ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

憲法は法律ではない!

2014年01月28日 00時04分00秒 | 法律学

 行政法、税法と期末試験を行ってきました。答案を読み、採点をして、前期末試験などと合わせて評価を出す訳ですが、その度に、気になることがいくつもあります。

 毎年、必ず何枚かあるのですが、憲法は法律の一種であるというような趣旨の答案を書いてくるのです。これが嘘であれば、私もつまらない冗談なり洒落なりと片付けられるのですが、本当の話だから困ってしまうのです。

 法学部でない学部の学生であれば、私としてもまだ理解できます(だからと言って手加減はしません。大分大学時代の7年間に憲法の講義を担当したのですから)。法学部、しかも法律学科の学生が「憲法=法律の一つ」などと理解しているとなると、根本的な問題となってしまいます。

 イギリス、イスラエルなどのような不文憲法の国であれば、実質的な憲法の一部が法律の形をとっているという例がありますから、「憲法=法律の一つ」ということもありうるでしょう。しかし、日本は成文法主義の国です。法律が実質的な憲法の一部であるということがありうるとしても、憲法と法律とをしっかりと区別する必要があります。

 こんなことを書かなければならないのに忸怩たる思いがないといえば、それこそ嘘になります。いや、こういう場合には嘘として書きたいものです。しかし、残念ながら嘘ではないのです。それでも、書かざるをえません。

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行政法1(大東文化大学法学部)の後期末試験(1月23日実施)の採点を終えて

2014年01月24日 20時10分33秒 | 法律学

 昨日(1月23日)に行った「行政法1」の後期末試験の採点を終えましたので、ここに感想あるいは講評を記しておきます。試験問題は、私のサイトの「行政法試験問題集」に「その43」として載せましたので、御覧ください。

 http://kraft.cside3.jp/PrVwR43.htm

 3問を出しましたので、順番通りに述べてまいります。

 「1.」は行政行為の無効と取消について問うものでしたが、何故か取消と撤回との違いについて述べている答案が多く、中には無効についてほとんど記されていない答案もありました(当然の帰結ではありますが)。

 無効と取消の問題なのですから、重大明白説、明白性補充要件説などについて論じてほしいところですが、これらを論ずる答案が少なかったのは意外でした。また、無効の概念、取消の概念についても、あやふやな説明がなされている答案もあります。

 「2.」は事例問題で、行政行為の公定力と国家賠償請求訴訟との関係を問うものです。格好の判例として最一小判平成22年6月3日民集64巻4号1010頁があります(「行政法講義ノート第11回」http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht11-5.htmも参照してください)ので、これを題材とした訳ですが、公定力に関して言及する答案が少なく、強引に行政裁量論に結び付けた答案が目立ちました。しかし、この問題の場合、行政裁量論と結び付けても筋の通った答案を作成することは難しいでしょう。

 「3.」は事例問題でないのですが、行政調査、とくに税務調査についての問題で、憲法との関係を問うものです。参照条文として、憲法の第31条、第33条、第35条、第38条および第39条を付しておきました。これらの条文がヒントになっているので、解きやすいはずである、と考えていたのですが、見事に外されました。

 判例として川崎民商事件(最大判昭和471122日刑集26巻9号554)や荒川民商事件(最三小決昭和48年7月10日刑集27巻7号1205)に言及しなければならないのですが、こうした判例に触れられている答案が少なく、ただ、国税通則法の規定をなぞっただけのような答案や、これまた強引に行政裁量論に結び付けた答案が目立ちました。「2.」よりは行政裁量論に結び付けやすいかもしれませんが、憲法の令状主義との関係について十分に触れられ、論じられた答案が少なかったのです。あるいは、憲法第31条以下の規定に関する理解が不十分であったのかもしれません。

 そして、全問を通じて思うことは、(1)憲法の人権論などについて学習が不足している嫌いがある、(2)法律学の基本的な用語・概念に関する知識の不足(憲法と法律を一般法と特別法との関係として理解しているという、ひどい例もあります)、(3)何が合憲であり、違憲であるのかということについて十分に意識しているとは思えない論述が多い、(4)論点・争点を見抜き、判例や学説に目を配るということができていない、さしあたってはこの4点です。

 論述問題の場合、論点・争点がある部分について出題するのですが(これは当然のことです)、何が論点・争点であり、それに関していかなる考え方が存在するのか、それぞれの考え方によるといかなる解決となるのか、という点を論ずる必要があります。これは、いうまでもなく、普段からの勉学の積み重ねが結果となって出てきます。

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JR北海道に監督命令および事業改善命令が発せられた/岩泉線の廃止日繰り上げが届けられた

2014年01月22日 00時20分19秒 | 法律学

 今回は、鉄道事業法に関する二つの話題を取り上げます。

▲▲▲▲▲

 まず、昨日(1月21日)、国土交通大臣がJR北海道に対し、JR会社法(正式名称は「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道会社に関する法律」)に基づく監督命令、および、鉄道事業法に基づく事業改善命令を発する意向を通知しました。

 この件については、1月20日の8時1分付で朝日新聞社が「JR北海道に監督命令へ 国交省、レール数値改ざんで」として報じており(http://digital.asahi.com/articles/ASG1M5D86G1MUTIL00V.html)、1月21日の11時50分付で、やはり朝日新聞社が「国交省、JR北に初の監督命令 数値改ざん、告発も検討」として報じています(http://digital.asahi.com/articles/ASG1P0GD0G1NUTIL05X.html)。

 記事にも書かれている通り、今回なされたのは命令の通知です。これは、行政手続法第15条(聴聞の場合)・第30条(弁明の機会の付与)に定められている手続で、事前に、予定されている不利益処分の内容を相手に示し、意見表明のための機会を与えるのです。正式な命令は、その後に出されることとなります。

 今回は、昨年発覚したレール点検数値の改竄問題に関連して二つの命令が出されました。しかも、刑事告発まで検討されています。改竄が、現場に留まらず上部組織、そして本社においても行われていたという重い事実があったがための命令です。上記の両記事によると、JR会社法に基づく監督命令は今回が初めてのことであり、鉄道事業法に基づく改善命令は、2011年に発生した石勝線脱線炎上事故に続いて2回目です。また、改善命令が同じ会社に対して2回も発せられたのも初めてのことです。

 監督命令については、JR会社法第13条第2項に規定されています。この機会に、第13条の全文を紹介しましょう。

★★★

(監督)

第十三条 会社は、国土交通大臣がこの法律の定めるところに従い監督する。

2 国土交通大臣は、この法律を施行するため特に必要があると認めるときは、会社に対し、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。

★★★

 また、事業改善命令は、鉄道事業法第23条に定められています。これについても、全文を紹介しましょう。

★★★

(事業改善の命令)

第二十三条 国土交通大臣は、鉄道事業者の事業について輸送の安全、利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるときは、鉄道事業者に対し、次に掲げる事項を命ずることができる。

 一 旅客運賃等の上限若しくは旅客の料金(第十六条第一項及び第四項に規定するものを除く。)又は貨物の運賃若しくは料金を変更すること。

 二 列車の運行計画を変更すること。

 三 鉄道施設に関する工事の実施方法、鉄道施設若しくは車両又は列車の運転に関し改善措置を講ずること。

 四 鉄道施設の使用若しくは譲渡に関する契約を締結し、又は使用条件若しくは譲渡条件を変更すること。

 五 他の運送事業者と連絡運輸若しくは直通運輸若しくは運賃に関する協定その他の運輸に関する協定を締結し、又はこれを変更すること。

 六 旅客又は貨物の安全かつ円滑な輸送を確保するための措置を講ずること。

 七 旅客又は貨物の運送に関し生じた損害を賠償するために必要な金額を担保することができる保険契約を締結すること。

2 前項の規定による命令(同項第四号及び第五号に係るものに限る。)があつた場合において、当事者が取得し、若しくは負担すべき金額その他契約若しくは協定の細目について、当事者間の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、当事者は、国土交通大臣の裁定を申請することができる。

3 第二十二条第六項、第七項及び第九項から第十一項までの規定は、前項の裁定について準用する。この場合において、同条第六項及び第七項中「都道府県知事」とあるのは「国土交通大臣」と、同条第九項及び第十一項中「補償金の額」とあるのは「当事者が取得し、又は負担すべき金額」と読み替えるものとする。

★★★

 この他、JR北海道の常務取締役・鉄道事業本部長の解任、故意にATSスイッチを壊した運転士の免許取消(行政法学では撤回)なども行われるようです。非常に厳しい内容ですが、重大な事故が多発しただけに、やむをえないところです。

▲▲▲▲▲

 次は、少しばかり時間が経ってしまいましたが、岩泉線の廃止に関する5回目の記事です。 

 1月8日付で、朝日新聞社が「岩手)岩泉線廃止日4月に繰り上げ 国交省、認める通知」として報じていました(http://www.asahi.com/articles/ASG1764NGG17UJUB00X.html)。東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)も、1月8日付の「岩泉線の廃止日繰り上げの届出について」という文書を公表しています(http://www.jreast.co.jp/railway/pdf/iwaizumi_20140108top.pdf)。

 まず、今回の話を進めるために、以前にも紹介した鉄道事業法第28条の2を再びここに引用しておきます。

★★★

(事業の廃止)

第二十八条の二 鉄道事業者は、鉄道事業の全部又は一部を廃止しようとするとき(当該廃止が貨物運送に係るものである場合を除く。)は、廃止の日の一年前までに、その旨を国土交通大臣に届け出なければならない。

2 国土交通大臣は、鉄道事業者が前項の届出に係る廃止を行つた場合における公衆の利便の確保に関し、国土交通省令で定めるところにより、関係地方公共団体及び利害関係人の意見を聴取するものとする。

3 国土交通大臣は、前項の規定による意見聴取の結果、第一項の届出に係る廃止の日より前に当該廃止を行つたとしても公衆の利便を阻害するおそれがないと認めるときは、その旨を当該鉄道事業者に通知するものとする。

4 鉄道事業者は、前項の通知を受けたときは、第一項の届出に係る廃止の日を繰り上げることができる。

5 鉄道事業者は、前項の規定により廃止の日を繰り上げるときは、あらかじめ、その旨を国土交通大臣に届け出なければならない。

6 鉄道事業者は、鉄道事業の全部又は一部を廃止しようとするとき(当該廃止が貨物運送に係るものである場合に限る。)は、廃止の日の六月前(利用者の利便を阻害しないと認められる国土交通省令で定める場合にあつては、廃止の日の三月前)までに、その旨を国土交通大臣に届け出なければならない。

★★★

 さて、岩泉線です。JR東日本は、同線の廃止を2013年11月8日に届け出ていました。このままですと、廃止日は、第28条の2第1項により、2014年11月8日ということになります。しかし、岩手県は、同線の押角トンネルを道路化する工事を2014年度に開始する意向を示しています。そうなると、廃止日を繰り上げなければなりません。そのため、JR東日本は、当初から繰り上げを求めていました。

 届出から1ヶ月以上が経過した12月19日、東北運輸局が関係者に対する「公衆の利便の確保に関する意見の聴取」を行いました。第2項に基づくものですが、法律には詳しく定められておりません。また、詳しい報道も目にしなかったのですが、鉄道事業法施行規則には、次のような規定があります。

★★★

第四十二条の三 法第二十八条の二第二項の利害関係人(以下第四十二条の五において「利害関係人」という。)とは、次の各号のいずれかに該当する者をいう。

 一 法第二十八条の二第一項の規定による鉄道事業の全部又は一部の廃止の後に公衆の利便の確保を図ることが想定される者

 二 利用者その他の者のうち国土交通大臣が当該廃止に関し特に重大な利害関係を有すると認める者

第四十二条の四 法第二十八条の二第二項の国土交通大臣の意見の聴取を受けようとする者は、次に掲げる事項を記載した意見聴取申請書を提出しなければならない。

 一 氏名又は名称及び住所

 二 届出の件名及びその番号

 三 意見の聴取において陳述しようとする者の氏名及び職業又は職名

 四 意見の聴取における陳述の概要及び利害関係を説明する事項

2 前項の申請は、第四十二条の二の規定による公示の日から十日以内に、これをしなければならない。

第四十二条の五 国土交通大臣は、法第二十八条の二第二項の意見の聴取をしようとするときは、その十日前までに、関係地方公共団体及び前条第一項の申請書を提出した利害関係人に対し、意見の聴取の日時及び場所並びに当該廃止の内容を書面で通知する。

2 意見の聴取は、公開とする。ただし、国土交通大臣が特に必要があると認める場合には、この限りでない。

★★★

 これらの規定に基づいて意見の聴収が行われ、岩泉線については「第一項の届出に係る廃止の日より前に当該廃止を行つたとしても公衆の利便を阻害するおそれがないと認め」られたのでしょう。元々、茂市~岩手和井内が4往復、茂市~岩泉が3往復と、極端に少ない運転本数です。輸送密度は、第二次特定地方交通線に指定された時点で667人、1986年度に295人、1987年度に180人、2003年度には85人、2007年度には58人、2009年度には29人と、低下する一方です。これより高い密度の路線でも廃止されているのですから、残ったことが奇跡的であるとすら言えます。また、2009年度の平均通過人員数は46人で、JR東日本の路線では最下位です。

 さらに悪条件が重なります。2010年7月末日の土砂崩れのために運休が続いている上に、原因調査検討委員会によって、岩盤崩落の危険箇所が23、落成崩壊の危険箇所が88と指摘されています。

 これでは、鉄道路線として復旧することの意味が問われかねません。評価は様々でありましょうが、少なくとも「第一項の届出に係る廃止の日より前に当該廃止を行つたとしても公衆の利便を阻害するおそれがないと認めるとき」という不確定概念の解釈としては妥当である、と解するべきでしょう。

 鉄道営業法施行規則第42条の6によれば、廃止日の繰り上げを認めるときには意見聴取を終えた日から20日以内に、書面によって鉄道事業者に通知することとなっています。実際に、国土交通大臣がJR東日本に対して岩泉線の廃止日を繰り上げてもよいという趣旨の通知を行ったのは、今年の1月7日です。

 そして、8日、JR東日本が廃止日を今年4月1日に繰り上げる旨の届出を行いました。この届出については、鉄道事業法施行規則第42条の7が定めています。

 「法第二十八条の二第五項の規定により鉄道事業の廃止の日の繰上げの届出をしようとする者は、次に掲げる事項を記載した事業の廃止繰上届出書を提出しなければならない。

 一 氏名又は名称及び住所

 二 廃止の日を繰り上げようとする路線

 三 法第二十八条の二第一項の規定により届け出た廃止の予定日

 四 繰上げ後の廃止の予定日」

 なお、国土交通省のサイトで、「鉄道事業の一部廃止の日を繰上げる届出について」という文書(東北運輸局、1月8日付)が公表されています(http://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/puresu/puresu/td140108.pdf)。これは、鉄道事業法施行規則第42条の2に基づくものです。

 以上の鉄道事業法および鉄道事業法施行規則の規定を改めて読むと、果たして純粋な届出制であるのかどうか、疑問が残ります。廃止の届出そのものに対する審査などはなされないので、行政手続法第37条に規定される届出制には合致します。しかし、届出がなされた後に、国土交通大臣は「公衆の利便の確保に関し、国土交通省令で定めるところにより、関係地方公共団体及び利害関係人の意見を聴取する」こととされており、「意見聴取の結果、第一項の届出に係る廃止の日より前に当該廃止を行つたとしても公衆の利便を阻害するおそれがないと認めるときは、その旨を当該鉄道事業者に通知する」こととされていますので、少なくとも廃止日については行政庁の判断がなされうることとなります。

 

☆☆☆

 「やはり、岩泉線は廃止か」(2012年3月30日付)

 「JR東日本が改めて岩泉線の廃止を提案した」(2013年9月10日付)

 「岩泉線の廃止は確定的に」(2013年11月6日付)

 「岩泉線の廃止が届け出られた」(2013年11月10日付)

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クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)氏逝去のニュースに触れて

2014年01月21日 02時10分23秒 | 音楽

 日付で言えば昨日のことになりますが、指揮者のクラウディオ・アバド氏が死去した、というニュースが流れました。

 大学院生だった1994年の夏に、アバド指揮、ウィーン・フィルハーモニー交響楽団の演奏による、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調のCDを六本木WAVEで購入し、何度となく聴いたことを、今もよく覚えています。全体が素晴らしいのですが、特に第二楽章の美しさは筆舌に尽くしがたいという表現が相応しいでしょう。

 また、やはり大学院生時代に、アバド指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団による、シューベルトの交響曲第8番ハ長調(Die große C-Dur)のCDを購入しています。日本でも「ザ・グレート」という名で知られている名曲です。シューベルトの作品では未完成交響曲および弦楽五重奏曲と並ぶ大傑作で、若かった日々(未完成交響曲だけは幼い日々)にこれらの曲を知ってよかったと思っています(今も、Die große C-Durと弦楽五重奏曲を聴きたくてたまらないのです)。

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今はどうなっているのか? 大分市大字上判田字高取

2014年01月11日 01時04分59秒 | まち歩き

 (注:今回は、2002年5月4日に「待合室」第2回として掲載した「大分市大字上判田字高取」に修正を加えたものです。)

 今年は、私が大東文化大学法学部法律学科の教員となってから満10年ということになります(助教授3年、教授7年です)。それまでは、文字通りの国立大学であった大分大学教育福祉科学部に勤務していました。1997年4月から2002年3月までは講師、2002年4月から2004年3月までは助教授でした。つまり、私は7年間、国家公務員であった訳です。

 大分県は、公共交通機関の利用度が低い都道府県の一つです。県庁所在地の大分市は、大分郡野津原町および北海部郡佐賀関町と合併する前から中核市であり、JR九州の日豊本線、久大本線および豊肥本線が通っており、大分駅でこの三路線が合流するのですが、典型的な自家用車社会でした。従って、他の市町村は「推して知るべし」です。私が国家公務員であった時期は、自家用車通勤を行っていた時期でもありました。

 そのためなのかどうかわかりませんが、私は少しでも時間があると、愛車(日産パルサーJ1J→日産ウイングロードX)を運転して、県内のあちらこちらへ行きました。当時の全58市町村の全てを、大分市に住み始めてから1年3ヶ月弱で周っています。

 川崎市に生まれ育った私にとって、大分市も大分県も未知の場所でした。

 私が助教授となってから1ヶ月ほどしか経っていない2002年5月3日、久しぶりに、大分市大字上判田字高取に行きました。

 (この時期、日記をつけていなかったため、「久しぶり」と言ってもどの程度の間隔があったのかはわかりません。)

 大分大学から高江ニュータウンの方向に走り、 途中にある標識に従って住床に行きます。大分大学の南端を通り、急な坂を下ると、車がようやく通れるほどの狭い道になり、大分市大字上判田字住床に入ります。ここからさらに1キロメートルほど、狭く曲がりくねった山道を走ると、高取に到着します。

 この辺りで道路は行き止まりとなるため、少し手前の所に車を停めました。上の写真を撮影した地点です。ここで道は分岐するのですが、どちらを進んでもすぐに行き止まりとなります。上の写真では、奥のほうに電線が見えますが、その辺りで道は途絶えます。また、この池の手前に道があるのですが、これも数百メートルほど歩くと、下の写真の通りとなります。

 これでは車を進めることができません。しかも、雨のため、足下はぬかるんでいます。辺りは松林で、この写真の手前のほうには製材所か作業所らしい建物がありましたが、人の気配は全くありません。左のほうには川が流れています。おそらく、山登りに相応しい装備をすれば、この先を進み、県民の森や河原内のほうに行けるのでしょう。しかし、 そのようなことをする余裕も技術もありませんし、実際にやったことがあるという人がいるのでしょうか。多くの大分市民も、高取に行ったことがないでしょう。大分大学の裏に限らず、大分市内には、似たような所が幾つかあります。人口43万人余りの中核市とは思えない光景です。しかし、私は、或る意味で、ネオンがきらめく歓楽街より、このような場所に惹かれます。

 今は住宅が立ち並ぶ高江ニュータウンも、以前はこんな所だったのでしょうか。

 そして、当時、大分県でもトップクラスの「険道」と言われた県道41号大分大野線など、大分市の山間部を通る県道や林道を何度となくドライヴしていました。「若気の至り」なのでしょうか。

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漢字をしっかりと書き分ける

2014年01月10日 12時19分44秒 | 受験・学校

 昨日、私が担当している2年生向けのクラス授業で小テストを行い、うちに帰って採点をしていました。何問か、ひらがなで記した部分を漢字に直すという問題、漢字の読み方を(送り仮名も含めて)記すという問題を出したのですが、正答率が低いのです。これは世間一般に言われていることではありますが、やはり、法律学に取り組むのであれば、或る程度の読み書きはできなければなりません。

 理由は簡単です。法律学は言葉の学問であるからです。

 私の大学院時代の師匠が度々おっしゃっていました。

 その上で、漢字などのことについて、気になったことを記しておきます。

 昨日は刑法の未遂犯、共犯についての小テストを行いました。採点していると、私の小学生時代を思い出させるようなことがありました。

 未遂。

 この言葉を書かせると、誤って覚えているのか、それとも手癖なのかわからないような字が続出します。正しく記せば

 未遂

 です。しかし、次のように書かれている答案が何枚もありました。

 末遂

 「遂」という字についても変なものがあったのですが、それは脇においておきます。よく御覧いただくとおわかりになるでしょうが、「未」と「末」とを混同しているのです。

 勿論、全く意味は違います。「未」は、漢文ならば「いまだ~(せ)ず」です。シューベルトの交響曲で最も有名な第7番ロ短調の俗称は「未完成交響曲」または「未完成」ですが、言うまでもなく、第3楽章の最初の数小節までしか書かれておらず、第2楽章までしか演奏されないために「未完成」なのです。これを誤って「末完成」と記せば、散々苦労しつつも結局は完成したことになりますから、第2楽章で打ち切る必要もなくなる訳です。もしかしたら、交響曲第8番ハ長調(通称「ザ・グレート」、ドイツ語でDie Große)を凌駕する曲になっていたかもしれません。

 「未」と「末」との取り違えは、意外に多く見受けられます。私の小学生時代の話というのは、この誤りのことです。実家の近所にマンションが建設されており、その看板に「●●年▲▲月完成」と書かれていたのです。本来は「●●年▲▲月」のに完成すると宣伝したかったのでしょうが、逆効果の看板になっていた訳です。

 取り違えということでは、よく見かけるのが「以外」と「意外」です。サイト、ブログの類では頻出というところでしょう。既に私はこの文章で「意外に」という言葉を使っていますが、「以外に多く見受けられます」と記せば、全く違う意味になるか、無意味な文章になるでしょう。また、「関係者以外立入禁止」とすべきところを「関係者意外立入禁止」と記せば、意味のわからない表示になってしまいます。

 「未」と「末」との区別に戻るならば、どちらの字なのかわからないような答案もありました。上の横棒と下の横棒の長さが同じなのです。「こんな字、あったっけ?」と思いながら、答案に太い赤字で正しい字を書きました。これも採点者の義務でしょう。

 私が小学生であった1970年代後半には、文房具屋に行けば漢字練習帳なるノートが売られていましたし、本屋に行けば小学生向けの漢字の書き取りのためのドリルなどを何種類も見つけることができました。小学校の国語の時間には毎時間のように漢字テストがありましたし、自宅でも嫌になるほど漢字の書き取り練習をやりました。今はこういう勉強をしないのでしょうか。

 また、昨日の小テストでは「陰謀」と答えるべき問題も出したのですが、誤字が頻出しました。「陰」ではなく「隠」になっていたりするのです。「隠居」と勘違いしているのか、などと考えてしまいました。

 もう一つ、以前から気になっていることを記しておきます。昨日の小テストに限られない話で、正しく漢字を覚えるには障害になりうることです。

 多くの答案、レポートなどを読んでいると、書かれている字が小さいのです。答案用紙の行の太さのためなのかもしれませんが、それにしても小さすぎます。虫眼鏡が必要ではないかと思われるような大きさの字にも時々出会います。字をごまかして書こうとする意図があるのかもしれませんが、その意図は完全に外れています。読みたくても読めないから、採点の対象から外したくなるのです(勿論、外しませんが)。もう少し、大きな字で書いて欲しいものです。

 また、鉛筆やシャープペンシルで書かれた答案やレポートであると、字が小さいだけでなく、薄いというものもあります(濃いと小さな字は書きづらいのです)。同じHBでも鉛筆とシャープペンシルでは濃さが違いますし、私が高校時代から今に至るまで愛用している補助軸(製図用のもの。2ミリほどの芯を入れて使う)でも三菱鉛筆のHBとステッドラー(やファーバー・カステル)のHBでは濃さが違いますので、一概には言えません。しかし、HBかBを使って欲しいという思いはあります。私も愛用していたステッドラーのFならよいのですが、どう見てもH、2Hというような硬い芯を使っているとしか思えない答案やレポートがあるのです。蛍光灯をつけている部屋で読んでいると字が光を反射してしまい、読みにくくなります。

 逆に、字が濃すぎるという場合もあります。おそらく4B、EBというような芯が使われているのでしょう。消しゴムを使うと周囲が黒くなっていたりします。そればかりか、他の紙まで少しばかり黒くなってしまいます。

 以上のようなことに悩まされたので、ここ何年か、レポートについては黒インクのボールペンか万年筆を使うように指示しています。社会人になってから、自分のためであれば鉛筆でもシャープペンシルでもよいとして、書類云々ということになればボールペンや万年筆ということになるからです(製図、デッサンなど、特殊な仕事は除きます)。「学生のうちから使い慣れておきなさい」という訳です。

 最近は、パソコン、スマートフォンなどを使って「書く」ことが多くなっています。かく記す私もそうで、原稿や書類をパソコンで「書いて」います。しかし、ボールペンや鉛筆などを使って書く機会も少なくありません。また、機械を使って「書く」にも、字を知らなければ話になりません。

 書くことにも練習が必要です。正確に書く練習をしてください。大学生であっても、いや、そうであるからこそ、漢字の書き取り練習は必要である、ということです。

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雑餉隈駅界隈(2007年9月4日撮影)

2014年01月07日 01時08分02秒 | 旅行記

 (以下は、「待合室」第232回として、2007年10月8日から16日まで掲載した記事に修正を加えたものです。)

 私が大東文化大学法学部の教授になってから5か月ほどが経過した2007年9月4日、九州、少なくとも福岡県ににお住まいの方々であれば御存知の街を歩きました。「関東地方などと言っても通用しそう……。やっぱり違うかな?」などと思えるような場所ですし、実は全国的にみても隠れた名所、穴場的な街です。そこは、福岡市博多区にあります。

Zasshonokuma1

 天神から高速バスに乗って田川後藤寺に出て、日田彦山線に乗って日田へ行った日、何となく行きたくなった場所がありました。そこで、日田から高速バスに乗って天神へ戻り、西鉄天神大牟田線の普通電車に乗り、福岡市内では最後の駅となる場所へ行きました。何度も天神大牟田線に乗っていますが、おそらく、同線にある駅では最も下町という表現に相応しい所でしょう。東京で言えば京成押上線のどこかの駅にも似ているような気がします。(あくまでも私の印象ですが)天神大牟田線でこのような下町の印象を与えるような駅は珍しいのです。起点の福岡(天神)は 東京の銀座、新宿、渋谷、代官山(大名や今泉が代官山周辺と何となく似ているような気がするのです)を足してから4で割ったような場所であり、薬院から大橋までは東京の目黒区内の東急東横線沿線のような感じで、井尻が板橋区や練馬区の街並みに何となく似ています。春日原からは郊外の住宅地という風景になります。

 上の写真がその下町のような場所にある駅の様子です。 天神大牟田線(と言っても福岡から花畑まで。但し、平日ラッシュ時には特急としても活躍します)の主力5000形が持つ、西鉄を印象付ける左右非対称のスタイルを踏襲した6000形の普通電車が停まっています(但し、5000形は力行ハンドルと制動ハンドルが別ですが、6000形以降の西鉄電車は東急でおなじみのT型ワンハンドルマスコンを採用しています)。この駅には普通電車しか停まらないのですが、福岡市内ということもあって、乗降客は多いようです。カーブの途中にホームがあり、特急や急行もこの駅では速度を落とします。

 この駅は、天神大牟田線では唯一、博多区内にあります。しかも、同線で最も難読で、漢字で書くのも難しい駅でしょう。雑餉隈です。これで「ざっしょのくま」と読みます。西鉄福岡(天神)駅から電車に乗り、井尻を過ぎるとJR鹿児島本線を越え、右にカーブします。その途中にある駅です。ここは、武田鉄矢氏の出身地としても知られています。また、いまやインターネットや携帯電話ではおなじみのソフトバンクの発祥の地です。そして、福岡県や大分県ではおなじみのスーパーマーケット、マルショクの発祥の地でもあります。

 難読の地名や駅名は、意外に多いものです。福岡市内にもあります。中央区の警固(けご)、東区の馬出(まいだし)、早良区(区名自体が読みにくいのですが「さわらく」です)の野芥(のけ)は、その代表でしょう。博多も、有名であるから難読と評価されないだけで しょう。

 また、 難読というカテゴリーとは異なりますが、同じ漢字を記しても地域によって読み方が異なるという場合があります。その極端な例は別府でしょう。別府と書けば、多くの人は大分県の別府市を想起するでしょう。これは「べっぷ」と読みます。しかし、同じ九州でも、福岡市の地下鉄七隈線にある別府という駅(所在地は城南区)がありますが、こちらは「べっぷ」ではなく、「べふ」と読みます(兵庫県にも同じ読み方の地名があります)。 今度は、福岡から大分を通り抜けて宮崎県延岡市に行きますと「別府」という交差点がありますが、信号待ちをしている間に案内板をみて驚きました。どう考えてもそう読めなかったからです。延岡の別府は「べっぷ」 でも「べふ」でもなく、「びゅう」と読むのです。ちなみに、そこは何の変哲もない場所でした。

 もう一つ、例を思い出しました。福岡県行橋市、日豊本線に新田原という駅があります。これは「しんでんばる」です(原という字を「はる」あるいは「ばる」と読むのは、九州や沖縄の特徴です。但し、常にそう読むわけではありません)。そこから南下して宮崎県児湯郡新富町に入りますと、航空自衛隊の新田原基地があります。こちらは「にゅうたばる」と読みます。通常、「新」の音読みは「しん」であり、「にゅう」とは読まないはずです。最初に知ったときは英語のnewを漢字の読みに当てたのかと思ったほどです。

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 雑餉隈駅を出ると、東口のほうは住宅街で、西口のほうにはいくつかの商店街があります。道幅は狭く、東京でなら荒川区の三ノ輪橋、板橋区の仲宿や豊島区の駒込のような感じでしょうか。区画整理もなされていないようで、斜めに伸びる途中で曲がったりしている道路がいくつもあります。春日原駅側の踏切からまっすぐ伸びる道路を歩くと、すぐにアーケード商店街があります。新天町商店街です。この商店街はJR南福岡駅のほうに伸びていますが、アーケードの距離は短いほうです。

 西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線はほぼ並行して通っていますが、正真正銘の乗換駅は大牟田だけです。しかし、駅が比較的近い場所にあるという例はいくつか存在します。雑餉隈駅はその代表例で、JR南福岡駅までは十分に歩ける距離です。しかも、JR南福岡駅は、かつて雑餉隈と名乗っていました。

 しかし、地図を見ても、福岡市博多区には雑餉隈という地名がありません。この商店街の名称が示すように、雑餉隈駅の西側は新天町といい、東側は麦野といいます。現在、 福岡市内での雑餉隈は通称なのです。ところが、雑餉隈駅と春日原駅との間、というより春日原駅付近ですが、大野城市には雑餉隈という地名が存在します。ややこしいのですが、このあたりは福岡市博多区、春日市、大野城市の境界が複雑に設定されていますので、仕方のない話です。

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 商店街にこんな手作りの案内板がありました。「よござっしょ」は「ようござんす」の博多弁「よござす」と雑餉隈とをかけている洒落になっています。博多弁を使っている人たちにとっては駄洒落でしょう。博多にわかの伝統も感じさせます。そう言えば、九州朝日放送の有名アナウンサー、沢田幸二氏のブログの名称も「よござっしょのくま日記」となっています。

 博多にわかは、或る意味で江戸の小噺、謎かけなどと共通する、かなり洗練された言葉遊びと言えます。少なくとも、今の関西系の漫才などではみられない、非常に豊かなセンスに溢れた言葉遊びです。言葉で遊ぶという点で、東京と福岡に、本当に洒落た芸能が存在することに、川崎市出身の私は驚かされました。 ユーモアという点では博多にわかのほうが上かもしれません。

 最近、とくに強く思うのですが、関西系をはじめとして、漫才、漫談、コントなど、お笑いのレヴェルがかなり落ちているような気がします。多分、関西の芸人には謎かけも都都逸もできないでしょう。これらはかなりのセンスを要求します。私自身がうまくできないのですが、上手い謎かけや都都逸を聞く度にセンスの良さに感心するのです。言葉遊びができないし、避けられているのです。他人の失敗を笑ったり、自分の失敗などをネタにするのは、ギャグであるとしても安直に過ぎます。やはり、気の利いた洒落、風刺などが必要です。私も、時折ですが漫才や漫談などを聞いたりします。しかし、エスプリを感じさせるものがほとんどありません。だから残らないのでしょうか。

 言葉遊びは、外見は上品で、中身にはいくらでも皮肉などをこめられる、という良さがあります。日本人が失いつつあるものは、言葉の美しさでも何でもなく、言葉遊びのセンス、もっと言うならば洒落のセンスでしょう。「おやじギャグ」という言葉を聞く度に、日本人の言語感覚が衰えているような気がしてならないのです。そもそも、日本人は昔から洒落と七五調で言葉遊びを楽しんでいたものです。万葉集以来の掛詞も、手っ取り早く言えば洒落のようなものです。

 博多にわかには、かなり広い意味での洒落があります。芸人を自称するなら、落語、都都逸くらいは、できれば博多にわかも勉強して欲しいものです。

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 歩いているのは、夕方と言うには少しばかり早い時間ではあります。人通りが少ないのは気になりますが、どうなのでしょうか。もう少し時間が経てば、人が増えるのでしょうか。屋根から吊り下げられている飾り物も気になります。まさか、長月に七夕という訳でもないでしょう。しかし、こういう商店街をのんびりと歩いていると、まるで時間が遡ったような感じがして良いものです。魚屋や八百屋のおじさんやおばさんが、威勢のいい掛け声を出しているところなどを聞ければ、さらにうれしくなるものです。そのような店は本当に少なくなりました。私が大学生の頃には、アルバイトでそんなことをやったりもしたものですが、今では大きな声で「いらっしゃい!」も「ありがとうございます」も言えない店員ばかりが巷に溢れています。これも商店街の衰退などが引き起こした現象なのでしょうか。逆に、衰退の原因となったのでしょうか。

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 福岡で、ようやく本当の駄菓子屋さんを見つけました。他の商店街にもあるのかもしれませんが、雑餉隈で、私が小学生であった頃にはいくらでもあった駄菓子屋さんそのものを見つけました。思わず入り、少しばかりですが売り物を眺めました。10円から100円までの駄菓子は勿論、数百円のおもちゃなどもありました。

 この駄菓子屋さんのそばにある交差点(上の写真では左側のほうにあります)からアーケードを抜けると、今では飲み屋が数軒とパチンコ屋くらいしかないような通りがあります。「案内所」らしいものもありました(違うかもしれません)。観光名所でもないのに「案内所」があると言えば、いわゆる風俗街です。雑餉隈は風俗街でもあったそうです。何となくですが、その雰囲気が残っていました。駄菓子屋さんなどがある商店街の近くに大人の歓楽街があるというのも変な話ではありますが、かつてはそういうものだったのでしょう。福岡の歓楽街と言えば、何と言っても中州ですが、雑餉隈もそういう街であったのでした。

 ちなみに、私はいわゆる歓楽街を好みません。そのため、東京なら新宿の歌舞伎町、福岡なら中州、というような場所にはほとんど行きません。歩いても面白いと思わないからです。大分の歓楽街、都町にも、昭和通りの第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)大分支店を除けば、1年に1回くらい行けばよいほうでした(かつての住人という立場で記すと、もし大分市で美味しいものを食べたいのであれば、郊外を車で走り回って探すことをお勧めします。かつてのゼミ生たちを連れて行って好評だったのは、ほとんどが郊外にある店でした)。川崎市出身ですが、堀之内を歩いたこともないし、川崎駅東口の飲み屋街を歩いたこともありません。もっとも、東京であれば銀座や日本橋なども、私の好みからは外れます。幼い頃から、何度か、銀座や日本橋には行っていますが、いまだに、銀座の何処が面白いのか、よくわかりませんし(本、CD、楽器などを基準にすれば、自然にそうなります)、日本橋も、丸善が閉店して東京駅前に新しい店ができてからは行かなくなりました。せいぜい、愛車を走らせて通過するだけです。

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 雑餉隈駅付近の商圏はそれほど広くないようです。歩いているうちに、また天神大牟田線の近くに出ました。6050形の普通電車大善寺行が通ったので、ついでに、というような気持ちで撮影しました。何故か、この色彩が気に入っているのですが、日本は勿論、外国でも西鉄電車のような青色(アイスグリーンとも表現されます)の鉄道車両はほとんどないでしょうし、このような色の自動車も見たことがありません(そもそも、自動車会社のほうで用意していないでしょう)。福岡でしか見られない、独特の色彩です。

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平成の大合併と事業所税

2014年01月04日 11時36分13秒 | 国際・政治

 今日の朝日新聞朝刊3面13版に「大合併 山村企業の嘆き 都市編入 事業所税の対象に」という記事が掲載されています。これはかなり興味深い記事です。

 平成の大合併の荒波が日本全国に押し寄せたのは、今から10年ほど前のことでした。その当時、事業所税の存在がどこまで注意されていたかといえば、実際のところはほとんど何も言われていなかったと記憶しています。かく言う私はどうであったかと、自らのサイトを見ていたら、平成13年、すなわち2001年の9月3日、宮崎県市町村職員研修(平成13年度第2回職員一般研修)において、事業所税について触れていました。「川崎高津公法研究室」に、その時の講演「地方自治の新たな動き―地方分権および広域行政を中心に―」を掲載しておりますので、そこから引用いたします。文脈の関係で、少し長くなることをお許しください(注は省略しました)。

 「小西氏(小西砂千夫教授)は、市町村合併の前後で住民の税負担がそれほど変わらないことを指摘しつつ、税外負担については異なると主張する。氏によれば、水道料などの公共料金や介護保険料などに自治体間格差があり、市町村合併によってこれらの負担が最も低い(合併前の)市町村の水準に設定される可能性があるという。すなわち、市町村合併によって、その対象とされる複数の市町村のうち、住民の負担は最も低いレベルに、サービスは最も高いレベルに設定される可能性がある訳である。実際、日本経済新聞2001年1月15日付朝刊「地域総合」の欄において紹介されている、浦和市、与野市、大宮市の三市が合併して誕生する「さいたま市」をみると、ごみの収集手数料について、与野市だけが有料であったが、合併後は無料化されるという。しかし、ごみの分別収集については、具体的な分類や収集方法などが異なることもあり、一本化されないという。

 しかし、これについては、地方税財政制度の観点からみても疑問が残る。例えば、地方税法第701条の30に規定される事業所税である。これは、政令指定都市、中核市、特例市などが課税権を持つものである(この要件に合致する市は課税しなければならない)。仮に、中核市のA市とB町とが合併する場合、B町の領域には新たに事業所税が課せられることとなる。実際にどの程度の事業所がこの税の負担を負うことになるかは不明であるが、事業所税非課税市や町村に事業所を置く企業にとっては税負担の増加を意味することになる。」

 (引用・参照したのは、小西砂千夫『市町村合併ノススメ』(2000年、ぎょうせい)203頁です。)

 この講演そのものは公刊されておりませんが、「市町村合併―合併のメリット・デメリット―」(2001年1月27日、千歳村農村環境改善センター。第7回「食と水を考える会」主宰講演会)と併せる形で、2002年に公刊された大分大学教育福祉科学部研究紀要24巻1号77頁~92頁に掲載された「地方分権下の市町村合併」にまとめました。その論文の注18にも同じ趣旨を記しています。従って、前掲朝日新聞朝刊記事の内容そのものを、私は10年以上も前に書いていたことになります(余談ながら、2001年、私はまだ大分大学教育福祉科学部の講師でした。2002年4月に助教授となりました)。勿論、私に限らず、少数ながらも事業所税の件に言及した方々はおられたはずです。

 「今になってこんな話になるとは」という思いはあります。合併の達成に向けてよほど焦っていたのか、事業所税の存在を忘れたのか、地方自治体の財政を改善することにつながると考えられたために故意で事業所税の存在に触れなかったのか、今となってはわかりません。しかし、その当時で様々な問題点を指摘してもまともに聞き入れられず、後になってその問題点が顕在化し、騒がれるようになる、という構図の典型となったことも否めません。

 この事業所税は、地方税の応益性を強調する連中にとっては理想に近い税かもしれませんが、外形標準課税の一種であることから、企業活動、とくに中小企業の活動にとっては極めて有害な税の一つです。私は、これも10年以上も前の話になってしまいますが、日税研論集46号(2001年)279~319頁に掲載された「地方目的税の法的課題」において、事業所税の問題点を論じていますが、ここで改めて概観しておきましょう。まずは地方税法第701条の30の規定です。

 「指定都市等は、都市環境の整備及び改善に関する事業に要する費用に充てるため、事業所税を課するものとする。」

 ここでいう指定都市は、第701条の31第1項第1号により、「地方自治法第二百五十二条の十九第一項の市」(同イ。政令指定都市のこと)、「イに掲げる市以外の市で首都圏整備法第二条第三項に規定する既成市街地又は近畿圏整備法第二条第三項に規定する既成都市区域を有するもの」(同ロ)、および「イ及びロに掲げる市以外の市で人口(官報で公示された最近の国勢調査の結果による人口その他これに準ずるものとして政令で定める人口をいう。)三十万以上のもののうち政令で指定するもの」(同ハ。中核市などのこと)とされています。すなわち、市町村税ではあるのですが、課税できる地方公共団体が限定されているのです。町村は事業所税の課税主体たりえませんし、市も、政令指定都市など、一定の要件を充たさない限りは課税主体となりえません。逆に、政令指定都市、中核市など、一定の要件を充たすのであれば、課税しなければならないのです。

 そして、この事業所税は、所得課税でもなければ消費課税でもありません。純粋な資産課税とも言い難いものであり、外形標準課税の要素を多分に含む税です。地方税法第701条の32第1項は「事業所税は、事業所等において法人又は個人の行う事業に対し、当該事業所等所在の指定都市等において、当該事業を行う者に資産割額及び従業者割額の合算額によつて課する」と定めています。「資産割」とは「事業所床面積を課税標準として課する事業所税」であり(第701条の31第1項第2号)、「従業者割」とは「従業者給与総額を課税標準として課する事業所税」です(同第3号。第5号も参照)。「従業者割」が外形標準課税の典型的な例と言いうるのです。

 また、法人住民税や法人事業税の場合、少なくとも「法人税割」(法人住民税)または「所得割」(法人事業税)については、企業の決算が赤字であれば負担をする必要がありません。しかし、事業所税の場合は、赤字であろうが黒字であろうが納税義務を免れないこととなります。その意味において消費税と似ています(外形標準課税が、消費課税と類似するものであるということも指摘しておく必要があるでしょう)。従って、中小企業の活動を阻害しうる税であり、前掲朝日新聞朝刊記事の表現を借りるならば「企業の『追い出し税』」です。正月から不吉な表現を用いるならば「事業運営者の自殺を促進しうる税」とも言い換えられるでしょう。

 前掲朝日新聞朝刊記事の内容は、事業所税の「企業の『追い出し税』」あるいは「事業運営者の自殺を促進しうる税」という性格が市町村合併によって露見したというものです。例として広島市と秋田市があげられています。

 広島市は、言うまでもなく政令指定都市です。しかし、この中国地方を代表する都市は、平成の大合併以前からの政令指定都市としては非常に特異で、周辺の市町村を編入合併しながら拡大し、ついに政令指定都市となったという歴史を持ちます。合併によって政令指定都市となった大都市の例としては、他に北九州市がありますが、北九州市の場合は5市(門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市)が合併して新しい地方公共団体(すなわち北九州市)が誕生したのであり、広島市とは異なります。平成の大合併によって政令指定都市となったところで広島市と同じようなパターンは、浜松市、新潟市の例がありますので、広島市はそれらの新政令指定都市の先駆けとも言いうるでしょう。

 広島市は、政令指定都市となった後にも編入合併を何度か行っています。前掲朝日新聞朝刊記事に登場するのは、広島市の西部、旧湯来町です。現在は佐伯区の一部となっているこの地区は、2005年4月に広島市に編入されましたが、それまでは人口7000人ほどの小さな地方公共団体でした。山村と言いうるような場所で、実際に山村振興法の適用を受けていたそうです。

 その旧湯来町は、かつて地域の活性化や産業の振興を目指して、企業を誘致したようです。その結果、30ほどの企業がここに立地していました。しかし、合併によって広島市の一部となり、事業所税がのしかかることとなります。1年間で6000万円ほどの負担が、旧湯来町に立地する全企業に課せられることとなります。一企業あたりなら平均200万円ほどということになりますが、赤字であっても納めなければならない税ですから、この税がきっかけの一つとなって倒産や破産に至った企業もあるようです。赤字が続いても毎年1600万円ほどの事業所税を納めなければならなかった家具製造販売会社の例を読むと「一体何のために地方税として事業所税を課しているのか」と疑問ばかりが浮かびます。それとともに、広島市に囲まれながら同市との合併を避けてきた府中町の賢明さを讃えたくなります。

 東北地方へ目を移せば、秋田市の例もあります。前掲朝日新聞朝刊記事は、この秋田市の例もあげています。同市は中核市で、2005年に旧河辺町と旧雄和町を編入しています。ただ、秋田市の場合は広島市と異なり、旧河辺町の工業団地に所在する企業については3年間のみ、事業所税を猶予されていました。同様の例は前橋市、一宮市、四日市市にもあるようです。しかも、前橋市に至っては事業所税が市長選挙の争点にもなっています。

 事業所税は、目的税でありながら地方交付税の基準財政収入額に算入されるなど、その存在意義などについてかねてから批判がなされてきました(その一部は、私の「地方目的税の法的課題」において取り上げています)。

 総務省は、事業所税を存続させる意向を示しているとのことで、前掲朝日新聞記事から引用すれば「老朽化した公共施設の改修などが必要で、事業所税の役目が終わったとまでは言えない」という見解に立つようです(総務省市町村税課の課長補佐氏のコメント)。

 たしかに、既に示したように地方税法第701条の30は「指定都市等は、都市環境の整備及び改善に関する事業に要する費用に充てるため、事業所税を課するものとする」と定めているのですが、公共施設の老朽化は政令指定都市や中核市に限定された話ではありません。勿論、規模、数の問題はあります。しかし、課税団体を制限するには根拠が薄弱であることも否めません。政令指定都市などの大都市でなくとも、企業立地などで多額の税収をあげる地方公共団体は存在しますし、「都市環境の整備及び改善に関する事業」が直ちに「公共施設」にのみ結びつくというものでもないでしょう。まして、現在の安倍政権は企業減税に熱をあげています。外形標準課税と企業減税(さらには日本経済の活性化)は、どう考えても矛盾する訳です。この際、事業所税を完全に廃止すべきでないでしょうか。そうすれば、安倍政権の支持率も上がりますし、多少は従業員の給与も増えることでしょう。

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謹賀新年

2014年01月01日 01時09分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

 2014年になりました。あけましておめでとうございます。

 先程まで、テレビ東京の「東急ジルヴェスターコンサート」を見ていました。2013年→2014年のカウントダウンは、ヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲でした。私が好きな曲の一つですし、おそらくこの曲に投票していたであろうということで、また、候補となっていた3曲の中ではこの序曲が最も相応しいであろうということで、予想していました。まさしくドンピシャで新年を迎えた訳です。

 これまで、毎回テレビで見ていますが、いつかは生で見たいと思っているコンサートです。渋谷で年越しすることになりますが、BUNKAMURAのオーチャード・ホールで新年を迎えられるのならば文句なしというところです。

 さて、今年はどんな年になるか、いや、どんな年にしようか、と考えています。まだ2013年度は続きますので、頭の切り替えが難しいのですが、着実、健康、可能性の三つを基本としたいところです。

 このブログや私のサイト(http://kraft.cside3.jp/)も、地道に続けていきます。何卒、御愛顧の程を。 

 

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