ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

近鉄内部線・八王子線の存廃問題について住民アンケートが行われるようです

2013年02月28日 13時01分18秒 | 社会・経済

 朝日新聞デジタルに、今日、三重版の記事として「近鉄内部・八王子線の存廃問題、住民アンケートへ 三重」(http://digital.asahi.com/area/mie/articles/NGY201302270007.html)が掲載されています。紙面では今日付の朝刊27面13版に「近鉄内部・八王子線 沿線住民の思い探る 『応援団』がアンケート」として掲載されています。

 これまで、署名活動は行われていたようですが、沿線住民へのアンケートなどは行われていなかったようで、ナローゲージ応援団という団体(市議会における議員連盟や自治会連合会などによる団体)が3月中に実施する意向を固めたようです。

 上記記事によれば、近鉄は内部線・八王子線の収支に関してシミュレーションを行っています。一つの条件として、(養老鉄道や伊賀鉄道と同様に)内部線・八王子線の部分を分社化し、運賃をおよそ2割上げるというのですが、それでも10年間、平均して3億円の赤字(現在の年間赤字額とほぼ同じ)が発生するというのです。その理由として人件費をあげています。詳しくは書かれていませんので、人件費に関する条件などは不明です。

 アンケートで問われるのは、次の点です。

 (1)運賃の値上げ幅:段階的に、10%から50%までの幅を置き、どこまで認められるか。

 (2)四日市市などの自治体が財政支援をなすべきか。

 他にもあるとは思いますが、記事に書かれていたのはここまでです。

 分社化するならば、運賃の値上げはやむをえないことかもしれません。ただ、内部線・八王子線のいずれも四日市市内に留まる短距離路線ですので、割高感は否めなくなります。

 さらに大きな問題は、近鉄四日市駅で接続する近鉄名古屋線および湯の山線を初めとする近鉄線各駅への運賃です。以降の話のために、ここで内部線・八王子線の分社後の姿については四日市鉄道(仮称)と記しておきます。

 運賃の問題は、東北新幹線の延長開業に伴うJR東北本線盛岡~青森を、IGRいわて銀河鉄道および青い森鉄道に移管したことによって発生しています。IGRいわて銀河鉄道線の好摩駅で接続する花輪線が代表例です。ここで或る本から、少し長くなりますが引用してみます。

 「好摩線の列車は、国鉄時代から大半が東北本線を通って盛岡まで直通していた。東北新幹線が八戸まで延伸した平成14年(2002)からは、盛岡~目時間が第三セクターのIGR岩手銀河鉄道に移管された。これに伴って花輪線の列車も盛岡~好摩間は同鉄道の線路を走ることになる。そのため、運賃は好摩を境にJRとIGRの両方の運賃が合算されることとなり、花輪線沿線から盛岡に行くのには、運賃が割高になってしまった。たとえば、大更から盛岡まで利用する場合、以前は全区間がJRだったので運賃は570円だったところが、盛岡~好摩間がIGRに転換後は830円と大幅に値上げとなった。利用者に大きな負担を強いることになり、鉄道離れの一因となったのは否めない。」

 〔以上、小関秀彦監修『乗って残したい…赤字ローカル線は今?』(2011年、インフォレストムック)43頁から。原文のまま。〕

 文中に登場する大更駅は、好摩から二つ目の駅です。盛岡~好摩の運賃が630円で、好摩~大更の運賃が200円ですので、割引運賃などは設定されていません(定期券については触れないでおきます)。これでは割高になり、乗客の減少を招くでしょう。

 四日市鉄道(仮称)が成立すると、上の花輪線と同じ問題が生じることとなります。そうなると、分社化は逆効果となり、廃止が促進されることになりかねません。現在の内部線・八王子線の利用客の動態がよくわかりませんので、仮の話しかできませんが、分社化による運賃の問題は、利用者にとって切実な問題となります。

 単純な例として、例えば内部から近鉄富田まで利用してみます。現在は近鉄線として通しで購入できますので310円です。これに対し、同じ区間でも四日市鉄道→近鉄名古屋とすると、内部→近鉄四日市は220円(値上げしなかった場合)、近鉄名古屋→近鉄富田は200円ですので、合算すれば420円となります。

 首都圏では、例えば東急、東京メトロ、都営地下鉄では割引運賃が設定されています。例えば、田園都市線の池尻大橋から半蔵門線の表参道まで乗ると、120円+160円=280円、ではなく、260円です。また、東京メトロの渋谷駅から都営地下鉄の西台駅まで利用すると190円+260円-70円=380円です(神保町乗り換えで計算しましたが、実は経路を問いません)。具体的な条件などはともあれ、近距離については割引運賃の設定が必要でしょう。せめて定期券について乗り継ぎ割引運賃が設定されないと、かなり厳しい話になります。

 また、上記の朝日新聞の記事には、南海貴志川線から転換された和歌山鐵道のことが少しばかり触れられています。同鉄道は赤字ローカル線の存続のあり方について一つの手本を示してくれたことでも有名で、参考になることでしょう。但し、無条件に模倣するのは避けなければなりません。何故なら、貴志川線と内部・八王子線には決定的な違いがあるからです。

 貴志川線は南海の路線でしたが、他の南海の路線とは接続しておらず、孤立していました。起点の和歌山駅ではJR紀勢本線、阪和線および和歌山線と乗り換えることができますが、南海本線の終点である和歌山市駅へはJR紀勢本線を利用するかバスを使うかしかないのです。孤立していたからこそ、南海からの分離も容易であった、とも考えられるのです。

 ところが、内部線・八王子線は、貴志川線とは逆に、近鉄線としか接続していません。この点が、養老鉄道および伊賀鉄道(さらに三岐鉄道北勢線)とも異なるのです。参考までに記しておきますと、養老鉄道の場合は起点の桑名で近鉄名古屋線、JR関西本線、および三岐鉄道北勢線(駅は西桑名です)と接続しますし、大垣ではJR東海道本線と連絡します。また、伊賀鉄道は伊賀上野でJR関西本線と、伊賀神戸で近鉄大阪線と接続しています。

 内部線・八王子線の利用者が、全てその枠内だけで動き、近鉄名古屋線や湯の山線に乗り換えない、というのであれば話は楽です。連絡割引運賃のことなど考える必要もないでしょう。しかし、おそらくはそうでないはずです。

 短距離路線であるだけに、運賃の設定の仕方を誤れば、乗客がいっそう減るでしょう。難しい問題ですが、せいぜい10パーセント程度に留めるのが望ましいと思います。短期的に採算が合わないかもしれませんが、50パーセントも値上げして、近鉄四日市⇔内部が220円→330円となったら、それでも乗るという利用者がどれほど残るでしょうか。

 四日市市などの自治体の補助については、以上とは別の問題でもあり、四日市市や三重県の財政状況に左右されることでもあるので、ここでは考察しません。ただ、何年後かに黒字化することを条件とすること、自助努力をやたらと強調することが、公共交通機関の維持にとって望ましいかどうかを考え直す必要は生じている、とだけ記しておきましょう。

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気になる記事2件

2013年02月27日 21時12分46秒 | 法律学

 今日は朝日新聞社のサイトから、夕方に発信されたニュース2件です。

 このところ、民法第900条についての議論が強くなっています。このブログでも何度か取り上げていますが、高等裁判所の判決で「違憲」または「適用違憲」(規定そのものは合憲であるが事案に適用することを違憲とする)という判断が示される例が多くなっているからです。

 そのような中、今日、最高裁判所第一小法廷が、民法第900条第4号に関する事件につき、審理の場を大法廷に移す旨を決めたそうです。朝日のサイトでは「婚外子の相続差別規定、大法廷判断へ 合憲判例見直しも」(http://digital.asahi.com/articles/TKY201302270303.html)として掲載されています。

 こうなると、1995年7月7日に下された大法廷決定が変更されるという可能性が出てきます。判例を変更するのでなければ、大法廷へ移す必要などないからです。参考までに記せば、裁判所法第10条は「事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない」と定めており、その「小法廷では裁判をすることができない」場合として「当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。) 」(第1号)。「前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき」(第2号)、および「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」(第3号)を掲げています。

※※※※※※※※

 もう1件は、今日の朝日新聞夕刊14面4版に「遊興 通報を義務化 兵庫・小野市 生活保護巡り条例案」として掲載されている記事です。東京本社版では短いのですが、大阪本社版では長いのでしょうか。サイトでは「生活保護の人がパチンコ→市民に通報義務 小野市条例案」(http://digital.asahi.com/articles/OSK201302270030.html)として掲載されています。

 詳細はデジタル版の記事をお読みください。ただ、これはかなり考えさせられる話です。生活保護、児童扶養手当の給付を受けている者が、そのカネをパチンコや競馬などに注ぎ込むというのは論外です。それは当然です。問題は、通報義務そのものです。

 小野市が制定しようとする条例案は「市福祉給付制度適正化条例」で、上掲記事によると「受給者が給付されたお金を『遊技、遊興、賭博などに費消』することを防ぎ、『福祉制度の適正な運用と受給者の自立した生活支援に資すること』を目的に掲げる」とのことです。そして、市民は、浪費によって「生活の維持、安定向上に支障がある状況を常習的に引き起こしている」と認められる者、不正受給の疑いがあると認められる者が存在する場合には、市に情報を提供することを義務づけられるそうです。

 市長は、27日、つまり今日の市議会で、この条例(案)が監視を強化することを目的としていない旨を述べています。他方、厚生労働省は、条例(案)が生活保護法などに違反するものではないという趣旨の見解を示しています。

 仮に、市民への義務づけに関して罰則が設けられるならば、非常に不都合な結果になりかねませんので、その点は妥当でしょう。しかし、誰が生活保護の給付を受けているか、また、誰が児童扶養手当を受給しているかということは、誰にでもわかるというものでもありません。実際、上記記事においても「だれが受給者であるのか、市からデータを出すことはない」と書かれています。当たり前のことで、小野市が積極的に受給者の情報を市民に提供すれば、それこそ個人情報保護法制の趣旨に反しますし、それ以前に市の情報管理体制を問われます。悪用もなされかねません。

 勿論、近所にそのような人がいるということでわかる場合もあります。おそらくはそのような場合を第一に念頭に置いているのでしょう。とは言え、浪費ということであれば、何もパチンコや競馬などによるだけではありません。毎晩飲み歩いているのも浪費ですし、買い物による浪費などもありえます。このように考えると、何のために通報制度を条例に規定するのかわからなくなります。通報された人について調査してみたら生活保護受給者でもなければ児童扶養手当受給者でもなかった、というような事例が発生すれば(そんなことは容易に思いつきます)、小野市はどのような対応を取るのでしょうか。

 おそらく、真の狙いは、国が生活保護の支給額を減らす方針であることに関連して、市の社会保障関連支出を抑制しようということなのでしょう。形こそ少し違いますが、北九州市の悲惨な事件で問題となった「水際作戦」と根は一緒です。これについては、今月21日付の朝日新聞朝刊38面14版に掲載されている「生活保護渋る窓口、違法 さいたま地裁 三郷市に賠償命令」という記事が参考になります。

 最近は、とかく不正受給のケースが目に付くということなのか(昨年には芸能人に絡む事件がありました)、生活保護などへの風当たりが強いようです。たしかに不正受給などの問題が多く、これについては厳しい対処が必要でしょう。しかし、最近の風潮はいささか度を越しているような気もします。こうなると憲法改正で第25条は真っ先に廃止(削除)の対象とされることになるのでしょうか。

 

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幸崎駅の写真〈大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(3)への追加〉

2013年02月26日 00時22分47秒 | 写真

 私のホームページで、2002年から現在まで「待合室」というコーナーを設けています。その第36回(2003年2月8日~14日)で、鉄道敷設法別表第117号路線の起点となる幸崎駅の写真を掲載したことがありました。そこで、今回はその第36回の内容を再現することといたします。あくまでも、2003年2月の時点における内容であることに御注意ください。なお、写真の撮影は1997年7月27日です。

※※※※※※※※

 大分大学に就職したばかりのころ、講義の準備にばかり追われました。しかし、今より忙しくなく、九州、とくに大分県内のことをよく知らなかったこともあって、時間を見つけては県内の各市町村を回っていました。今回は、大分大学教育学部の講師となって3ヶ月ほど経ったころの写真です。たしか、この時に初めて北海部(きたあまべ)郡佐賀関(さがのせき)町を訪れたはずです。まだデジタルカメラを所持しておらず、一眼レフも持っていなかったので、二眼レフで撮影したものです。

Kouzakistation1

 大分駅から日豊本線の普通電車に乗り、しばらくすると坂ノ市駅に着きます。ここが大分市内で最後の駅になります。次の駅が幸崎(こうざき)で、佐賀関町では唯一の駅となります。大分市と佐賀関町との境界も幸崎駅の近くにあります。この駅を出ると、かなりの距離を走って臼杵市に入り、無人駅の佐志生(さしう)に到着します。幸崎駅も、夜間には駅員がいなくなります。以前、この駅に留置されている電車に酔った若者がよじ登り、感電したという事件がありました(日豊本線は交流2万ボルト、60ヘルツです。ちなみに、東海道本線や山陽本線など、そして西鉄や東急などの大手私鉄を初めとする多くの私鉄は直流電化で、1500ボルトです)。

 駅名は幸崎なのですが、地名は神崎です。同じ読み方ですが字が違います。

 ここで、駅に住み着いている燕を見つけました。

Kouzakistation2

 そう言えば、ここを通過する特急にちりんシーガイアも、かつては鹿児島本線を走る特急つばめ号の車両(787系)を使っていました。

Kouzakistation3

 私は、佐賀関という名前を知っていました。鉄道ファンを初めとして、佐賀関と言えば「製錬所」を思い出す人は多いはずです。実際、関あじ・関さばというブランドが有名になったのはごく最近のことでして、私自身も大分大学に就職して初めて知りました(刺身で食べるもので、間違っても焼いてはいけません)。

 上の写真を御覧になればおわかりのように、幸崎駅には今でも「佐賀関製錬所幸崎駅専用線」の敷地があります。ここから佐賀関町の中心地まで、日本鉱業佐賀関鉄道(軽便鉄道)が通っていました。昭和21年に専用鉄道として開業し、昭和23年に地方鉄道となったのですが、昭和38年に廃止されました。終点の日鉱佐賀関駅の建物は、そのままバスの待合所として使用されています。おそらく、日豊本線の線路に近いところ(上の写真では左側)に駅があり、貨物などを積み替えていたのでしょう。

 幸崎駅のある佐賀関町も、大分県の市町村合併推進要綱で大分市との合併案が示されており、今、大分市との合併に向けて動いています。近い将来、佐賀関の町名も消え、大分市の一部となります。

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少し気が早いのですが 私が担当する講義の参考書として

2013年02月22日 08時45分00秒 | 本と雑誌

 今月20日、六本木六丁目のABC(青山ブックセンター)に寄ったところ、神野直彦『税金 常識のウソ』(文春新書)を見つけました。勿論、すぐに買いました。今年の1月に発行されたばかりです。

 神野教授の本が文春新書として発売された点には意外性も感じました(岩波新書などであれば当然のことと思うでしょう)。それはともあれ、全体として、教授の『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)を平易にした上で圧縮したような内容ですが、それだけに、大学における租税法学の講義の参考書として最適でしょう。少し気が早いのですが、2013年度の「税法」(大東文化大学法学部)および「租税法1」(大東文化大学大学院法務研究科)の参考書としておくこととします。実際、私は神野教授の『財政学』を、講義や研究などのために何度も読み返しています。

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大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(3)

2013年02月17日 02時02分33秒 | 社会・経済

 このシリーズの「(1)」と「(2)」では大分交通の鉄道路線として部分的に開業した区間を取り上げました。いずれも、大分市を基準として県の北側の路線となります。

 鉄道敷設法別表には大分県南部(厳密に言えば中部かもしれません)にも予定線をあげています。第117号路線と第118号路線です。この両者にも共通点があります。いずれも国鉄バス(後のJRバス)として営業したという点です。なお、第117号路線は私鉄路線のルートでもあります。

 (3)「百十七 大分県幸崎ヨリ佐賀関ニ至ル鉄道」

 幸崎は日豊本線の駅で、現在は大分市内の駅となっていますが、2005年の合併までは北海部郡佐賀関町にある唯一の駅でした。ちなみに、地名は神崎となっています(読み方は同じです)。また、佐賀関と言えば、今でこそ関サバや関アジで有名ですが、ここには鉱山があり、銅の精錬所のほうが有名でした。現在も精練所があり、高い煙突を見ることができます。

 第117号路線は、まさにその精練所のために計画された路線と考えてよいでしょう。陸上の貨物輸送と言えば鉄道しか考えられなかった時代に、銅、硫酸(精錬の過程で産出される)などを効率よく運搬する路線が必要であったことは否定できません。

 1930年代には第117号路線と同じ区間の国鉄バス(当時は鉄道省営自動車)、佐賀関線が開業しており、旅客運送を担っていましたが、国有鉄道は建設されていません。昭和初期の大不況から、日本をめぐる状況は深刻化し、ついに戦争に至ります。戦時中に、幸崎駅から佐賀関の精錬所(佐賀関の場合は「製錬所」と記すことが多い)までの鉄道路線が建設されることとなりました。主体は国ではなく、日本鉱業(現在はJX日鉱日石金属)でした。よほど建設が急がれたのか、地形の関係なのかはわかりませんが、国鉄の規格ではなく、軽便鉄道の規格でした。つまり、線路の幅は1067ミリメートルではなく762ミリメートルで、これは九州で数少ない例です(914ミリメートルが多かったのでした)。一説には長崎県の松浦線が改軌されたことで不要となった設備を流用したといいます。しかし、戦時中に開業することはできず、1946年に専用鉄道として開業します。

 1948年に地方鉄道となり、地元の旅客輸送にも活躍したようですが、1963年に廃止されてしまいました。理由はよくわからないのですが、国鉄バス佐賀関線などが営業していたという事情も大きいのかもしれません。また、貨物輸送の面でも、762ミリメートルの鉄道では輸送力が小さい上に、1067ミリメートルの国鉄線に貨車を直通させることはできず、幸崎駅で貨物の積み替えを余儀なくされますので、その手間の問題もあったことでしょう。なお、日本鉱業佐賀関鉄道は非電化路線で、ディーゼルカーなどが走っていました。また、ルートは現在の国道197号線に沿うような形を取っていました。幸崎駅を始め、痕跡が多く残っていましたが、徐々に減りつつあります。

 私は、大分市に住んでいた時、何度か幸崎駅を訪れています。JRの幸崎駅の北側に佐賀関鉄道の幸崎駅の跡がありました。閉鎖されており、立ち入ることはできませんが、建物などはなく、ただ広い空間が残っていたのみです。

 そこから先は愛車を運転したので、鉄道の痕跡をたどることはできなかったのですが、国道197号線から所々で見ることができました。しばらく走ると、精練所の手前にあった佐賀関駅に着きます。

 上の写真は、日本鉱業佐賀関鉄道の佐賀関駅の駅舎で、2003年9月14日に撮影しました。鉄道廃止後はバスターミナルとなりました。以下、「待合室」の第71回「佐賀関駅」(2003年10月18日~10月24日掲載)から一部を引用しつつ、記していきます。

 鉄道の廃止後、駅がバスターミナルとして利用される例は少なくありません。この佐賀関駅も、国鉄バス→JR九州バスの駅として利用されました。この日の時点で、大分県には、私の知る限りでもう一箇所、バスの駅があります。JR九州バス臼三(きゅうさん)線(日豊本線臼杵駅~豊肥本線三重町駅)の途中地点、野津町(現在は臼杵市)にある野津駅です。臼三(きゅうさん)線については、後に取り上げることとしましょう。

 佐賀関駅の駅舎に入りました。屋根(天井)の部分はこうなっています。

 先程、国鉄バス佐賀関線が登場しました。この路線は、日豊本線の坂ノ市駅から幸崎駅に出て、それから佐賀関まで走っていました。また、坂ノ市駅からは、大分市内の延命寺までの路線(延命寺線)も通っていました。聞いた話によれば、以前は豊肥本線の中判田駅まで伸びていたそうです。坂ノ市~中判田は鉄道敷設法に登場しない区間ですが、何か別の理由があったのでしょう。

 しかし、……

 バスの時刻表が掲げられていますが、それを見てもJR九州佐賀関線が登場しません。そう言えば、坂ノ市駅付近から国道197号線を走っていて、JR九州バスのバス停標識が見当たらなかったのでした。その答えが、やはり佐賀関駅に示されています。

 2003年3月31日をもって、JR九州バス佐賀関線と延命寺線は廃止されたのです。延命寺線の場合は、大分東高校、佐野植物公園を通るとは言え、自動車の交通量自体も少ないような道路を通り、しかも、宮河内ハイランドの手前で止まるという中途半端な路線でした。佐賀関線の場合は、上の写真にあるように、大分バスが大分バス本社前(トキハ前。大分駅のそばにあるが、大分駅前とは別のバス停)までの路線を運行していましたので、坂ノ市駅までというのも中途半端でしたし、おそらく、大分バスよりも運行本数が少なかったのです。競争の結果、廃止されたと考えたほうがよさそうです。

 なお、2003年9月14日の時点において臼三線は運行されており、大分県内で唯一のJR九州バス路線でした。

 各地を走っていた国鉄(JR)バスも、路線縮小、さらには廃止という路線が多くなっています。もっとも、これは国鉄(JR)バスだけの話ではありません。長距離バスは、価格などの面で鉄道や飛行機などとの競争力を持ち、発展を続けていますが、地域路線の場合は、人口の減少や自家用車の普及などで苦しいところが多く、九州でも時折、地方自治体や住民との調整に関するニュースが流れます。

佐賀関町は、四国への玄関口でもあり、精錬所の町であるとともに、漁業の町でもあります。駅の中に、木製の船が保存されています。

 駅の裏側です。白い柵の奥側が舗装された道路になっていますが、かつて、ここに線路が通っていたのでしょう。ただ、そうだとすればホームがかなり低いように思えます。日本鉱業佐賀関鉄道線が現役だった頃の佐賀関駅の構造を示す写真が見当たらないのでよくわからないのですが、もう少しホームが高かったか、舗装の際に線路の部分を埋めたか、ともあれ手を入れたのでしょう。

 ここで第117号路線の話を終え、第118号路線に移りましょう。

 (4)「百十八 大分県臼杵ヨリ三重ニ至ル鉄道」

 このブログで、鉄道敷設法別表に掲げられた大分県内の予定線の話を記しました。最初が「旧国鉄宮原線の話」です。宮原線は第113号路線の一部として開業しました。

 次に「大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(1)」で、ここでは第115号路線の一部として大分交通耶馬溪線を取り上げています。

 続いて「大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(2)」で、ここでは第116号路線の一部として大分交通宇佐参宮線、および大分交通国東線を取り上げています。

 そして今回は第117号路線、および、これから取り上げる第118号路線です。

 こうしてみると、幾つかの点に気付きます。

 まず、5つの予定線のうち、国営鉄道として全面開通した路線は一つもありません。第117号路線は全面開通したと言ってよいかもしれませんが、私鉄としてでした。国営化もされていません。

 次に、実際に国営鉄道の路線として開業したのは第113号路線の一部、つまり宮原線のみです。また、この線は大分県内のみの路線ではなく、熊本県まで伸びていました。

 そして、第113号、第115号、第116号および第117号の各路線は、形こそ違えど一部の区間について実際に鉄道路線が営業していました。これに対し、第118号路線のみは、次の点で特徴があります。第一に、一度も、いかなる形によっても鉄道路線として開業していないこと、第二に、第113号と同様に実際には国営鉄道として着工されたにも関わらず、何故かバス路線に変更されたことです。

 第118号を読み返すと、日豊本線の臼杵駅から豊肥本線の三重町までの区間であることがわかります。先程記したJR九州バス臼三線と全く同じです。つまり、臼三線は鉄道線として着工されながらバス路線に変更されたのでした。この時点で第118号は死文化したとも言えます。死文化というだけなら他の路線も同じことですが、第118号の場合は時点がかなり早かったということでしょう。

 この臼三線のルートは、第113号および第115号と同じく、九州横断鉄道の一部を形成するものとなっていますが、存在意義に疑問が寄せられるかもしれません。九州を横断するというのであれば豊肥本線があり、熊本市と大分市を結んでいるからです。その路線の途中駅から、何故に大分県の県庁所在地でもない臼杵への路線を建設する必要があったのでしょうか。鉄道敷設法制定当時またはそれ以前には横断ルートが未定であったという説もありえますが、豊肥本線は1920年代に全通していますので、何らかの政治的な力などが働いたと考えるのが妥当なところでしょう。もっとも、大分県の地図を見ると、三重町駅から大分駅に出るよりも臼杵駅に出るほうが、ルートとしては自然に見えるという点もあります。また、臼杵港から四国は愛媛県の八幡浜までの航路があり、海上交通への連絡を考えれば、三重町から臼杵へ出るほうがよかったということも考えられます。農産物や鉱産物の運搬の点などもあったかもしれません。

 ともあれ、第118号路線は、当初、国営の軽便鉄道として建設されました。実際にどのような規格の路線が建設されようとしていたのかは不明ですが、国鉄の幹線からするとかなり格の落ちるものが予定されていたのでしょう。

 現在、大分県は臼杵市から豊後大野市を経由して竹田市まで、国道502号線が通っています。実は、この道路の臼杵市から豊後大野市までの区間こそが、第118号路線のために着工された部分です。私が車を運転して走った時にはそれなりに走りやすかったのですが、軽便鉄道規格をそのまま道路化したような路線であったためか、かつては悪路も多かったようです。それで貨物運輸も行われていたという事実にも驚かされます。バス路線というと旅客輸送しか思い浮ばないものですが、国鉄バスの場合は貨物運輸も行っていました。なお、臼三線の貨物運輸は1979年に廃止されています。

 国鉄の解体および分割民営化により、臼三線もJR九州のバス路線となります。上記の佐賀関線および延命寺線が廃止されてからは大分県内唯一のJRのバス路線として残りました。私も、何度か赤いバスを見ていますし、途中のバス駅、野津駅も見ています。しかし、一度も乗ったことはありません。2007年3月31日を最後として運行は終了となり、大分県内のJRバス路線が消滅しました。なお、翌日(2007年4月1日)から大分バスの子会社である臼津交通と大野竹田バスが運行しています。

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大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(2)

2013年02月16日 23時05分35秒 | 社会・経済

 第115号路線を取り上げたところ、長くなってしまいました。そこで、今回は第116号路線を取り上げます。

 (2)「百十六 大分県杵築ヨリ富来ヲ経テ宇佐附近ニ至ル鉄道」

 これだけしか書かれていませんので、具体的なことは全くわからないのですが、日豊本線の杵築駅から国東半島をぐるりと周り、日豊本線の宇佐駅の近くまでの路線、ということになります。現在、国東半島を海沿いに周回するルートと言えば国道213号線ですが、第116号路線も、杵築駅から大分交通杵築バスターミナル付近までを除いて、おおよそ国道213号線と同じような経路が想定されていたものと思われます。なお、富来は現在の国東市にある地区の名前で伊予灘に面しており、港があります(国東港の北の方です)。

 そういえば、私も杵築から宇佐まで、国道213号線を車で走ったことがあります。また、国道213号線の途中に大分空港があるため、大分大学時代には時々利用していました。また、日出町の会下(えげ)交差点から国東市塩屋まで大分空港道路が通っています(杵築駅のほぼ真上を、非常に高い橋で渡っています)。

 2月8日付で掲載した「大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(1)」において「鉄道敷設法に掲げられている予定線を見ると、実際には私鉄が開業しているという例が多く見られます」と記し、第115号路線がその一つであると記しました。第116号も同じです。しかも大分交通の鉄道路線ということで、この点でも第115号と第116号には共通性があります。但し、開業した私鉄がどれほど鉄道敷設法を意識していたかは不明です。

 「(1)」で述べたように、大分交通には別大線、豊州線、宇佐参宮線、国東線、そして耶馬溪線という5つの路線がありました。このうち、耶馬溪線が第115号路線の話に登場しています。今回は宇佐参宮線と国東線の話でもあります。

 まず、宇佐参宮線です。これは宇佐参宮鉄道として1916年に豊後高田~宇佐~宇佐八幡の全線が開業しています。距離は9キロメートル足らずで、起点は豊後高田駅、現在の豊後高田バスターミナルです。名称の通り、宇佐神宮への参詣路線として開業しました。

 現在、宇佐神宮の最寄り駅は日豊本線の宇佐駅(人呼んで日本のアメリカ合衆国)ですが、この駅から宇佐神宮まではかなりの距離があります。そこで宇佐参宮鉄道が計画され、開業となったのでしょう。1945年に大分交通の一員となり、1965年に廃止されるまで、単線かつ非電化でした。

 宇佐参宮線が第116号路線と関係があるのは、豊後高田~宇佐の部分です。詳しいことはわかりませんが、路線名からして宇佐~宇佐八幡の区間だけで目的を達成しているはずなのです。あるいは、現在の宇佐市の中心部である四日市地区、さらに日豊本線の柳ヶ浦駅か豊前善光寺駅(大分交通豊州線の起点)のほうへ延長すれば、利便性は増したでしょう。平成の市町村合併によって安心院町および院内町と合併する前の宇佐市は、1967年に宇佐町、駅川町、長洲町および四日市町が合併して誕生しました。宇佐駅は市の中心部から外れた所にあり、おそらくは当時も駅の周囲はそれほど発展せず、閑散としていたことでしょう。

 第116号路線と関係があると思われるのは、宇佐~豊後高田の区間です。現在も豊後高田市にはJRの路線が通っておらず(これは大分県内で唯一の例です)、この市へ行くにはバスかタクシーか自家用車か、という所です。1965年に宇佐参宮線が廃止されてから、豊後高田には鉄道がなく、そのためなのかどうかわかりませんが人口は減少し、平成の大合併の前には過疎市町村に指定されていました。大分県内の市では一番目か二番目に人口が少なかったのです。

 現在、豊後高田市の中心部にバスターミナルがあります。大分交通の子会社である大交北部バスの路線がここに発着するのですが、おそらく、ここから先、旧真玉町、旧香々地町を、周防灘の沿岸というルートで建設することが想定されていたのではないかと思われます。大分交通も、国東線の国東駅まで宇佐参宮線を延長する計画を立てていたらしいのですが、詳しいことは不明です。

 そもそも、鉄道敷設法別表各号の路線は、基本的に起点と終点しか書かれていません。第116号のように経由地があげられている場合もありますが、お読みいただければ一目瞭然で、大雑把に過ぎてわかりにくいとも言えます。ただ、大正時代に法律が制定されていること、その後に何度か改正を受けているとは言え根本的な変更の手が加えられてはいないこと、当時の土木技術水準などからして山岳ルートをとることは考えにくいこと(急勾配が多くなると蒸気機関車の能力の限界を越えてしまいます)、などからして、現在の国道213号線と同じようなルートが想定されていたはずです。当時の鉄道省などの内部文書には、経路に関する細かい記述を見出せるかもしれません。あるいは、大分交通に関係資料が保存されているかもしれません。

 しかし、旧真玉町、旧香々地町、旧国見町(現在は国東市の一部で、姫島村への入口となる伊美港があります)を通過する経路が、選挙の票集めを別とする実際上の意義をどれほど有していたかと問われるならば、十分な解答を示すことは難しいでしょう。大分交通は、資金などの関係もあって豊後高田~国東の予定線の工事に着手していないはずですが、それは正解であったと言えるでしょう。

 宇佐参宮線の痕跡と言えば、豊後高田市にあるバスターミナルは鉄道駅から転用されたものですし、日豊本線の宇佐駅の近くに線路の跡が残っているそうですが、それ以上にわかりやすいものが宇佐神宮の境内にあります。蒸気機関車です。

 (以下の3枚の写真は、いずれも2002年7月6日に撮影しました。)

 この機関車は、1891年、ドイツはミュンヘンにあるクラウス社が製造したものです。夏目漱石の小説で有名な「坊ちゃん」の舞台、松山市を走る伊予鉄道でも、クラウス社製の蒸気機関車が活躍しました。コッペル社製のものと並び、明治期の鉄道を語るに忘れてはならない存在です。

宇佐神宮に保存されている26号蒸気機関車は、元々、JR鹿児島本線などの前身である九州鉄道が購入したものです。1948年、大分交通に譲渡され、宇佐参宮線で活躍しました。

 現在、宇佐神宮へ行くのに最も現実的な方法は、自家用車かタクシーでしょう。バス路線もあるのですが、本数が少なく、利便性は高くありません。宇佐参宮線が現在も運行されていたら……、と思うこともあるのですが、大分県は完全な自動車社会であり、平松知事時代は徹底的なほどに道路偏重政策がとられていましたので、存続しえなかったのでしょう。ただ、自家用車の普及により、路線バスも苦しい状況にあるものと思われます。

 

 次に、第116号線の杵築からの部分を成していた国東線を取り上げましょう。

 この路線は国東鉄道として1922年に杵築(日豊本線の駅)~杵築町駅(後の杵築市駅で、現在の杵築バスターミナル)が開業しています。その後、小刻みに延長を重ね、1935年に国東(現在の国東バスターミナル)まで延長します。杵築市駅から国東駅までのコースは、ほぼ国道213号線に並行する形、というより、跡の多くが国道213号線として活用された、と考えてよいでしょう。杵築市駅付近から海沿いを走り、守江、奈多八幡、安岐、武蔵を通り、国東駅(現在の国東バスターミナル)に至っており、30キロメートルほどの長さを持っていました。国東駅から富来までの延長も計画されていたようですが、実現はしていません。

 1945年に大分交通の一員となりますが、1961年、集中豪雨の影響により、安岐~国東が休止となり、その3年後に廃止されます。そして、1966年、残っていた杵築~安岐も廃止されてしまいました。1961年の集中豪雨は、同じ大分交通の別大線で、大分市仏崎でのがけ崩れによって電車が埋まり、死者を出すという事故をも引き起こしていますが、国東線にとっても致命的な打撃であったと言えます。それまで貨物輸送でも好調であったと伝えられているだけに、杵築市から国東まで海沿いを走っていたことにより、被害が大きくなったようなのです。仮に復旧が進んでいたならば、大分空港へのアクセス路線として機能した可能性もありました(但し、日豊本線の杵築駅からのルートで、しかも単線非電化では不十分に過ぎますので、廃止の時期が遅くなっていただけに終わったかもしれません)。

 現在でもJR日豊本線杵築駅のホームには、乗り換え案内として「国東線」が書かれています。この駅は、名称こそ杵築ですが市の中心部から遠く離れており、当時の八坂村にありました。杵築駅を出ると、日豊本線の下り列車は大きく右に曲がりますが、国東線はほぼ真っ直ぐ進みました。しばらくすると杵築市の中心部に入り、その名も杵築市駅に着きます。現在のバスターミナルです。ここからは国道213号線とほぼ同じルートを通り、国東市(旧安岐町、旧武蔵町、旧国見町が合併して成立)に入り、大分空港の近くを通って国東駅(現在はバスターミナル)に至っていました。国道213号線が所々で経路を変えていますが、少なくとも杵築市内では国東線の痕跡がよく残っています。

 また、国東から富来までの延長計画も存在しており、実際に土地も確保されていたようです。これが実現すれば、第116号路線の南半分は完成したことになるのですが、結局は着工されることもなかったようです。

 結局、1960年代に第116号路線は、完全に実現することなく、廃止されてしまいました。その代わり、国道213号線および大分空港道路が整備されています。しかし、大分空港は、九州各県にある空港の中でも利便性に乏しいことで知られています。最近では大分市の5号地から空港までのホバークラフトが廃止されました(私は利用したことがありません。運賃が高いこと、欠航が多かったこと、5号地から大分駅までバスに乗らなければならなかったことによります)ので、公共交通機関のアクセスは大分交通のエアライナー(大分・別府~大分空港)などに限られます。

 なお、大分県内の鉄道敷設法別表掲載路線のうち、今回取り上げた第116号路線と第117号路線は、九州島横断鉄道の一部となっていません。

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鉄道敷設法別表第52号 意外な候補は大手私鉄の超有名路線だった?

2013年02月10日 00時33分06秒 | 社会・経済

 最近、井手英策『日本財政 転換の方針』(岩波新書)を入手し、読みました。土建国家としての日本の発展とその限界を捉えた好著で、何度でも読み返そうと思っています。

 ただ、土建国家の発祥をどの時点と理解するかについては問題があると思われます。井手准教授は戦後の高度経済成長期に起点を置いていると思われるのですが、顕著になったのがその時代であるとしても、発端はさらに遡るのではないかと考えられるのです。それは、私が鉄道敷設法を読み返しているからかもしれません。

 さて、鉄道敷設法別表は、何度か改正が行われていますが、基本的には大正11年(1922年)に想定された予定路線を掲げたものと考えてよいでしょう(後年に追加なども行われてはいますが)。大日本帝国憲法下と日本国憲法下とでは政策や状況などがかなり異なります。大日本帝国憲法の時代には富国強兵および殖産興業、日本国憲法の施行下においては地域振興や雇用創出などが掲げられています。それでも決して十分とは言えない予算を広く薄くばらまくという点においては、時代の違いに無関係とも言えます。私が2月1日付の「旧国鉄宮原線の話」において「現在の全国新幹線鉄道整備法や国土開発幹線自動車道建設法のモデルというべき法律に、鉄道敷設法があります」と記したのも、仕組みがよく似ているからです。

 別表には、全国津々浦々に予定線が示されています。関東地方も同じで、首都圏にもいくつかが存在しています。そのうちのいくつかは国鉄線として実現していますし、多少とも形を変えて私鉄の路線として実現しているものもあります。

 読み進めると、第52号があります。これはかなり意外なものとも言えます。まず、規定を読んでみましょう。

 「東京府大崎ヨリ神奈川県長津田ヲ経テ松田ニ至ル鉄道」

 どんな路線なのかと思われる方もおられるでしょうが、首都圏の路線図を思い起こしてください。実際にはどの路線として実現しているか、おわかりの方もおられるでしょう。

 まず、大崎ですが、言うまでもなく山手線の大崎駅のことです。ここから、現在は湘南新宿ラインが分岐しています。以前は品鶴線とも言われた貨物路線で、正式には東海道本線の一部です。しかし、湘南新宿ラインは武蔵小杉を通って鶴見に出てしまいますので、第52号路線とは合いません。

 鉄道敷設法の予定線が実際の路線となった例では、別表に掲げられた所から起点または終点が変えられているところがあります。そこで、大崎から山手線で移動します。外回りで次の五反田に出ると東急池上線があります。実は、ここに起点を移せば長津田までは簡単です。

 当時の立法資料や行政資料が手元にありませんので、詳しいことはわかりません。しかし、五反田から長津田までであれば、東急池上線→東急大井町線→東急田園都市線というルートがあります。これなら第52号路線と適合します。

 あるいは、大崎から、別の分岐線であるりんかい線に乗ります。次の駅が大井町です。大井町から長津田までは大井町線→田園都市線です。これでも第52号路線とほぼ適合します。しかも、現在でこそ大井町線と田園都市線は別物ですが、1963年から1979年までは田園都市線として一体の路線でした。可能性としては、こちらのほうが高いかもしれません。

 但し、都営三田線の存在を忘れてはなりません。現在、同線は白金高輪を起点としており、同駅から東京メトロ南北線を経由して東急目黒線に乗り入れていますが、元来は泉岳寺を起点とすることが想定されており、田園都市線および東武東上線との乗り入れが予定されていました。泉岳寺から五反田に出て池上線に乗り入れ、旗の台から大井町線を経由して田園都市線の長津田に出ることと計画されていたのです。

 いずれにせよ、現在の大井町線のうち、少なくとも旗の台から二子玉川までの区間、および田園都市線の二子玉川から長津田までの区間は、鉄道敷設法別表第52号で予定されていたルートと考えてもよいでしょう。たしか、戦前の目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄の路線案内で、何故か大井町線の溝ノ口(当時の表記)から先が書かれており、現在の市が尾駅を経由して長津田のほうまで予定線なのかバス路線なのかわからない線が示されていたように記憶しています。

 長津田で第52号路線は横浜線と接続します。松田は御殿場線の駅ですが、鉄道敷設法制定当時は東海道本線の駅でした(1934年、東海道本線が熱海経由のルートに変更されたため、松田や御殿場を経由する経路は御殿場線となったのです)。その松田まで長津田から直通する鉄道路線はありません。しかし、鉄道敷設法別表には詳細が示されていませんから、立法資料や行政資料を参照することができなければ、現在の鉄道路線のルートなどで推測するしかありません(これは全く根拠のないことではないのですが、詳細を示すことは避けます)。

 現在の田園都市線は、長津田から中央林間に伸びています。小田急江ノ島線との乗換駅である中央林間が終点で、そこからの延長計画はなかったのでした。しかし、中央林間駅から田園都市線を真っ直ぐ伸ばせば、小田急小田原線の相武台前駅付近に着きます。従って、あとは小田急小田原線をたどれば、松田へ行けることとなります(小田急のほうは新松田駅ですが)。

 あるいは、別のことも考えられます。長津田駅から西へ真っ直ぐ線を引けば小田急の相模大野駅です。または、長津田から横浜線の下り電車に乗れば、二つ目が町田駅です。どちらにしても小田原線に乗り換えられます。

 従って、第52号路線の長津田~松田は、形を変えて小田原線として実現している訳です。田園都市線の長津田~中央林間も第52号路線の一部としてもよいでしょう。

 小田急は、大手私鉄では開業が新しいほうで、小田原線が昭和2年、つまり1927年に開業しています。鉄道敷設法との関係は不明ですが、無関係とも考え難いのです。新宿から御殿場まで走るあさぎり号は、鉄道敷設法で果たしえなかった夢を実現したものと言えなくもありません。

 東急田園都市線および大井町線、小田急小田原線。大手私鉄の超有名路線が、実質的に鉄道敷設法の予定路線を代替するものとなっていることに、一種の感慨を覚えました。

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採点をしていて

2013年02月09日 00時29分59秒 | 法律学

 毎年、1月の下旬から2月の上旬にかけて、期末試験の採点をしています。今年は、本務校である大東文化大学と、非常勤講師として担当している国学院大学および東洋大学とで定期試験期間にかなりのズレがあり、大東のほうは1月28日に終わりましたが(但し、レポート科目は1月31日を締め切りとしました)、国学院大学の行政法1については2月6日に試験を行いました。

 さて、採点をしていると、「これはいい!」とか「文句なし!」という答案もあるのですが、逆に、問題の趣旨を取り違えているのか、というような答案もあります。

 そればかりか、ここ数年、非常に気になることが三つあります(本当はまだあるのですが、ここでは三つに絞ります)。法学部、法科大学院に共通する事柄です。

 第一に、講義でも扱った用語〔術語)の意味を理解していないことがうかがわれる答案が少なくないことです。例えば、行政行為とは、私の講義ノートから引用させていただくならば「行政庁が、法律(「法令」とする例も多い)に基づき、優越的な意思の発動または公権力の行使として、国民に対して具体的な事実について直接的に法的な効果を生じさせる行為」をいい、行政契約、行政指導などとは厳格に区別されるべき概念です。ところが、答案の中には行政行為を行政活動と同じ意味のものとして捉えているらしいものがあります。これでは行政行為の概念を立てる意味がありません。もし、解答を書く者が用語(術語)を独自の意味で用いるならば、何故に通常の用語法と異なる意味を持たせるのか、説明をしなければなりません。

 用語(術語)の問題は、何も試験科目の相違に関係があるというのでもありません。行政法や税法の答案でも、憲法、民法、刑法の基本的用語(術語)を誤って理解していると思われるものが見受けられます。そのため、論述の趣旨が不明になったりすることが少なくないのです。

 第二に、1年生の時分で学ぶべき法学の内容を全く理解していないと推察される答案があります。採点をしていて驚いたのは、地方公務員法が憲法の特別法であるというようなことが書かれていた答案が実際に存在したことです(さすがに法科大学院の学生の答案には存在しません)。私は頭を抱えました。憲法が法律でないことは、法学でも憲法でも習うはずです。いや、高校の現代社会や政治・経済でも学ぶでしょう。憲法は法律より上位にあることは、いやしくも法学部生ならばイロハのイ、アイウエオのアとして身につけておくべきことでしょう。特別法と一般法との関係は、法律同士、たとえば民法と商法との間に成立するものです。もう一度、いや、何度でも、法学を勉強しなおしてください(ちなみに、ごく稀にではありますが、実務家でもこういう誤りを犯す人がいたりするようです)。

 第三に、 そもそも文章の表現になっていない、いや、文章になっていない、もはやただの文字の列となっているものがあります。優秀な留学生の答案、レポート、レジュメなどを読んだ人が「下手な日本人よりもよほど日本語がうまいね」と口にすることがありますが、まことにその通りで、今回も改めて感じたことです。

 第一の問題および第二の問題は、質問などを受ければ私が対応できますが、第三の問題は、私だけで対応できません。何故なら、国語力、文章表現力の問題であるためです。

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大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(1)

2013年02月08日 00時03分22秒 | 社会・経済

 2月1日付の「旧国鉄宮原線の話」において鉄道敷設法を取り上げました。現在の全国新幹線鉄道整備法や国土開発幹線自動車道建設法にも通じる部分を有する鉄道敷設法は、旧国鉄の赤字体質を深化させる原因の一つとなっただけでなく、「土建国家」や「バラマキ財政」の原型を形作ったと評価しうるものであり、日本の鉄道網の発展にとって一種の桎梏となってしまったとも言えるでしょう。時代に対応して早く廃止されればよかったのですが、実際に廃止されたのは1986年、日本国有鉄道改革法等施行法(昭和61年12月4日法律93号)第110条によります。あまりに遅すぎました。1968年(私が生まれた年です)に赤字83線の廃止意見が出された際に、鉄道敷設法も廃止されるべきであったのでしょう。今更こんなことを記しても始まりませんが、教訓が生かされないのが日本の政治や社会でもありますので、何度でも振り返ることが必要になります。

 さて、「旧国鉄宮原線の話」で「鉄道敷設法の別表から、大分県に関わる部分のみを掲げておきましょう。実際にどのようになったかについては、別の機会に取り上げます」と記し、第115号ないし第118号を引用しておきました。それらが実際にはどのようになったのかについて、ここで簡単ながら述べておくこととしましょう。なお、いずれも国鉄の鉄道路線として開業せずに終わったことを、注意として記しておきます。

 (1)「百十五 大分県中津ヨリ日田ニ至ル鉄道」

 大分県北部にある中津市は、大分市や別府市などと異なり、旧国名で言えば豊前の領域にあります。その中津市の中心駅である中津駅(日豊本線)から、大分県西部の中心都市にして江戸時代の天領だった日田市の中心駅、日田駅(久大本線)までの路線として、第115号路線があげられていました。おそらく、山国川や日田往還(国道212号線)に沿ったルートが想定されていたはずです。久大本線や豊肥本線が九州を縦断する路線となっていますが、第115号路線も同じ意味を持っています。

 鉄道敷設法に掲げられている予定線を見ると、実際には私鉄が開業しているという例が多く見られます。第115号路線もその一つで、中津駅から、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門、耶馬溪を通り、旧山国町(現在は中津市の一部)の守実温泉まで、大分交通耶馬溪線という路線が通っていました。第115号路線のルートと同一と言ってよいでしょう(鉄道敷設法には経由地などが細かく書かれていた訳ではありません)。現在でも、青の洞門のトンネルなどの痕跡がありますし、中津市にある汽車ポッポ食堂には耶馬溪線で活躍した気動車などが保存されています。紀州鉄道を走ったキハ603およびキハ604を思い出される方も多いでしょう。キハ603のほうは2009年まで紀州鉄道線を走っていました。

 耶馬溪線は、1913年、耶馬溪鉄道が中津~洞門(当初は樋田)を開業させたことに始まります。当初は軽便鉄道でした。翌年には柿坂まで延長され、1924年に守実温泉まで延長され、36キロメートルほどの路線となりました。ここで止まってしまいましたが、日田までの延長も予定されていたようです。1929年に改軌され、国鉄と同じ軌間となっています。

 戦争中の1945年4月、別府大分電鉄を中心として、大まかに言えば大分県北部の鉄道事業者、バス事業者が合併し、大分交通が発足します(ちなみに、同じく大まかに言えば県南部については、大分バスが成立しています)。耶馬溪鉄道も合併の対象となり、大分交通耶馬溪線として営業を続けることとなりました。これは、昭和13年4月2日に法律第71号として公布された陸上交通事業調整法の影響によるものとみられます。この法律によって直接の統制が及んだ地域もあればそうでない地域もありますが、全国的に、程度に激しい差がみられるとは言え、交通事業者の統合が進められていました。大分交通の発足に伴い、次に取り上げる国東鉄道、宇佐参宮鉄道、豊州鉄道の各路線も大分交通の経営下に置かれることとなりました。一時期の関東鉄道と同じく、各路線は独立して存在しており、全く連絡していません。

 耶馬溪線は、大分交通の路線となってからも中津~守実温泉の路線として営業を続けましたが、高度経済成長期の到来により、沿線では過疎化が進行します。私が大分大学に勤務していた頃のことを記すならば、1999年度、大分県の過疎地域市町村指定率は約77.6%で、全国一の高さでした。58市町村のうちの45市町村が指定を受けていたことになります(翌年に杵築市が指定から外されました)。2003年4月21日の時点における過疎地域市町村指定率は約75.9%で、やはり全国一でした。この数字からしても、多くの市町村において過疎化および高齢化が進行していることがわかります(以上、拙稿「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」月刊地方自治職員研修2003年10月号31頁~33頁によります)。一村一品運動の発端も考え合わせるならば、1960年代から耶馬溪線沿線の過疎化は進行していたでしょう。沿線は、現在でこそ全領域が中津市の領域に入っていますが、それは平成の市町村合併の結果によるところであり、当時は中津市、下毛郡三光村・本耶馬渓町・耶馬溪町・山国町を通っていました。このうち、中津市以外は上記の指定を受けていたはずです(但し、三光村についてはどうであったか覚えていません)。

 高度経済成長期と言えば、道路整備の進展も忘れてはなりません。車社会の到来とは時間差があったはずですが、道路整備が進めば自家用車保有率が高くなるのは当然のことです。耶馬溪線の乗降客は目に見えて減少したはずです。また、山国町の領域が、経済圏としては中津市ではなく、日田市のほうに属していたことも、この鉄道の存続理由を弱めた理由にあげられるかもしれません。かつて大分県は市町村合併推進要綱を制定し、強力に合併政策を進めましたが、その中で山国町については日田市との合併も提案されていたほどです。

 過疎化と道路整備は、鉄道の衰退を帰結します。耶馬溪線も、御多分に漏れない例となりました。1971年、野路~守実温泉が廃止されます。距離にして約26キロメートル、耶馬溪線の7割ほどが廃止されたこととなります。これにより、中津から耶馬溪、青の洞門、羅漢寺へ鉄道を使って行くことはできなくなりました。

 残された中津~野路も、先行きは決して明るくなかったはずです。大分交通は、戦後、保有していた鉄道路線の廃止を進めていました。軽便鉄道のままであった豊州線(旧豊州鉄道。豊前善光寺~豊前二日市)は台風の被災によって1951年に休止され、1953年にそのまま廃止されていますし、宇佐参宮線(旧宇佐参宮鉄道。豊後高田~宇佐八幡)は1965年に廃止されています。また、国東線(旧国東鉄道。杵築~国東)は1964年に一部区間(安岐~国東)が廃止され、1966年に全線廃止となりました。そして、九州初の路面電車にして大分交通の発祥と言える別大線(旧別府大分電鉄。大分駅前~亀川駅前、北浜~別府駅前)は、1956年に北浜~別府駅前が廃止されたものの、長らく健闘を続けてきました(黒字路線であったとも言われています)が、大分県警察の要請を受ける形で1972年に廃止されました。耶馬溪線の中津~野路は、大分交通の鉄道路線としては最後まで残ったのです。

 しかし、結局、中津~野路も、1975年に廃止されました。これには中津駅の高架化が関係したとも言われています。費用負担を迫られたようなのです。ただ、どの程度まで影響があったのか、疑問も残ります。既に7割以上も廃止され、観光地へのアクセス路線としての意味も失われていた耶馬溪線は、駅の高架化に関係なく、廃止が時間の問題となっていたと考えられるからです。

 最後まで電化されず、また、日田まで延びることがなかった耶馬溪線ですが、仮に日田まで延長されていたとすれば、鉄道敷設法別表第115号と完全に一致します。福岡から豊前地域(福岡県東部、大分県北部)への短絡路線となるため、買収・国有化の対象となった可能性があります。しかし、そうなることはなく、耶馬溪線は姿を消しました。現在、中津駅前から日田まで、大分交通の子会社である大交北部バスの路線があり、特急バスが平日5往復、土曜日および休日4往復が設定されています。

 第115号路線について記したところ、長くなってしまいました。そのため、予定していた第116号路線(「大分県杵築ヨリ富来ヲ経テ宇佐附近ニ至ル鉄道」)、第117号路線(「大分県幸崎ヨリ佐賀関ニ至ル鉄道」)および第118号路線(「大分県臼杵ヨリ三重ニ至ル鉄道」)については、機会を改めて述べることとします。

 この節の最後に、参考として陸上交通事業調整法(なんと現行法です。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S13/S13HO071.html)の第2条を紹介しておきましょう。

第二条  国土交通大臣公益ノ増進ヲ図リ陸上交通事業ノ健全ナル発達ニ資スル為陸上交通事業ノ調整ヲ為サントスルトキハ審議会等(国家行政組織法第八条 ニ規定スル機関ヲ謂フ)ニシテ政令ヲ以テ定ムルモノ(以下審議会等ト称ス)ノ意見ヲ徴シ調整ノ区域、調整スベキ事業ノ種類及範囲、之ト密接ナル関係ヲ有スル兼業ノ処置並ニ左ノ各号ニ依ル調整ノ方法ヲ決定スベシ

 一  会社ノ合併、分割又ハ設立

 二  事業ノ譲受又ハ譲渡

 三  事業ノ共同経営

 四  事業ノ管理ノ委託又ハ受託

 五  連絡上必要ナル線路其ノ他ノ設備ノ新設、変更又ハ共用

 六  運賃又ハ料金ノ制定、変更又ハ協定

 七  連絡運輸、直通運輸其ノ他運輸上ノ協定

 八  用品其ノ他ノ共同購入、共同修繕其ノ他調整上必要ト認ムル方法

2  国土交通大臣ハ前項ノ決定ニ依リ陸上交通事業経営者ニ対シ前項第一号ノ事項ノ実施ヲ勧告シ又ハ同項第二号乃至第八号ノ事項ノ実施ヲ命ズベシ」

(第2項の頭の「2」は便宜上付しました。)

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期末試験の問題を公表(?)しています

2013年02月07日 07時33分35秒 | 法律学

 2000年以来、私は期末試験の問題などをホームページに掲載しています(一部を除いていますが)。

 昨日、大東文化大学法学部の行政法1の期末試験問題(1月25日に実施)、國學院大学法学部の行政法Ⅰの期末試験問題(2月6日に実施)をアップしました。御覧いただければ幸いです。

 http://kraft.cside3.jp/PrVwR37.htm 大東文化大学法学部法律学科「行政法1」2012年度後期試験問題〔2013年1月25日出題〕

 http://kraft.cside3.jp/PrVwR38.htm 国学院大学法学部「行政法Ⅰ」2012年度後期試験問題〔2013年2月6日出題〕

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