昭和の青春時代を思い出す時、絶対に外せないのが、大阪のイベント会場です。その多くが今はもう無くなってしまっているのが寂しいのですが・・。例えば南海ホークスの本拠地大阪球場。野球だけではなく、1989年・UWFの前田―ドールマン戦がありました。大阪に住んでいた僕と同年代の女性なら、西城秀樹のコンサート会場として有名かも知れません。
扇町プールは、建物自体は見たことがありますが、僕の父親世代には、力道山とルー・テーズの世界戦が行われた場所として有名でしたが、今はもう昔に取り壊されました。
僕の大好きなイベント会場は大阪府立体育会館。「体育館」ではなく、「体育会館」が正式名称でした。1987年2月、現在の建物が2年がかりの工事の末に完成しました。綺麗で明るい体育会館。
でも、僕にとっての大阪府立体育会館は、やはり1985年2月を最後に、その歴史を閉じた旧・大阪府立体育会館です。
何度、この会場に足を運んだのか数えきれませんが、強烈な思い出は、初めてここを訪れた昭和44年12月2日。アントニオ猪木がドリー・ファンク・ジュニアに挑戦したNWA世界ヘビー級戦でした。60分3本勝負なのに、1本をどちらかが取ることもなく、フルタイムを動き回っての引き分けに終わった名勝負でした。
体育館の総合的な設備の面では、現在の大阪府立体育会館は何の申し分もありません。しかし、あの旧・大阪府立体育会館の独特の古ぼけた雰囲気、埃っぽい感じが忘れられません。
今のイベント施設と違い、当時の府立体育会館にはエアコンが無く、天井は鉄骨が剥き出しの施設でした。夏のプロレス観戦はおろか、コンサートでも、うちわを片手に鑑賞しなければならない施設でした。
音響も、フェスティバルホールどころか、厚生年金会館にもかなわない施設でしたが、あのビリー・ジョエルが「ストレンジャー」「ニューヨーク52番街」「グラスハウス」の大ヒットとグラミーを引っさげて、1981年4月20-21日に来日コンサートを行ったのが何とここなのです。あれにはたまげました!(笑) 東では武道館なのに、大阪では「ここ?」と心底驚きました。
コンサートでは京セラ・ドームや、ザ・シンフォニー、大阪城ホール、いづれ再オープンするフェスティバルホールには歯が立ちませんでした。しかし、プロレス会場としては、これ以上にない雰囲気を醸し出した思い出の体育会館でした。
東京ではタイトルマッチが興業を成功させますが、大阪は違います。他では見られないカードを大阪人は好みました。今でも「タイガー・ジェット・シン対上田馬之助、レフェリー・アントニオ猪木」のカードで超満員になった大阪府立体育会館を忘れられません。外国人同士の対戦など初物にも大阪人は弱かった。(笑)