購入したばかりの第10世代iPadで撮影していました。場所は高津駅(DT09)、車両は東急2020系2144Fクハ2044で、1番線を準急中央林間行きとして通過するところです。
東急田園都市線渋谷駅の改札口の近くにある売店で見つけて、衝動的に買ってしまいました。
これはキーホルダーです。見ればおわかりの通り、東横線用の5050系4000番台の4110F、ShibuyaHikarie号です。
東横線用の5050系4000番台の4110F、ShibuyaHikarie号です。10両編成ですので、横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れるのは当たり前として、東京メトロ副都心線、西武有楽町線、西武池袋線、東武東上線に乗り入れます。場合によっては東京メトロ有楽町線の小竹向原〜新木場にも乗り入れるでしょう。私は確認していないのですが、東急新横浜線、相鉄新横浜線、相鉄本線、相鉄いずみ野線でも見ることができることがあると思われます。
最近はラッピング電車などをよく見かけますが、最初からラッピング電車として登場したのはこのShibuyaHikarie号くらいでしょうか。
鉄道系のキーホルダーで気に入ったものがあると購入しているので、趣味なのかもしれません。ただ、東急以外で購入したことがあるのは、西鉄と静岡鉄道くらいです。
今年度は東松山校舎の法学研究所で行政法の講義を担当しています。資格試験受験などを目指す学生が多いので、こちらとしても準備に時間をかけて臨んでいます。
その帰り道、高坂駅で東武50070系51076Fを撮影しました。01Tという運行表示が示されているので、東京メトロ有楽町線からの直通列車であることがわかります。東武東上線のみを走る列車にはこうした表示がなされないからです(この点は東急と違います)。
見にくいのですが、種別は普通、行先は森林公園駅です。有楽町線新木場駅を17時20分に発車し、和光市駅には18時15分に到着し、18時18分に発車します。高坂駅に到着するのは19時3分です。そして、終点の森林公園駅に到着するのは19時10分です。果たして、乗り通す人はどの程度いるのでしょうか。
50000系シリーズの一つなので、50000系(当初は東上線内用として登場しましたが、2編成が伊勢崎線・日光線系統に移り、東京メトロ半蔵門線および東急田園都市線にも乗り入れます)、50050系(伊勢崎線・日光線用で、当初から半蔵門線および田園都市線に乗り入れています)、50070系(こちらは東上線用ですが、当初から東京メトロ有楽町線直通運転用でもあり、現在は東京メトロ副都心線を経由して東急東横線および横浜高速鉄道みなとみらい線にも乗り入れます)、50090系(東上線のTJライナー用です)のいずれも、基本的に同じデザインとなっています。そもそも日立製作所のA-trainシリーズですから、西武20000系などとも似ています。
見ただけでは区別がつきませんが、左はかつての東横線の主力である9000系、右はかつての田園都市線の輸送増強用として登場した2000系である9020系です。どちらも大井町線の各駅停車用として運行されていますが、2025年から廃車が進み、一部が西武鉄道に譲渡されることとなっています。とくに、9020系が大井町線で運行される期間は短いものとなってしまいました。
今や東京メトロで最古参の系列にして、徐々に廃車が進んでいる8000系ですが、半蔵門線および田園都市線ではよく見かけます。二子玉川駅で、急行中央林間行きとして運行しているところを撮影しました。普段であれば東急車に付けられているはずの26Kという運行番号が表示されています。撮影日の前日にダイヤが乱れたので、その影響かもしれません。08系が東武車のTを付けられたり、50050系が東京メトロ車のSを付けられているのも見ていますので、単なる精算運転ではないでしょう。
今年に入ってから、8000系の側面上部、ドアの戸袋付近にこのような番号が表示されるようになりました。東京メトロ車は、伝統的に車体番号板を側面下部に付けていましたが、これではホームドアが設置された駅で確認しにくいからでしょう。
何度となくこのブログで取り上げたように、東急9000系および9020系は2025年以降に西武鉄道に譲渡されることが決まっています。その2025年も近づいてきました。
一体、どの編成から東急大井町線を離脱するか。9000系および9020系を置き換えるための新車はいつ登場するのか。大井町線もワンマン運転化され、東急でワンマン運転が行われない路線は田園都市線のみとなるのか(その意味では田園都市線こそ東急の本線級の路線ですね)。色々と興味関心は尽きません。
二子玉川駅(DT07、OM15)で撮影しました。左側がG各停大井町行きの9004F、右側がG各停溝の口行きの9010Fです。どちらも、かつては東横線および横浜高速鉄道みなとみらい線で活躍していた編成です。そう、特急、通勤特急、急行、各駅停車のいずれでも、渋谷駅から元町・中華街駅まで走っていた訳です。
大井町線に転属してからは、基本的に大井町線の各駅停車用として運用されてきました。時折、6000系および6020系の代行として急行電車にもなったようですが、私は一度も見たことがありません。
また、大井町線(正式には大井町駅から二子玉川駅までです)には、現在、車庫がありません。そのため、9000系は田園都市線鷺沼駅のそばの鷺沼車庫をネグラとしており、時折ですが鷺沼駅始発の各駅停車大井町行き、および大井町駅始発の各駅停車鷺沼行きとして運用されています。時には長津田検車区に回送されることもあるのでしょう。記憶に誤りがなければ、回送として走行しているところを南町田グランベリーパーク駅でみたことがありました。
今回は京王8000系8708Fです。高幡不動駅で、特急京王八王子行きとして運行されているところを撮影しました。
私が学部生であった時の、京王線特急の停車駅は、京王線であれば新宿、明大前、調布、府中、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、京王八王子、高尾線に直通する特急であれば高幡不動、めじろ台、高尾、高尾山口でした。相模原線の停車駅をよく覚えていませんが、調布、京王永山、京王多摩センター、橋本であったと記憶しています。
現在ではかなり停車駅が増えています。私にとって便利になったと思うのは、笹塚と分倍河原、京王稲田堤に停車するようになったことです。しかし、理解しづらいと言うべきか京王らしいと言うべきか、高尾線では特急と急行が逆転するという状態になっています。どういうことか。それは、高尾線では特急が各駅に停車するのに対し、急行は北野、めじろ台、高尾および高尾山口のみに停まるということです。平日の日中には急行が走りませんし、あまり混乱することもないのかもしれませんが、路線図を見た限りでは、何とかならなかったのかと思います。
以前、このブログで東上線について種別が多すぎて停車駅の違いなどで混乱を引き起こしかねないと記しました。同じことが京王線にも言えます。新宿から分倍河原までにおける急行と区間急行との違いは仙川に停車するかしないかということだけですし、新宿から調布までにおける区間急行と快速との違いは下高井戸および八幡山に停車するかしないかということだけです。もう少し整理できるだろうと考えるのは私だけでしょうか。
JR南武線との乗換駅である京王線の分倍河原(KO25)にて、京王7000系7724Fを撮影しました。各駅停車新宿行きです。
歴史好きの方であれば、この駅の名前を聞いて分倍河原の戦い(鎌倉時代および室町時代)という史実を想起される方も多いでしょう。実際に、分倍河原駅のそばに新田義貞像があるのですが、実は当初から分倍河原という駅名ではなかったのでした。元々は屋敷分という駅名で、先にできたのが京王線の駅で、1925(大正14)年に開業しています。南武線の屋敷分駅は1928(昭和3)年に開業しました。現在の分倍河原に改称されたのは1929(昭和4)年のことです。
実際に行くとわかりますが、分倍河原駅にはJR東日本の駅員がいません。これは、私が知る限りでは国鉄時代からのことで、一つだけある改札口は京王、JR東日本で分かれていません(但し、南武線のほうに臨時改札口があります)。現在は乗り換え専用の自動改札機が設置されていますが、1980年代後半から1990年代前半にかけてはそのようなものがなかったのです。当然、みどりの窓口もなかったのでした。南武線の駅でJR東日本が管理していない駅は、ここ分倍河原駅と八丁畷駅だけです。また、2009年に西府駅が開業するまで、分倍河原駅から谷保駅までの間が、南武線では最も駅間距離の長い区間でした(現在は南多摩駅と府中本町駅との間が最も長く、次に武蔵新城駅と武蔵溝ノ口駅との間、ということになります)。
京王線のほうはというと、現在こそ特急停車駅ですが、2013年のダイヤ改正までは特急通過駅でした(急行や快速は停車しました)。大学に行く際に、南武線と京王線との接続に注意しなければならなかったことをよく覚えています。当時駅で配布されていたポケット時刻表は必ず入手していました。
また、駅名は分倍河原ですが、府中市の町名は分梅町になっています。「ぶばい」の漢字表記は昔から分梅と分倍とがあったようです。なお、分倍河原駅の所在地は片町2丁目となっています。