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+ ハマゴウ再発見・・・ Panasonic の危険な賭け

2008年10月12日 12時21分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 浜荊hamagou の 浜の晩夏の 風の跡

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 まだ夏休みの浜の賑わいの中で、砂漠緑化運動のように浜の

砂漠に密集している草が、浜に咲く蘭の花のように、紫の花を咲か

せていた。

 しかし、それが何という花なのか、分からなかった。

 植物図鑑まで買ったが、探す手がかりがないと探せないのが植物

図鑑だった。

 

 それが、たまたま、植物ネットサーフィンで見つかった。

 ハマゴウというのだそうだ。

 しかも、草ではなく、低木であるらしい。

 浜の荊(いばら)という名だが、蔓のように丈夫な茎なのであろう。

 

 名前が分かると、仲間が増えたようなうれしさと、安心感があるも

のである。

 

 季節はもう、浜で泳ぐには冷たくなった。 

 浜には、おびただしいくらげが打ち上げられている。

 重装備のウィンドサーファーたちが風を楽しんではいるが、夏はも

う終わったのである。

 

 

 

 

 ハマゴウ・・・ http://www.hana300.com/hamago.html

 

 

 

 

 

ブランドの大切さ・・・ Panasonicの危険な賭け


 ブランドとは、商品の姓名というべきものである。

 ブランド価値というとき、名前が社会的信用として広く知られた名

前を意味する。

 名前には、家族名があり、固体名がある。

 名は体を現す。

 体とは、優れた個性である。 

 家族名は、社名であることも多い。

 

 名前が広く知られ、親しまれ、信用を確立するには継続的な実績

と長い時間を要するものである。

 

 最近、松下電器産業㈱が、社名からブランドまで「松下」「ナショナ

ル」という伝統的なブランドを捨てて、「パナソニック」にブランド統一

したことで話題となったが、出世名というべき改名であったかどうか

は疑わしい。

 

 松下電器、松下幸之助、ナショナルというブランドは、日本では伝

統的信用と親しみと、高い評価があった。

 これを捨てたということは、大きなマイナスであることは間違いない。

 それに変わる「パナソニック」という名前には伝統がなく、名前の由

来も知られておらず、ただ、横文字の名前をつけたというくらいにしか

思われていない。

 パナソニックというと、ああ、ナショナルの製品ね、と翻訳して認識

される別名程度に過ぎなかった。

 これを本命に改めて、一本化したのである。

 

 これに対して、SONYは、すでに海外戦略として1955年から使用

され、その信用を世界で築き上げてきた。

 その名の由来は、音を意味する英語のSonicと、男の子を意味す

る英語のSonnyを合成して命名したといわれる。

 そこには、海外戦略と戦略商品が明確にされていた。

 

 これに追随したのが「Pana-Sonic」という音響ブランドの使用で

あった。

 

 今回の松下電器のパナソニック化は、SONYを強く意識したもので

あろうが、海外ブランドとしても確立されておらず、かつ、海外戦略

が明確にされているわけでもない。

 すなわち、ブランドに欠かせない個性を見失う危険な賭けとしか

思えない。

 

 本来は、松下のブランドを核とするべきであったと思う。

 松下幸之助のカリスマ的企業哲学をこそ、海外にアピールするべ

きであったと思う。

 『MATUSITA』  『KOUNOSUKE』   『LUKE』

 ルカとは、松下幸之助の過去世、キリスト12弟子の一人であるル

カのことである。

 海外戦略にはアピールするのではないか。

 

 勝負はこれからではあるが、論理的に考える限り、パナソニックグ

ループの衰退が予想されるのである。

 

 ハマゴウではないが、荊の道となるであろう。

 

                              梅士 Baishi  

 

 

 

 

 ※ ハマゴウの大群生(津屋崎浜)

 

 

 

 

 

 

 

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+ 残り香・・・ 神聖・ジェンダー論  女性の気高さについて 

2008年10月12日 08時24分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

 残り香を 金木犀に ふと思い


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  若い女性とすれ違うと、かすかな香水のにおいがする。

 いったいなんという香水を使っているのかと、不思議に思うことがある。

 シャネルではない。

 夜間飛行でもない。

 うっとりするような香りもある。

 湯上りの娘っ子のようなにおいもある。

 

 香水には色気がある。

 そんな風に、夜に香る金木犀にも、女性のかすかな残り香のうよ

うな色気があるものである。

 一時は、トイレを連想させる香料であったが、本当の金木犀はか

すかに上品に香るものである。

 

 

 

 

 

 

 

男女の気高さについて


 香水の香りは、女性の気品をあらわすものであるが、 獣の臭いを

けすためのものとして使っているのかもしれない。

 しかし、本来は、気高さを表現する道具である。

 

 先に、ジェンダーフリー論の不道徳について論じたが、本来のジェ

ンダーとは、男神、女神に象徴されるように、気高さが追求されてい

るのである。

 

 男も女も、同じ人間ではあろうが、その肉体は野獣のようかもしれ

ないが、しかし、その肉体には男の魂が宿り、女の魂が宿っている。

 女は、気高く、美しく、神秘な美しさを感じさせる不思議な存在であ

るし、そのようであるべきでもある。

 香水は、女性にふさわしい表現を持っていると思う。

 

 人間の本質は魂である。

 魂とは神秘の生命エネルギーであり、高貴な表現であり、深遠であ

る。

 人は、その生来の魂の神秘な気品を見失ってはならないと思う。

 

                                梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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+ 金木犀のそんな時・・・ ジェンダーフリー論 の 不道徳 について

2008年10月12日 08時01分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 そんな時 金木犀の 香りして

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 ふと金木犀が香って、ああ、秋なんだなと思う。

 大変な時代を生きているが、

 いい香りがする。

 

 人生、そんなにかっこよく生きることはない。

 関西風に笑える人生でよいのではないか。

 不恰好な人生でも、秋には金木犀、銀木犀のいい香りがする。

 

 人生は、結局、幸せなのである。

 

 

 

 

 

ジェンダーフリーの不道徳


 どうしても言葉が思い出せなくて、少々寝不足になった。

 それが、ジェンダーフリーという言葉だった。

 ひき逃げにあったとき、脳内出欠があったが、そのせいだろうかと

疑うほどに、全くもって、記憶の糸口が見つからなかった。

 どうも、脳みその記憶回路が劣化しているらしい。

 

 ジェンダーとは、文化としての男女の役割区分観というべきもので

ある。

 男らしさ、女らしさといってもよい。

 この、男らしさ、女らしさの観念を否定して違いはないと言うのがジェ

ンダーフリーという考えである。

 いわば、男女を分けた神に対する抗議であり、神の否定という心情

を含むであろう。

 あるいは、男女を闘争関係と捉える考え方である。

 

 男女を協力関係としてみる伝統的ジェンダー観によれば、男性優

位社会とは、女性が守られ、保護されている分野を意味している。

 そのようにして、子供が育まれてきたのである。

 

 そういうジェンダーフリー論者が、「女らしい」とされる社会的選択

行動をとるのだから、抗議する論者としては不道徳なことである。

 すなわち、ジェンダーフリー論は、そうした自己矛盾、不道徳から発

しているというべきであろう。

 あるいは、「女の浅知恵」と揶揄されるような短絡的な発想という

べきであろう。

 その結果、女性の社会進出が殺伐とした闘争的ジェンダー社会を

広げている。

 さらには、家庭が崩壊し、子供が殺伐にさらされるようになってい

るのである。

 ジェンダーフリー論は悪魔の罠というべきであろう。

 

 

 そのような軽蔑があったからか、記憶の糸口を見失ってしまった

のである。

 実に、迷惑な話である。

 

 学校から、日教組教職員を懲罰し、ジェンダーフリー教育の汚染か

ら子供たちを守らなければならない。

 日教組とは、教員倫理に反し、公務員倫理に反し、職業倫理に反

して公務員報酬を受け取っている不逞の輩である。

 懲罰事由には事欠かないであろう。

 また、懲罰を怠ることもまた、職務怠慢である。

 

 「らしさ」、という役割意識、責任感を立て直そうではないか!

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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