られるべきであるが、れによってもなお深刻な水不足が避けられない場合には、専ら水の需給の均衡を保つという観点から水道水の需要の著しい増加を抑制するための施策を執ることも、やむを得ない措置として許されるものというべきである。そうすると、右のような状況の下における需要の抑制施策の一つとして、新たな給水申込みのうち、需要量が特に大きく、現に居住している住民の生活用水を得るためではなく住宅を供給する事業を営む者が住宅分譲目的でしたものについて、給水契約の締結を拒むことにより、急激な需要の増加を抑制することには、法15条1項にいう「正当の理由」があるということができるものと解される

 この判決と、やはり水道法第15条第1項にいう「正当の理由」が問題となった最二小決平成元年11月8日判時1328号16頁(「第17回 行政指導」において扱う)とを比較していただきたい。

 また、給付行政については、民間委託が行われることが多いが、その委託も契約によりなされる (最一小判昭和48年12月10日民集27巻11号1594頁を参照)。

 〔3〕「規制行政における契約」

 規制行政において、基本的には行政行為が多用される。また、法律による行政の原理が強く妥当する分野については、行政契約を用いることはできないというのが原則である。 しかし、行政契約を規制行政の場で用いることが全く不可能であるという訳ではない。

 (1)公害防止協定

 規制行政における行政契約の典型例の一つとして、公害防止協定がある。これは、元々、国の環境保護法などが不十分であった時代に、大気汚染などの拡大を防止するため、関係企業と締結したものである。現在は法的拘束力を認める見解が有力である(通説化していると評価するほうが妥当かもしれない)。

 ●最二小判平成21年7月10日判時2058号53頁(Ⅰ−93)

 事案:産業廃棄物処理業者Y(被告・控訴人・被上告人)は、平成元年、福岡県知事に対し、宗像(むなかた)郡福間町の領域において廃棄物処理施設(本件処理施設)を設置する旨を届け出て、その施設の使用を開始した〈平成3年に法律が改正され、産業廃棄物処理施設の設置については都道府県知事の許可を必要とすることとされた。本件では改正法附則により、Yが県知事の許可を受けたものとみなされた〉。福間町とYは、平成7年7月26日に本件処理施設に関する公害防止協定を締結した。その内容は、施設の規模を定め、使用期限を平成15年12月31日までとし(但し、それ以前に一定の埋め立て容量に達した場合にはその期日まで)、第12条においてYが上記期限を超えて産業廃棄物の処分を行ってはならない旨が定められていた。同年、Yは県知事に対して本件処理施設の規模を拡張する旨の変更許可申請を行い、10月に変更許可を受けた。Yは平成10年1月にも変更許可申請を行い、同年3月に変更許可を受けている。これらの変更許可による処理施設の拡張によって公害防止協定で定められた規模を上回ることとなり、平成10年9月に両者は改めて公害防止協定を締結したが、使用期限については変更されなかった。平成15年12月31日を過ぎても、Yは本件処理施設を使用していたので、福間町が期限の経過を理由としてYの本件処分施設使用の差止を求める訴訟を提起した(なお、一審の段階で福間町は津屋崎町と合併し、福津市となったので、同市が本件の原告の地位を承継した)。福岡地判平成18年5月31日判自304号45頁は福津市の請求を認容したが、福岡高判平成19年3月22日判自35頁が福津市の請求を棄却したので、同市が上告した。最高裁判所第二小法廷は、次のように述べて福岡高等裁判所判決を破棄し、同裁判所に差し戻した。

 判旨:産業廃棄物処理法第1条、第14条、第15条などの規定は「知事が、処分業者としての適格性や処理施設の要件適合性を判断し、産業廃棄物の処分事業が廃棄物処理法の目的に沿うものとなるように適切に規制できるようにするために設けられたものであり、上記の知事の許可が、処分業者に対し、許可が効力を有する限り事業や処理施設の使用を継続すべき義務を課すものではないことは明らかである。そして、同法には、処分業者にそのような義務を課す条文は存せず、かえって、処分業者による事業の全部又は一部の廃止、処理施設の廃止については、知事に対する届出で足りる旨規定されているのであるから(14条の3において準用する7条の2第3項、15条の2第3項において準用する9条3項)、処分業者が、公害防止協定において、協定の相手方に対し、その事業や処理施設を将来廃止する旨を約束することは、処分業者自身の自由な判断で行えることであり、その結果、許可が効力を有する期間内に事業や処理施設が廃止されることがあったとしても、同法に何ら抵触するものではない」。従って、本件の公害防止協定第12条が「知事の許可の本質的な部分にかかわるものではな」く、福岡県産業廃棄物処理施設の設置に係る紛争の予防及び調整に関する条例第15条が「予定する協定の基本的な性格及び目的から逸脱するものでもない」から、公害防止協定第12条の「法的拘束力を否定することはできない」。

 この最高裁判所第二小法廷判決により、公害防止協定の法的拘束力が判例においても承認されたと言える。但し、次の点には注意を要する。

 ・契約としての公害防止協定に違反したという理由により刑罰を科したりすることはできない。行政契約には、そこまでの法的拘束力を認めることができないため、契約にこの趣旨の条項を盛り込むことは許されない。契約に違反した者に対して刑罰を科そうとするのであれば、法律の根拠を必要とする。

 ・公害防止協定において職員の立入検査権や操業の一時停止などの措置を規定することについては、実例が存在するようであるが、契約によって公権力の行使の場を生み出すことになり、法律による行政の原理から逸脱する。やはり、法律の根拠を必要とする。

 (2)開発協力金・開発負担金の納付契約

 これは宅地開発許可の際に要請される契約であり、規制行政における行政契約の典型例の一つでもある。地方公共団体が要綱に従って行政指導を行い、相手方の協力によって実現するというのがこれまでの一般例であった。

 (3)公用負担契約

 公用負担契約とは、私人の土地の上に公共施設を設置する場合の契約であり、やはり規制行政における行政契約の典型例の一つである。土地の所有者である私人の承諾を受けた上で契約を締結し、所有権について公用目的を達成する限りにおける制約を課することになる。

 〔4〕「行政主体間の契約」

 冒頭に記したように、行政契約は、多くの場合に行政主体と私人との間で締結されるものであるが、行政主体間で締結されることもある。やはり、いくつかの種類がある。

 まず、民事法の契約である場合が存在する。例として、国有財産である土地を地方公共団体に売却する場合(払い下げ)をあげることができる。

 次に、行政主体間における事務の委託(事務委託)が存在する。一般的な規定として地方自治法第252条の14があり、個別分野の例として学校教育法第40条第1項がある。

 なお、今回の主題から外れるが、この他、地方公共団体の事務を共同で処理する方法がある。地方自治法には、組合(第284条)、協議会(第252条の2)、委員会などの共同設置(第252条の7)などが規定されている(契約ではなく、合同行為という性格を有する)。

 合同行為とは、公益法人の設立などにみられるように、複数の当事者が同一の目的・利益のために行う法的行為のことである。

 

 3.行政契約と法律の根拠

 行政契約に法律の根拠が必要か否かは、一概に言うことができない。場合を分けた上で考察をなす必要がある。ここでは、上述の分類に従い、検討を進める。

 〔1〕「準備行政における契約」

 基本的に民法の法理論が適用されるので、個別の契約について法律の根拠は必要とされない。但し、国有財産や公有財産の管理については特別の法律が存在する (国有財産法など)。

 〔2〕「給付行政における契約」

 これについても一概に言えないが、補助金交付契約については原則として法律の根拠を必要とするという考え方がある。但し、 補助金交付は行政行為により行われることが多い。

 〔3〕「規制行政における契約」

 基本的には行政行為によることになるが、契約が許される場合(例、公害防止協定)には、法律の根拠は不要であると解されている。これに対し、宅地開発許可の際に要請される開発協力金・開発負担金の納付契約のようなものについては、法律の根拠が必要であると考えられている。

 〔4〕「行政主体間の契約」

 まず、民事法の契約による場合には、法律の根拠は必要とされない。但し、国有財産法、会計法、地方自治法などによる規律をうけることとなる。

 次に、事務委託は、民法上の委託とは意味を異にし、事務処理の権限が全て受託者に移る。すなわち、法律による権限配分に変動を及ぼすことになる。このため、法律の根拠を必要とする。

 

 4.行政契約と訴訟

 行政契約を裁判で争う場合には、原則として、民事訴訟か公法上の当事者訴訟による こととなる。抗告訴訟は行政庁の「処分」を争うものであり、行政契約は「処分」に該当しないからである。しかし、形式的行政処分として、法律の規定により取消訴訟によらなければならない場合があり、さらに、取消訴訟を提起する前に行政不服審査を経なければならない場合もある。

 

 5.Private Finance Initiative (PFI)

 これは、元々イギリス法の制度であり、公共施設の設置・管理を、設計から管理に至るまで民間事業者に一括して委ねる方式である(従来は、建設、管理などが分断的な形で委託されていた)。 日本においては、 民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(平成11年法律第117号)が制定され、この法律に基づいてPFIが行われることとなる。但し、この法律においては「準備行政における契約」および「給付行政における契約」の領域のみが対象とされている。

 

 ▲第7版における履歴:2020年12月29日掲載。

 ▲第6版における履歴:2015年11月30日掲載(「第14回 行政契約」として。以下同じ)。

                                2017年10月26日修正。

            2017年12月20日修正。

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東急300系310F

2020年12月29日 00時00分00秒 | 写真

 今回は世田谷線を走る300系の最終編成、310Fです。青系の色ですがターコイズグリーンというものです。この他、青系のものとしては302Fと303Fがあります。紫色の307Fも青系にいれてよいかもしれません。

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第10回 行政裁量論その2:裁量に対する統制

2020年12月28日 00時00分00秒 | 行政法講義ノート〔第7版〕

 4.裁量の逸脱(踰越)と濫用

 勿論、裁量といえども無制約に認められる訳ではない。行政庁が裁量権を逸脱し、または濫用した場合には、違法となる。従って、「自由裁量」行為であっても、裁量権の逸脱・濫用があった場合には、これを裁判所が違法なものとして取り消すことができる。行政事件訴訟法第30条は、このことを確認的に規定している。

 このことから、前述の自由裁量は、少なくとも純粋な形のそれは、現行の法体系において認められえない、ということになる。

 判例においては、逸脱と濫用が明確に区別されていないが、敢えて区別するなら、裁量権の逸脱は、法律によって画定された裁量権の限界を超えていると認められる場合のことであり、裁量権の濫用とは、(表向きは)裁量権の範囲に留まってはいるが、(実は)恣意的に、著しく不公正な行為を行った場合のことである。

 

 5.裁量に対する統制―司法審査における裁量の扱われ方―その1

 裁量に対する司法審査の方法として、大別すれば、裁量の実体的側面を審査する場合と手続的側面を審査する場合とがある。まず、実体的側面を審査する場合を概観する。

 (1)重大な事実誤認

 これは当然のことであり、裁量行為に限られるものではないが、国公立大学において或る学生に懲戒に該当する事実がないのに懲戒として退学処分にすることは、裁量権の逸脱と評価される。

 ●最三小判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁

 判旨:「大学の学生に対する懲戒処分は、教育施設としての大学の内部規律を維持し教育目的を達成するために認められる自律的作用にほかならない。そして、懲戒権者たる学長が学生の行為に対し懲戒処分を発動するに当り、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格および平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人および他の学生におよぼす訓戒的効果等の諸般の要素を考量する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通ぎようし直接教育の衝に当るものの裁量に任すのでなければ、適切な結果を期することができないことは明らかである。それ故、学生の行為に対し、懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定することは、その決定が全く事実上の根拠に基かないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当である。」

 ●最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁

 判旨:①「処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法30条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。」

 ②「法が処分を行政庁の裁量に任せる趣旨、目的、範囲は各種の処分によつて一様ではなく、これに応じて裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法とされる場合もそれぞれ異なるものであり、各種の処分ごとにこれを検討しなければならないが、これを出入国管理令21条3項に基づく法務大臣の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断の場合についてみれば、右判断に関する前述の法務大臣の裁量権の性質にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるものというべきである。したがつて、裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である。

 ●最一小判平成18年9月14日判時1951号39頁

 事案:第二東京弁護士会に所属する弁護士Xは、土地の賃貸借契約の更新拒絶を受けて明渡交渉を依頼されたが、解決金の一部を受領したにもかかわらず虚偽の報告を行い、独断で明渡について再交渉を行い、追加の立退料を受領したにもかかわらず秘匿していた、などの理由により、弁護士法第56条第1項にいう「品位を失うべき非行」に当たるとして、業務停止3か月の懲戒処分を受けた。Xは、同第59条に基づいてY(日本弁護士連合会)に審査請求を行ったが、Yは棄却裁決を下した。そこで、Xはこの裁決の取消を求めて出訴した。一審東京高判平成14年12月1日判例集未登載はXの請求を認容したので、Yが上告した。最高裁判所第一小法廷は、一審判決を破棄し、Xの請求を棄却した。

 判旨:「懲戒の可否、程度等の判断においては、懲戒事由の内容、被害の有無や程度、これに対する社会的評価、被処分者に与える影響、弁護士の使命の重要性、職務の社会性等の諸般の事情を総合的に考慮することが必要である。したがって、ある事実関係が「品位を失うべき非行」といった弁護士に対する懲戒事由に該当するかどうか、また、該当するとした場合に懲戒するか否か、懲戒するとしてどのような処分を選択するかについては、弁護士会の合理的な裁量にゆだねられているものと解され、弁護士会の裁量権の行使としての懲戒処分は、全く事実の基礎を欠くか、又は社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法となるというべきである。

 ▲以上の判決では「全く事実の基礎を欠く」という文言(基準?)が示されている。

 ●最三小判平成18年2月7日民集60巻2号401頁(Ⅰ-73。呉市学校施設使用不許可事件)

 事案:X(原告、被控訴人、被上告人)は、広島県内の公立小中学校等に勤務する教職員によって組織された職員団体である。Xは、呉市内の中学校において1999年11月13日および14日に第49次広島県教育研究集会を行うこととし、同年9月に同中学校長に対して口頭で体育館の使用許可を申し出た。同校長は一旦了承したが、呉市教育委員会委員長が以上の事実を知り、同校長を呼び出して協議し、使用許可を出さないことを決定した。Xは使用許可申請書を同市教育委員会に提出していたが、同年10月31日付で同市教育委員会は学校施設使用不許可決定通知書をXに対して交付した。その理由として、会場となる予定の中学校およびその周辺の学校や地域に混乱を招いて児童生徒に教育上悪影響を与え、学校教育に支障を来すことが予想される、とされた。Xは、呉市(被告、控訴人、上告人)に対して損害賠償を請求する訴訟を提起した。広島地判平成14年3月28日民集60巻2号443頁はXの請求を一部認め、広島高判平成15年9月18日民集60巻2号471頁も前掲広島地判を支持したため、呉市が上告したが、最高裁判所第三小法廷は上告を棄却した。

 判旨:①「学校施設は、一般公衆の共同使用に供することを主たる目的とする道路や公民館等の施設とは異なり、本来学校教育の目的に使用すべきものとして設置され、それ以外の目的に使用することを基本的に制限されている(学校施設令1条、3条)ことからすれば、学校施設の目的外使用を許可するか否かは、原則として、管理者の裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。」

 ②「管理者の裁量判断は、許可申請に係る使用の日時、場所、目的及び態様、使用者の範囲、使用の必要性の程度、許可をするに当たっての支障又は許可をした場合の弊害若しくは影響の内容及び程度、代替施設確保の困難性など許可をしないことによる申請者側の不都合又は影響の内容及び程度等の諸般の事情を総合考慮してされるものであり、その裁量権の行使が逸脱濫用に当たるか否かの司法審査においては、その判断が裁量権の行使としてされたことを前提とした上で、その判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討しその判断が、重要な事実の基礎を欠くか、又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限って、裁量権の逸脱又は濫用として違法となるとすべきものと解するのが相当である。」

 ▲この判決の黄色マーカーの部分は、後に扱う判断過程審査に関わる部分であり、水色マーカーの部分は重大な事実誤認に関する部分である。

 ●最一小判平成18年11月2日民集60巻9号3249頁(Ⅰ-75。小田急高架化訴訟)

 事案:東京都知事(被上告参加人)は、平成5年2月1日付で、都市計画法第21条第2項・第18条第1項に基づき「東京都市計画都市高速鉄道第9号線」を変更し、小田急小田原線の喜多見駅付近から梅ヶ丘駅付近までの区間を複々線化し、さらに成城学園前付近を堀割式とする以外は高架式とする旨の都市計画を告示した。これに対し、沿線住民らは、周辺地域に与える影響や事業費の面で問題のある複々線化・高架化を採用したことが違法であるとして、この都市計画などを認可した建設省関東地方整備局長を被告として、訴訟を提起した。東京地判平成13年10月3日判時1764号3頁は沿線住民らの請求を認容したが、東京高判平成15年12月18日訟月50巻8号2322頁が原判決を取り消し、請求を棄却した。最高裁判所第一小法廷は、沿線住民らの上告を棄却した。

 判旨:「都市計画法は、都市計画について、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと等の基本理念の下で(2条)、都市施設の整備に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを一体的かつ総合的に定めなければならず、当該都市について公害防止計画が定められているときは当該公害防止計画に適合したものでなければならないとし(13条1項柱書き)、都市施設について、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めることとしているところ(同項5号)、このような基準に従って都市施設の規模、配置等に関する事項を定めるに当たっては、当該都市施設に関する諸般の事情を総合的に考慮した上で、政策的、技術的な見地から判断することが不可欠であるといわざるを得ない。そうすると、このような判断は、これを決定する行政庁の広範な裁量にゆだねられているというべきであって、裁判所が都市施設に関する都市計画の決定又は変更の内容の適否を審査するに当たっては、当該決定又は変更が裁量権の行使としてされたことを前提として、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。」

 ▲この判決の黄色マーカーの部分は、後に扱う判断過程審査に関わる部分であり、水色マーカーの部分は重大な事実誤認に関する部分である。

 ▲以上の二判決では「重要な事実の基礎を欠く」、「基礎とされた重要な事実に誤認がある」となっており、「全く」→「重要な」と変化している。

 もっとも、既に述べたように、事実認定に裁量の余地を認めるべきではない。それにもかかわらず、重大な事実誤認が裁量権行使の違法事由とされることについては、次のように考えるべきであろう。事実認定は法律に定められる要件に該当するか否かの判断を左右する。従って、事実誤認により、例えば行政庁が誤って裁量権があるものと考えて判断をなすことにより、違法な結論が導かれうる。換言すれば、事実誤認は法律要件該当性の判断を左右するので、裁量権の逸脱・濫用につながりうるのである。

 (2)目的違反(動機違反)

 裁量は、授権(法律)規定の趣旨・目的に沿わなければならないのであり、問題となっている行政行為の根拠規定によってカヴァーされない目的のために裁量権を行使することは許されない。

 ●最二小判昭和48年9月14日民集27巻8号925頁

 事案:原告は広島県内の公立学校長の職にあった。しかし、被告(広島県教育委員会)は、昭和34年2月21日付で、原告が学校の予算執行その他の職務執行に関し、しばしば職務上の上司の職務上の命令に違反する等校長としての適格性を欠くものと認められるとして、地方公務員法第28条第1項第3号に基づき、原告を公立学校教員教諭に降任する旨の分限処分を行った。原告は、これを違法として広島県人事委員会に審査請求を行ったが、同委員会の裁決を経ることなく、原告は分限処分の取消を求めて出訴した。広島地判昭和41年7月12日行集17巻7・8号792頁は原告の請求を認め、広島高判昭和43年6月4日民集27巻8号1061頁は被告の控訴を棄却した。最高裁判所第二小法廷は、広島高等裁判所判決を破棄し、事件を同裁判所に差し戻した。

 判旨:「分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤つた違法のものであることを免れないというべきである。そして、任命権者の分限処分が、このような違法性を有するかどうかは、同法(注:地方公務員法)8条8項にいう法律問題として裁判所の審判に服すべきものであるとともに、裁判所の審査権はその範囲に限られ、このような違法の程度に至らない判断の当不当には及ばないといわなければならない」。

 ▲この判決では、一般論ではあるが裁量行為が違法であると判断される場合が列挙されている。

 ・制度の目的と無関係の目的や動機に基づいて裁量行為が行われた場合

 ・処分事由の有無の判断について恣意に渡っている場合

 ・考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断した場合

 ・判断が合理性を持つものとして許容される限度を超えた不当なものである場合

 ●東京地判昭和44年7月8日行裁例集20巻7号842頁

 Xは、北京・上海日本工業展覧会の実施団体で、電子工業関係の製品などを出品するため、貨物の輸出承認の申請を行った。これに対し、通商産業大臣は、対共産圏輸出統制委員会(ココム)の申し合わせで輸出を制限された物資に該当するとして不承認の処分を行った。Xは、この処分により出品が不可能になったとして国家賠償を請求した。東京地方裁判所は、国家賠償の請求を棄却したが、本件の不承認処分が輸出貿易管理令第1条第6号の趣旨を逸脱するものであるとして違法であると認定した。

 対共産圏輸出統制委員会(Coordinating Committee for Export to Communist Area)は、共産圏諸国(東側諸国)に対する戦略物資や技術の輸出を禁止・制限することを目的として、1949年に発足した協定機関であり、本部はパリに置かれていた。日本の他、北大西洋条約機構加盟国(アイスランドを除く)が加盟していた。1994年に解体されている。

 ●最二小判昭和53年6月16日刑集32巻4号605頁(Ⅰ―68)

 被告会社は、某県公安委員会に個室付公衆浴場の営業許可を申請した。しかし、この計画を知った某町は、個室付公衆浴場の予定地である場所から200mも離れていない場所に児童遊園を設置するために県知事に認可を申請し、被告会社への営業許可よりも早い日に認可を得た。被告会社は個室付公衆浴場を開業したため、風俗営業等取締法違反に問われて起訴された。最高裁判所第二小法廷は、被告会社を無罪とする判決を言い渡した。この判決において、本件の児童遊園の設置が専ら被告会社の営業を規制(阻止)することを目的としており、これを受け入れた認可は行政権の濫用にあたる、とされている。判旨は妥当と思われるが、芝池義一『行政法総論講義』〔第4版補訂版〕(2006年、有斐閣)82頁は疑念を示している。

 (3)信義則違反

 信義誠実の原則は、行政権の裁量行使に対する歯止めともなりうる。

 ●最三小判平成8年7月2日判時1578号51頁

 事案:外国籍のX(被上告人)は、日本国籍の女性と結婚して日本への上陸を許可された。Xは妻と別居したが、やはり在留許可を得ていた。しかし、妻がXとの間の婚姻無効確認訴訟を提起し、その訴訟の係属中に、法務大臣Y(上告人)はXの意に反して在留資格を短期滞在に変更して許可を行った。そして、この訴訟の控訴審判決が確定した後に、YはXの在留期間更新申請に対して不許可とする処分を行った。なお、この処分の後、妻はXを相手に離婚請求訴訟を提起している。

 判旨:「『短期滞在』の在留資格で本邦に在留する外国人から在留期間の更新申請がされた場合において、上告人は、通常であれば、当該外国人につき、『短期滞在』の在留資格に対応する出入国管理及び難民認定法別表第一の三下欄の活動を引き続き行わせることを適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかを判断すれば足り、他の在留資格に対応する活動を行わせることを適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかについて考慮する必要のないことは、一応所論のとおりである」が、本件の場合は、Xが「本邦における在留を継続してきていたが」YがXの「本邦における活動は、もはや日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当しないとの判断の下に、被上告人の意に反して、その在留資格を同法別表第一の三所定の『短期滞在』に変更する旨の申請ありとして取り扱い、これを許可する旨の処分をし、これにより、被上告人が『日本人の配偶者等』の在留資格による在留期間の更新を申請する機会を失わせたものと判断されるのであ」り、Xの「活動は、日本人の配偶者の身分を有するものとしての活動に該当するとみることができないものではない」。そのため、Xの「在留資格が『短期滞在』に変更されるに至った右経緯にかんがみれば、上告人は、信義則上、『短期滞在』の在留資格による被上告人の在留期間の更新を許可した上で、被上告人に対し、『日本人の配偶者等』への在留資格の変更申請をして被上告人が『日本人の配偶者等』の在留資格に属する活動を引き続き行うのを適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかにつき公権的判断を受ける機会を与えることを要したものというべきである。」

 (4)平等原則違反

 ●最二小判昭和30年6月24日民集9巻7号930頁

 米供出個人割当通知の違法性が争われた事件で、最高裁判所第二小法廷は、結論として原告(上告人)の請求を認めなかったが、一般論として「行政庁は、何等いわれがなく特定の個人を差別的に取扱いこれに不利益を及ぼす自由を有するものではなく、この意味においては、行政庁の裁量権には一定の限界があるものと解すべきである」と述べている。

 (5)比例原則違反

 これを明示する判決も存在する。最三小判昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁は、比例原則との関係において疑問が出されている。結局のところ、「社会通念上著しく妥当性を欠く」という言葉の意味が明確でないためである。

 ●(公務員の懲戒処分)最一小判平成24年1月16日判時2147号127頁①および②

 事案:複数の事件について審理が行われ、判決が下されたが、事案はほぼ共通する。すなわち、原告らは、卒業式、入学式、創立30周年記念式典などにおける国歌斉唱の際に起立斉唱を行わなかった、国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否した、国歌斉唱の開始前または途中で退席したなどの理由で、東京都教育委員会から3か月の停職処分、1か月の停職処分、1か月分について1割の減給処分などを受けた。これらの処分の妥当性が争われた訳である。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、以下のように述べ、一部の懲戒処分については違法であると判断した(便宜上、二つの判決をまとめた)。

 ①「公務員に対する懲戒処分について、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の上記行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定する裁量権を有しており、その判断は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものと解される」〔前掲最三小判昭和52年12月20日、最一小判平成2年1月18日民集44巻1号1頁(Ⅰ-54。伝習館高校事件)を参照〕。本件のような事例において「不起立行為に対する懲戒において戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては、本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となるものといえる」のであり、「不起立行為に対する懲戒において戒告、減給を超えて停職の処分を選択することが許容されるのは、過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴や不起立行為の前後における態度等(以下、併せて「過去の処分歴等」という。)に鑑み、学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情が認められる場合であることを要すると解すべきであ」り「過去2年度の3回の卒業式等における不起立行為による懲戒処分を受けていることのみを理由に同上告人に対する懲戒処分として停職処分を選択した都教委の判断は、停職期間の長短にかかわらず、処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き、上記停職処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法の評価を免れないと解するのが相当である」。

 ②「減給処分は、処分それ自体によって教職員の法的地位に一定の期間における本給の一部の不支給という直接の給与上の不利益が及び、将来の昇給等にも相応の影響が及ぶ」ことなどに鑑みれば、減給処分を選択することが許されるのは「学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情が認められる場合であることを要すると解すべきであ」り、「例えば過去の1回の卒業式等における不起立行為等による懲戒処分の処分歴がある場合に、これのみをもって直ちにその相当性を基礎付けるには足りず、上記の場合に比べて過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるなど、過去の処分歴等が減給処分による不利益の内容との権衡を勘案してもなお規律や秩序の保持等の必要性の高さを十分に基礎付けるものであることを要するというべきであ」り、本件については「学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から、なお減給処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情があったとまでは認め難いというべきである」。

 (6)国民の権利・自由

 憲法により国民に認められる権利や利益を不当に侵害することは許されない。

 ●最二小判平成8年3月8日民集50巻3号469頁(Ⅰ―81)

 事案:神戸高専事件などとも言われ、憲法判例としても有名な事件である。公立の工業高等専門学校において、体育実技として剣道が必修科目とされていた。原告らは信仰上の理由から履修を拒否し、代替措置を申し入れたが受け入れられず、体育の成績も認定されなかった。学校長は原告らを原級留置処分とし、結局は退学処分とした。原告らはこれらの処分の取消を求めて出訴したが、神戸地判平成5年2月22日行集45巻12号2108頁および神戸地判平成5年2月22日行集45巻12号2134頁は原告らの請求を棄却した。これに対し、大阪高判平成6年12月22日行集45巻12号2069頁は原告らの請求を認容したため、学校長が上告した。最高裁判所第二小法廷は、上告を棄却した。

 判旨:「高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである」〔前掲最三小判昭和29年7月30日、最三小判昭和49年7月19日民集28巻5号790頁(Ⅰ-7)、前掲最三小判昭和52年12月20日を参照〕。しかし、本件各処分により学生が受ける不利益は極めて大きいものであり、原告らが「それらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である」から、学校長は「前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである」。結局、「信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう『学力劣等で成業の見込みがないと認められる者』に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない」。

 私は、この判決の妥当性に疑問を持っていたが、憲法学および行政法学の評価は高い。なお、注意しなければならないのは、あくまでも学校長の裁量権行使について逸脱・濫用が認められたのであって、裁量権そのものが否定された訳ではない、ということである。

 ●大阪地判昭和59年7月19日行裁例集35巻5号2037頁

 在日外国人に対する法務大臣の特別在留許可拒否処分について、原告が日本において長期間にわたり築き上げた生活を奪うことになり、妻子の生存にも重大な影響を与える場合に、裁量権の逸脱・濫用があるとして違法と判断した。本件の場合、原告が外国人であるとはいえ、出生から出訴当時まで日本に生活の基盤を置いていた、という事情がある。この点に注意しておきたい。

 (7)義務の懈怠

 国家賠償関係の判決において見られる基準であり、裁量収縮論と関係する。裁量収縮論とは、行政庁に裁量が認められている場合であっても、一定の場合においては、その裁量の幅が小さくなり、一定の行為をなすことを義務づけられるという理論である。但し、日本においては裁量権消極的濫用論が一般的に採用される。

 

 5.裁量に対する統制―司法審査における裁量の扱われ方―その2

 学説においては、行政権の裁量行使に対する司法審査の在り方として、行政庁の判断形成過程(の合理性)に対する司法審査が注目されている。これは、行政庁がなすべき具体的な比較考量・価値考量の場面において、

 ・考慮すべき要素・価値を正しく考量したか、

 ・考慮すべきでない事項、または過大に評価すべきでない事項を不適切に考量していないか、

という観点から司法審査を行う方法である。考慮すべき事項を考慮しない場合、または考慮において評価や判断を誤った場合には、行政庁の裁量権行使を違法とする理由となる訳である。

 今回取り上げた判決では、前掲最三小判平成18年2月7日、前掲最一小判平成18年11月2日、前掲最二小判昭和48年9月14日および前掲最二小判平成8年3月8日が判断形成過程に着目しているところである。私見によれば、判断過程に対する審査は、実体的審査において目的違反(動機違反)を理由として裁量行為を違法と断定する場合と類似し、その場合の変種といいうるのではないかと考えられる。

 ●東京地判昭和38年12月25日行集14巻12号2255頁(群馬中央バス事件一審判決)

 事案:後に紹介する最一小判昭和50年5月29日民集29巻5号662頁の一審判決である。X(バス会社)は営業路線の延長を求めて免許を申請した。東京陸運局長は聴聞を行い、運輸審議会に諮問した。同審議会も公聴会を開き、原告や利害関係人などの意見を聴取して、Xの申請を却下すべしとする答申を陸運局長に対して行った。これを受け、陸運局長は却下処分をした。これに対し、Xは訴願を提起せずに直ちに出訴した。東京地方裁判所はXの請求を認めた。

 判旨:「行政庁が国民の権利自由の規制にかかる処分をするにあたつて、現行法制上なんらの手続規定がなく、またはこれが簡略なものであつて、いかなる手続を採用するかを一応行政庁の裁量に委ねているようにみえる場合でも、この点に関する行政庁の裁量権にはなんらの制約がないものと解することはできない。(中略)また、この種の処分が行政庁の裁量判断に基づいて行われる場合、処分の掌に当る行政庁は、法の趣旨からして本来考慮に加うべからざる事項を考慮(以下本件において、これを「他事考慮」という。)して処分を行つてはならないことは当然であるから、行政庁は、できるかぎり他事考慮を疑われることのないような手続によって処分を実施する義務があり、この点においても、いかなる手続を採用すべきかについての行政庁の裁量権には制約があるのであつて、国民は、他事考慮を疑われることのないような手続によつて処分を受くべき手続上の保障を享有するものといわねばならない」。

 ●東京高判昭和48年7月13日行裁例集24巻6・7号533頁(日光太郎杉事件控訴審判決)

 事案:栃木県知事は、国道の拡幅のためにX(日光東照宮)の境内地について土地収用法第16条による事業認定を建設大臣に申請した。この事業によると、日光の名木太郎杉などが伐採されることになるのであるが、建設大臣は事業認定を行った。これに対し、Xが事業認定や収用裁決などの取消しを求めて出訴した。宇都宮地判昭和44年4月9日行集20巻4号373頁はXの請求を認容した。東京高等裁判所もXの請求を認めた。

 判旨:「土地収用法第20号第3号にいう『事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること』という要件は、その土地がその事業の用に供されることによつて得らるべき公共の利益と、その土地がその事業の用に供されることによつて失なわれる利益(この利益は私的なもののみならず、時としては公共の利益をも含むものである。)とを比較衡量した結果前者が後者に優越すると認められる場合に存在するものであると解するのが相当である。そうして、控訴人建設大臣の、この要件の存否についての判断は、具体的には本件事業認定にかかる事業計画の内容、右事業計画が達成されることによつてもたらされるべき公共の利益、右事業計画策定及び本件事業認定に至るまでの経緯、右事業計画において収用の対象とされている本件土地の状況、その有する私的ないし公共的価値等の諸要素、諸価値の比較衡量に基づく総合判断として行なわるべきものと考えられる」。そして、「この点の判断が前認定のような諸要素、諸価値の比較考量に基づき行なわるべきものである以上、同控訴人がこの点の判断をするにあたり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽すべき考慮を尽さず、または本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価し、これらのことにより同控訴人のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には、同控訴人の右判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして、違法となるものと解するのが相当である」。本件の場合は「本件土地付近のもつかけがいのない文化的諸価値ないしは環境の保全という本来最も重視すべきことがらを不当、安易に軽視し、その結果右保全の要請と自動車道路の整備拡充の必要性とをいかにして調和させるべきかの手段、方法の探究において、当然尽すべき考慮を尽さず」、「オリンピツクの開催に伴なう自動車交通量増加の予想という、本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れ」、「暴風による倒木(これによる交通障害)の可能性および樹勢の衰えの可能性という、本来過大に評価すべきでないことがらを過重に評価した」ことで「その裁量判断の方法ないし過程に過誤があり、これらの過誤がなく、これらの諸点につき正しい判断がなされたとすれば、控訴人建設大臣の判断は異なつた結論に到達する可能性があつたものと認められる」。

 ●最二小判平成18年9月4日訟月54巻8号1585頁(林試の森事件)

 事案:建設大臣は、旧都市計画法第3条に基づき、「東京都市計画公園第23号目黒公園」(後に「東京都市計画公園第5・5・25号目黒公園」に変更)に関する都市計画の決定(本件都市計画決定)を行い、昭和32年12月21日付で告示した。この公園は林業試験場(農林省の附属機関)の跡地を利用したものであり、都市計画法第4条第5項に定められる都市施設である。本件都市計画決定は、林業試験場の南門の位置に目黒公園の南門を設けるとしており、この南門と区道との接続部分として原告らの所有に係る土地を本件公園の区域に含むとしていた。東京都が原告らの所有地に南門と区道との接続部分を整備することを内容とする認可の申請を行い、建設大臣は認可を行って平成8年12月2日付で告示した。これに対し、原告らがこの認可の取消を求めて出訴した。東京地判平成14年8月27日訟月49巻1号325頁は原告らの請求を認めたが、東京高判平成15年9月11日訟務月報50巻4号1334頁は被告の控訴を容れて原告らの請求を棄却した。最高裁判所第二小法廷は、東京高等裁判所判決を破棄し、事件を同裁判所に差し戻した(なお、差戻の後に訴えが取り下げられている)。

 判旨:「都市施設は、その性質上、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めなければならないものであるから、都市施設の区域は,当該都市施設が適切な規模で必要な位置に配置されたものとなるような合理性をもって定められるべきものである。この場合において、民有地に代えて公有地を利用することができるときには、そのことも上記の合理性を判断する一つの考慮要素となり得ると解すべきである」。一方、「原審は、南門の位置を変更し、本件民有地ではなく本件国有地を本件公園の用地として利用することにより、林業試験場の樹木に悪影響が生ずるか、悪影響が生ずるとして、これを樹木の植え替えなどによって回避するのは困難であるかなど、樹木の保全のためには南門の位置は現状のとおりとするのが望ましいという建設大臣の判断が合理性を欠くものであるかどうかを判断するに足りる具体的な事実を確定していないのであって、原審の確定した事実のみから、南門の位置を現状のとおりとする必要があることを肯定し、建設大臣がそのような前提の下に本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めたことについて合理性に欠けるものではないとすることはできないといわざるを得ない」。また、「樹木の保全のためには南門の位置は現状のとおりとするのが望ましいという建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができる場合には、更に、本件民有地及び本件国有地の利用等の現状及び将来の見通しなどを勘案して、本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めた建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができるかどうかを判断しなければならないのであり、本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めた建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができるときには、その建設大臣の判断は、他に特段の事情のない限り、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものとなるのであって、本件都市計画決定は,裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法となるのである」。

 

 6.裁量に対する統制―司法審査における裁量の扱われ方―その3

 もう一つの司法審査の方法として、行政行為に至る手続に対する審査(純粋な手続的コントロール)がある。行政手続が公正であれば、行政決定も公正であると考えることができるであろう。逆に、行政手続が不公正なものであれば、その結果として得られる行政決定も不公正なものとなる蓋然性は非常に高い。

 ●最一小判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁(個人タクシー事件、Ⅰ―117)

 事案:行政手続法の制定に大きな影響を与えた判決として有名なものである。Xは新規の個人タクシー営業免許を申請した。陸運局長Yはこれを受理し、聴聞を行ったが、道路運送法第6条に規定された要件に該当しないとして申請を却下する処分を行った。Xは、聴聞において自己の主張と証拠を十分に提出する機会を与えられなかったなどとして出訴した。東京地判昭和38年9月18日行集14巻9号1666頁はXの請求を認め、東京高判昭和40年9月16日行集16巻9号1585頁も原告の請求を認めた。最高裁判所第一小法廷も原告の請求を認め、本件の審査手続に瑕疵があったとしてYの申請却下処分を違法と判断した。

 判旨:「本件におけるように、多数の者のうちから少数特定の者を、具体的個別的事実関係に基づき選択して免許の許否を決しようとする行政庁としては、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもつともと認められるような不公正な手続をとつてはならないものと解せられる」。道路運送法第6条は「抽象的な免許基準を定めているにすぎないのであるから、内部的にせよ、さらに、その趣旨を具体化した審査基準を設定し、これを公正かつ合理的に適用すべく、とくに、右基準の内容が微妙、高度の認定を要するようなものである等の場合には、右基準を適用するうえで必要とされる事項について、申請人に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えなければならないというべきである。免許の申請人はこのような公正な手続によつて免許の許否につき判定を受くべき法的利益を有するものと解すべく、これに反する審査手続によつて免許の申請の却下処分がされたときは、右利益を侵害するものとして、右処分の違法事由となるものというべきである」。

 ●最一小判昭和50年5月29日民集29巻5号662頁(群馬中央バス事件、Ⅱ―118)

 事案:これも、行政手続法の制定に大きな影響を与えた判決として有名なものである。前掲東京地判昭和38年12月25日を参照。なお、東京高判昭和42年7月25日行集18巻7号1014頁はXの請求を棄却している。最高裁判所第一小法廷もXの請求を棄却した。

 判旨:「一般に、行政庁が行政処分をするにあたつて、諮問機関に諮問し、その決定を尊重して処分をしなければならない旨を法が定めているのは、処分行政庁が、諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由のないかぎりこれに反する処分をしないように要求することにより、当該行政処分の客観的な適正妥当と公正を担保することを法が所期しているためであると考えられるから、かかる場合における諮問機関に対する諮問の経由は、極めて重大な意義を有するものというべく、したがつて、行政処分が諮問を経ないでなされた場合はもちろん、これを経た場合においても、当該諮問機関の審理、決定(答申)の過程に重大な法規違反があることなどにより、その決定(答申)自体に法が右諮問機関に対する諮問を経ることを要求した趣旨に反すると認められるような瑕疵があるときは、これを経てなされた処分も違法として取消をまぬがれないこととなるものと解するのが相当である。そして、この理は、運輸大臣による一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否についての運輸審議会への諮問の場合にも、当然に妥当するものといわなければならない」。

 ▲第7版における履歴:2020年12月28日掲載。

 ▲第6版における履歴:2015年9月22日掲載(「第8回 行政裁量論」として。以下同じ)。

                                    2017年10月26日修正。

            2017年12月06日修正。

            2017年12月20日修正。

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第9回 行政裁量論その1:裁量の種類

2020年12月27日 00時00分00秒 | 行政法講義ノート〔第7版〕

 はじめに

 今回の内容については、私の「租税法における行政裁量」『税務行政におけるネゴシエーション(日税研論集65号)』(2014年、日本税務研究センター)233頁もお読みいただければ幸いである。

 

 1.裁量(Ermessen)の意味

 行政法に取り組むと、いやというほどに裁量と関わることとなる。行政作用法総論はもとより、行政組織法、行政救済法のいずれにおいても、必ず裁量の問題が登場する。

 それだけに、裁量は行政法において基本的な事柄であると言えるのかもしれない。しかし、基本的な事柄と思われるものこそ最も難しい問題であるとも言える。

 裁量自体は行政作用でも何でもないが、行政法学においては、古くから行政行為(行政処分)について裁量の説明がなされてきた。現在においても、行政裁量論を行政行為(行政処分)の箇所において扱う教科書が少なくない〈金子宏・新堂幸司・平井宜雄編集代表『法律学小辞典』〔第4版補訂版〕(2008年、有斐閣)462頁の「裁量行為」の項目も同様である〉。しかし、裁量は何も行政行為(行政処分)の専売特許ではない。憲法学においては立法裁量が登場するし、行政法学において、裁量は行政立法、行政指導、行政契約、委任立法などにおいても登場する。

 ここで、裁量という言葉の意味を説明しておくこととしよう。まず、国語辞典を開いて欲しい。私があの『広辞苑』とともに使用している、西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫・柏野和佳子・星野和子・丸山直子編 『岩波国語辞典』〔第8版〕(2019年、岩波書店)573頁によると、裁量とは「自分の意見でとりさばき、処置すること」である。次に、法律学辞典を参照する。やはり私が長らく使用してきた、竹内昭夫・松尾浩也・塩野宏編『新法律学辞典』〔第5版〕(1989年、有斐閣)669頁によると「国家機関の判断又は行為が法の認める範囲内で法の拘束から解放されることを広く自由裁量という」。

 もう少し簡単に言うならば、裁量とは、法(主に法律であるが、憲法などによる場合もある)によって国家機関に与えられた判断や意思形成の余地のことである。

 例えば、Xという事実が存在し、それに対して考えられる適法な法的効果としてA、B、Cがあるとする。その際、行政庁は、どの法的効果が適切であるかを選択するという判断をする権限が与えられることがある。この場合、行政庁は、違法な法的効果Dを選んではならないが、A、B、Cのいずれの効果を選んでもよい(適法である)。A、B、Cの中からの選択において問題となるのは、違法性の有無ではなく、当・不当(妥当性・不当性)に留まる。そして、裁量行為とは、行政庁に裁量が与えられ、その裁量の結果としてなされた行為のことである。

 これに対し、Yという事実が存在し、それに対して考えられる適法な法的効果がEしか存在しない場合には、そのEをもたらす行為をしなければならない。こうした行為を羈束行為という。この場合、Fという法的効果をもたらせば、違法である。

 さて、以後の説明との関連もあるので、ここで不確定概念を取り上げておく。不確定概念が往々にして行政庁の裁量につながり、慎重に扱うことが求められているからである。もっとも、不確定概念が用いられているからといって行政権に裁量が認められるとは限らないことには、注意が必要である。

 法律の条文には、よく不確定概念が用いられる。これは、抽象的・多義的な概念のことである。本来、このような概念を用いないことが望ましいのであるが、現実には用いざるをえない場合が多い。不確定概念の例として、「正当な理由」(国税通則法第65条第4項など)、「必要があるとき」(国税通則法第74条の2第1項など)〔以上は経験概念を内容とする〕、「公益上必要のあるとき」(これは目的概念あるいは価値概念の例)がある。

 ●最三小判平成9年1月28日民集51巻1号147頁(Ⅱ―209)

 YはX所有の土地について収用裁決を申請したが、この土地については賃借小作権の存否に関する争いがあったので、収用委員会は小作権割合を4割とする不明裁決を行った。問題となったのは土地収用法第71条に規定される「相当な価格」の意味であるが、最高裁判所第三小法廷は、これを不確定概念であるとしながら、「通常人の経験則及び社会通念に従って、客観的に認定され得るものであり、かつ、認定すべきものであって、補償の範囲及びその額(中略)の決定につき収用委員会に裁量権が認められるものと解することはできない」と述べた。なお、この判決は、土地収用法における損失補償について完全補償説を採用したものとしても重要である。

 

 2.要件裁量と効果裁量

 一連の行政過程のうち、いずれの段階において行政権に裁量が認められるかという観点に立つ場合、要件裁量と効果裁量との区別が語られてきた。

 要件裁量とは、行政行為の根拠となる要件の充足について、行政庁が最終認定権を有する場合の裁量である。具体的には、認定された事実を(行政行為の)構成要件にあてはめる段階での裁量である。この段階にのみ裁量の余地を認めるのが、戦前の佐々木説(京都学派)であり、要件裁量説ともいう。

 これに対し、効果裁量とは、行政行為をするか否か、するならばいかなる行政行為をするかということについて、行政庁が最終認定権を有する場合の裁量である。この段階にのみ裁量の余地を認めるのが戦前の美濃部説(東京学派)であり、効果裁量説ともいう。

 要件裁量説に立てば、効果裁量はいかなる場合であっても認められないことになる(認める必要がないということであろう)。逆に、効果裁量説に立てば、要件裁量は認められないことになる。美濃部達吉博士は、行政行為(処分)の性質や、自由裁量・羈束裁量の区別との関連において、効果裁量についての三原則を提唱した。それによると、(1)「人民」の権利を侵害し、負担を命じ、またはその自由を制限する「処分」は、いかなる場合でも自由裁量行為ではない、(2)「人民」に新たな権利を設定し、その他「人民」に利益を供与する「処分」は、法律がとくに人民にその利益を要求する権利を与えている場合を除いて、原則として自由裁量行為である、(3)直接に「人民」の権利義務を左右する効果を生じない行為は、法律がとくに制限を加えている場合を除いて、原則として自由裁量である。

 判例はいかなる傾向を示しているのであろうか。戦前は効果裁量説に立っていたようである。戦後も、例えば最二小判昭和31年4月13日民集10巻4号397頁は、効果裁量説に立ちつつ、農地調整法第4条(昭和24年改正前)の規定は自由裁量を認めない趣旨であると述べた。この判決は要件裁量を否定したものであると理解されている。

 しかし、判例は、不確定概念との関係において要件裁量を認める傾向を強めている。そのため、近年において、要件裁量・効果裁量の区別はそれほど重要ではないとも言いうる。

 ●最一小判昭和36年4月27日民集15巻4号928頁

 事案:Y市立A中学校教諭であった原告Xは、Y市教育委員会からB中学校への転補処分を受けた。しかし、Xは、処分が違法であるとしてBに移らず、Aに留まった。Yは職務命令を発したがXが拒否したので、Xを懲戒免職処分に付した。Xは、この処分の取消を求める訴訟を提起した。いくつかの問題があったが、懲戒処分に関する教育委員会の開催の告示が開始30分前になされ、しかも非公開であったことが、旧教育委員会第34条第4項にいう「急施を要する場合」に該当するかということなどが争点の一つであった。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、「急施を要する場合」についてY市教育委員会委員長(会議の招集権者)の要件裁量を認めた(高裁判決と逆の判断)。

 なお、この裁量は、後に取り上げる覊束裁量であると解すべきであろう。

 ●最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁(憲法判例としても有名なマクリーン事件、Ⅰ―76)

 事案:アメリカ人の原告Xは、在留期間を1年とする許可を受けて日本に居住した。Xは1年間の在留期間更新を申請したが、彼が在留期間中に無届で転職したこと、政治活動を行ったことが理由となり、Y法務大臣は申請を拒否する処分を行った。この事件では、当時の出入国管理令第21条第3項にいう「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」という文言が問題となった。

 判旨:最高裁判所大法廷は、まず、在留外国人の在留期間の更新が権利として保障されるものでないと述べ(出入国管理令第21条が根拠とされる)、在留期間の更新について法務大臣の広汎な要件裁量を認めた。また、法務大臣の判断が「全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があったものとして違法となるものというべきである」とも述べている。

 この判決についての評価は少々難しいが、在留期間の更新が権利として保障されるものでないとする点において効果裁量説的な要素を持ち、美濃部三原則に従っているようにも見える(実際、効果裁量を否定している訳ではなかろう)。しかし、基本的には要件裁量を正面から認めるので、裁量の所在という点では佐々木説に立っているということになる。

 ●(専門的・技術的裁量) 最一小判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁(伊方原子力発電所訴訟、Ⅰ―77)

 事案:某電力会社が核原料物質等規制法に基づき、内閣総理大臣に原子力発電所設置許可の申請を行い、内閣総理大臣は設置許可を行った。これに対し、近隣住民などが設置許可の取消を求めて取消しを求める訴訟を提起した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、要件裁量という言葉こそ使わないが、原子炉施設設置許可について「各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだね」られると述べた。さらに「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてなされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである」と判示し、実質的に裁量を認めている(原子力委員会や原子炉安全専門審査会という存在の意味が大きい)。

 専門的・技術的裁量は、主に要件裁量の段階において認められることになる。もっとも、本件の場合、内閣総理大臣に効果裁量が与えられているようにも解されるが、その前提が「原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断」にあることから、要件裁量も認められるという構造になっているのであろう。

 ●(やはり専門的・技術的裁量) 最三小判平成5年3月1日民集47巻5号3843頁(家永教科書第一次訴訟、Ⅰ―79①)

 最高裁判所第三小法廷は、教科書検定において「学術的、教育的な専門技術的判断」が求められることから文部大臣(当時)の合理的な裁量に委ねられるとした。しかし、「合否の判定、条件付合格の条件の付与についての教科用図書検定調査審議会の判断の過程(検定意見の付与を含む)に、現行の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となるものと解するのが相当である」と述べた。

 この判決においては、結局、裁量権の行使が違法と判断されたことになる。

 ●(清掃計画と裁量)  最一小判昭和47年10月12日民集26巻8号1410頁(Ⅰ―74)

 事案:浄化槽清掃業を営むXは、市長Yに対してH市における汚物処理業の許可申請を行ったが、Yは不許可処分をした。Xは不許可処分の取消しを求めたが、最高裁判所第一小法廷は、Xの請求を認めた東京高等裁判所判決を破棄し、事件を同高等裁判所に差し戻した。

 判旨:市町村長が許可を与えるか否かについては「清掃法の目的と当該市町村の清掃計画とに照らし、市町村がその責務である汚物処理の事務を円滑完全に遂行できるかどうかという観点から、これを決すべきものであ」り、市町村長の自由裁量に委ねられている。

 以上の事例は、要件裁量が認められたものである。しかし、判例の立場が効果裁量説から要件裁量説に移ったという訳ではない。

 ●(学生に対する処分) 最三小判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁

 某公立大学の学生は、A教授の解雇反対を主張して教授会の会場に入り込み、退場を求められたが拒み、大声で発言を続けて教授会を流会させた。このため、学長はこの学生を放学処分に付した。最高裁判所第三小法廷は、学生について懲戒処分を発動するか否か、懲戒処分のうちのいずれの処分を選ぶかを決定することが懲戒権者の裁量に委ねられていると述べている。

 学生に対する懲戒処分は、次に示す例とともに効果裁量が認められる典型的な事例であるといえる。

 ●(公務員の懲戒処分)  最三小判昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁(神戸税関事件、Ⅰ―80)

 事案:税関の職員だった被上告人3名は、組合活動において指導的役割を果たし、業務の処理を妨げたとして懲戒免職処分に付された。3名はこの処分の無効確認と取消しを求めて出訴した。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、国家公務員法に定められた懲戒事由が公務員について存在する場合に「懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されている」と述べている。

 判例の流れを概観する限り、結局、要件裁量か効果裁量かという問題ではなくなっており、法律の規定の仕方、あるいは立法による行政への委任の仕方によって要件裁量が認められるか否かという問題になっている。

 そればかりでなく、裁量は、要件裁量の段階、効果裁量の段階においてのみ認められる訳ではない。ここでは、塩野宏『行政法Ⅰ』〔第五版補訂版〕(2013年、有斐閣)125頁以下の説を取り上げ、説明をしていく。

 行政庁の判断過程は、①事実認定、②事実認定への構成要件のあてはめ(要件認定)、③手続の選択、④行為の選択(するかしないか、するとしたらどのようなものをするか)、⑤時の選択(いつするか)に分けられる。

 ①は、裁判所による審査の対象となる。事実認定に裁量を認める訳にはいかないであろう。

 ②について裁量が認められるとする考え方が要件裁量説である。この場合、行政の終局目的というような程度にしか要件が定められていない、あるいは要件が法律上何も規定されていない場合に認められるというのである。

 ③についても、認められる場合がある。逆に、実体判断のための行政手続について裁判所による統制をした例(最一小判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁。Ⅰ―117番。個人タクシー事件)、行政庁の判断した材料およびその判断の仕方(他事考慮など)について裁判所による統制をした例(東京高判昭和48年7月1日行裁例集24巻6・7号533頁)がある。いずれも、後に取り上げる。

 ④について認める説が効果裁量説である。この考え方は、美濃部三原則に示されているように、国民の権利を侵害し、国民に負担を命じ、または国民の自由を制約する行為には(自由)裁量を認めず、逆に、国民に新たに権利を設定するなど利益を供与する行為、または直接的に国民の権利義務に関係のない行為には、原則として(自由)裁量を認める、というものである。

 ⑤についても、認められる場合がある。その例と考えられるのが、次の判決である。

 ●最二小判昭和57年4月23日民集36巻4号727頁(Ⅰ―123)

 事案:上告人である不動産会社Xは、建設会社Aと建物の建築請負契約を締結した。Aは建築資材の搬入をBおよびCに依頼したが、車両が道路法と車両制限令に抵触するため、道路管理者である東京都Y区に特殊車両通行認定を申請した。この申請は受理されたが認定がなされなかった。この建物の建設については住民の反対運動があり、Y区は、反対する住民との間での話し合いによる解決がなされるまで車両認定を保留するという通知をし、実際に半年近くも保留された。これに対し、Xは工事の中断によって損害を受けたとして損害賠償請求を行った。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は、車両制限令第12条に規定される、道路管理者による車両の認定は許可などと異なり、確認的行為としての性格を有するもので基本的には裁量の余地はないとしつつも、この認定に附款を付しうることなどを理由として、具体的な事案に応じて裁量権を行使することが全く許されない訳ではないと述べた。

 現在においては、上述②および④のいずれにも裁量が認められ、さらに②および⑤についても裁量を認める場合がありうる、という傾向にある。これは、法律によって全ての行政活動を拘束できるように規定することが、もともと難しいし、ますます難しくなっていること、仮にそのようにするとかえって行政の硬直化を招くおそれがことによる。それだけに、裁量統制の問題はさらに重要になる。

 ▲事実認定に裁量は認められるのか?

 上記においては、「事実認定に裁量を認める訳にはいかない」として、行政庁による事実認定は全面的に裁判所による審査の対象となる、という立場をとった。しかし、近年、学説において、事実認定に裁量が認められる場合がある、という立場もみられる。

 たとえば、宇賀克也『行政法概説Ⅰ行政法総論』〔第7版〕(2020年、有斐閣)355頁は、「事実認定については行政裁量は認められないのが原則であるが、原子力発電所の安全性のように高度な科学技術的問題について専門的行政機関が判断を行った場合、裁量を承認する判例もある。この点を明言するのが、高松高判昭和59・12・14行集35巻12号2078頁である」と述べている。ちなみに、宇賀判事があげる判決は伊方原発訴訟控訴審判決である。

 また、櫻井敬子・橋本博之『現代行政法』〔第2版〕(2006年、有斐閣)98頁は、伊方原発訴訟最高裁判決のように、安全性の審査のような専門技術的判断が問題とされる場合には、要件裁量ではなく、事実認定裁量とでも言うべきものが認められるか否かについて見解が分かれる、と述べる。さらに、同書99頁は、ドイツ法とアメリカ法との違いを述べたうえで実質的証拠法則を持ち出しており、事実認定についても行政裁量が存在すると表現するかのような記述をなす。

 なお、櫻井敬子・橋本博之『行政法』〔第6版〕(2019年、弘文堂)110頁も参照。

 もし、ここで事実認定に裁量が認められるというのであれば、安全性の審査は事実認定の段階での審査であり、そこに裁量が認められる、というように理解しうることとなる。

 実際のところ、宇賀判事の記述のうち、前半は曖昧な記述となっていて、事実認定と要件認定とが区別されているのか否かが判然としない。

 そして、仮に事実認定の裁量をいうのであれば、具体的にいかなる場面において裁量が働くのか。

 しかし、安全性云々が問題となる場合に、事実認定とは「設計図に書かれた数字、図、計算式が●●のようになっている」と判断することである、ということを意味するのではなかろうか。従って、その段階において裁量が認められる訳はないのである。原子力発電所に限らず、高層マンションでも何でもよいのであるが、数字、図、計算式が安全性の基準に照らして妥当なものであるか否かは要件認定の問題であるはずである。

 もっとも、「各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断」というのは、実質的に要件認定が原子力委員会で行われているということで、内閣総理大臣が事実認定をしているというようにも読めなくはない。しかし、これでは諮問という形式を無視しかねないし、原子力委員会の判断を尊重したところで必ずしもその通りに判断しなくともよいということであれば、事実認定とは全く異なる。むしろ、効果裁量的なものと理解したほうがよいくらいである。

 宇賀判事による記述についてのもう一つの疑問は、伊方原発訴訟控訴審判決のどの部分が、事実認定に裁量を認めるものと理解しうるのであろうか、という点である。

 解答として考えられるのは、「原子炉等規制法が右のとおり抽象的、包括的な規定をするにとどめていることは、原子炉の安全性に関する判断につき行政庁の専門技術的裁量を予定し、その一環として、右判断のために必要な具体的基準を下位の法令及び行政庁の内規等で定めることを是認しているものとみられ、要するに、その基準の内容については、科学的・専門技術的見地から原子炉の安全性を確保するに足りると合理的に考えられる範囲内で、これを行政庁の裁量に委ねているものと解せられる」という部分である。

 しかし、これは事実認定ではなく、安全基準の設定の話である。安全基準の設定は、事実などを基にはするであろうが、要件設定を意味するのであり、要件認定に関する部分であろう。従って、事実認定における裁量ではない。このことは、判決の次の部分からも明らかであると思われる。

 「更に、右の原子炉規則等に定められている審査基準や設置法の安全審査会に関する規定からも明らかなごとく、原子炉の安全性に関する判断は、極めて複雑な技術体系を有するものを対象とし、多くの専門分野にわたる事柄につきそれぞれの専門家を動員して行われるものであり、しかも、その判断には、将来の予測に係る事項についてのものも含まれており、なお、事柄によつては、判断の方法・根拠等につき選択の余地があり、複数の方法のうちいずれかを選択したことが専門技術的見地からして不合理ではないとみられる場合もあると考えられる。したがつて、原子炉の安全性に関する判断は、それぞれの専門分野についての専門技術的知見に基づく個別的な判断を集積し、現在における科学的技術的知見、実績、専門家である審査委員の学識、経験等を結集した上での総合的な評価・判断として成り立つものといわざるを得ないから、かかる判断過程等からしても、右判断が行政庁の裁量を伴うものであることは否定すべくもない。

 そうすると、原子炉等規制法及び関連法令は、行政庁に対し、原子炉の安全性が肯定された場合における原子炉設置の許否についての政策的裁量のみでなく、安全性を肯定する判断そのものについても専門技術的裁量を認めていると解せられるから、原子炉設置許可処分は行政庁の裁量処分であるといわなければならない。

 もつとも、原子炉の安全性に関する判断が行政庁の裁量とされているのは、その判断の性質にかんがみ、具体的・かつ詳細な判断基準や判断過程等を法律に定めることが適切でないことから、いわば手段的に個別的な判定を行政庁に委任する趣旨であると思われるので、その裁量は、周辺住民の生命、身体にかかわることにも照らし、法律の委任する範囲内で合理的な根拠に基づき適正に行われるべきものである」。

 これが事実認定における裁量を肯定する論であるとすれば、事実認定という概念の幅が拡大されてしまっているとしか考えられない。日本における行政裁量論が抱える問題の一端を示すものと言いうるであろう。

  

 3.裁量と司法審査―自由裁量と覊束裁量―

 伝統的・通説的見解は、裁判所が審査しうる範囲という点から、自由裁量と羈束裁量とを分けていた。

 まず、自由裁量は、便宜裁量ともいい、法が個別事案の処理を行政庁の公益判断に委ね、行政庁の責任で妥当な政策的対応を図ることを期待している場合になされる裁量のことである。行政庁の政治的・政策的事項に属する判断や高度の専門的・技術的な知識に基づく判断であり、それを誤るとしても原則として当不当の問題にすぎない。換言すれば、客観的な法則性に即した法的判断ではない。従って、判断の誤りは裁判所の審査の対象とはなりえない。当不当の問題として行政不服申立てなどによって行政内部の矯正を待つしかないとされ、適法違法の問題ではないこととなる。授益的行政行為の多くが自由裁量行為であるとされた。

 次に、覊束裁量は、法規裁量ともいい、法は明確な規定を欠いているが、行政庁が経験則や法的衡平感に基づいて客観的視点から個別事案に相応しい判断を行うことが予定されている場合になされる裁量のことである。通常人が共有する一般的価値判断に従いつつ、裁判所が法規裁量の正誤を判断する。つまり、法律問題として、裁判所の全面的審査の対象となる。賦課的行政行為の多くが覊束裁量行為であるとされた。

  要件裁量と効果裁量との区別については、覊束裁量と自由裁量との区別との関連で争われていた。東京学派は、要件裁量を否定しており、その上で、要件裁量を否定し、基本的に、賦課的行政行為を覊束裁量行為であるとし、授益的行政行為の多くが自由裁量行為であるとした。これに対し、京都学派は、効果裁量を否定し、基本的に、要件が規定されている場合であれば、たとえ不確定概念であっても覊束裁量行為であるとし、全く要件を定めていないか公益概念を示すのみであれば自由裁量行為であるとした。

 しかし、この区別も絶対的なものではない。具体的に区別が困難であることも多いし、両者が相対化していることもあって、区別しなくなる傾向にある。自由裁量であるからといって裁判所の司法審査権が全く及ばないという訳ではない(行政事件訴訟法第30条を参照。なお、現在のドイツ行政法学において自由裁量は存在しない旨が述べられるのは、この点にあるものと思われる)。逆に、覊束裁量であるからといって裁判所の司法審査権が完全に行使されるとは限らない。その意味において、自由裁量と覊束裁量とは量的な相違に留まるのであり、質的な相違を示すものではない。

 たとえば、前掲最三小判昭和52年12月20日は、公務員の懲戒処分(賦課的行政行為)について「国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである」と述べている。東京学派による伝統的・通説的な考え方によれば、懲戒処分は覊束裁量行為であるが、国家公務員法第82条〔その前提として同法第98条第1項・第101条第1項、人事院規則14-1第3項(当時)がある〕の規定は、覊束裁量と自由裁量との双方を認める規定である。第82条の本文は覊束裁量行為であるとも考えられるが、第3号は自由裁量を規定するものと解釈しうる。

 また、最二小判昭和63年6月17日判時1289号39頁(Ⅰ―93)は、 優生保護法に明文の根拠がないにもかかわらず、医師会による医師指定処分の撤回を認容している。

 このようにしてみると、むしろ、行政庁に認められる裁量は質的にも量的にも増大している、ということがわかる。このため、裁量に対して裁判所がどの程度まで審査しうるのかという問題は、依然として重要であり、また、重要性を増してきているとも言いうる。

 

 ▲第7版における履歴:2020年12月27日掲載。

 ▲第6版における履歴:2015年9月22日掲載(「第8回 行政裁量論」として。以下同じ)。

                                    2017年10月26日修正。

            2017年12月06日修正。

            2017年12月20日修正。

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玉電カラー

2020年12月26日 00時02分15秒 | 写真

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再び、世田谷線の招き猫

2020年12月24日 08時00分00秒 | 写真

 世田谷線といえば東急で唯一の軌道線で、名称の通り三軒茶屋駅から下高井戸駅までの全線が世田谷線内にあります。都電荒川線ほどではないかもしれませんが、熱心なファン、それも鉄道ファンではないのに世田谷線のファンという方もたくさんおられます。

 その世田谷線に招き猫のラッピング電車があります。このブログでも2017年9月30日から3回に分けて掲載しました。デザインは少し変わりましたが、現在も世田谷線を走っています。

 世田谷線の車両は、現在、300系に統一されています。2両編成の10本が在籍しており、編成毎に色が異なります。招き猫のラッピングは308Fに施されています。本来のデザインは赤系統の色です。「世田谷線の招き猫(1)」と「世田谷線(1)」(2012年2月27日0時2分31秒付)を御覧ください。

 この招き猫は、2017年に玉電110周年記念として登場したものです。私は、同年9月29日に撮影しており、「世田谷線の招き猫(1)」(2017年9月30日0時0分0秒付)、「世田谷線の招き猫(2)」(2017年10月1日10時32分55秒付)および「世田谷線の招き猫(3)」(2017年10月2日0時0分0秒付)において紹介しております。同年の時と同様に今回も三軒茶屋駅の降車ホーム側で撮影しましたので写真を見比べていただきたいのですが、2017年と2020年とではラッピングとはデザインが少し違います。

 世田谷線に宮の坂という駅があります。そこが豪徳寺の最寄り駅です(小田急小田原線に豪徳寺駅がありますが、少し離れています)。豪徳寺と言えば招き猫、招き猫と言えば井伊家です。「世田谷線に乗って、豪徳寺へ行ってみた(その1)」(2014年9月21日11時31分28秒付)においても記しましたが、井伊直孝が右手を挙げた猫に招かれてお寺に入ったおかげで雷雨を避けられたという話があります。これが招き猫の由来で、豪徳寺という名称の由来にもなっています。

 現在はSETAGAYA LINEと記されていますが、2017年には「玉電110周年 幸せの招き猫」と書かれていました。当初、このラッピングは期間限定であったはずです。好評だったので現在まで続いているのでしょう。東横線90周年記念ラッピング車の5000系5122Fと似たような話です(そちらも現在まで走り続けています)。

 1907年、渋谷の道玄坂上駅(正確には停留所ですが、以下、駅と記します)から三軒茶屋駅までの区間が玉川電気鉄道によって開業されたのが玉電の始まりで、同年中に渋谷駅から道玄坂上駅まで、および三軒茶屋駅から玉川駅(廃止時には二子玉川園駅。現在の二子玉川駅)が開業します。渋谷駅から二子玉川駅までの区間が東急玉川線で、世田谷線は玉電の支線でした。世田谷線が現在に至るまで玉電と言われる理由です。1969年5月に玉川線は廃止されてしまいましたが、世田谷線は残りました。

 今ではあまり知られていませんが、玉電は川崎市(とくに高津区)にも縁があります。現在は田園都市線の一部である二子玉川駅から溝の口駅までの区間も、元はと言えば玉川電気鉄道が溝ノ口線として開業させたものであり、二子新地駅と高津駅も玉電の駅でした。二子玉川駅から溝の口駅までの区間が玉電でなくなったのは1943年のことで、戦時輸送の強化のため、大井町線に編入されたのでした。

 また、溝の口駅で南武線に乗り換え、武蔵溝ノ口駅から下り電車の各駅停車に乗れば次の駅が津田山駅です。この津田山も玉電と関係があります。玉川電気鉄道によって開発された住宅地であったのです。現在も、津田山駅周辺を歩くと、それらしい雰囲気が残っている場所があります。

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近江鉄道に上下分離方式が採用されるか

2020年12月19日 10時15分00秒 | 社会・経済

 このブログで近江鉄道の話題を最初に取り上げたのは2019年7月31日のことです。同年8月には法定協議会が設置されました。それ以前から、東海道新幹線を利用して近畿地方へ行く度に近江鉄道の路線などを見て気になっていましたし、LE10という気動車を導入したものの失敗に終わったという話も知っていました。そこで、同年11月1日には米原駅へ行き、近江鉄道の全線を利用しています。その時の様子も「近江鉄道全路線乗車記(1)」、「近江鉄道全路線乗車記(2)」および「近江鉄道全路線乗車記(3)」としてこのブログで紹介しておりますので、御覧いただければ幸いです。

 さて、2020年12月です。17日に東近江市で法定協議会「近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会」が開かれました。そこで、近江鉄道について上下分離方式が採用されるという方針が決まりました。朝日新聞社が2020年12月18日9時30分付で「近江鉄道 2024年度から上限分離方式に」(https://www.asahi.com/articles/ASNDK6SR1NDKPTJB003.html)として報じています。

 〔この記事の見出しにある「上限分離方式」は「上下分離方式」の誤りです。)

 上下分離方式は、鉄道路線の施設を沿線自治体などが保有し、鉄道路線の運行のみを鉄道会社が行うというものです。青い森鉄道などで採用されており、赤字ローカル線を維持するための方法の一つです。これを近江鉄道の全路線に適用するということです。2020年3月に近江鉄道全路線の存続は決まっておりましたので、さらに具体化が進んだということになるのでしょう。

 また、上下分離方式は2024年度からですが、或る意味で事前の準備ということで、2022年度から沿線自治体(滋賀県も含むのでしょうか?)が財政負担を行います。1年度あたりで6億4000万円ほどとなるようで、使途は線路や枕木の交換などです。

 近江鉄道全路線は滋賀県の米原市、彦根市、東近江市、甲賀市など、合わせて10市町にあります。そこで、滋賀県が半分を持ち、残りの半分を10市町が持つということで合意もなされました。問題は10市町の負担割合です。これを決めるには様々な方法がありえますが、近江鉄道の場合は市町ごとの駅の数、営業距離、利用者数により按分するという案が出されたようです(具体的なことはわかりません)。ただ、米原市が反対しています。理由は、米原市長が述べていることとして上記記事に示されているところによれば「市内の近江鉄道の線路は2・1キロあり、うち1・8キロは過去の区画整理事業で(市が)新しくしている。10市町の負担割合は営業距離ではなく、今後修繕が必要な距離に応じて決めるべきだ。合理的な理由に基づいた負担割合でなければ市民に説明できない」とのことです。

 以前から、私は、西武グループの意向がどうなのかと記してきました。御存知の方も多いと思われますが、西武グループの総帥であった堤康次郎は滋賀県の出身です。これが、おそらく、近江鉄道が西武グループの一員であることの理由でしょう。それだけに西武グループの動向が見えてこないのは気になります(私にだけ見えないのかもしれませんが)。このまま西武グループの一員であり続けるということなのでしょうが、COVID-19のために西武グループも大赤字を抱え(ダイヤモンド・オンラインの2020年11月6日付記事「西武グループ大赤字でも『新プリンスホテル100店』拡大路線の危険度/不動産の呪縛」などでは630億円ほどの赤字が見込まれると書かれています)、大手私鉄でも西武鉄道(あるいは西武ホールディングスかもしれません)の赤字額が目立つほどなので、大鉈が振るわれる可能性は否定できません。

 また、近江鉄道はバス事業も行っています。こちらはそのままということなのでしょう。

 今回は近江鉄道を取り上げましたが、近畿地方には他にも多くの中小私鉄があります(第三セクターを含みます)。存廃が問題となりそうな路線が今後も出るかもしれません。以前から存廃が議論されているのは神戸電鉄粟生線ですが、これも気になるところです。

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