昨年(2014年)の衆議院議員選挙は、いわゆる0増5減を実行した上で行われました。今月(3月)19日、東京高等裁判所が合憲判決を出しましたが、20日には名古屋高等裁判所が違憲状態であったとする判決を出しました。以降、次のようになっています(3月26日付朝日新聞朝刊39面14版の「昨年衆院選 福岡『違憲』 一票の格差判決 選挙無効は棄却」という記事に掲載されている表によります)。
23日 大阪高等裁判所:違憲状態
24日 広島高等裁判所:違憲状態
24日 仙台高等裁判所秋田支部:違憲状態
25日 広島高等裁判所松江支部:違憲状態
25日 名古屋高等裁判所金沢支部:違憲状態
25日 高松高等裁判所:合憲
25日 福岡高等裁判所:違憲(但し選挙そのものは有効と判断)
25日 東京高等裁判所:違憲状態
25日 広島高等裁判所:合憲
26日 大阪高等裁判所:合憲〔朝日新聞社の3月26日13時42分付「一票の格差、大阪高裁は「合憲」と判断 昨年の衆院選」(http://digital.asahi.com/articles/ASH3T554TH3TPTIL01D.html)によります〕
26日 福岡高等裁判所那覇支部:違憲状態〔朝日新聞社の3月26日14時30分付「衆院選一票の格差、福岡高裁那覇支部も『違憲状態』」(http://digital.asahi.com/articles/ASH3V4113H3VTIPE01J.html)によります〕
なお、東京高等裁判所、大阪高等裁判所および広島高等裁判所ではそれぞれ二つの弁護士グループが提訴しており、判決は2回出されました。今後は、明日(3月27日)に福岡高等裁判所宮崎支部、4月9日に仙台高等裁判所、4月24日に札幌高等裁判所、4月28日に広島高等裁判所岡山支部から判決が言い渡されることとなっています。
記憶に新しいと言えるかどうかわかりませんが、私はすぐに、2012年12月の衆議院議員選挙について、広島高等裁判所が2013年3月25日判決で選挙を違憲無効と判断したことを思い出しました(広島高等裁判所岡山支部も違憲無効判決を出しています)。これは、定数配分を定める公職選挙法の該当規定が違憲かつ無効であることを意味します。2013年3月6日に東京高等裁判所が、同8日に札幌高等裁判所が違憲と宣言しており、その他にも合憲と判断した裁判所は一つもなかったのでした。最高裁判所も、2013年11月20日大法廷判決(民集67巻8号1503頁および集民245号1頁)において違憲状態であると判断しました。
これに対し、2014年12月の衆議院議員選挙については、これまでのところ、合憲判断が3つ、違憲状態判断が7つ、違憲判断が1つとなっています。しかも、上記を御覧いただければおわかりのように、2つ出された東京高等裁判所判決のうち、1つが合憲、もう1つが違憲状態となっており、判断が分かれています。大阪高等裁判所判決および広島高等裁判所判決も同様です。
私は、このブログにおいて「「一票の格差」に対する違憲判決(事情判決)」(2013年3月9日9時34分48秒付)、「今度は初の無効判決」(2013年3月26日9時3分10秒付)を記し、論じました。これらを読まれた方から連絡があり、日本ビデオニュース株式会社の「ニュース・コメンタリー」という記事および動画のコーナーに出演させていただくという機会まで得られました(同年3月30日付で「一票の格差訴訟続報 選挙無効判決は裁判所の危機感の表れ」として放送されました)。そういう私が、今回については何も書かないというのはおかしなものですので、今日、記すことといたしました。
合憲判断、違憲判断は理解しやすいでしょう。これに対し、違憲状態という判断は理解しにくいかもしれません。合憲と言えない状態であることは確かですが、違憲とまで言い切っていないからです。歯切れの悪い判断に思えるかもしれませんが、これは選挙区割、定数配分を決定する過程に注意しているためです。簡単に言えば、現在の議員定数配分は違憲と言える状態にはあるが、これを是正するためには一定の時間が必要であり、現段階ではまだ一定の時間が経過したとまでは言えない、ということです。言い換えれば、違憲だとは断言しないが、そのように言える状態にあるから、早いうちに是正して違憲と思われるような部分をなくすことを国会に求めている訳です。さらに言えば、この一定の時間が経過してしまえば、是正すべきであるのに是正しなかったということになり、違憲と判断されることとなります。私はここで一定の時間と記しましたが、最高裁判所大法廷は「憲法上要求される合理的期間」と表現しています。
やや長くなりますが、民集67巻8号1503頁所収の最高裁判所大法廷判決から一部を引用しておきます(下線は私が引いたものです)。
「このような上記0増5減による定数配分の見直しの内容を現に実施し得るものとするためには、1人別枠方式の廃止及び定数配分と区割り改定の枠組みを定める法改正の後、新たな区割基準に従い区画審が選挙区割りの改定案の勧告を行い、これに基づいて新たな選挙区割りを定める法改正を行うという二段階の法改正を含む作業を経る必要があったところ、前者の改正を内容とする平成24年改正法が成立した時点で衆議院が解散されたため、平成23年大法廷判決の言渡しから約1年9か月後に施行された本件選挙は従前の定数と選挙区割りの下において施行せざるを得なかったことは前記のとおりであるが、本件選挙前に成立した平成24年改正法の定めた枠組みに基づき、本来の任期満了時までに、区画審の改定案の勧告を経て平成25年改正法が成立し、定数配分の上記0増5減の措置が行われ、平成22年国勢調査の結果に基づく選挙区間の人口較差を2倍未満に抑える選挙区割りの改定が実現されたところである。このように、平成21年選挙に関する平成23年大法廷判決を受けて、立法府における是正のための取組が行われ、本件選挙前の時点において是正の実現に向けた一定の前進と評価し得る法改正が成立に至っていたものということができる。
もとより、上記0増5減の措置における定数削減の対象とされた県以外の都道府県については、本件旧区割基準に基づいて配分された定数がそのまま維持されており、平成22年国勢調査の結果を基に1人別枠方式の廃止後の本件新区割基準に基づく定数の再配分が行われているわけではなく、全体として新区画審設置法3条の趣旨に沿った選挙制度の整備が十分に実現されているとはいえず、そのため、今後の人口変動により再び較差が2倍以上の選挙区が出現し増加する蓋然性が高いと想定されるなど、1人別枠方式の構造的な問題が最終的に解決されているとはいえない。しかしながら、この問題への対応や合意の形成に前述の様々な困難が伴うことを踏まえ、新区画審設置法3条の趣旨に沿った選挙制度の整備については、今回のような漸次的な見直しを重ねることによってこれを実現していくことも、国会の裁量に係る現実的な選択として許容されているところと解される。また、今後の国勢調査の結果に従って同条に基づく各都道府県への定数の再配分とこれを踏まえた選挙区割りの改定を行うべき時期が到来することも避けられないところである。
以上に鑑みると、本件選挙自体は、衆議院解散に伴い前回の平成21年選挙と同様の選挙区割りの下で行われ、平成21年選挙より最大較差も拡大していたところではあるが、本件選挙までに、1人別枠方式を定めた旧区画審設置法3条2項の規定が削除され、かつ、全国の選挙区間の人口較差を2倍未満に収めることを可能とする定数配分と区割り改定の枠組みが定められており、前記アにおいて述べた司法権と立法権との関係を踏まえ、前記のような考慮すべき諸事情に照らすと、国会における是正の実現に向けた取組が平成23年大法廷判決の趣旨を踏まえた立法裁量権の行使として相当なものでなかったということはできず、本件において憲法上要求される合理的期間を徒過したものと断ずることはできない。
(4)以上のとおりであって、本件選挙時において、本件区割規定の定める本件選挙区割りは、前回の平成21年選挙時と同様に憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったものではあるが、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず、本件区割規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできない。
投票価値の平等は憲法上の要請であり、1人別枠方式の構造的な問題は最終的に解決されているとはいえないことは前記のとおりであって、国会においては、今後も、新区画審設置法3条の趣旨に沿った選挙制度の整備に向けた取組が着実に続けられていく必要があるというべきである。」
この最高裁判所大法廷判決では、2009年の衆議院議員選挙から2012年12月の衆議院議員選挙までの間に一定の是正がなされたことを評価しつつも、根本的に改められた訳ではないとして違憲状態が続いていると判断しているのです。引用の最後の部分で、最高裁判所大法廷は1人別枠方式の廃止を含めて是正策を講じ、投票価値の平等が実現するような制度を構築することを国会に求めている、と理解してよいでしょう。
しかし、この判決においては「憲法上要求される期間」について具体的なことが何も説明されていません。そのために新たな問題が生じます。憲法が明示的に期間を設定している訳でもありませんから、1年なのか、2年なのか、どの程度の時間を意味するのかが不明なのです。最終的には裁判所の判断に委ねられると言われるならばそれまでなのですが、2012年12月の衆議院議員選挙から2年が経過し、2014年12月の衆議院議員選挙では、1人別枠方式がそのまま残るなど、基本は変わっていないのです。0増5減だけが是正策と言えるでしょうか。
0増5減により、一票の格差は僅かながら縮小したかに見えました。3月18日付の朝日新聞朝刊3面14版「問われる一票の格差 高裁判決 あすから各地で 昨年衆院選」〔デジタル版では同日5時付の「問われる一票の格差 昨年衆院選の高裁判決、あすから各地で」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11655505.html)〕には、2014年12月の衆議院議員選挙で一票の格差が最大で2.13倍であったことを指摘した上で「国会は小選挙区を『0増5減』する法律を成立させ、格差を2倍未満に抑える区割りを実施。人口変動で結果的に最大2.13倍になったが、最高裁が『合憲』とした05年衆院選の2.17倍よりも縮小した。被告の選管側は『0増5減』によって、『1人別枠方式による大きな弊害は取り除かれた』と主張している」と記しています。また、「前回の最高裁判決(引用者注:先に引用した2013年11月20日大法廷判決)以降、国会では16年をめどにした選挙制度改革を検討していた。その途中で昨年の衆院選となったことを、高裁がどう評価するかもポイントとみられる」とも指摘されています。与野党間における意見の相違などもあってなかなか進まなかったのですが、改革の努力は確かになされていました。
果たして、3月19日の東京高等裁判所判決は0増5減を合憲判断の要素としました。結局は2.13倍になったとはいえ、0増5減が決まった当初は格差が1.998倍になっていました。2倍を切ればよいというものでもないとは思うのですが、2倍が裁判所の基準なのかもしれません。しかも、2012年の選挙では最大で2.43倍であったのが2014年の選挙では最大で2.13倍に縮小したのです。東京高等裁判所は、この2.13倍について想定内の範囲であるという趣旨を述べているようです。国会も努力をしているし、まだ「憲法上要求される期間」を経過した訳でもないから、この程度の格差は仕方のないところである、ということでしょうか。結局、国会の裁量権行使の範囲内であるという判断がなされました。
格差が縮小すれば合憲だと短絡的にまとめたくなるような趣旨の判断にも疑問が湧きますが、もっとわからないのは、報道によれば東京高等裁判所の判決で投票価値の平等が譲歩を求められる(何についてかはわかりませんが)というような趣旨のことも述べられている点です。投票価値の平等には限界がある、ということなのでしょうか。仮に限界があるとして、それは何でしょうか。
まさか、法学部の学生にも時々いる、国家公務員法などの法律は憲法の特別法であるという答案を書いてくる人が裁判官になっている訳ではないでしょう。それにしても、投票価値の平等に限界があるという考え方は、現実的と評価しうるものの、実は倒錯的、とは言わないまでも倒立的なものです。平等の要請は、憲法第14条だけではありません。憲法第44条を読んでみましょう。
「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。」
ここで力点は但し書きに置かれます。「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定める憲法第14条第1項後段と文言が似ているだけでなく、基本的な趣旨を同じくしています。投票価値の平等は書かれていませんが、列挙されている差別事由が例示であると解すれば(そうすべきです)、何の問題もありません。投票価値の不平等は、とりもなおさず、住所による差別であり、間接的ではあれ、個々の地方公共団体、とりわけ投票価値が小さい選挙区に含まれる地方公共団体に対する差別です。
現実の人口分布が平等の限界である、または平等に譲歩を求める主体なりということかもしれませんが、それは頭が固すぎる人の考え方でしょう。都道府県、市町村を基準にして選挙区割りをすれば、どうしても格差は生じますし、不合理な結果を招来します。参議院の比例代表選出のように、日本全国を一つの選挙区とする手も考えられるのです。むしろ、大選挙区制であれ小選挙区制であれ、選挙区毎に議員を選出すること自体が、憲法の要請からは乖離している、とも考えられます。憲法第43条第1項は「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と規定していますから、国会議員はどこの出身であっても「全国民を代表する」議員であって、地元の代表でもなければ選挙区の代表でもないのです。それなのに選挙区割があるために、地元の代表だの選挙区の代表だのという意識が生まれて肥大し、政治や経済をおかしくしたのである、と言えるのではないでしょうか(全てそうであるとまでは記しませんが、当たっている部分はあるでしょう)。我田引水ならぬ我田引鉄の話は典型例です。
以上は極論であるかもしれません。現実離れしていると言われるならば、否定はできません。しかし、話は地方議会ではなく、国会です。朝日新聞朝刊17面12版の「(耕論)一票格差 正せるか」という記事に、最高裁判所判事を務められた宮川光治氏による、「都道府県を単位とする議席配分を維持することは、参院と同様にもう無理なのではないかと思います」という発言が掲載されています。大分県に住んでいた経験をもつ私も、宮川氏とはおそらく理由が異なりますが、同じようなことを考えています。人口の多寡にかかわらず各都道府県にまず一議席を割り当てることが、都道府県の実情などを無視しかねないと思うのです。もう12年前のことですが、私は2003年3月15日に中央大学駿河台記念館において行われた日本財政法学会第21回大会で、私自身の研究報告ではなく、別の方の研究報告に関連して、当時の大分県の選挙区割を例に出してコメントをしたことがあります〔日本財政法学会編『地方税財源確保の法制度(財政法叢書20)』(龍星出版)にも掲載されています〕。一応は人口比率を基準としなければならないために、端から端まで100キロメートルを優に超え、どうかすれば200キロメートルに届きかねないというような広大な選挙区から一人しか選出されないという事態が生じます。地元の代表という考え方を採るにしても、これが本当の地元の代表でしょうか。地域代表と言い換えても同様です。
もしかしたら、それなら道州制にすればよいというような意見が出されるかもしれません。しかし、道州制であろうが都道府県制であろうが、全国民の代表を選出する際の一票の格差という問題が存在することに変わりはありません。その意味では道州制など全く役に立ちません。国民の代表なのですから、全国を単一の選挙区にするのが最も望ましいことなのです。さらに言えば、比例代表制が平等の要請に最も忠実に応えてくれるはずです。
いや、現実的な視点に返りましょう。実際の問題として、理想型は実施が非常に困難ですし、かえって国民の選挙への関心をいっそう薄くしかねません。選挙区割を維持することといたしましょう。現在、国会がどの程度の人口を単位として想定しているのかがわかりませんが、一定の明確な基準は必要であると考えます。たとえば一選挙区あたり10万人の有権者について議員1人でもよいですし、5万人に1人でもよいでしょう。基準があるのかないのかわからないような状態が続いているから、いつまで経っても議員定数不均衡はなくならないのです。勿論、基準を設けるとしても完全なる1:1の平等は実現できないでしょうが、現状よりも格差は小さくなります。
また、5年に1回の国勢調査を待つまでもなく、毎年、各地方公共団体が推計人口を出していますから、参照して毎年のように選挙区割を見直すという手もあります。コンピュータがこれだけ発達していますから、できないことではないはずです。むしろ、人口の流出入を念頭に置けば、国勢調査を基準にするのは悠長に過ぎます。
19日の東京高等裁判所判決から、話がかなり発展してしまいました。ここで、違憲という判断を示した25日の福岡高等裁判所判決についても触れておくこととしましょう。今回では唯一の違憲判決です。但し、選挙そのものは有効とされたので、原告の弁護士グループの請求は棄却されました。
判決文を手に入れた訳ではないので、先にも参照した3月26日付朝日新聞朝刊39面14版の「昨年衆院選 福岡『違憲』 一票の格差判決 選挙無効は棄却」という記事を再び参照し、引用します(但し、所々で形を変えています)。
まず、福岡高等裁判所は1人別枠方式について「『過去の最高裁判決によって合理性が失われている」と指摘。その方式が実質的に残っていることを『構造的な問題が解決されていない』と批判した」とのことです。妥当な判断でしょう。また、2009年の衆議院議員選挙を違憲状態であると判断した最高裁判所判決から既に3年8カ月が経過しており、その間に不平等状態は解消されていないし、0増5減でも「格差縮小が不十分であるとし」て違憲という結論が導かれたようです。ただ、選挙が有効とされたのは、やはり1人別枠方式の廃止や定数削減などを国会が議論していたためであり、一定の猶予期間が設けられることも許容される、ということのようです。
3月18日付の朝日新聞朝刊3面14版「問われる一票の格差 高裁判決 あすから各地で 昨年衆院選」にも裁判官の話として書かれているのですが、2012年衆議院議員選挙と異なり、国会が一応は選挙制度改革の議論をしていたこと、0増5減を実施したことから、違憲と判断することは難しいと思われました。2倍を超えている以上は違憲状態と判断される可能性が高いのですが、合憲と判断される可能性もありました。その中で、福岡高等裁判所が違憲という判決を下したことは、或る意味で驚かされることでした。同裁判所の判決の趣旨からすれば、違憲状態という判断が示されてもおかしくはなかったからです。勿論、選挙が無効とされなかったとは言え、違憲状態という判断よりも違憲という判断のほうが強く、国会に是正を求める姿勢を打ち出すものです。次の選挙でも是正されなければ、違憲かつ無効という判断が示されることとなるからです。
福岡高等裁判所の判決に対しては、批判もありえます。新聞記事からのみでは、事情判決を採用したのか否かが不明確ですが、採用したとすれば根拠が問われることとなります。ただ、違憲かつ無効と判断することによって何かが是正される訳でもないので(裁判所が定数配分をするならば違憲の行為となりますし、選挙区割、定数配分は国会の任務であることに変わりはないのです)、現実的な判断であると考えられます。
最後になりますが、先に記した地元の代表、選挙区の代表という、世の中で一般的な考え方について、もう少し記しておきます。
どうしても議員に地元なり地域なりの代表という性格を持たせたいのであれば、それこそ憲法改正しか手はありません。私は、何故、自由民主党の憲法改正草案が第43条を表現の現代化に留め、内容の変更に至ることがなかったのか、疑問を抱いています。衆議院と参議院が同じような性格を持つ必要もなく、むしろ現在の状況では二院制の意味が薄いので、例えば参議院を都道府県の代表からなる議会とする趣旨の改正を行えば、地元の代表、地域の代表という性格を正当に持たせることができるのです。アメリカ合衆国の上院のように、各都道府県から、人口に関係なく同じ人数の議員を選出するということも考えられます。また、場合によっては、ドイツ連邦共和国の連邦参議院(Bundesrat)を参考にして、都道府県代表ということで、国民が選挙するのではなく、各都道府県の議会で参議院議員を選出するという方法を採ることも考えられます。どのような具体像にするかは自由に考えればよいのですが、衆議院を全国代表とし、参議院を地域代表とすることを、選択肢の一つとしてもよいのではないでしょうか。