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+ 寒の海・・・ 憲法改正論 1 『立憲民主主義の論理と教育・マスコミ改革』

2007年01月21日 10時56分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  灼熱の  夕陽は入りぬ  寒の海


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 津屋崎の浜は、夕陽の名所である。

 玄界灘が吹き付ける寒中に、燃えながらジュ~ッと湯気を立

てて夕陽が沈んでゆく。

 そのようなダイナミックな光景なのである。


 その太陽を、人のものだと思ってはならない。

 

 『人間中心主義』とは、身分制社会に対するアンチテーゼで

はあっても、神を無視する傲慢であってはならない。

 その傲慢が、支配と戦争、堕落と独裁の温床となるのであ

る。

 

 

 

【民主主義の危険性】

 『民主主義』とは、『共産主義』に匹敵する危険性をはらんで

いる。

 一見理想を語っているようであって、未成熟な社会に持ち込

むと、堕落と恐怖を招くからである。

 

 共産主義は貧乏の平等と恐怖政治に陥った。

 同様に、民主主義は大衆民主主義の状況の中で、政治的

無関心と匿名の独裁者というべきマスコミ独裁の弊害を現し

つつある。

 民主主義が長生きしているのは、競争の原理が働いてい

るからである。

 エリートが殺されていないから、社会が支えられている。

 

 

 

【民主主義の生命線~ 教育とマスコミの正統性】

 

 民主主義の生命線は、高度の国民教育である。

 その教育の柱には、国家と一蓮托生の責任感(郷土愛・祖

国愛)と、人として如何に生きるべきかという宗教教育(倫理

道徳)が不可欠である。


 自己中心を排除しなければならない。


 国のため、他人のために生きるという価値観が根底に確立

しなければ、民主主義は転落してゆくであろう。

 ゆえに、教育とマスコミの正統性を確立することが不可欠の

改革課題なのである。

 

 

 

 

 

 

【マスコミの正統性システムについて】

 教育改革だけでは不足である。

 マスコミの正統性を如何に統制するかが民主主義に欠かせ

ない課題である。

 

 マスコミを商業として認めるためには、経済的規制が欠かせ

ない。

 さらに、権力的影響力をマスコミ企業に与えてはならない。

 経団連、経済同友会など、スポーンサー企業連合がマスコミ

運営権限と責任を持つべきである。

 消費者による民主的統制が働くシステムである。

 

 マスコミの弊害は無視できない。

 国民教育責任がマスコミにあるにかかわらず、偏見と堕落

は目に余る。

 マスコミに対する理性的な統制を如何に計るか、具体性を

持ったマスコミ憲章が必要であろう。

 法の支配の確立である。

 

 『マスコミといえども、神と法の下にあり』というマグナカルタ

を確立し、番組審査制度と事後的責任追及制度も必要にな

るであろう。

 

 マスコミ独裁は、表現の自由の問題ではない。

 権力の問題である。

 民主的統制の問題である。

 国民に対する影響力、政治的影響力は国家権力というべ

きだからである。

 

 「表現の自由の優越性」というマスコミ権力の呪縛を解か

なければならない。

 『表現の責任論』こそが人権なのである。


 
自由権という言葉は憲法から削除すべきであろう。

 人権とは、幸福な人間関係論でなければならない。

 権利という言葉自体もふさわしくないであろう。

 「人権」とは、本来、人としての、国民としての道であり、責

任である。

 人権の章を、『人を幸福にする権限と責任』と表記してはい

かがか。

                            梅士 Baishi 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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