今回は、或る意味で「オンライン授業の格差」の続きとなります。
時々見ているYouTubeのチャンネルで、ギガスクール構想向けのノート型パソコンやタブレットが低性能で使い物にならないという話を見ています。もう10年近く、Windows機から離れ、Macを使い続けている私には理解できない部分もありますが、こんなパソコンやタブレットを使っていたら勉強は進まないだろうしパソコン嫌いになるだろうと思わされます。一度、実態をみてみたいと考えています。うちのそばに小学校もありますから……。
さて、教育現場のデジタル化あるいはデジタル対応はどのようになっているのでしょうか。その一端を見せてくれる記事が、今日(2022年7月31日)の朝日新聞朝刊27面14版△に掲載されていました。「(いま先生は)デジタル化、進まぬ学校 添付ファイルを人数分印刷・紙でアンケート…」(https://digital.asahi.com/articles/DA3S15373955.html)です。
この記事の冒頭は「教員の長時間労働が問題になっている学校で、業務のデジタル化が十分に進まない実態がある。資料印刷に毎日1時間、一太郎で作った文書をワードに変換……。そんな非効率をなくし、教員が授業に専念するにはどうすればいいか。専門家は現場の工夫と行政の後押しが必要と指摘する」と書かれています。「資料印刷に毎日1時間」とは一体、どの程度の書類を何人分作っているのかと思いますし、「一太郎で作った文書をワードに変換」という部分に至っては、もう言葉が出ません。
(どうでもよい話ですが、私は、パソコンを使い始めてからというもの、一太郎を使用したことがありません。)
記事の冒頭の文章は、東北地方の某県の話のようです。公立高校の支援員の女性が語った話のようで、或る学校では「教頭が毎朝、教育委員会などからくる大量のメールの添付ファイルをプリントアウトし、先生の人数分コピーして机に置いていた。この作業だけで1時間かかるという」とのことです。それはそうでしょう。添付ファイルのサイズは様々でしょうが、物によっては何十頁にもなるでしょう。配られたほうは配られたほうで、整理などが大変でしょう。
また、この学校では「家庭に書いてもらうアンケートを紙で配布・回収し、表計算ソフトに入力するのに3時間かける」、「子どもの学習評価を書き込む『指導要録』を手書きし、1文字でも間違えれば最初から書き直す」、「文書ソフトは『一太郎』と決まっており、外部と共有する際は『ワード』に変換して送る」というようなことをしていたようです。「うーん」という唸り声が聞こえてきそうです。指導要録を手書きしているとは驚きましたが、文書を一太郎で作成してWordに変換するというのも驚きました。内と外とでファイルの形式を変える必要があるのでしょうか。
一方、東京都の公立中学校でも、非常勤講師の話として職員会議のことが書かれています。2021年のことであるそうですが、職員会議をオンラインで開くにも「教員用の情報端末は全員分はなく、職員室から持ち出せない。結果、参加者のほぼ全員が職員室に集まっていたという」のです。教員個人のPCやタブレットを使用してはならないということなのでしょうか。そうであるとすると、我々大学教員はどうなのかという話になります(もっとも、我々の場合、会議で使用されるタブレットは人数分が用意されているはずですが)。さらに「保護者との連絡手段は職員室から電話が原則だ。メールやLINEでのやりとりや、教員が自宅から携帯などで電話することは認められていない。保護者の携帯に電話し、折り返し待ちのために遅くまで帰宅できない姿をよくみる」というのですが、その理由は、都内の小学校の校長によれば「家庭と個人的な関係をつくり、悪用する教員がいるかも。わずかでも可能性があればルールは必要になる」とのことです。その小学校では「保護者と教員のメールを禁じる」そうで「子どもの安全や個人情報など配慮すべき点が多く、慎重にならざるを得ないという」ことですが、臨機応変にやれば済む話であるようにも思われます。それに、メールが悪用されるというのであれば、文書も電話も悪用されます。安全や個人情報は、別にメールやLINEだから流出しやすいという訳でもないのです。デジタル化は、最初こそ準備にそれなりの時間がかかりますが、しっかりとしておけば後は楽になります。
他方で、記事にはAIを活用して残業を減らし、働き方改革に成功した学校として、千葉県の柏市立手賀西小学校の話も出ています。引用が多くなったので、ここでは取り上げませんが、是非お読みください。
それにしても、ギガスクール構想が進められているはずの教育の現場の一端を垣間見ることができた気がします。