放生会 放たれたるや 雨降りぬ
梅士 Baishi
筥崎宮の放生会が始まった。
昨日がお降り、ご神幸の行列が楽しみだった。
ところがあいにくの雨、しかも自分のお下りが遅くな
ったために、筥崎宮前で御神幸の行列のしっぽに追いつ
くのがやっとだった。
雨ではあったが、放生会は生き物を放つのだから鯉の
ようにすいすいと放たれたのではないか。
祭りには神様と人のドラマがなければならない。
人には、神仏とのつながりが必要なのだ。
その確認が祭りでもある。
だから人が集まる。
神なき祭りは、祭りではなく、イベントという。
物珍しい物産とバーゲンと芸能で人を集めるビジネス
である。
そこには信仰がないから、人は打算で集まる。
イベントの大義名分は、経済活動の公益性というとこ
ろにある。
イベントを否定するわけではないが、祭りと冠すこと
は詐欺であり、神への冒涜であると感じる。
学園祭というのも、学問の神でも祀らねば詐欺であろ
う。
学問の神聖を自ら汚してはなるまい。
無神論を学問として認めてもなるまい。
そこには学びがないからである。
さて、雨も上がって、今日は放生会が大いに賑わうだ
ろう。
博多はほんとに祭り好きな町であるが、神様がたくさ
んいて、威勢が良い。
いいところだと思う。
先週の上海の株価の動きをウォッチングしていて実に
面白かった。
市場の売りとそれを買い支えて、マイナスを避けよう
とする北京共産党のPKOのいたちごっこである。
しかし、個人投資家たちの株売買を小銃で監視規制し、
株価PKOをはかったとしても、市場に流通する株式がなく
なれば、すなわち、株式の資産価値が無くなるのであり、
国家的破綻に他ならない。
結局は、株価が数字のままフリーズして、個人投資家
に大損を強いることになる。
ナンチャイナの市場介入に期待して、もう大丈夫とい
うことで、東証の日経平均が1300円も暴騰した。
ところが、それも束の間、糠喜びに終わるだろう。
上海株は今の半分の水準でも粉飾株価である。
偽装資本主義が破たんして終わる運命である。
楽しみなことである。
そのときが、日本の反日公務員の粛清サインともなる
だろう。
ナンチャイナ共和国の傀儡に他ならないからである。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党