ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

暑中お見舞い申し上げます

2012年07月30日 12時44分40秒 | まち歩き

猛暑日が続いております。昨日は高津区民祭が行われ、大山街道は多くの人でにぎわいましたが、熱中症になった人などがいなかったのか、と心配になる気温ではありました。

そして、今日、午前中に国土交通大学校での仕事があったので、西武多摩湖線一橋学園駅を利用しました。

もうこんな時期なのですね。

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会期を延長してようやく一本?

2012年07月28日 11時40分37秒 | 国際・政治

 今年の1月24日から第180回国会が開かれていますが、とにかく法律案が成立しません。6月26日付で「造反有理!?」という記事を書いた時にも、成立した法律が約3割と低かったのですが、今もほとんど同じで、停滞しています。昨日(7月27日)付の朝日新聞朝刊4面14版に掲載されている「国会、夏休み中? 延長後 法案成立やっと1本」という記事にも書かれています。

 本来であれば、第180回国会は6月21日に会期が終了するはずでした。消費増税法案の件などがあり、会期は9月上旬まで延長されたのですが、ようやく7月28日に衆議院本会議で暴力団対策法改正案(先に参議院に提出されていました)が成立しただけという有様です。

 今年、大東文化大学法学部で「法学特殊講義2A(財政法A)」を担当した者としては、平成24年度の特例公債法案がまだ成立していないところが気になります。平成23年度の特例公債法は、施行時期がかなり変則的で、今年の6月30日まで特例国債(早い話が赤字国債)を発行することができ、しかもそれによって得られた歳入は平成23年度に帰属するものとする、という趣旨を定めています。平成24年度分の特例国債はまだ発行されていないのです。平成24年度の建設国債(財政法第4条第1項ただし書きによる国債)を発行することはできますが、発行上限額からして特例国債のほうに緊急性があります。さらに記すならば、平成23年度の特例国債法は、既に実質的に失効しています。

 こうしていくと、この平成24年度は大幅な歳入不足が生じる怖れが出てきます。消費増税法案も、現在は参議院の特別委員会で審査が行われている段階であり、法律として成立してはいません。

 開会から半年が経ち、議案として提出された法律案の3割程度しか成立していないという状況には、いうまでもなく、様々な原因があります。それにしても、この割合は低すぎます。混迷を深める政治状況を、極端な形で示している事態といえるでしょう。

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Mac OS Ⅹ Mountain Lionが登場

2012年07月27日 02時30分45秒 | デジタル・インターネット

 7月25日、Mac OS ⅩのVersion 10.8、通称Mountain Lionが登場しました。

 早速、MacBook Air 11 inchに入れてみました。本格的に使用し始めたのが昨日のことですので、まだ使い勝手などはわかりません。ただ、Mac OS Ⅹの基本線は維持されており、今のところ、大幅に変わって違和感を覚えるというようなことはありません。iPhoneとの連携もかなり強化されているとのことです(実はiPhoneを持っておらず、まだ導入予定もありませんので、よくわかりません)。

 今年も、8月28日~31日、9月3日~6日に、西南学院大学で集中講義を担当いたします。その際にMacBook Airを使いますので、その時に真価がわかるかもしれません。

 Windows 8は秋に出るそうで、こちらのほうはどうでしょうか。Windows Vistaは、その前のXPからかなり変わり、操作などにかなりの違和感を覚えましたが、Windows 8も同様でしょうか。

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Herbie Hancock Quartet

2012年07月24日 21時38分28秒 | 音楽

 先日、HMVの通販でHerbie Hancock Quartetを買いました。それから何度となく聴いています。

 CDでは1枚のみですが、LPでは2枚組でした。1981年に東京で録音されており、CBSは1982年に発売しましたが、日本盤(CBSソニー)は1983年に発売されたはずです(故油井正一氏の解説には1983年と書かれていたと記憶しています)。

 私は、幼少の頃からジャズを知っていましたが、中学校に入ってからジャズやフュージョンを聴き始めました。渡辺香津美さんの「トチカ」(溝口で買いました)から始まり、ウェザー・リポートなども聴いていましたが、1983年の或る日(まだ中学校2年生だった1月から3月までの間なのか、3年生になった4月以降なのかはわかりません)、溝口一丁目にあった川上楽器かどこかでLPを買いました。ほとんど何の知識もないままに、ただ、4ビートジャズらしいということ、当時、トランペットがウィントン・マルサリス、サックスがブランフォード・マルサリスというV. S. O. Pが活動していたことだけを知っていて、買ってみたという訳です。「カルテット」にはブランフォードが参加していませんので、トランペットのみのワンホーンということになります。

 最初に聴いた瞬間に引き込まれてしまいました。1曲目の「ウェル・ユー・ニードント(Well You Needn't)」は、通常であればミディアム・テンポなのですが、このレコードの演奏はかなり速いもので、それだけに緊張感があります。しかも、曲によって速くなったり遅くなったりしても、緊張感は持続しています。私は5曲目(LPでは2枚目の1面の1曲目)の「ハリケーンの目(The Eye of the Hurricane)」、7曲目(LPでは2枚目の2面の1曲目)の「ソーサラー(The Sorchrer)」を特に好んで聴きますが、ロン・カーターのオリジナル曲である「パレード(Parade)」も、このアルバムの演奏が一番よいと思っていたりもします。また、「ハリケーンの目(The Eye of the Hurricane)」は、1960年代のブルーノートから出されたハンコックのアルバムにも収録されていますが、「カルテット」の演奏のほうに軍配が上がります。

 もう故人となって久しいトニー・ウィリアムスのドラムは、まさに迫力満点、「ロックではこんな豊かなリズムを刻めまい」と、今でも思います。リーダーのハービー・ハンコックのピアノ、ロン・カーターのベース、ウィントンのトランペット……、どれをとっても文句なしの傑作です。しかも、次のアルバムが「ロックイット(Rock it)」を収録した「フューチャー・ショック(Future Shock)」です。あまりの触れ幅の大きさに驚かされました。しかし、「カルテット」の豊かさを存分に楽しんだ私は、「ロックイット」が意表を突くだけであまりにも貧相に聞こえたため、シングルを買っただけに終わりました。

 中学生時代はフュージョンのほうをよく聴いていたのですが、「カルテット」を聴いてから、本格的に4ビートジャズに入り込むことになりました。その意味では思い入れのあるアルバムです。LPのほうも、何かにつけてよく聴いていましたが、LPプレイヤーの調子が悪くなっており(30年以上使っています)、CDでも買っておいたのです。

 最後に、曲目を記しておきましょう。

 1. Well You Needn't

 2. 'Round Midnight

 3. Clear Ways

 4. A Quick Sketch

 5. The Eye of the Hurricane

 6. Parade

 7. The Sorcerer

 8. Pee Wee

 9. I Fall in Love too Easily

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豊橋で元東急7200系に会った(その3)

2012年07月23日 08時03分06秒 | 写真

 新豊橋駅の2番線に電車が到着しました。三河田原行きとなりますが、1番線の電車が出発してから乗客を乗せます。

 このモ1808は、東急時代はデハ7260で、1972(昭和47)年、目蒲線で最初の冷房車として登場した3両編成のうちの1両です。残りの2両はデハ7452とクハ7560で、デハ7452がモ1858に、クハ7560がク2808になっています。つまり、上の写真の編成は、東急目蒲線最初の冷房車の編成なのです。

 豊橋鉄道渥美線は、全て1800系に統一されていますが、様々なヴァリエーションがあります。上の編成はスタンダードです。他に、緑、青、黄色などが走っています。オリジナルの7200系は無塗装で登場しており、東急時代の末期には正面のみ赤帯が加えられました。

 私はモ1806に乗りました。終点の三河田原に向かいます。その車内に取り付けられているプレートです。右側のほうで、この車両が東急車輛で昭和42年、西暦に直せば1967年に製造されたことがわかります(余談ですが、私は1968年生まれです)。

 左側のプレートは、初代7000系や8000系にも付けられていたものです。日本で最初にオールステンレスの車体を製造したのは東急車輛ですが、当初は日本に製造のノウハウがなく、アメリカのバッド社の技術を取り入れたのです。ただ、同社のライセンスが障害となり、オールステンレスカーの普及はアルミ車に比べて遅れました。東急車輛が独自の技術で軽量ステンレスカーを開発するまでは、東急以外では京王3000系、南海6000系くらいしかオールステンレスカーを採用した例がなく、たとえば都営三田線用の6000形や福岡市営地下鉄の1000系などは外板のみステンレスとなっています。

 また、7200系には、東急で2両だけというアルミ製車体の車両がありました。デハ7200とクハ7500で、1967年に登場しました。一時期、こどもの国線用となりましたが、1991(平成3)年に改造され、デハ7200がデヤ7290に、クハ7500が架線観測車のデヤ7290になりました。架線観測は勿論、ATC装置を備えていない車両に連結して回送運転するための牽引車としても活躍しました。1998(平成10)年には中間車としてステンレスカーのサヤ7590が製造され、デヤ7200とデヤ7290との間に連結されました。サヤ7590は軌道検測車です。

 デヤ7200とデヤ7290は、2012年2月26日、さよなら運転を行っています。私も高津駅へ行き、通過するのを見ていました。

 どこの駅であったか覚えていないのですが(高師と三河田原の間であることは確かです)、私が乗った電車がこんな形で停まりました。どう見ても本来の停止位置から少し先に止まっており、御覧のように扉の一部がホームからはみ出ています。しかし、停止位置を修正することもなく、車掌は扉を開けました。一人、この扉から客が降りていきました。

 ホームの長さが足りないのであれば、この扉だけを締め切り扱いにするはずですから、この駅のホームの長さは十分なのでしょう。ブレーキのタイミングが遅かったような感じはしていました。

 豊橋を出発し、柳生橋→小池→愛知大学前→南栄→高師→芦原→植田→向ヶ丘→大清水→老津→杉山→やぐま台→豊島→神戸、そして終点の三河田原駅に到着しました。しばらく、三河田原駅の周辺を歩きました。渡辺崋山の墓所である城宝寺は、駅から歩いて2分か3分くらいの場所にあります。

 先程、新豊橋駅の2番線に到着したモ1808の編成が三河田原駅に到着していました。

 豊橋鉄道渥美線で、久しぶりに東急7200系を見ました。東急7200系は東急の鉄道全線(世田谷線は軌道線なので除外)で運用できた車両で、実際に新玉川線(現在の田園都市線の渋谷~二子玉川)以外の全線で運用されました。伊豆急行のサイトによると、1964(昭和39)年から1967(昭和42)年まで、夏に伊豆急行に貸し出されていました(製造されてすぐに伊豆急に入り、夏が終わってから東急に入った車両もあるかもしれません。初代7000系にはそのような車両もありました)。

 1986(昭和61)年、クハ7500形の一部がVVVF車の7600系に改造されました。当初は大井町線で運用され、その後に池上線に移っており、現在も池上線と東急多摩川線で運用されていますが、一部が廃車になっており、気にかかるところです。

 7200系は、これまで、豊橋鉄道の他、上田電鉄(上田交通)別所線、十和田観光電鉄および東急車輛に譲渡されています。このうち、上田電鉄別所線では2両編成5本が活躍していましたが、3編成が廃車され、1編成が豊橋鉄道渥美線に移っています。残りの2編成のうち、デハ7200形(上田電鉄ではモハ7200形)の2両が東急車輛に移っています。また、十和田観光電鉄では東急に残っていた2両が両運転台化された上で運行されていましたが、2012年3月31日を最後に十和田観光電鉄線そのものが廃止されてしまいました。

 豊橋鉄道渥美線の3両編成10本(上記のように、上田電鉄から移ってきた車両もあります)は、まだ活躍することでしょう。近いうちに再び、豊橋へ行こうと思っています。

 (2014年8月28日、動画を追加。)


YouTube: 豊橋鉄道渥美線側面展望(三河田原→新豊橋)通常速度版


YouTube: 豊橋鉄道渥美線側面展望(三河田原→新豊橋)8倍速版

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豊橋で元東急7200系に会った(その2)

2012年07月22日 00時39分06秒 | 写真

 こちらは三河田原側の先頭車であるモ1806です。東急時代はデハ7205でした。

 7200系は、主電動機、主制御機、電動発電機などが日立製作所製であるものが00番台、東洋電機製であるものが50番台とされていました。豊橋鉄道に譲渡されてからは、この番号の区別がなくなりましたが、一つの編成では日立製作所製、東洋電機製がそれぞれ統一されています。

 もう1枚、モ1806を撮影しておきました。東急時代はデハ7200形が上り向き、クハ7500形が下り向きでしたが、豊橋鉄道に移ってからはモ1800形(デハ7200形)が下り向き、ク2800形(クハ7500形)が上り向きとなっています。

 運転台の様子です。7200系は、東急で最後のツーハンドル車でした。その後に登場する8000系からはワンハンドルマスコンとなります。

 左側がマスコン(マスターコントローラー)で、加速のために使います。7200系は地下鉄乗り入れ用でなかったのですが(地下鉄日比谷線を走行したことはありますが、営業運転ではありません)、デッドマン装置を入れています。そのため、マスコンを常に握っていないと急ブレーキがかかるようになっています。

 右側がブレーキ装置です。上の写真ではハンドルが差し込まれていませんが、運転する際にはハンドルを差し込みます。左に回すとブレーキが緩み、右に回すと、角度によってブレーキがかかります。

 右側に様々なスイッチがあります。東急時代とあまり変わっていないようです。また、渥美線ではワンマン運転が行われておらず、車掌が乗務しますので、ローカル線では一般的なワンマン運転用の各種装置が設けられていません。

 また、車掌台のほうには方向指示設定機があります。これによって方向幕を回転させるのです。東急から豊橋鉄道に譲渡されて10年以上が経ちますが、方向指示設定機には今も東急田園都市線や大井町線などの行先を設定できるようになっています(たとえば「大井町」や「長津田」などです)。

 (2014年8月28日、動画を追加。)


YouTube: 豊橋鉄道渥美線南栄→高師側面展望

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豊橋で元東急7200系に会った(その1)

2012年07月21日 23時57分26秒 | 写真

 以前、ホームページの「待合室」に掲載した写真を、ここに再び載せます。今回はその第1弾です。

※※※※※※※※※※

 もう何年も前から、豊橋に行ってみたいと思っていました。「もう一度この目で見たい」というものがあるからです。

 しかし、その機会はなかなか訪れなかったのです。「毎年のように九州へ行っている男が、何を言うか?」と言われることでしょう。豊橋は、たしかに東京からであれば、九州よりもはるかに近いのですが、新幹線の「のぞみ」も「ひかり」も停車しないので、本数は限られますし、時間もかかります。それで、行く機会を見つけることができなかったのでした。

 今年、ゴールデンウィークの後半に名古屋へ行きました。これまで通過したことなら何度もあるのですが、名古屋駅を降りたのも初めてならば、名古屋市を歩いたのも初めてです。そして、名古屋市営地下鉄と名古屋鉄道を乗り継ぎ、豊橋駅で降りました。これまた、名古屋市営地下鉄を利用したのも初めてならば、名鉄を利用したのも初めて、豊橋駅を利用したのも初めてでした。日本の大手私鉄で、名鉄のみ、全く利用したことがなかったのです。

 JR東海と名古屋鉄道が共用する豊橋駅の隣に、豊橋鉄道の新豊橋駅があります。ここから、渥美半島の中程にある田原市の三河田原駅まで、渥美線が通っています。その渥美線で使用されているのが、上の写真に登場する1800系です。これこそ、私が「もう一度この目で見たい」と思っていたものです。見た瞬間に懐かしさを覚えたのでした。「く」の字のような形をした前面の形状は、まさしくダイヤモンドカットと言われた東急7200系です。ここ豊橋では1800系として走っています。

 元々は東急田園都市線用の車両として、1967(昭和42)年に登場しました。初代7000系に次ぐオールステンレスカーとして51両が、アルミ試作車(デハ7200およびクハ7500)として2両が製造され、目蒲線、東横線でも運用され、末期は目蒲線と池上線で使用されました。豊橋鉄道に譲渡されたのは2000(平成12)年、目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割された年です。

 写真の車両はク2806で、東急時代はクハ7505だったとのことです。パークベルクリニックの広告電車となっていました。このようになったのは最近のことです。

 豊橋鉄道は名鉄系列の会社です。以前にも東急からの移籍車が運用されたことがありますが、東急7200系が豊橋鉄道に移って1800系となるまでは、名鉄7300系が運用されていました。名鉄の支線用として登場した特急用車両で、7000系や7500系とは外観が異なるものの、同じパノラマカーの一員で、7700系とよく似ていました。1997年まで名鉄で運用され、同年に豊橋鉄道に譲渡され、渥美線で運用されました。同線では初の冷房車でもあります。

 しかし、7300系は2扉車である上に吊り掛け駆動で、加速度が低いこともあり、ラッシュ時などに遅延が発生しやすくなりました。この頃、渥美線ではダイヤ改正を行い、昼間でも12分間隔にまで増やしたそうですが、7300系ではダイヤ通りの運行ができず、結局はダイヤを以前のものに戻してしまいました。2扉では、出入り口が少なくなる訳ですからラッシュ時の乗降に時間がかかります。私は、JR武蔵野線の快速「むさしの」号で経験済みです。何故か特急用の183系車両を使っていたのです(何故にこんな馬鹿な車両の使い方をしたのか、理解できません)。渥美線でも同じようなことが生じたのでしょう。また、吊り掛け駆動では加速度が低いので、渥美線のような路線でスピードアップを図るのは相当に困難でしょう。

 結局、7300系は3年ほどで東急7200系に置き換えられることとなりました。1800系となったのは、18メートル車であるため、とのことです。

 (2014年8月28日、動画を追加。)


YouTube: 豊橋鉄道渥美線1800系(1808F)

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相も変わらず六法を……

2012年07月13日 00時50分26秒 | 法律学

 「そんな話はお前の勤めている大学だけだろ?」と言われるかもしれません。それなら「そうですか」あるいは「そうですね」としか答えようがありません。

 私は、税法の講義および専門演習の際は税務六法を、法学特殊講義の際は財政会計六法を、その他の講義の際にはポケット六法(など)を持ち歩きます。研究室などに置いてあるとはいえ、研究室から教室まで持ち歩きますから、結構な重さです(税務六法は自宅にもあります)。今から二十余年ほど前(私が学部を卒業したのが、ちょうど20年前の1992年です)には、私の鞄の中に必ずポケット六法が入っていて、これを忘れたことはありません。

 今日(いや、正確には昨日)も、午前中には東松山校舎で2コマ、午後には板橋校舎で1コマをやりました。講義をやりながら様子を見ていると、相も変わらず、六法を持ってきていない、あるいは持っているのに開かないという学生が多いのです。こちらは、条文を読みながら話を進めたりすることもありますので、果たして学生は理解しているのか、などといぶかるのです。学部生でポケット六法の中身を完全に暗記している人はいないでしょうし、憲法や民法などの条文を完全に記憶している人もいないでしょう。私が「●●法の▲▲条を!」と指示しても、開きもしない学生が少なくないのです。

 これでは、小テストであれ期末試験であれ、良い成績を取れるはずがありません。それで「授業アンケート」などとやられて、悪口などを書かれたりするのですからたまりません。シラバスなどでも六法のことは説明しますし(とくに税法や財政法の場合)、講義の初回でも言うのですが、「重い」とか「鞄に入らない」などという台詞が出てきたりするのです。いくらシラバスを改善しても、こういう点は直らないでしょう。社会人でも、国語辞書の存在すら知らないような高学歴の人がいるくらいですから。

 六法の持参および参照という点では、やはり法科大学院の学生が最もしっかりしています。それだけに、法科大学院の問題は頭の痛いところでもあります。六法を開きもせず、法律の条文すら読まないから結局は読めない学生が少なくない法学部が残ったりするのですから。

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行政法の参考書

2012年07月12日 15時18分44秒 | 本と雑誌

 私が大東文化大学法学部法律学科で担当する「行政法1」、國學院大學法学部で担当する「行政法Ⅰ」、両方の講義の参考書を紹介しておきます。先週の土曜日、青葉台で見つけました。

 池村正道編『行政法』(弘文堂、Next法学シリーズ)

 奥付では2012年7月15日発行となっているくらいですから、発売されて間もない本です。入門書と位置づけてもよい内容です。

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相次ぐ法科大学院からの撤退

2012年07月08日 08時02分21秒 | 受験・学校

 5月29日付で「法科大学院からの撤退 これで3校目」という記事を掲載しました。その続きとお考え下さい。

 昨日(7月7日)の朝日新聞朝刊37面14版と日本経済新聞朝刊34面12版に、法科大学院の学生募集停止を報じる記事が掲載されていました。どちらも小さな記事で、もうニュースの価値がないのかとも思ったのですが、単に編集の都合かもしれませんし、よくわかりません。

 この話を、私は一昨日の夕方に知りました。今回は駿河台大学が発表しており、これで5校目となります(これまで、姫路獨協大学、大宮法科大学院大学、明治学院大学、神戸学院大学の順に発表しています)。やはり、入学者数の激減と合格者数の低迷が原因で、駿河台大学の場合、本年度の入学者は5人、昨年度の司法試験合格者は5人でした。入学者について記すと最も多かった2006年度には70人だったそうですから、14分の1にまで減ったこととなります。これでは経営も教育も成り立ちません。法科大学院が少人数教育の良さを喧伝するとしても(小学校から大学院まで広く見られる傾向ですが、私は疑問を抱き続けています)、限度があります。

 既に法科大学院の諸問題については、様々な方向から多くの方々が議論を展開されておられます。2004年3月31日まで法学部でない学部に籍を置き、2009年度から前期のみですが法科大学院の講義も担当している私は、ここで法科大学院の問題などを論じないこととしますが、一点記しておくとすれば、やはり旧司法試験で実績を積み重ねてきた大学が新司法試験でも強く、旧司法試験の合格者があまりいないような大学は新司法試験でも結果を出すことができなかった、ということです。今後も、あと5つほどは募集停止→廃止を表明せざるをえないところが出てくるものと予想しています。

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