一筆の ようなつぼみが 春を描き
馬糞 Bafun
春・・・ 何とあたたかな響きであることか。春の日差しは、
細い枝も、小さな虫も、金色に輝かせて希望を与える。
太陽は神聖であり、希望である。
それは、エネルギーの本質であり、人の心の仏性というべき
ものであろう。
存在とは根源の意思に発し、それゆえに希望であり、諸行
無常のエネルギーとして生成発展する。
ところが、現実には悪霊、悪魔のエネルギーが実在する。
汚染し、破壊し、不幸を生み出そうとする輩がいる。
なぜだろうか。
おぞましく、汚らしい存在というべき人間たちがうごめいて
野放しにされている。
そして、制裁したくなる。
存在とは希望であり、生成発展してやまないエネルギーで
あるはずなのに・・・
それは、おそらく、分枝した光相互の関係から生じる障害と
いうべきなのであろう。
その障害に対して、人は、制裁する以外に、如何に対処す
べきであるのか。
宗教、哲学、それは、人間関係論に困難な課題がある。
だから、譲り合いの精神が大切なのだ。ルールが大切なのである。自己中心を戒め、与える愛が大切なのだ。
では、社会悪というべき者に対して、如何にあるべきか。
人間関係の障害を個人の裁き心に委ねてはならない。
権威を持って教育し、制裁する権威が必要である。
そのために、国家があり、裁判制度や警察があり、学校が
あるが、あまりに機能不全である。
病みやすい社会になっている。
そうした権威の発動を、証拠偏重主義に後退させてはなら
ない。
体内の抗体組織のように、予防力を充実しなければなら
ない。予防警察力の充実が欠かせない。
そのためには、国家警察という専門職に限定せず、民間警察
制度を発足させることである。
民間の経済活動をしながら、一定の見識と人格を認められ
た者を推挙して、警察活動の権力と職責を与えることである。
これが、陪審制度よりも先に検討されるべきことであろう。
もう一つは、更正教育制度である。
いじめ問題への対処としても、街のチンピラ、不良対策とし
ても、教育の不足がもたらしている責任として整備する必要
がある。
社会免疫システムと自然治癒力を高める智慧と工夫を、
議会と内閣に求める。
Bafun