COVID-19に振り回され続けた2020年もあと少しで終わろうとしています。
今年ほど外出しなかった日が多かった年もありません。2020年度に私が担当した講義・演習科目のほとんどはオンライン講義ですので自宅で行うことができます。そのため、2020年度に入ってから、鉄道を利用する機会が減りました。こうなると、都内を歩くことも、うちから歩いて行ける二子玉川駅周辺を除けば減りました。
しかし、やはり街歩きをしたくなります。そこで、今回は、かつて私の「川崎高津公法研究室」に設けていた「待合室」の第261回「渋谷区広尾で見たもの(その1)」(2008年4月18日〜24日掲載)および第262回「渋谷区広尾で見たもの(その2)」(2008年4月25日〜30日掲載)を統合し、一部修正の上で再掲載します。
東京都、とくに23区地域の、超高層ビルなどが並ぶ場所を離れ、閑静な住宅地などに入ると、ふと懐かしい物を見つけ、そこだけが時間の流れから取り残されているような奇妙さが溢れています。郊外の新興住宅地にはない、古いものと新しいものとの融和、人間的なものと非人間的なものとの混合、生活に密着しているものとそうでないものとの同居、などというものが、東京都23区地域にはあふれています。とくにその傾向が強いのが、渋谷区、品川区、目黒区、大田区、世田谷区ではないかと思います。これらの区に住んだことはありませんが、現在に至るまで何度となく足を運び、街などを歩いてきました。駅周辺には高層建築物が並び、人が多いとしても、少しばかり歩くと閑静な住宅地に入り、歩いていて気分がよいばかりでなく、ふと懐かしいものを見かけたり、面白い(これは笑いたくなるような気分という意味ではありません)光景を目の当たりにしたり、ということがあります。
2008年4月5日、或る用事のため、渋谷区広尾に行きました。東急東横線中目黒駅で東京メトロ日比谷線に乗り換え、二つ目の広尾駅で降りました。この駅の辺りを何度も通っているのに、駅を利用したのは初めてのことでした(両隣となる六本木駅や恵比寿駅は何度も利用しています)。この広尾駅は港区南麻布、外苑西通りにありますが、道路が区界となっており、駅を出て西側は渋谷区広尾です。広尾ガーデンプレイス、そして今ではかなり古い部類に入る都立広尾住宅はすぐそばです。南へ少し歩くと、首都圏の交通情報ではお馴染みの天現寺橋交差点があります。その名の通り、交差点の北東側に天現寺があります。ちょうど真向かいに都立広尾病院もあります。
広尾駅から、銭湯などが残る通りを歩きます。ここもバブル期以降に随分と変わってしまいました。土曜日の昼であったためか、たくさんの人が歩いています。以前は木造の建物もたくさん並ぶ通りでしたが、今はマンションなどが並んでいます。
歩き続けて、明治通りに出ました。天現寺橋交差点から少しばかり恵比寿、渋谷方面に向かった所で、都営バスの広尾病院前バス停があります。その前に、こんな懐かしい光景がありました。
一瞬、目を疑ったのですが、夢でも何でもなく、本当にあったのでした。赤い円柱の郵便ポストは、現在でも使用されている地域があります。昨年9月、日田駅前に設置されているのを確認していますし、九州では所々に残っているでしょう。しかし、東京都23区、川崎市、横浜市では、保存されているのでなければ、まず目にすることはありません。さすがに、このポストは使われていないようですが。
それより一番驚いたのは……、と書きたいところですが、これは後にまわすとしましょう。
懐かしいと思ったのは、隣の綿菓子製造機です。私が小学生の頃、1970年代には、地元の商店街にある菓子屋やパン屋、スーパーマーケットの屋上にあるゲームコーナーなど、この機械を置く店がいくつもありました。たしか、当時は50円だったはずで、なかなか上手く作れなかったりしたものです。しかし、1980年代以降、急に姿を消しました。縁日やお祭りの屋台などを除けば、綿菓子そのものを見かけなくなりました。いや、最近ではお祭りや縁日などでも綿菓子を持っている子どもを見なくなっています。
機械は、春休みということで動いていないようです(これはよくわからない話ですが)。作り方の説明が書かれています。私が小学生だった頃には、蓋から中が見えるようになっていて、白い綿のようになったザラメがフワフワと浮かんでいたりしましたが、この機械はどうなのでしょうか。動くところを再び見たいと思います。
こんなベンチが置かれています。御丁寧に、電信柱は木製で、ホーローの看板などまであります。木の壁も懐かしいですね。その形に何とも言えません。
左側には昔のバス停のような物が立っていますが、よく見ると、本当にどこかで使われていたバス停ではないようです。
塩の専売制が廃止されて久しく、今ではスーパーマーケットなどで色々な塩が売られています。そのため、わざわざこのような看板を掲げる店など、現在はありません。しかし、1970年代までは、紺色の地に「塩」と書かれたホーローの板などが店先に飾られていたりしたものです。
その上にチラシが貼られていますが、破れています(わざと破れたチラシを貼っているのかもしれませんが)。上のほうに赤く書かれている4文字が判然としませんが、「戦線に聴く皇軍将士の活躍!」と書かれています。右からではなく、左から書かれているのが気になります。
「大阪物語」と書かれたチラシが貼られています。何のチラシなのかはわかりません。映画なのでしょうか。それとも芝居なのでしょうか。どちらにも疎いのです。
以前にも書いたことですが、私は、人に珍しがられるほどに映画に関心がありません。何しろ、高校3年生の時に六本木シネ・ヴィヴァンで映画を見て以来、およそ22年間、映画館に行っていません。それまでにも、映画館に行ったのは3回か4回しかないのです(しかも渋谷と川崎に限られます)。大学生になってから、六本木WAVEで14800円を出して「真夏の夜のジャズ」という記録映画のVHSヴィデオテープを買いましたが、映画のヴィデオテープで持っているのはこの1本だけ、DVDの映画ソフトも持っていません。ちなみに、私は、テレビ番組の録画も滅多にしません。
芝居となるとさらに疎くなります。まだ一度も見に行ったことがないからです。このままではいけないのだろう、とは思うのですが、見に行くことなく終わるような気もします。
さて、以上のように、東京都渋谷区広尾にはこんな光景がある訳ですが、実は、驚くべきことは、少なくとも、私が 何よりも一番驚いたことは、上の5枚の写真に登場する、どう見ても木造の建物が、本当はいずれも鉄筋の建物(ビル)の1階である、ということです。ここはお好み焼き屋さんでして、雰囲気を出すためにわざわざ店舗の部分を木造の建物のようにしたのでしょう。一度、この店に入ってみようかな、などと考えていましたが、この記事の掲載時にも店は残っているのでしょうか。
そろそろ、移動しなければなりません。広尾病院前バス停から都営バスの都06渋谷駅前行のバスに乗り、どこかで降りてみましょう。
私は、別の用事のために渋谷車庫前バス停で降り、氷川神社方面に歩きましたが、今回紹介する所については渋谷橋交差点で下車するのがよいでしょう。交差点から南青山、六本木方面に歩きますと、すぐに登り坂になりますので、とにかく登ります。渋谷橋交差点から山手線のガードが見えるはずなので、そのガードと反対の方角に向かえばよい訳です。
もし、恵比寿駅からその場所に向かうのであれば、学06日赤医療センター行に乗り、二つ目の広尾高校前バス停が最適です(一つ目は渋谷橋バス停です)。バス停からすぐの所に広尾高校前交差点があります。今回はそこが現場です。
広尾高校前交差点の西側に広尾高校がありますが、これは渋谷区東三丁目にあります。東側が広尾三丁目です。
広尾三丁目の側に、こんなものがありました。
最近ではガチャポンというらしいのですが、私が小学生であった時、川崎市中原区にある某小学校の児童(私を含めて)はガチャガチャと言っていました。現在でも時々見かけるもので、神田神保町の書泉グランデにもあるくらいなのですが、広尾にあるのは昔ながらのガチャガチャです。これもほとんど見かけなくなりました。実は板橋区でも見られるものですが、タイプが違うかもしれません。
説明するまでもないと思うのですが、レバーの上にある投入口にコインを入れ、レバーを回します。すると、下のほうにカプセルが出てきます。そのカプセルの中におもちゃが入っています。何が出てくるかは運次第というところです。1970年代の川崎市中原区の随所にあったガチャガチャは、たいてい20円でしたが、現在の広尾のガチャガチャは100円です。
ガチャガチャは8台ありました。今の小学生はこういうものでおもちゃを買ったりするのでしょうか。私の小学生時代には、スーパーボール、スーパーカー消しゴム(消しゴムと言いながら全く消せないものでしたが、ポルシェ911、ランボルギーニ・ミウラなどの形をしていたので集めていたりしたものです)などが扱われていました。他には何が売られていたか、よく覚えていませんが、色々なものが扱われていたことだけは覚えています。
つい懐かしくなって撮影しましたが、30代最後の年齢の私がこのようなものをやるというのは恥ずかしいので、当然ながらやりません。ただ、こういうものを置いているお店は気になりますので、入りました。昔ながらの駄菓子屋さんという感じでした。ただ、板橋区蓮根にある駄菓子屋さんなどとは違い、雑貨屋さんのような雰囲気もあります。