秋参り 神々しくも 色づきぬ
梅士 Baishi
まだ紅葉の写真はない。
高千穂が見ごろになったという。
少し遠い場所である。
色づいた桜の紅葉を見るだけでも神々しく感じられる。
美しさとは試練の中にあるものなのだろう。
(自然科学の傲慢)
久しぶりに「X-ファイル」を見た。
優秀な医学博士でありながらFBIの女性捜査官とし
てUFOやエイリアンの実在捜査の補佐を命じられたス
カーリー捜査官は、科学の万能を信じて疑わない目で、
モルダー捜査官の未知への探究に帯同する。
科学で説明がつかないことを現に体験しても、地球外
生命体の関わりとしてはばかばかしいと首を横に振る
「科学者」なのである。
メディアが売り出す「脳科学」の専門家もそうした類
である。
地球人類の「科学」というものを万能であると信じる
根拠は科学的に説明がつかないのである。
それがいかにもおろかに感じられる。
観察に予断や偏見が入っているのだ。
未知への謙虚がなければ科学とは言えない。
科学者だと思い込んでいる人たちは、高度の地球外科
学を想定してみることだ。
そもそも、この大宇宙に人類しかいないという結論自
体が根拠のない、ばかげた妄想である。
宗教もまた科学であるとしているのが幸福の科学であ
る。
むしろ、科学は宗教という未知への科学に由来する。
最大の未知は、空に広がる宇宙と、霊的世界に広がる
精神世界にある。
STAP細胞はないと結論付けるような「科学」を無
知の恥というのだろう。
強欲であり、恥とすべきものである。
未知とは可能性の発見でもある。
それをソクラテスは「無知の知」と言ったのだ。
信仰なくして科学なしである。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党