ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

渋谷区広尾で見たもの

2020年11月30日 19時30分00秒 | まち歩き

 COVID-19に振り回され続けた2020年もあと少しで終わろうとしています。

 今年ほど外出しなかった日が多かった年もありません。2020年度に私が担当した講義・演習科目のほとんどはオンライン講義ですので自宅で行うことができます。そのため、2020年度に入ってから、鉄道を利用する機会が減りました。こうなると、都内を歩くことも、うちから歩いて行ける二子玉川駅周辺を除けば減りました。

 しかし、やはり街歩きをしたくなります。そこで、今回は、かつて私の「川崎高津公法研究室」に設けていた「待合室」の第261回「渋谷区広尾で見たもの(その1)」(2008年4月18日〜24日掲載)および第262回「渋谷区広尾で見たもの(その2)」(2008年4月25日〜30日掲載)を統合し、一部修正の上で再掲載します。

 

 東京都、とくに23区地域の、超高層ビルなどが並ぶ場所を離れ、閑静な住宅地などに入ると、ふと懐かしい物を見つけ、そこだけが時間の流れから取り残されているような奇妙さが溢れています。郊外の新興住宅地にはない、古いものと新しいものとの融和、人間的なものと非人間的なものとの混合、生活に密着しているものとそうでないものとの同居、などというものが、東京都23区地域にはあふれています。とくにその傾向が強いのが、渋谷区、品川区、目黒区、大田区、世田谷区ではないかと思います。これらの区に住んだことはありませんが、現在に至るまで何度となく足を運び、街などを歩いてきました。駅周辺には高層建築物が並び、人が多いとしても、少しばかり歩くと閑静な住宅地に入り、歩いていて気分がよいばかりでなく、ふと懐かしいものを見かけたり、面白い(これは笑いたくなるような気分という意味ではありません)光景を目の当たりにしたり、ということがあります。

 2008年4月5日、或る用事のため、渋谷区広尾に行きました。東急東横線中目黒駅で東京メトロ日比谷線に乗り換え、二つ目の広尾駅で降りました。この駅の辺りを何度も通っているのに、駅を利用したのは初めてのことでした(両隣となる六本木駅や恵比寿駅は何度も利用しています)。この広尾駅は港区南麻布、外苑西通りにありますが、道路が区界となっており、駅を出て西側は渋谷区広尾です。広尾ガーデンプレイス、そして今ではかなり古い部類に入る都立広尾住宅はすぐそばです。南へ少し歩くと、首都圏の交通情報ではお馴染みの天現寺橋交差点があります。その名の通り、交差点の北東側に天現寺があります。ちょうど真向かいに都立広尾病院もあります。

 広尾駅から、銭湯などが残る通りを歩きます。ここもバブル期以降に随分と変わってしまいました。土曜日の昼であったためか、たくさんの人が歩いています。以前は木造の建物もたくさん並ぶ通りでしたが、今はマンションなどが並んでいます。

 歩き続けて、明治通りに出ました。天現寺橋交差点から少しばかり恵比寿、渋谷方面に向かった所で、都営バスの広尾病院前バス停があります。その前に、こんな懐かしい光景がありました。

 一瞬、目を疑ったのですが、夢でも何でもなく、本当にあったのでした。赤い円柱の郵便ポストは、現在でも使用されている地域があります。昨年9月、日田駅前に設置されているのを確認していますし、九州では所々に残っているでしょう。しかし、東京都23区、川崎市、横浜市では、保存されているのでなければ、まず目にすることはありません。さすがに、このポストは使われていないようですが。

 それより一番驚いたのは……、と書きたいところですが、これは後にまわすとしましょう。

 懐かしいと思ったのは、隣の綿菓子製造機です。私が小学生の頃、1970年代には、地元の商店街にある菓子屋やパン屋、スーパーマーケットの屋上にあるゲームコーナーなど、この機械を置く店がいくつもありました。たしか、当時は50円だったはずで、なかなか上手く作れなかったりしたものです。しかし、1980年代以降、急に姿を消しました。縁日やお祭りの屋台などを除けば、綿菓子そのものを見かけなくなりました。いや、最近ではお祭りや縁日などでも綿菓子を持っている子どもを見なくなっています。

 機械は、春休みということで動いていないようです(これはよくわからない話ですが)。作り方の説明が書かれています。私が小学生だった頃には、蓋から中が見えるようになっていて、白い綿のようになったザラメがフワフワと浮かんでいたりしましたが、この機械はどうなのでしょうか。動くところを再び見たいと思います。

こんなベンチが置かれています。御丁寧に、電信柱は木製で、ホーローの看板などまであります。木の壁も懐かしいですね。その形に何とも言えません。

左側には昔のバス停のような物が立っていますが、よく見ると、本当にどこかで使われていたバス停ではないようです。

 塩の専売制が廃止されて久しく、今ではスーパーマーケットなどで色々な塩が売られています。そのため、わざわざこのような看板を掲げる店など、現在はありません。しかし、1970年代までは、紺色の地に「塩」と書かれたホーローの板などが店先に飾られていたりしたものです。

 その上にチラシが貼られていますが、破れています(わざと破れたチラシを貼っているのかもしれませんが)。上のほうに赤く書かれている4文字が判然としませんが、「戦線に聴く皇軍将士の活躍!」と書かれています。右からではなく、左から書かれているのが気になります。

 「大阪物語」と書かれたチラシが貼られています。何のチラシなのかはわかりません。映画なのでしょうか。それとも芝居なのでしょうか。どちらにも疎いのです。

 以前にも書いたことですが、私は、人に珍しがられるほどに映画に関心がありません。何しろ、高校3年生の時に六本木シネ・ヴィヴァンで映画を見て以来、およそ22年間、映画館に行っていません。それまでにも、映画館に行ったのは3回か4回しかないのです(しかも渋谷と川崎に限られます)。大学生になってから、六本木WAVEで14800円を出して「真夏の夜のジャズ」という記録映画のVHSヴィデオテープを買いましたが、映画のヴィデオテープで持っているのはこの1本だけ、DVDの映画ソフトも持っていません。ちなみに、私は、テレビ番組の録画も滅多にしません。

 芝居となるとさらに疎くなります。まだ一度も見に行ったことがないからです。このままではいけないのだろう、とは思うのですが、見に行くことなく終わるような気もします。

 さて、以上のように、東京都渋谷区広尾にはこんな光景がある訳ですが、実は、驚くべきことは、少なくとも、私が 何よりも一番驚いたことは、上の5枚の写真に登場する、どう見ても木造の建物が、本当はいずれも鉄筋の建物(ビル)の1階である、ということです。ここはお好み焼き屋さんでして、雰囲気を出すためにわざわざ店舗の部分を木造の建物のようにしたのでしょう。一度、この店に入ってみようかな、などと考えていましたが、この記事の掲載時にも店は残っているのでしょうか。

 

 そろそろ、移動しなければなりません。広尾病院前バス停から都営バスの都06渋谷駅前行のバスに乗り、どこかで降りてみましょう。

 私は、別の用事のために渋谷車庫前バス停で降り、氷川神社方面に歩きましたが、今回紹介する所については渋谷橋交差点で下車するのがよいでしょう。交差点から南青山、六本木方面に歩きますと、すぐに登り坂になりますので、とにかく登ります。渋谷橋交差点から山手線のガードが見えるはずなので、そのガードと反対の方角に向かえばよい訳です。

 もし、恵比寿駅からその場所に向かうのであれば、学06日赤医療センター行に乗り、二つ目の広尾高校前バス停が最適です(一つ目は渋谷橋バス停です)。バス停からすぐの所に広尾高校前交差点があります。今回はそこが現場です。

 広尾高校前交差点の西側に広尾高校がありますが、これは渋谷区東三丁目にあります。東側が広尾三丁目です。

 広尾三丁目の側に、こんなものがありました。

 最近ではガチャポンというらしいのですが、私が小学生であった時、川崎市中原区にある某小学校の児童(私を含めて)はガチャガチャと言っていました。現在でも時々見かけるもので、神田神保町の書泉グランデにもあるくらいなのですが、広尾にあるのは昔ながらのガチャガチャです。これもほとんど見かけなくなりました。実は板橋区でも見られるものですが、タイプが違うかもしれません。

 説明するまでもないと思うのですが、レバーの上にある投入口にコインを入れ、レバーを回します。すると、下のほうにカプセルが出てきます。そのカプセルの中におもちゃが入っています。何が出てくるかは運次第というところです。1970年代の川崎市中原区の随所にあったガチャガチャは、たいてい20円でしたが、現在の広尾のガチャガチャは100円です。

 ガチャガチャは8台ありました。今の小学生はこういうものでおもちゃを買ったりするのでしょうか。私の小学生時代には、スーパーボール、スーパーカー消しゴム(消しゴムと言いながら全く消せないものでしたが、ポルシェ911、ランボルギーニ・ミウラなどの形をしていたので集めていたりしたものです)などが扱われていました。他には何が売られていたか、よく覚えていませんが、色々なものが扱われていたことだけは覚えています。

 つい懐かしくなって撮影しましたが、30代最後の年齢の私がこのようなものをやるというのは恥ずかしいので、当然ながらやりません。ただ、こういうものを置いているお店は気になりますので、入りました。昔ながらの駄菓子屋さんという感じでした。ただ、板橋区蓮根にある駄菓子屋さんなどとは違い、雑貨屋さんのような雰囲気もあります。

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2005年6月25日、清水・三保の松原にて

2020年11月29日 21時11分00秒 | 旅行記

 今回は、私の「川崎高津公法研究室」に設けていた「待合室」の第218回「清水、三保の松原にて(その1)」(2007年6月24日〜7月1日)の再掲載です。修正などをしておりませんので、御注意ください。なお、撮影日は2005年6月25日です。

 

 今回は、かつての清水市、現在の静岡市清水区にある名所の一つ、三保の松原を取り上げます。もう一つの名所、清水港のほうは撮影していません。

  実のところ、静岡県は、川崎生まれの川崎育ちである私にとっても縁の深い所です。先祖が静岡県のどこかの出身らしいのです。よくわからないのですが、私の名字からして、遠江、つまり遠州の森町あたりではないかと思います (あくまでも、私の思い込みのようなものです。伊豆に縁があることは割にはっきりとしていますが)。森町は、森の石松の出身地です。森の石松(現代風に言えば、森町出身の石松さんということですが)と言えば 、遠州ではなく駿河ですが清水の次郎長。清水港の名物と言えば?

  全く、平成の市町村合併で愚かなことが続出しました。貴重な地名を亡き物にしたり、訳のわからない名前をつけたりしています。 もっとも、こういうことは歴史の上で繰り返された訳で、嘆いても仕方のないことではあるのですが。清水市はなくなりましたが、静岡市に清水区ができたことは、せめてもの救いであるかもしれません。 

 東名高速道路の清水インターチェンジを降り、清水駅の前を通り、東海大学海洋学部の施設などの近くを通ります。このあたりには、旅客列車が一日一往復しかないという国鉄清水港線が通っていました。今でも、客車などが保存されています。さらに進み、三保の松原の近くにやってきました。

 まだ三保の松原に着いていませんが、すぐ近くです。いや、三保の松原の東端と言うべき場所かもしれません。無料駐車場のような場所があったので、車を停め、太平洋を眺めました。

 左に写っているのが私の4台目の車、5代目ゴルフGLiです。実は、 納車されて1ヶ月ほどのこの車を遠出させたくて、三保の松原にやって来たのでした。2台目の車、日産パルサーJ1Jでは、何度も遠出をしていて、最長で川崎から神戸まで走っています(大分大学に就職する際に運転したのでした。さらに、神戸からフェリーに乗って大分まで行きました。大分に住んでいる時には、九州半周もやりました)。また、3台目の車、日産ウイングロードXでは、大分から福岡、佐賀、熊本へ走りましたし、大分大学から大東文化大学へ移るために川崎に帰った時には、大分から神戸までフェリーに乗り、神戸からは川崎まで運転しました。

 今の私の車では、2005年12月に浜松まで運転したのが最長ということになっていますが、機会があれば、大阪か神戸か宝塚まで、なんなら福岡まで運転したいと思っています。実際、2006年9月の集中講義の際には、川崎から福岡まで運転するという計画も立てていました。しかし、長丁場の集中講義で余計に体力を消耗したくないということで、やめました。2007年には2回、福岡に行くことが決まっていますし、2008年3月にも福岡に行くことが決まっていますので、その時にゴルフで行こうかと思っています。しかし、今年の2回はいずれも集中講義ですし、来年3月の1回は学会ですので、車で行くのはまずいかな、などと思っています。

さて、いよいよ三保の松原に入ります。砂浜に、何本かわからないほどたくさんの松が生きています。方向感覚を失いそうになります。

 

 松林から海が見えます。太平洋です。撮影した時期、早稲田大学の法職課程教室公務員講座で行政法の講義を担当していました。楽しい仕事でしたが、実は準備に相当の時間が必要で、大変でもありました(だからこそ、楽しかった訳でもあるのですが)。撮影日の翌日にも講義をやりましたが、ちょうどよい気分転換にもなったようです。

 また折を見て、続編をやります。

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オンライン学会

2020年11月28日 20時56分40秒 | 受験・学校

 これまで、学会といえばどこかの大学が主催し、その大学の施設か近隣にある別の会場で行われるというのが通例でした。

 しかし、今年は様相が異なります。大規模な学会は開催中止となるところもありましたし、小規模な学会ではオンラインでの開催という形が取られているところも多いのです。実際、今月7日、私が大会幹事となった日本財政法学会研究大会はオンライン開催で、私がオンラインのホストと司会を担当しました。明日29日の日本租税理論学会研究大会(私も少しばかり登場します)もオンライン開催です。

 難点も多いのですが、このような時期ですから仕方がないのでしょう。もっとも、仮に新型コロナウイルスの感染が縮小に向かったとしても、オンラインの開催は常に選択肢の一つとなるでしょう。

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Go to は完全中止に追い込まれざるをえない

2020年11月27日 19時33分00秒 | 国際・政治

 やはり、という結果になりました。

 世間的には第3波と言われる状況で、新型コロナウイルスの感染拡大により、再び医療崩壊の危機にさらされています。緊急事態宣言が再度発せられてもおかしくない状況にある、と言えるかもしれません。

 勿論、Go toだけが原因ではないでしょう。しかし、この状況の下で推進すべき政策でないことは明らかでした。実際に旅行や会食などをすれば、感染の機会が多くなりますし、そうでなくとも気の緩みの原因にはなります。

 私は、7月からこのブログでGo toに対する疑念などを示してきました。「こうなるだろう」という予想もしました。当たりましたが、うれしくもなんともありません。当たり前の結果にすぎないからです。

 今の状況を見て短期的な経済政策を打ち出して需要喚起を図るとしても、伝染病の流行が深刻な状況をもたらすならば意味がなくなります。

 現在の政府の姿勢などを見ていると「経済があって人がある」と考えている節があるようです。

 逆でしょう。

 「人があって経済がある」、「人がなければ経済はない」のです。

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南武線のE233系8000番台 鎌倉車両センター中原支所(旧中原電車区)N17編成とN08編成

2020年11月26日 15時00分00秒 | 写真

本日も南武線のE233系8000番台です。武蔵新城駅で撮影しました。

 N07編成の各駅停車立川行きです。平日の日中は立川行きに統一されていますが、ラッシュ時などには武蔵溝ノ口行き、登戸行き、稲城長沼行きもあります。

 各駅停車と記したからには快速か何かがあると思われる方も多いでしょう。その通りで、南武線には快速電車があります。停車駅は、川崎、鹿島田、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口、登戸、稲田堤、稲城長沼、府中本町、分倍河原、立川の順です(逆方向も同じ)。

N08編成の各駅停車立川行きです。背景を御覧になれば、武蔵新城駅前の商店街の規模がかなり大きいことがおわかりになるかもしれません。

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南武線のE233系8000番台 鎌倉車両センター中原支所(旧中原電車区)N20編成

2020年11月25日 21時00分00秒 | 写真

 川崎市を縦断するJR南武線は、元々、南武鉄道という私鉄が開業させた路線で、戦時中に国有化されました。国鉄時代には数少ない黒字線の一つであったことはあまり知られていないかもしれません。宮前区と麻生区を除く全区を通るこの路線は、川崎市の大動脈でもあります。

 国鉄時代には他線区で使用された車両が寄せ集められていましたが、JR東日本の路線になってから205系が新車として投入されました。その後、209系も投入され、現在、川崎駅から立川駅までの本線ではE233系8000番台に統一されています。

 高津区にある武蔵溝ノ口駅です。東急の溝の口駅とは「みぞのくち」の表記が異なり、「武蔵」が付く点でも異なります。上り電車(川崎方面)に乗ると、武蔵溝ノ口、武蔵新城、武蔵中原、武蔵小杉と、「武蔵」が付く駅が四つ続きます。いずれも快速停車駅です。武蔵国の南部を走るから南武線という訳です。

 南武線の駅で高津区に所在するのは、この武蔵溝ノ口駅、津田山駅および久地駅です。

各駅停車川崎行きのE233系8000番台N20編成です。

 武蔵新城駅で撮影しました。この駅と武蔵中原駅との間に鎌倉車両センター中原支所(旧中原電車区)があり、南武線の車両(浜川崎支線の車両も含む)および鶴見線の車両が所属しています。但し、鶴見線の車両は旧弁天橋電車区である鶴見線営業所に常駐しています。

 武蔵新城駅は中原区にあります(この他、武蔵中原駅、武蔵小杉駅、向河原駅および平間駅が中原区にあります)。しかし、武蔵新城駅の改札口を出て武蔵溝ノ口駅の方向に100メートル程歩けば高津区に入り(下り電車が発車して下り坂に入る直前に高津区に入ります)、高津区民の利用も多いためなのか、時々高津区と間違えられます。実際に「高津区上新城」と誤記された新聞記事を何度か目にしたことがあります。

 この駅には南武線しか通っていないのですが、利用客はかなり多く(大分駅や熊本駅などの都道府県代表駅よりも多い)、駅前の商店街も立派なもので、川崎市では数少ないアーケード商店街もあります。

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踏切を渡る際には注意を

2020年11月24日 09時31分45秒 | 社会・経済

 昨日(2020年11月23日)の夜、阪急神戸線の高羽踏切(御影駅と六甲駅との間)で、大阪梅田行きの特急電車と自動車が衝突する事故がありました。報道によると、この事故のために信号設備が故障しており、今日も夙川から新開地までの区間で不通となっています。

 朝日新聞社のサイトで写真を見ましたが、自動車がスクラップ状態になっていました。また、先頭の車両が脱線しています。乗客に怪我人がいなかったのが不幸中の幸いというところでしょう。

 今日、国の運輸安全委員会が鉄道事故調査官を派遣して原因を調べるとのことですが、一般的には車が踏切内で立ち往生したことが原因と考えられるでしょう。車が故障したか、エンストをしたか、警報器が鳴っているのに横断しようとして遮断機が下りて閉じ込められたか、これらのうちのどれかではないでしょうか。3つめについては、私も何度か目撃しています。事故にならなかっただけよかったということにはなりますが、見ているだけでヒヤッとします。「こんな無茶な運転をしないようにしよう」と改めて誓いました。

 踏切では一旦停止、警報器が鳴り出したら渡らずに待つ。自動車教習所でも習うことです。どうしようもなければ踏切にある非常停止ボタンを操作するしかありませんが、なるべくそのようなことにならないようにしたいものです。

 ※※※※※※※※※※

 川崎市の鉄道路線で踏切が一箇所もないところはどこだろうと思い出してみました(特殊なものを除外して考えてみます)。

 私が通勤などで利用する東急田園都市線には、踏切が一箇所もありません。かつて長津田駅の近くに1箇所だけありましたが、現在は地下道になっています。

 私が知っている限りでは、京王相模原線にも踏切がありません。調布駅が地下駅になったため、調布駅と京王多摩川駅との間にあった踏切も廃止されています。そのため、川崎市外でも踏切はないはずです。

 次に、小田急多摩線にも踏切がありません。この路線の場合は当初から1箇所もなかったかもしれません。

 続いて、川崎市内には一箇所も駅がない東海道新幹線です。川崎市外では、浜松市にある工場へ向かう線路に踏切があるということですが、営業運転の路線ではありません。

 JRの湘南新宿ラインと横須賀線と武蔵野貨物線はどうであったか。実は湘南新宿ラインの武蔵小杉駅を一度も利用したことがなく、湘南新宿ラインそのものも利用したことがないので、よくわかりません。幸区に何箇所かあったような、なかったような。

 東急東横線の元住吉駅付近が高架化されて久しいのですが、目黒線の電車が通る線路には踏切があります。

 角度を変えて川崎市の7区を見ると、踏切が一箇所もないのは、田園都市線と武蔵野貨物線が通っている宮前区だけです。

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本当かどうかわかりませんが

2020年11月23日 00時00分00秒 | デジタル・インターネット

 22日は疲れてしまい、何もやる気が起きず、21時からの「クラシック音楽館」でベートーヴェンの交響曲第7番、第8番、エグモントを聴いていましたが、そのような中でたまたま見つけた記事です。

 「新たなApple神話誕生か? Macが日本のテレワークのスタンダードになる日が近い」(https://otona-life.com/2020/11/22/46428/

 この記事によると、「アメリカのソフトウェア会社・Jamfが2020年夏に欧米企業のIT・情報セキュリティ担当者を対象に実施したアンケートによれば、テレワークの進む現代において、多くの企業が『今後12カ月間にMacの使用台数が増加する』と考えていることが明らかになった」、その理由は「高い安全性」であるとのことです。

 今年の5月からオンライン講義を行っている私は、もう6年か7年、MacBook Proをメイン機として使っています(今年の4月から2台目の16インチを使用しています)。その私でも、この記事に書かれていることが本当かどうかわかりません。ただ、この秋にMac OS 11になるまで実に20年近くもMac OS 10が続いたことに、Macへの評価の高さがあるのではないかと思っています。勿論、途中、大きなモデルチェンジともいうべきヴァージョンアップは何度かありましたが、使い勝手が変わらないのは良い点です。Mac OS 10.1から10.15.7までの間、WindowsはXP、Vista、7、8,10と変わっています。

 Windows Vista以来、OSとしてのWindowsに魅力を感じないのも事実です。Vistaと7は、CPUメーターがいつもレッドゾーンを示すほどで使い物にならなかったので、サブ機としてMacBook Airを購入してからはサブ機なのかメイン機なのかわからなくなるほどに使用してきました。それまではVAIOをメイン機として何台か購入しましたが、もう7年ほど、Windows機を購入していません。Surfaceには興味があるので、研究室での仕事のために買おうかとは思っていますが、当分は6年前か7年前に買い、今年の3月31日まで自宅でのメイン機であったMacBook Pro 13インチを使うこととしました。同じくらいの時期に購入したWindows機が使いにくくなったためです(処理速度がかなり遅いのです)。

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二子新地駅東口

2020年11月22日 21時16分00秒 | まち歩き

 

 

 

 

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六本木のサテンドールが2020年12月末日をもって閉店!

2020年11月21日 19時56分00秒 | 音楽

 先程、何の気なしにGoogleで検索をかけてみたら、六本木のサテンドールが2020年12月末日をもって閉店すると発表していました。

 理由は書かれていませんが、コロナ渦のためでしょうか。

 まだ私が学部生であった頃、俳優座劇場の真裏にあり、何回か行きました。最後に行ったのは2010年6月、渡辺香津美さん、井野信義さん、中牟礼貞則さんが出演された日です。この時は六本木4丁目にありました(赤坂9丁目にかなり近かったことを覚えています)。その後、いつからか六本木6丁目に移転していました。

 コロナ渦が収まったら行ってみようかと思っていましたが、今後も行けそうにありません。

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