木蓮の 白ふくらみて 旅立ちぬ
馬糞 Bafun
白い木蓮の大輪がいっせいに花開き、その花から一斉に
春風が
旅立っているかのようである。
そのように、新旧交代の人々もまた巣立ってゆく季節である。
年度末の多忙さの中で、彼岸の中日も過ぎ、昼の時間が
長くなっ
てきた。
菜の花畑の黄色がまぶしい。
もうすぐ4月である。
西行の花が、じっとその時を待っている。
人の世には変化が求められている。
さて、いかに変化すべきであるか。
福岡県知事選、県議会議員選挙、市議会議員選挙と、大統領制にもと
づく地方自治選挙が迫っているらしい。
日頃、存在感のない政治家たちである。
なぜ、存在感がないかというと、マスコミが地方自治に関心を示さなから
である。
公共放送としての役割を持たず、民主主義の基盤としての役割を持って
いないからである。
独占を制度で認めている放送であるならば、放送の免許制も見直されな
ければなるまい。
放送免許の選挙というのもあってしかるべきであろう。
新旧交替が図られなければ、民主主義も腐敗する。
その腐敗はマスコミに著しい。
地方自治の概念も変わらなければならない。
なぜ、地方なのか。
アメリカには地方はない。
独立州である。
そのほうがよい。
地方と独立は矛盾する。
自治とは独立の責任を意味しているはずである。
独立福岡という政治でなければ、選挙の意味も実感がな
い。
県が独立州国家となり、九州が連邦国家として連邦州政府
を持ち、
国際政治と日本統一政治の府として日本政府を置く。
そうした改革構想を持った知事候補も、議員候補もお目にかからない。
面白くもない自己保身選挙になってはいないか。
立憲女王国 神聖九州やまとの国にも、いよいよ、参加市民を募るべき
ときが近づいている。
Bafun