ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

それならぼくは非国民なんだな

2024年05月31日 23時30分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 たまたま、Yahoo! Japan Newsで見つけたのですが、日刊SPA!に、5月31日付で「ラーメン店の廃業が急増!山岡家、一風堂、丸源ラーメン…『有名ラーメンチェーン』の業績を比較」という記事が掲載されていました。

 記事の内容には触れませんが、冒頭の文章がどうしても引っかかります。

 「今や日本人の国民食になっており、子供からお年寄りまで大人気のラーメン。」

 これを見て、思いました。

 「そうか、それならぼくは非国民なんだな。うちは非国民の集まりだね。」

 

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5月下旬の溝口緑地

2024年05月31日 00時34分36秒 | まち歩き

 うちの近所なのですが、やはり、溝口4丁目にある溝口緑地を何度も取り上げてしまいます。ここしばらく、全国的に中原区の武蔵小杉駅周辺(小杉町、新丸子町、新丸子東など)ばかり取り上げられていますが、あの辺りは、少なくとも私の幼少時代である1970年代から、溝口に比べて緑が少ない所です。高層建築物ばかり並んでいる街のどこに魅力を感じれば良いのか、私にはわかりません。何せ、港区台場を通った時に「殺風景な街だ」と感じたくらいですから。六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズなどに至っては「金太郎飴」という言葉が思い浮かびました。ちなみに、六本木三丁目には森ビル六本木住宅がありますが、最初に見た時にはあまりのギャップに驚きました。

 それはともあれ、うちから高津駅まで、私の通勤のためのルートともなっている溝口緑地です。今回も、iPhone15 Proで、しかもRAWで撮影した写真です(勿論、このブログに掲載するにあたり、圧縮などを行っています)。

 ここに文教大学附属溝の口小学校があったとは信じられない、と何度も書いています。私は、現在の溝口南公園に高津図書館があった時代に、自転車に乗って何度も高津図書館に行ったのですが、

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京王1000系1707F

2024年05月30日 00時00分00秒 | 写真

 今回は、渋谷駅(IN01)で撮影した京王1000系1707Fです。この電車に乗って明大前駅(IN08)から渋谷駅に移動しました。

 かつて井の頭線を走っていた3000系と同じく、編成によって前面の色が異なる1000系ですが、その色については規則性があります。7種類がありますので、井の頭線を利用していれば、そのうち全色を撮影できるのではないかと考えています。

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川崎市バスも減便へ

2024年05月29日 13時00分00秒 | 社会・経済

 2023年から、このブログで2024年問題などとして、路線バスの減便問題を取り上げています。やはり、大阪府の金剛自動車が路線バス事業から撤退し、廃業するというニュースが最も衝撃的でしたが、減便は全国的な問題となっており、今年に入ってから横浜市営バスの減便が神奈川県内ではよく話題となっています。

 そして、私が住んでいる川崎市です。川崎市交通局も、5月28日に「鷲ヶ峰営業所管内における一部減便について(令和6年6月10日実施)」(以下、市バス記事と記します)を発表しました。また、朝日新聞2024年5月29日付朝刊17面14版神奈川・川崎版にも「川崎市バス 一部路線で減便へ 来月10日から 運転士不足に対応」という記事が掲載されていました。

 鷲ヶ峰営業所は宮前区にあり、宮前区はもとより、高津区、多摩区、麻生区にある路線を管轄しています。つまり、川崎市の北部に属する全区に路線網があるということです。さらに、僅かながら横浜市青葉区にも路線があります。もっとも、たまプラーザ駅を起点とする、東急バスとの共同運行の「た83」系統のみですが、横浜市交通局が撤退してしばらくしてからの参入で、少々驚きました。

 実際に足を運ぶとわかりますが、宮前区の向丘出張所が管轄する地域は、東急田園都市線と小田急小田原線の間にあっていずれの駅からも遠く、その意味では鉄道空白地帯と言ってもよいような場所です(武蔵野貨物線が通っていますが、旅客営業はありません)。かつては川崎市営地下鉄の計画もありましたが断念されました。そのため、長らく路線バスが頼りの地域です。鷲ヶ峰営業所と、その下部組織である菅生車庫(一時期は菅生営業所でした)は、こうしたエリアをカヴァーするバス路線を所轄しているのです。減便の影響は大きいものと思われます(ちなみに、東急バスおよび小田急バスの路線もあります)。

 市バス記事には、次のように書かれています。

 「市バスでは、これまで運行上の工夫や運転手の確保に努め、ダイヤを維持してきましたが、運転手の不足に対応するため、鷲ヶ峰営業所管内において平日95便、市バス全体の約2%、日中から夜間を中心に一部減便を実施します。/お客様にはご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんが、何卒ご理解賜りますようお願いします。」(/は原文改行箇所)

 この説明には書かれていませんが、同じページに示されている、減便となる路線、および減便されるバスの起点発車時刻の表によると、土曜日は25便、日曜日は24便が減らされます(上記朝日新聞社記事には書かれています)。

 上記朝日新聞社記事には「通勤・通学客が利用する朝の時間帯は極力避け、主に日中から夜間の時間帯で実施するという。可能な限り運行本数が多く、運行間隔が短い路線から減便し、『利用者の待ち時間が少なくなるようにした』と説明している」と書かれています(説明したのは川崎市交通局です)。

 ただ、市バス記事の表を見ると、平日の朝8時台や9時台の便もあります。溝18系統のうち、JR武蔵溝ノ口駅・東急溝の口駅の南口にあるバスターミナル(以下、溝の口駅南口バスターミナルと記します)から鷲ヶ峰営業所までの便です。この路線は、先に記した向丘出張所の管轄地域である神木本町、平、初山などを通り、本数もかなり多いほうですので、減便の本数を多くしたのでしょう。

 それでは、鷲ヶ峰営業所では運転手がどの程度不足しているのでしょうか。上記朝日新聞社記事によると、2024年4月1日現在で181人です。「多い」と思われるかもしれませんが、溝の口駅南口バスターミナルから発着する市バスの本数の多さ(溝18の他にも溝15など、複数の系統が運行されています)を考えると、むしろ少ないとも言えるでしょう。実際、定員より10人少ないそうです。さらに、川崎市のサイトには、2024年2月1日付で「川崎市交通局会計年度任用職員(市バス運転手)の採用選考案内【随時募集中】」というページもあります。

 川崎市交通局としては、正規職員の確保のために、採用選考の時期を前倒しする、あるいは複数回設けるということも検討するようです。さらに、試験科目などの見直しも検討するとのことです。ただ、どれだけ人員を確保できるかはわからない、というのが本当のところでしょう。

 今後、バスのダイヤがどうなるかはわかりません。6月10日に減便した後、年内に再度減便しないという保障もないでしょう。鷲ヶ峰営業所以外の営業所(例:井田、上平間)が所管する路線についても注目しておく必要があります。

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都電荒川線8800形8806

2024年05月29日 00時00分00秒 | 写真

都電荒川線新庚申塚電停(SA20)にて、早稲田行きの8800形8806を撮影しました。これからこの電車に乗るところなのです。

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大東文化大学法学部法律学科「基本法学概論A」(Bクラス)受講者に

2024年05月28日 00時00分00秒 | 受験・学校

 2024年5月27日の8時頃、東武東上線の鶴瀬駅とふじみ野駅との間で人身事故が発生し、9時30分頃まで運転見合わせ(当初は池袋駅から小川町駅まで、後に志木駅から小川町駅まで)、その後も大幅にダイヤが乱れました。

 実は私も巻き込まれ、和光市駅、志木駅、そして川越市駅で足止めを喰らい、2限に間に合うことができませんでした。何せ、運転再開後もほとんどの列車が川越市駅止まりで、その先に行く急行は大混雑で乗車できなかったのです。それはそうです。川越市駅で待っている間に「当駅止まり」の電車ばかり次々に来るからです。ホームに乗客が増える一方ですから、既にすし詰めに近い状態の電車が来たら、乗れる人は限られます。東急田園都市線などであればまず見かけるようなことはないでしょう。これが東上線なのです。

 そのため、2限の「基本法学概論A」のみ休講と致しました。

 いかなる理由であれ、休講をしたら原則として補講をしなければならない。最近では何処の大学でもかなり厳しく言われることです。そこで、補講をすることとしました。

 6月29日(土)の4限(15時〜16時30分)に補講を行います。

 教室は、東松山校舎7号館7143教室です。

 原則として、教室での対面授業です。オンライン併用などの予定はありません。

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都電荒川線8800形8803

2024年05月27日 00時00分00秒 | 写真

このブログに時々登場する、都電荒川線の新庚申塚電停(SA20)で、三ノ輪橋行きとして運行される8800形8803を撮影しました。

 8800形は、7500形の老朽化を受けて置き換え用として登場した車両で、2009年から運用されています。番号のために紛らわしいのですが、9000形のほうが先に登場しました。しかし、9000形がレトロ調のデザインであるのに対し、8800形は8500形を進化させたようなデザインになっています。また、8900形が直線的なデザインであるのに対し、8800形は丸みを帯び、明らかに前面が傾斜していることがわかるものとなっています。

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今や世田谷線の顔

2024年05月26日 00時00分00秒 | 写真

今回は、いまや東急世田谷線の顔と言ってよい、この車両です。

 三軒茶屋駅のそばにある三軒茶屋第1踏切で、三軒茶屋駅に到着しようとする308Fを撮影しました。ちょうど、複線区間が終わり、単線(三軒茶屋駅および下高井戸駅の構内はそうなっています)に切り替わるポイントの上を走るところです。

 正面も側面も招き猫だらけです。これは、宮の坂駅が最寄りとなっている豪徳寺の招き猫伝説にあやかったものでしょう。井伊家の菩提寺でもある豪徳寺は、招き猫の発祥の地とも言われる所です。境内には白い招き猫が集まっている場所もあるほどです。

 308Fは、元々、赤系の色でしたが、2017年9月25日から、玉電110周年記念として招き猫ラッピングが施されました。私は2017年9月29日に308Fを撮影しており、このブログの「世田谷線の招き猫(1)」(2017年9月30日0時0分0秒付)、「世田谷線の招き猫(2)」(2017年10月1日10時32分55秒付)および「世田谷線の招き猫(3)」(2017年10月2日0時0分0秒付)において紹介しております。

  その後、デザインが少しばかり変わり、「玉電110周年 幸福の招き猫」の字などは消えてしまいましたが、基本的には同じと言ってよいかもしれません。これについては、2020年12月24日0時0分0秒付の「再び、世田谷線の招き猫」を御覧ください。

 三軒茶屋駅を発車し、下高井戸駅に向かいます。

 次の西太子堂駅は、三軒茶屋駅と同じく世田谷区太子堂4丁目にあります(勿論、番および号は異なります)。300メートルくらいしか離れていないので、十分に歩ける距離です。但し、世田谷通りからではわかりにくい場所にあります。

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やはり木次線も

2024年05月25日 00時00分00秒 | 社会・経済

 山陽地方と山陰地方とを結ぶ鉄道を陰陽連絡線と表現することがあります。伯備線、山口線、美祢線などが該当します。

 ただ、JR西日本が公表している資料「2022 年度区間別平均通過人員(輸送密度)について」を参照すると、陰陽連絡線には平均通過人員数が低い路線が多く、芸備線の東城駅から備後落合駅までの区間が20、木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間が56、芸備線の備後落合駅から備後庄原駅までの区間が75、同じく芸備線の備中神代駅から東城駅までの区間が89となっています。路線バスでも採算が合わないであろうと思われる数値が並んでいる訳で、JR西日本がどうにかしたいと考えることも理解できますし、インターネットの世界で廃線こそが妥当という意見が多いのも当然です。

 私自身、沿線自治体の態度には怒りを感じる部分さえあります。「今更」感が拭えないからです。有名なYouTuberである鉄坊主さんなどの動画では何故か言及されていないことが多いのですが、最近存廃論議の対象となった鉄道路線には、1980年代の国鉄改革において特定地方交通線に指定される可能性が高かったものの、除外要件に該当したために存続したというものが目に付きます(例、留萌本線、日高本線、津軽線、久留里線、芸備線、木次線)。40年前の議論が(多少とも形は変わっているものの)再燃したと言えるでしょう。

 「これまで道路整備に力を入れて鉄道など見向きもしなかったくせに、今さら廃線反対なんて叫ぶのかよ!」

 「廃線協議には応じられないなんて、どの面を下げて言っているんだ?」

 「おまえたちに文句を言う資格はないだろう!」

 全てという訳ではないのですが、これまで存廃協議の対象となった鉄道路線について、上記のように感じられる所は少なくないでしょう。

 さて、今回は木次線の話です。山陰本線の宍道駅(島根県)から芸備線の備後落合駅(広島県)まで、営業キロが81.9の路線となっていす。

 この路線については、沿線自治体も存続に向けた努力をしていたようです。しかし、そもそも人口が少ない地域であり、陰陽連絡線の一つとされていても、その役割はとうの昔に終わっています。2022年度の平均通過人員をみると、出雲横田駅から備後落合駅までの区間は既に紹介したとおりであり、宍道駅から出雲横田駅までの区間でも237、全線で171となっており、鉄道で残されていることが奇跡的である、とまでは言えないまでも、鉄道路線として残すことのほうが困難であると評価することは可能でしょう。

 そして、「ついに」と記すべきでしょうか、JR西日本は木次線の今後について議論を行いとの意向を2024年5月23日に明らかにしました。ここでは、山陰中央新報デジタルに2024年5月23日21時25分付で掲載された「【図表】JR西 『木次線のあり方』奥出雲町など沿線自治体と協議の意向 丸山知事『廃止前提であれば応じられない』」(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/579818)、同じく山陰中央新報デジタルに2024年5月24日4時0分付で掲載された「白紙強調も自治体反発 唐突な表明、広島側はJR批判 木次線在り方協議意向」(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/579946)、および、朝日新聞社のサイトに2024年5月24日10時30分付で掲載された「JR西、利用低迷の木次線のあり方議論を 首長ら、廃止前提なら拒否」(https://www.asahi.com/articles/ASS5R43PLS5RPUUB002M.html)を参照します。

 5月23日、JR西日本山陰支社長が、定例記者会見の場で木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間について、上記山陰中央新報デジタル23日付記事の表現を借りるならば「沿線自治体と公共交通の在り方を協議する意向を示し」ました。その理由としては、やはり利用の低迷があげられています。前述のように、この区間の平均通過人員が56で、地域公共交通活性化再生法に基づく法定協議会の対象になっている芸備線の東城駅から備後落合駅までの区間の20に次ぐ低さですから、やはり上記山陰中央新報デジタル23日付記事の表現を借りるならば「大量輸送を目的とする鉄道の特性を発揮できていない」ということになります。残りの区間でも237なので十分に協議の対象となりうるはずですが、外したのは観光列車の存在の故でしょうか。

 平均通過人員のデータを見る限り、木次線が沿線住民の足として十分に機能していないことは明白で、JR西日本山陰支社長もその旨を語っていました。前提を置かないで議論をしたいという発言の真意はさておき、通勤および通学のための利用がかなり限られていることは事実です。また、JR西日本がこれまで木次線の維持に努力してきたことも事実でしょう。但し、同社のローカル線の区間では合理化の名の下に設備保守が省略されていることもよく知られており、福塩線の一部区間などで最高速度15km/hに制限される箇所があるなど、およそ鉄道の役割が放棄されているとしか思えない部分も見受けられます。

 私が注意を向けたいのは、JR西日本山陰支社長の「これまでも問題提起はして」いるという言葉です。木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間についての意向は、定例記者会見の場で初めて明らかにされたと記してもよい状況でした。上記山陰中央新報デジタル24日付記事によると、「JR西から沿線自治体の担当課長レベルに事前の連絡があったのは同日午前。ただ、詳細は知らされず、情報把握に追われた」とのことでした。備後落合駅は芸備線と木次線の接続地点であり、どちらの線も末期的な状況(強すぎるでしょうか?)であるだけに、JR西日本としては「当然、木次線についても意見や態度を既に示している」と言いたいのでしょう。

 早速、沿線自治体の首長のコメントが上記各記事に掲載されています。島根県知事は、JR西日本の以降に対し、廃止前提であれば応じられない旨を述べています。理解はできます。現在、島根県と広島県とを直接結ぶ鉄道路線は木次線しかないからです(2018年までは三江線もありました)。また、島根県と山陽地方とを直接結ぶ鉄道路線は、他に山口線しかありません(山陰本線もあるではないか、と言われるかもしれませんが、山口県の日本海側は広義の山陰地方と言えます)。鉄道ネットワークの面からすれば、木次線も重要な要素であり、それが島根県知事のコメントにもうかがわれます。しかし、島根県は、どの程度まで鉄道利用促進の努力を具体的にしていたのでしょうか。むしろ、自動車専用道路の整備にこそ全力を注いでこなかったのでしょうか。

 また、奥出雲町長は、島根県知事と同じく、出雲横田駅から備後落合駅までの区間の「廃止を前提とするものであれば応じられない」とコメントしています。奥出雲町には、木次線の出雲八代駅、出雲三成駅、亀嵩駅、出雲横田駅、八川駅、出雲坂根駅および三井野原駅があります。しかも、出雲坂根駅の構内には有名な2段スイッチバックがあります。廃止されるとなれば、観光にも痛手かもしれません。ただ、現在の木次線の観光列車「あめつち」は出雲横田駅から備後落合駅までの区間を走りませんので、あまり関係がないとも言えます(キハ40系が使われているので、性能的に問題があるからでしょう)。また、記事には書かれていませんが、仮に出雲横田駅から備後落合駅までの区間が廃止されるならば、残りの宍道駅から出雲横田駅までの区間についても連鎖的に利用客が減少し、ついには全線が廃止されるかもしれないと考えられているのかもしれません。

 以上のように引用などをした上で、敢えて私は記しておきますが、木次線についての議論は、本当に唐突なものであったのでしょうか。むしろ、JR西日本の沿線自治体への伝達に多少の問題があったという程度であり、十分に予想されたことであったはずです。平均通過人員のデータは繰り返し公表されていますし、木次線の活性化の取り組みが長くなされていて、「あめつち」、その前の「奥出雲おろち号」と観光列車が運行されていたのですから、沿線自治体が現状を知らないはずがありません。JR西日本を責める前に、沿線自治体が動くべきであったでしょう。結果的には予測を外して惨憺たる結果になったものの、現在の北海道知事が夕張市長であった時代に同市長が石勝線夕張支線について「攻めの廃線」を提唱したのは、立派なものであったとも評価しえます。少なくとも、問題提起にはなっていたからです。

 もう一つ記しておきますと、木次線の出雲横田駅から備後落合駅までの区間について、沿線自治体の首長の発言と、住民の意見とは同じなのかという疑問が湧きます。乖離があるのではないかとしか思えません。より明確に記せば、沿線住民の本音は「いらない」というものではないでしょうか。鉄道の乗客がいないということは、住民が鉄道を不要と考えているからでしょう。意思が口に出されないだけであり、態度で十分に示されているのです。

 今後のために、或る意味で炎上覚悟で記しておきます。よく、ローカル線について「地域のために必要であるから残して欲しいけれども、自分は乗らない、利用しない」というようなことが書かれています。このように意味のわからない言葉も、そうは多くないでしょう。一目見て矛盾していることが明らかですし、「乗らない」、「利用しない」というのであれば、必要がないのです。より厳しい表現を許していただけるならば、無責任な発言です。JR西日本の株主や利用者は、沿線自治体などから出されるこのような発言を許してはならないでしょう。

 仮に住民アンケートで「必要だけど、自分は利用しない」という意見が多ければ、廃止に賛成であると理解すべきです。「乗らない」、「利用しない」と解答する人は、本当に「乗らない」、「利用しない」のであり、必要性など感じていません。この点は強調しておくべきでしょう。そもそも、こんな選択肢をアンケートに記すこと自体、無意味とも言えるはずです。

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京王1000系1711F

2024年05月25日 00時00分00秒 | 写真

2024年度は、京王井の頭線の渋谷駅から明大前駅までの区間を利用することが多くなりそうです。その明大前駅で、1000系1711Fを撮影しました。

 1000系は、京王電鉄では2代目であるようです。井の頭線には、ステンプラカーとも言われた3000系が活躍していましたが、その3000系に代わる車両として、1995年から製造され、1996年から営業運転を始めました。3000系と同じく、ステンレス製の車体で前面が編成によって異なる色の塗装が施されています(但し、3000系の場合はFRPを使っていました)。また、3000系は18m車でしたが1000系は20m車となっています。

 また、3000系の先頭車両の前面には貫通扉がなかったのですが、1000系には貫通扉が設けられています。

 井の頭線は、京王電鉄の路線では特異な存在です。これは、井の頭線が帝都電鉄によって建設され、運営されていたことによるものです。帝都電鉄が小田急電鉄の系列にあったことからか、線路幅は1067mmです(京王電鉄の他の路線は1372mm)。1942年、帝都電鉄は東京急行電鉄に合併され、1948年に東京急行電鉄、小田急電鉄などに分割された際、井の頭線は京王電気軌道の路線と組み合わされました。そのため、社名が京王帝都電鉄となったのです。なお、1998年に、京王帝都電鉄は京王電鉄に社名を改めました。

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