白水郎(Ama)族の 統べし港の 秋波かな
馬糞 Bafun
白水郎族とは、那国の志賀島や宗像一体を治めた漁労
民であり、大陸に渡る船舶技術を支配した海洋技術者集
団である。
志賀島からは、金印が発掘されたことで有名だが、万
葉歌の島でもある。
当時の海運と海産の一大拠点であったろう。
ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも
われは忘れじ 志賀の皇神
志賀島といえば、荒雄の悲劇の歌が思い出される。
荒雄らを 来むか来じかと 飯盛りて
門に出で立ち 待てど来まさず
万葉歌の志賀島
http://www1.ocn.ne.jp/~tokko/sikanosima/sikanosima.html
http://sawadas.cool.ne.jp/mikiyo/kahi/kahi.htm
九州人のルーツは南方のムー大陸の時代に遡る。
海の民である。ベトナム人もルーツは同じである。
ムー大陸は紀元前1万3千3百年前に、三段階に分か
れて海没する。
そのとき船で逃れたムー人が、アジア文明の源流とな
って行く(大川隆法著「太陽の法」)。
この説が最もよくアジアの体系を理解せしめる歴史観
である。
文明のルーツは、チャイナではないということである。
文明の灯がその後どのように日本に根付いたのかはわ
からない。
しかし、紀元前8世紀頃の高千穂の国にははっきりと、
高度の文化を持って九州を統一していたことが神話に語
られていることからも推定されるのである。
那国もまた、そうしたムー文明以来の海洋文明をもっ
ていたことであろう。
ところが、現代では平凡な漁民に堕している。
志賀島に通じる港は博多港(ベイサイド)だが、地震
に見舞われ、その復旧もままならない。
その運営会社は倒産に直面して寂れている。
これが九州の都、博多の港かと思うほどに過疎化して
いる。
港には、地下鉄も電車もモノレールもない。
過疎地を結ぶバスとタクシーだけである。
港を観光地にしようという発想はあったが、港にステ
ージを作るわけでもなく、人を集めようという導線の工
夫もないままだった。
港に足りないものは・・・。
足りないものは、海の民としての誇りと人材であろう。
Bafun