すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

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■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 社会の抗体システムとしての教育と、民間警察制度を作れ

2007年03月31日 10時55分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 一筆の  ようなつぼみが  春を描き

  馬糞 Bafun

 

 

 

 

 春・・・ 何とあたたかな響きであることか。春の日差しは、
細い枝も、小さな虫も、金色に輝かせて希望を与える。

 太陽は神聖であり、希望である。

 それは、エネルギーの本質であり、人の心の仏性というべき
ものであろう。

 存在とは根源の意思に発し、それゆえに希望であり、諸行
無常のエネルギーとして生成発展する。

 

 ところが、現実には悪霊、悪魔のエネルギーが実在する。
汚染し、破壊し、不幸を生み出そうとする輩がいる。

 なぜだろうか。

 おぞましく、汚らしい存在というべき人間たちがうごめいて
野放しにされている。

 そして、制裁したくなる。

 存在とは希望であり、生成発展してやまないエネルギーで
あるはずなのに・・・

 それは、おそらく、分枝した光相互の関係から生じる障害と
いうべきなのであろう。
 その障害に対して、人は、制裁する以外に、如何に対処す
べきであるのか。

 宗教、哲学、それは、人間関係論に困難な課題がある。

 だから、譲り合いの精神が大切なのだ。ルールが大切なのである。自己中心を戒め、与える愛が大切なのだ。

 

 では、社会悪というべき者に対して、如何にあるべきか。

 人間関係の障害を個人の裁き心に委ねてはならない。
権威を持って教育し、制裁する権威が必要である。

 そのために、国家があり、裁判制度や警察があり、学校が
あるが、あまりに機能不全である。
 病みやすい社会になっている。


 そうした権威の発動を、証拠偏重主義に後退させてはなら
ない。
 体内の抗体組織のように、予防力を充実しなければなら
ない。予防警察力の充実が欠かせない。

 そのためには、国家警察という専門職に限定せず、民間警察
制度
を発足させることである。
 民間の経済活動をしながら、一定の見識と人格を認められ
た者を推挙して、警察活動の権力と職責を与えることである。

 これが、陪審制度よりも先に検討されるべきことであろう。


 もう一つは、更正教育制度である。
 いじめ問題への対処としても、街のチンピラ、不良対策とし
ても、教育の不足がもたらしている責任として整備する必要
がある。

 

 社会免疫システムと自然治癒力を高める智慧と工夫を、
議会と内閣に求める。

 

                        Bafun 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 鎮魂の歌  3.23・・・ クリシュナ幻想  ゴルゴダの丘  天使の軍団

2007年03月31日 07時07分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

《鎮魂の歌》

 

 

   一仕事  終えて還りし  彼岸かな

   馬糞 Bafun

 

  

 

《空想的考古》 

 諸行無常、春の花の下に友が去り、同僚が去り、恩師

が去った。

 私もまた、西行のように願って、桜花の季節に去りた

いと思う。

 そして、彼岸の花の下に還るのである。

 敬礼をして、兵士のごとくに。

 

 

 クリシュナ幻想・・・

 かつて、クリシュナの時代に、
そのように戦って、散

ったことがあっただろうか・・・ 


 クリシュナ様は、理想郷というべき国をつくり、人々

を守らんとした。

 大軍が迫った朝、王は言われた。

 家族ある者は家族を護れ。

 われらはこれより、天の道を開かんとする。

 

 人々が泣きながら見送る中、王クリシュナは精鋭を連

れて城門を閉じ、一声された。

 「これより新しき国を創る。」


 われらは最後の戦いに撃って出た。

 

 それから千年あまりのときを経て、クリシュナ様はカ

ナンの地に転生された。

 イエスキリストである。 

 ところが、イエス様は、国を守ろうとはなさらなかっ

た。

 そして、一人で戦って死んだ。

 いったい何を守らんとなされたのか。

 

 後を追って転生したクリシュナの精鋭たちはなすすべ

を知らず、イエス様をゴルゴダの丘に置き去りにして逃

げてしまった。

 イエス様が救世主であることの確信が揺らいだのだろ

う。

 

 まさか、救世主ともあろう方が、これほど惨めに十字

架を引きずり、罪人として辱めを受けてなすすべがない

などということがあろうか・・・。

 そう思ったにちがいない。

 そう思うと、恐怖心が先立ったにちがいあるまい。

 

 神の孤高に、人はただ天を仰いで涙するばかりである。

 戦士とは哀れである。

 戦って死ぬことに恐れはないが、武器を持たない主を

信じ、武器をもたないで戦うことに戸惑ったのだ。



 信仰とは何なのか。

 今世も決意して生まれてきたはずである。

 救世主を守ろうと、幼い魂に刻んだものである。

 

 しかし、武器を持って戦う時代ではない。

 学ばなければならない。

 学んで伝え、学んで新しい国を建設しなければならない。

 

 「新世界建設」 

 黄色い土木ヘルメットに刻んだ名前である。

 一人にても、国造りの土を打とう。

 この世を去る花の季節まで・・・。

 わが過去世への空想的考古である・・・。  

 

 

   

 木蓮の  白き翼で  春去らむ 

 青限りなき  彼岸の空に

   白川 馬草 Magusa

 

 

 

 

 木蓮の  白き翼を  羽ばたきて

 天使の列は  君を迎えむ  

   白川 馬草 Magusa

 

 

 

《3.23鎮魂》

 魂もまた、巣立ってゆくのであろうか。

 昨年の春も、桜のころに高潔の女史が急逝された。

 そしてまた、福岡の教育を堕落から守ってこられた人

格者が急逝された。

 3月23日朝、草稿中の訃報であった。


 この場を借りて、ご冥福をお祈りする。

 

 不自由な肉体を去れば、また、豊かな魂は自由を得て、

新天地でその輝きと役割に目覚められることであろう。

 吾もまた、寒中にその花を仕込んでいる。 

                     
  2007年3月23日Fri 

 

 馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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