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+  よーぐるとの土曜日に・・・ 神功皇后の活躍と系譜

2005年10月08日 08時05分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 ヨーグルトの  ブルーベリーな  土曜かな

   馬糞 Bafun

 

 

 

 稲穂は美しい。

 黄金の国ジパングといわれたのは、茅葺の家並みと輝

く穂波だったのではないかと、聞いたことがある。

 穂波といえば、福岡から巡礼の山篠栗の峠を越えた盆

地にその地名がある。


 5世紀初頭の三韓征伐で有名な神功皇后に由来する地名

あるらしい。

 「ああ、なんて美しい穂波であることか・・・」と。

 

 福岡には神功皇后にまつわる伝説が数多い。

 宮地嶽神社の裏山の山頂にも、三韓征伐の勝利を神功

皇后が祈ったとされる記念碑がある。

 木々に覆われて、朝鮮への海を見通す景観はなくなっ

ているが、神功皇后を身近に感じられる場所である。

 

 こうした神功皇后の伝承は、日本の歴史教科書からは

削除されているらしい。


 三韓征伐に対するコリアの反発を恐れてのことであろ

う。

 なんとも卑屈な国になったことか。

 教育の罪は重い。


 

 神功皇后について興味深い著作がある。

 渡部昇一先生の『日本史の真髄(古代・貴族社会篇)』

(PHP研究所刊)である。歴史に感動を覚える名著で

ある。

 久しぶりに読み返してみると、あらたな発見があった。

 神功皇后は仁徳天皇のおばあさまにあたる。

 その神功皇后は、日本武尊の子、仲哀天皇の后と書か

ている。日本楽府の記述であるらしい。

 

 ちなみに、仲哀天皇は、熊襲征伐の戦で流れ矢にあた

り、戦死する。

 夫の戦死を受けて、神功皇后が熊襲の後ろ盾となって

いた三韓の征服に成功するのである。三韓征伐から引き

上げて産み落とした仲哀天皇の子供が応神天皇である。

 

 日本武尊は、那国の媛であり、妻となった弟橘媛と共

に九州やまとの国から東征して日本を統一するが、新し

い都に帰還する直前で病死する。

 その後転生して、山県有朋として、近代日本の軍事を

司った。

 

 日本武尊の後をついで、奈良大和朝廷初代の皇位に即

位したのが弟、成務天皇である。

 4世紀初頭の人物である。


 二人の父は景行天皇であるが、ここまでは、佐賀やま

との都である。景行天皇は、九州やまとの国(いわゆる

邪馬台国)の女王、日向(いわゆる卑弥呼)の弟の系譜

(孫)に属する。



 神功皇后にとって、九州は故郷でもあったということ

である。 

 このころの日本を探索することは本当に楽しいことだ。

 古き良き秘史、万葉の時代である。

                        

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

佐賀大和朝廷

卑弥呼(日向女王)・・・父:山高之命 母:桃日

大日之命(卑弥呼の弟)・・・ 卑弥呼が38歳で薨去の後再婚

景行天皇・・・ 大日之命の子(天駆之命)

日本武之尊・・・ 九州を出て、東征する。新しい拠点を奈良の地域にする。

 

奈良大和朝廷

成務天皇・・・ 日本武尊の弟。初代奈良朝廷の皇位に即位。

仲哀天皇・・・ 日本武尊の子。九州で戦死。

神功皇后・・・ 仲哀天皇の后。宇美八幡にて、応神天皇を出産。

応神天皇・・・ 仁徳天皇の父。

仁徳天皇・・・ 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)。

        皇位継承に、菟道稚郎子(弟)と譲り合う美談あり。

 

 

 

 

 

 

 

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