秋雨を 汗に流して 走り過ぎ
梅士 Baishi
今日はいい天気だったと思っていたが、帰宅時間には
小雨になっていた。
傘には手をかけないまま、小走りに雨を楽しんだ。
今日も元気である。
人は、自立していなければ友達もできないという。
いざと言うときに助けてもらうために友達を作るので
はない。
自立的人間関係とは、有用な仕事関係というべきであ
ろうか。
有用でなければ人間関係も細るであろう。
有用とは、提案しなければ価値を生まないということ
でもある。
価値を生むこと、創造することとは、やはり、社会貢
献の意識であろう。
仕事の面でもアクティブにならなければならない。
収入に不安のない経済状態は一見うらやましくもあ
るが、そうなると、生き甲斐ややりがいに疑問が出てく
るものだ。
人は常に、チャレンジしていなければ落ち着かないも
のなのではないか。
ゆるりと余生を楽しむ人生は、あの世に渡ってからで
良いと思う。
この世の命に限りがあるならば、この世は命がけで生
きるべきである。
今年の仕事も一段落した。
命がけの生きがいを考えたい。
日本の経済評論家は自分の不見識を棚に上げて、相変
わらずトランプ大統領批判を続けている。
実に見苦しい。
該当者は、評論の世界から退場するべきである。
恥ということが忘れらているのだろう。
今上天皇の「生前退位」問題は、皇室の存続問題をは
らんだ問題提起である。
君臨すれども統治せずという象徴制としては、命ある
限り天皇であるべきではないのか。
ご高齢に配慮した公務の削減なり、公務の代行なりは、
宮内庁の配慮の問題であろう。
にもかかわらず、皇太子に皇位を譲りたいというのは、
皇室の存続に対する不安や、象徴としての公務の意義を
明確にしたいというお気持ちもあるだろう。
いわば、公務が好き勝手に取り仕切られていることへ
の抗議と言う意味もあるのだろう。
そのあたりは、周囲が反省して配慮するべきである。
法改正して済むという問題ではない。
皇室を存続することの意義と覚悟が求められていると
思う。
最高神官としての宗教儀式は、天皇の判断が尊重され
るべきであろう。
会いたくもない習近平などにまで勝手に謁見させられ
るというのでは不快であろう。
天皇の国事行為も宗教儀式に限定されてよいのではな
いか。
旧ミンシュ党の菅を総理として任命する形式的国事行
為なども無用である。
政治的行為だからである。
新憲法において、天皇の最高神官としての地位を認め
るか否か、そういう問題である。
そのように認められるべきである。
神国日本の象徴は大事にしたい伝統なのであるから。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党