ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

巣鴨駅の近くで

2014年06月15日 23時22分26秒 | まち歩き

 昨日、白山から千石を通って巣鴨まで歩きました。千石駅周辺の様子を撮影するのが目的でしたが、それは「待合室」のほうに掲載するとして、今回はJR山手線と都営三田線との乗換駅である巣鴨駅の近くで見かけたものをとりあげます。

 有名なとげ抜き地蔵などへ行くには、山手線の駅から白山通りを北の方へ、つまり、西巣鴨のほうへ歩くことになるのですが、今回取り上げるものは逆の方向、つまり千石駅のほうに向かって歩くとすぐの所です。白山通り沿い(西側)のローソン巣鴨一丁目店の真ん前に、下の写真のような石碑があります。

豊島区巣鴨一丁目。ここに江戸幕府第15代将軍、つまり最後の将軍である徳川慶喜が居住していたのです。もっとも、彼が巣鴨に邸宅を構えたのは明治30年のことで、わずか4年間のことでした。

 石碑の右側に立っている説明板です。木の影が映り込んでいるので読みづらいかもしれませんが、ご容赦ください。この碑の裏は白山通りで国道17号線、昔の中山道です。

 徳川慶喜は、慶応2年に将軍となります。しかし、翌年に大政奉還を行い、またその翌年には駿府、つまり現在の静岡市に移ります。上の説明板にもありますが、彼が巣鴨に移ってきたのは61歳になってからのことでした。また、彼が巣鴨を離れ、現在の文京区小日向(丸ノ内線茗荷谷駅付近)に転居して、明治35年には公爵となります。亡くなったのは西暦で1902年ですので、明治35年、つまり公爵となって間もなくのことでした。

 彼が巣鴨を離れたのは、現在の山手線の建設が決まったことが原因である。説明板にはこのような趣旨が書かれています。本当かどうかはわかりませんが、もったいないことをしたと思うのは下衆の何とかなのでしょうか。


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