Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

冬本番の便りを聞いて、スキー板の手入れとタイヤチェーンの装着練習

2025年01月10日 | 日記

 今年の最強寒波が襲来して、日本列島は日本海側を中心に大雪を降り続いています。冬本番を迎え、私も気になっていたスキー道具をベランダへ持ち出して手入れをした。幸いスキー板のエッジに錆は無く、リムーバースプレーで滑走面の汚れを落としエッジを研いて、後はワックスを塗ればいつでも滑れる状態にした。

 その後タイヤチェーンを車に積んで近くの空地へ行き、タイヤにチェーンを装着する訓練をした。そんな私に暇そうな同年輩のオッちゃんが近づいて来て、「チェーンは後輪に付けちゃダメなんだよ」と、上から目線で私に話しかけてきた。

 「分かってますよ。これは本番に備えて練習してるだけなんだから・・」と応えたら、「このチェーン何処で買ったの?幾らぐらいしたの?」などと親し気に会話を続けてくる。でも私がチョット迷惑そうな顔してるのが分かったのか、オッちゃんは「じゃあネ」と言って去って行った。

 同じ境遇だから、オッちゃんが私と話をしたかった気持ちが少しばかり分かり、チョット冷たい態度だったかなと反省した。これが妙齢の女性相手だったら、きっと余分な事までぺらぺらと喋ったんだろう。幾ら齢を取っても、人間変わりません。

 これでいつでもスキーへ行ける準備は整ったけれど、肝心のスキーに行きたいというヤル気が湧いてこない。どうも年齢が増えるのに反比例するように、スキーへの意欲が減っているようだ。ユーミンの「スキー天国」を聞いても心が弾まず、気持ちが熟成するまでもう少し待ってみましょう。

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一年の計は元旦にあり、今年の目標は「RUN」

2025年01月08日 | 日記

 昨年の正月は能登半島地震や日航機衝突事故などの惨事が続き、不穏な幕開けでしたが、今年は大した事も無く割りと平穏な正月三が日でした。しかし私の場合は、あんまり平穏とも言えぬ正月となりました。

 昨年の秋頃から発症した右足の脹脛の筋肉痛が、良かったり悪かったりを繰り返して一向に治らず、今年初登山の加波山で再び悪化させてしまったのです。こんな時はジッと我慢の静養が一番の治療なんですが、ジッとしておれない性分なので、それも長引く一因です。

 しかし私は過去に脊柱管狭窄症や膝関節症などを発症して、満足に歩く事すらできなかった時期もあったけど、その都度何とか回復してきました。だから今回も治るとは思っているが、老化で自然治癒力が低下しているので、そこんとこに不安があります。

 そこで「一年の計は元旦にあり」、今年の目標は「ラン」とする事にしました。漢字の「乱」では無く、イングリッシュの「RUN」です。再び走れる脚力を取り戻す事が一番の目標で、更に願わくばマラソン大会に出場できればブラボーなんですが。

毎日鎮痛薬のバンテリン液αを患部に塗っているが効いているような・・いないような・・

 

 

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新聞の「株式市場欄」を廃止して「お悔み欄」を載せてほしい。

2025年01月06日 | 日記

  我が家は朝日新聞を購読しているが、読んでいて最近思ったんだけど経済面の「株式市場欄」って必要なんだろうか?

 私も株の投資をやっている一人だが、アナログの時代だったらいざ知らず、今は誰もがスマホやパソコンを持つ時代、チャチャと社名を検索すれば詳細な株価情報が即座に入手できます。

 とてもじゃ無いが、ネットに太刀打ちできない新聞の情報を頼りに、株の投資をやってる人が今時居るのだろうか。それに紙面の字が小さ過ぎて、虫メガネが無ければ老人には読む事すら困難だ。

朝日新聞の株式市場欄

 そんな株式市場欄何て廃止して、代りに載せて欲しいと思うのは「お悔み欄」です。大都市圏の新聞では見る事は無いが、地方の新聞では「お悔み欄」をよく見かけます。去年の10月北海道を旅した時も、「北海道新聞」や「釧路新報」にはお悔み欄がありました。

北海道新聞のお悔み欄

 日本人は新聞をよく読む国民だと思うが、特別な人を除いて殆どの一般人は新聞に名前が載らぬまま、一生を終えるのではないだろうか。

 社会の一員として一生懸命生きてきた無名の人々がその生涯を終えた時、その労苦に報いる意味でも広く世間に報じるというのは意義のある事ではないでしょうか。

 ちなみに私も過去に、自分の名前が新聞に載った事があります。それは何か良からぬ事件を起こした何ていう訳では無く、何処かの災害地への募金を朝日新聞に託し、その後紙面を飾った寄付者の一覧表に載っていたのです。まあ金の力で載せてもらったという事ですね。

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茨城県、加波山初詣ハイキング

2025年01月04日 | 山歩き

1月3日(金)    天気=曇り

08:18加波山神社駐車場➜ 08:28~39加波山登山口➜ 09:10五合目➜ 09:48~10:30加波山山頂➜ 10:40~48加波山神社親宮拝殿➜ 11:08~15燕山➜ 11:30加波山神社親宮拝殿➜ 12:12加波山登山口➜ 12:24加波山神社駐車場

 

 今年の初登山は、何処へ行こうかと考えた。高尾山や御嶽山など有名処は混雑するから気が進まない。茨城県の加波山は筑波山と共に常陸三山の一座で、古くから山岳信仰の山として知られている。まだ訪れた事が無かったので、初詣を兼ねて登る事にした。

 圏央道が貫通したお陰で、埼玉県と茨城県の距離がグンと縮まった。早朝我が家を出発し五霞インターで圏央道を降りると、関東平野の平坦な道を走り、8時過ぎに加波山神社の駐車場に着いた。

加波山神社

 神社の境内に参拝者の人影は無く、登山者の車が数台停まっているだけだった。準備を終えると加波山に向けて出発する。集落の車道を15分程登ると山頂へ向かう参道登山口が右に分岐していた。分岐にも車4~5台分の駐車スペースがあった。

加波山登山口

 参道の道はハッキリしているが、落葉で埋まり歩かれた形跡が薄い。低山と侮っていたが、急登が続きけっこう汗を掻かされた。肌寒い高曇りだが、風は弱く登山には丁度良い天気だ。

加波山への登山道

 標高が上ると、ゴロゴロとした岩が目立つようになった。加波山神社から約1時間半で、山頂部の一隅に建つ加波山神社本宮拝殿に着いた。神社の軒先を借りて、ここでコーヒーブレイクとする。

登山道沿いの巨石

山頂間近の道

山頂直下の鳥居(山頂への石段は半ば崩れている)

加波山神社本宮拝殿

 休憩を終えて出発すると、すぐに加波山神社本殿が建つ山頂(709m)に着いた。多くの修験者が歩いたであろう山頂一帯の稜線には、幾つものお社が建ち山岳信仰の往時が偲ばれる。

山頂の加波山神社本宮本殿

山頂から望む関東平野

途中にあったたばこ神社のお社

 山頂から岩の多い道を10分程降った鞍部には、加波山神社親宮拝殿が建っている。ここまで車道が通じているので、参拝する人の姿もチラホラ見掛ける。

親宮拝殿に向かう急な降り

加波山神社親宮拝殿

 鞍部から北へ伸びる林道を歩いて燕山へ向かう。アンテナ施設の所が林道の終点で、その少し先に燕山(701m)の山頂があった。疎林に囲まれて展望は殆ど無く、標識がポツンとあるだけの寂しい山頂だった。

燕山山頂

 鞍部に戻ると加波山神社へ降る道に入る。沢沿いに続く下山の道は、登りの道に比べると歩き易く、この道が加波山へのメイン登山道になるのだろう。鞍部から30分ほどで砕石現場がある車道道終点に着き、そこから車道を降って加波山神社の駐車場へ戻って来た。

山椒魚谷の水場

砕石現場から車道を降る

加波山神社に戻って来た(奥の山が加波山)

 車に乗ると筑西市の温泉施設「あけの元気館」に向い、山の汗を流した。ここは地元の人に親しまれる公営の日帰り温泉で、料金も650円と安く心地よく入浴する事ができた。

筑西市の日帰り温泉「あけの元気館」

 初めて訪れた加波山は、山岳信仰の面影が色濃く残された趣のある山で、静かな雰囲気を楽しむ事ができました。近くの高名な筑波山神社に比べると加波山神社は参拝の人影薄く、暇を持て余した神様がワザワザ遠路はるばる訪れた我々夫婦に、ありがたいご利益をお授け頂けるのではないでしょうか。

 

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令和7年の初日の出

2025年01月02日 | 日記

 1月1日(水)

 雲一つない新春の朝空に、令和7年の初日の出が粛々と昇った。そして西の彼方には朝焼けの富士山を望み、いよいよ令和7年の幕開けです。今年は団塊世代が全て後期高齢者になるんだとか、私もそのメンバーなので、あと何回この景色を見れるのだろうかと思えば感慨もひとしおです。

 妻手作りのお節料理が食卓に並び、一年間を平穏に過ごせた事と今年の安泰を願って妻と杯を交わした。その後は元旦恒例の実業団ニューイヤー駅伝をテレビ観戦、私が応援する旭化成が劇的な逆転優勝を飾ったので、正月気分が盛り上がる。

 駅伝を見終えた午後は、なまった身体をほぐそうとウォーキングに川越市内までウォーキングに出掛けた。そうです。去年の元旦この時刻に、街中に不気味な地震警報音が鳴り響いて、能登半島地震が発生したのでした。

 その二日後には羽田空港での日航機衝突事故も発生し、続けざまの大惨事に今年の日本はどうなっちゃうのだろうかと本気で心配しました。どうか今年は平穏無事な一年でありますよう心より願います。

 

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今年の年末はテレビ三昧の日々

2024年12月31日 | 日記

 12月30日(月)

 「俺の若い頃は」と言うセリフは年寄りの自慢話の定番だが、私が山にハマっていた40年くらい前は、「山男が街になんぞ居られるか」と粋がって、毎年正月には冬山登山へ出掛けていたものでした。

 中島みゆき風に言えば「そんな時代もあったネと・・」いうところですが、若気の至りとは言え雪深い雪山のテントで年越しの夜を過ごす何て、よくあんな事ができたなあと、今になって思います。

 そして歳月が過ぎ、後期高齢者となった今年の年末は、ヌクヌクとした家の中でテレビとパソコン三昧の日々を過ごしている。今日も午前中から「全国大学女子駅伝」のテレビ中継を見て、拓大、不破聖衣来選手の復活快走に感激し、午後は「全日本バドミントン選手権」を見て、女子高生新チャンピオンの宮崎友花選手に熱いエールを送った。

女子大学駅伝第5区で、6人抜きの快走で復活した不破聖衣来選手

 若い頃の覇気は、一体何処へ行っちゃったんだろう?雪山を登っていたあの頃は寒さに身体は震えていたけれど、心の中は熱く燃えていた。今は居心地の良い部屋に居て身体は暖かいが、心の中には冷たい隙間風が吹いている。

 でも日本人の平均健康寿命を超えたこの年齢まで、取りあえずは健康体で生き抜いて年末を迎えたのだから、そんな自分に「いいねマーク」を付けてあげようと思います。

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好みのラーメン店が、タブレット注文になり活気が無くなった?

2024年12月29日 | 日記

 今はラーメンブームなんだろうか、近くの国道407号沿いには次から次とラーメンチェーン店が進出して、ザッと数えただけで博多ラーメンの「鶴亀堂」、横浜系ラーメンの「町田商店」、「山岡ラーメン」、「京都北白川ラーメン魁力屋」などなどがある。

 それらラーメン店の中で私が専ら出掛けるのは、会津若松発祥の「幸楽苑」です。以前株主だったよしみもあるが、低価格の割に細い麺と味わいが私の好みなのです。先日も久々に油っこいものを食べたくなったので、国道沿いの幸楽苑を訪れた。

 お昼時の店内はかなり賑わっていた。以前は店員さんに注文していたのだが、今日来てみると各席に配置されたタブレットで注文するように変わっていた。私はこのタブレットで注文というのが好きでは無くて、もやしラーメンと餃子をセットで頼みたかったのだが、二度ほどやり直して注文を完了させた。

 ところが注文したものが中々できて来ない。向いのオッちゃんは確か私より後に注文したはずなのに、もう食べている。ひょっとしたらタッチパネルの操作ミスで厨房に注文が届いていないのではと心配になったが聞くのも気恥ずかしい。イライラし始めた頃、やっと注文した料理が届いた。店内をザッと見たところ、お客の数に比べ店員さんが少なくて、注文に対応しきれていないような様子だ。

 それとタブレットに変って、店内がやけに静かになったような気がする。それはお客「エ~と、焼きそばと餃子頼もうかな」、店員さん「ハイ、焼きそばに餃子ですネ、少々お待ちください」などという、お客と店員さんのやり取りが無くなったからではと思える。

 お店が機械化すれば人件費が削減され目先の利益になるかもしれないが、店員さんとお客の触れ合いが無くなったお店は活気に乏しく、長い目でみれば客足が遠のいて行くのではとないだろうか。

 このまま進むと注文はタブレット、配膳するのはロボットで支払いは自動精算機、店員さんは厨房で料理作る人だけ、未来はそんな食堂に変わってしまうだろうか。それも何だか味気ない風景だなあ。

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ウォッシュトイレに続いて洗濯機が壊れた。

2024年12月27日 | 日記

 長年使い続けたパナソニック製の洗濯機が、ストライキを起こすようになった。この前ウォシュレットトイレが壊れて買い替えたばかりなのに、「ウォッシャー・マシンよお前もか」と裏切られた気持ちになったが、既に耐用年数を過ぎており壊れても仕方のない寿命だった。

古いパナソニック製の洗濯機

 トイレと同様に洗濯機は日常生活に欠かせぬ必需品、無くては困るので電気製品ではいつもお世話になっている最寄りのケーズデンキを訪れた。広い店内の洗濯機コーナーでは、最新のドラム式から二槽式まで様々な製品が売られている。

 ザッと見渡して、手頃な値段で我家の望む規格の洗濯機があった。しかし「AQUA」と聞き慣れないメーカー、店員さんに「中国製ですか?」と訊ねたら、「以前パナソニックに吸収合併されたサンヨー電機の技術陣が、パナソニックへ移籍して開発した製品なんですよ」と説明してくれた。

 値段は安いし一応日本製、という事でこの洗濯機を買う事に決めた。ケーズデンキは迅速で、買った翌日には新しい洗濯機が我が家へ届けられた。機能的には以前のものと差したる違いは無いが、消費電力は随分省エネになるらしい。取りあえずは一安心です。

新しく買った洗濯機(オマケしてもらい¥64,280円で買った)

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日本三百名山回顧№133長野富山県境、烏帽子岳(2百名山)

2024年12月25日 | 三百名山回顧

 高瀬ダム近くの登山口から北アルプス三大急登の一つ、ブナ立て尾根を登った稜線上に烏帽子岳の鋭鋒が聳えている。烏帽子岳から槍ヶ岳に至る登山道は、裏銀座コースと呼ばれる北アルプスの人気縦走ルートです。

 その烏帽子岳へ最初に登ったのは今から44年前、昭和55年8月でした。職場の同僚だったA君とI君を誘い、三人で裏銀座コースを三泊四日で縦走したのです。

 二日目に泊った双六小屋では、「富士山吉田大沢の大規模な落石で、死者12名、負傷者29名の大惨事山岳遭難が発生」というニュースを聞いた事は今でも鮮明に覚えています。

昭和55年8月11日(月) 烏帽子岳~鷲羽岳~笠ヶ岳縦走

ブナ立て尾根の登山道から高瀬ダム湖

前烏帽子岳山頂?

烏帽子岳山頂

山頂から南沢岳(右手前の山)方面

 

 2回目の烏帽子岳は、平成4年9月に単独で烏帽子岳~七倉岳を縦走し、七倉ダムへ下山した。この翌週には妻と二人で、針ノ木岳~七倉岳を縦走し七倉ダムへ降った。七倉登山口の食堂に私が2週続けて顔を見せたので、お店の女将さんから「地質調査でもやってるんですか?」と不審げ気に尋ねられた思い出があります。

平成4年9月5日(土) 烏帽子岳~七倉岳縦走

南沢岳山頂

南沢岳から烏帽子岳(左手前の尖った山)

南沢岳から立山・剣岳方面

不動岳から南沢岳

不動岳から船窪岳方面(左奥の山は針ノ木岳)

 

 3回目の烏帽子岳は、令和元年8月に妻と二人で烏帽子岳から裏銀座コースを三泊四日で縦走しました。この時は2日目以降雨に降られて辛い山行でしたが、それも今では良き思い出です。この時の山行記録が私のブログに書かれていたので、下記に転載してみます。

令和1年8月18日(日)      天気=晴れ後曇り

高瀬ダム~烏帽子岳~烏帽子小屋

07:57高瀬ダム→ 08:03~101濁沢キャンプ地→ 08:20~26ブナ立て尾根登山口→ 09:28権太落とし→ 11:23~30三角点→ 12:49~13:10烏帽子小屋→ 13:45~14:00烏帽子岳→ 14:38烏帽子小屋

 私が最初に裏銀座コースを縦走したのは40年以上昔の話です。あの頃はまだ山を始めたばかりで、職場の仲間のI君とA君を誘って烏帽子岳から笠ヶ岳まで縦走したのだが、初心者ばかりの3人で良くも歩けたもんだと今では懐かしい。

 長い前置きになったが、昨夜車中泊した梓川サービスエリアからJR穂高駅へ行き、駅から歩いて5分程の所に在る登山者用無料駐車場に車を停めた。その後列車で信濃大町駅まで行って、 駅前からタクシーで登山口の高瀬ダムへ向かった。

 タクシー代は¥8,300円で、道中運転手さんがよもやま話に「先週は天気が良くて、沢山登山者が来てくれましたけど、韓国の人は随分減りましたね。でもあの人達は大声で煩いし、来てくれない方がいいですよ。」何て話もしていた。私も昔、白馬岳のテント場に泊った時、隣に韓国人パーティがテントを張り夜中まで煩かったので、運転手さんの気持ちがチョットは判る。

登山口の高瀬ダム堰堤上

 タクシーは、駅から30分足らずで高瀬ダムの堰堤上へ着いた。堰堤上には若い二人組の男性が先着していたが、サッサと準備を終えアッいう間に居なくなった。我々も準備を終えると彼らの後を追うように出発する。

 堰堤を渡ると直ぐに長さ400m程のトンネルを通過する。トンネル内は蛍光灯の灯りでヘッドライトを出す事も無かった。トンネルを抜けると、不動沢に架かる吊橋を渡る。吊橋を渡った所には、濁沢キャンプ場が在る。粗末な簡易トイレがあるだけの侘しいテント場で、こんな所でテントを張る人が居るのだろうか。

不動沢の吊橋

濁沢キャンプ場

 キャンプ場から5分程で濁沢に架かる丸木橋を渡る。手摺の無い橋は雨の時など滑りそうで渡るのがチョット恐い感じだ。橋を渡った先がブナ立て尾根コースの登山口で、此処から烏帽子小屋まで急登を登る。登山口傍の小沢から水が得られ、ブナ立て尾根コースで唯一の水場だ。

濁沢の丸木橋

濁沢の最下部の滝

ブナ立て尾根登山口

 ブナ立て尾根は北アルプス三大急登の一つと言われ最初から階段状の急坂が続く。道はよく整備され歩き難くは無いものの、今朝は風も無く暑さが堪える。暑さに強く無い妻は足取りが少し重い。

最初から階段が続く登山道

 数えきれぬ程ジグザグを繰り返し1時間程登ると「権太落とし」に着いた。昔権太という人物が此処から転落でもして、その名が付いたのだろうか。でも特に危険という場所でも無い。

権太落し

 登山道の要所には数字を書いた標識があり、登るにつれ「8,7,6・・・」とだんだん減って行く。標高が高くなってくると、少しは風も吹いて暑さが凌げるようなってきた。権太落としから2時間程で黄色い標柱が建つ三角点ピークに着いた。此処まででブナ立て尾根コースの三分の二を登った事になるが、まだ先は長い。

樹林越しに濁沢源頭部が見える。

三角点ピーク

 三角点ピークからしばらく緩やかな道だったが、稜線が近づくにつれ再び急登になった。樹林越しに見えていた南沢岳から不動岳への稜線が同じ目線に見えた頃稜線に達し、程なく烏帽子小屋に到着した。

登山道から不動岳方面

 烏帽子小屋は青いトタン屋根の木造で、昔の山小屋の風情が残る。料金は一泊二食で9千5百円で、他の北アルプスの山小屋と比べると若干安い。受付を済ますと、小屋で休んでると言う妻を残して単独で烏帽子岳へ向かう。

烏帽子小屋

 小屋からも見えるピークは、「ニセ烏帽子」とも呼ばれる前烏帽子岳(2605m)で、その先に日本二百名山の一つ烏帽子岳が聳えている。槍ヶ岳を小粒にしたような、キリリとした山容だ。

前烏帽子岳への登り

前烏帽子岳から烏帽子岳

 南沢岳へ向かう縦走路から左に曲り、鎖場やトラバースの有る岩稜をよじ登ると烏帽子岳(2628M)の山頂標識が立っていた。実際の最高地点は標識右手の岩塔で、此処へ達するには若干の勇気が要る。

登山道分岐から烏帽子岳

鎖場

トラバース地点

烏帽子岳の山頂標識

最高地点の岩塔

 山頂からは北アルプスの山々の展望が良く、眼下には高瀬ダムの湖面が意外な近さで望まれた。20分程の滞在で山頂を後にし、来た道を戻る。烏帽子小屋は設備こそ古めかしいものの、従業員の応接が良く食事もソコソコに美味くて居心地の良い宿だった。衛星テレビが明日の天気を報じていたが、「曇り後雨」の予報で一寸気懸りだ。

山頂から南沢岳(中央の山)、不動岳(右奥の山)方面

山頂から前烏帽子岳(左手前)、三つ岳方面(右奥)

烏帽子小屋に戻って来た。(奥のピークが前烏帽子岳)

 ※烏帽子岳という名のつく山は全国各地に幾つも存在するが、その中でも北アルプスの烏帽子岳が標高・山容共に断トツの名峰といえるでしょう。

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今年初めて見えた白銀の谷川岳

2024年12月23日 | 日記

 12月21日(土)

 群馬と新潟の県境に連なる谷川連峰は、遠い我が家のベランダからも望見する事ができる。早く白銀の谷川岳を見たいと思っていたのだが、このところ冬型の気圧配置が強くて県境の山々はいつも雲に閉ざされていた。

 21日の天気図を見ると、日本列島は広く高気圧に覆われている。これなら見えるかもと期待して朝方ベランダへ出てみると、西の彼方に白く輝く山波が望めた。今年初めて見る白銀の谷川連峰です。晴れ渡る空の下で少し霞んだような眺め、雨上りの澄んだ大気だともう少しクリアに見えるのだが、何しろ100km彼方の距離なので見えてるだけでも御の字です。

 思えば冬の寒波で西から日本列島へ押し寄せる雪雲を、あの山波が堤防となって関東平野への侵入を防いでくれているのです。我々関東の人間が、冬の間雪に悩まされず連日青空の下で暮らせるのも谷川連峰の存在があればこそ、そういう意味でも関東の人々は、谷川岳に感謝しなければなりません。

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若葉ウォークのクリスマスイルミネーションは人影まばら

2024年12月21日 | 日記

 ここ数日、本格的な冬の寒さが続いています。街中を歩いているとクリスマスソングが流れていて、もうすぐクリスマスだよと教えてくれる。週に何度か訪れるショッピングモールの若葉ウォークは、クリスマスを祝うイルミネーションが華やかに飾り付けられていた。

しかし平日の宵闇時に冷え冷えとしたショッピングモールを歩く人の姿はまばらで、クリスマスソング「清しこの夜」が、「サイレントナイト~、凍り~ナイト」と歌っているように聞こえてくる。

 寒さに耐えつつ我が家へ戻る途中、一際明るい流れ星が夜空に走るのが見えた。願掛けする間もない一瞬の出来事だったが、小さな希望の光を見たようでチョットいい気分になった。

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マイカーのタイヤを冬用に交換

2024年12月19日 | 日記

 12月17日(火)

 我が家から望む谷川連峰は白銀の山となり、スキー場オープンの便りもボチボチ聞かれるようになってきた。車のタイヤをソロソロ冬用にと思いつつも、寒い屋外に出るのが億劫で中々ヤル気になれなかった。

 先日「雪の結晶撮影」をモチーフにしている山の先輩 I さんのブログを覗いて見たら、「自分で冬用タイヤに交換し、雪国へ行って来た」という記事が載っていた。もう80歳に手が届く I さんがやってるのにと触発されて、風の弱い今日のお昼頃タイヤを交換をする事にした。

 ベランダに置かれていた冬用タイヤを車まで運び出し、近所の空地へ移動して作業に取り掛かる。以前脊柱管狭窄症に罹った事のある私は、固くしまったボルトの着脱やタイヤの持ち運びで再び腰痛になるのが心配です。

 そんな私の心強いスペシャルツールが、写真の鉄パイプと野外椅子です。鉄パイプは何処かの鉄屑置き場で拾ってきたものだが、これをレンチに差して作業するとトルクが増してタイヤのボルト着脱が容易になる。又タイヤを車軸から着脱する際は、野外椅子に座って作業すれば腰への負担が大幅に軽減される。

 これらのツールの手助けで腰痛にもならず、タイヤ交換は2時間足らずで終了した。業者に頼めば2~3000円はするところ、時給1000円程の作業です。これで雪国へ行ける準備は整った。でも近々出掛ける予定は今のところ無い。取りあえずスキーの板でも磨いときましょう。

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小平市のスナック和子で昔の職場仲間と忘年会

2024年12月17日 | お出掛け

 12月14日(土) 

 昔小平で働いていた頃の仲間から、「年末の飲み会をやりましょう」という誘いのLINEが入った。数少なくない職場仲間との付き合いなので、ありがたく参加させてもらう事にした。

 当日は早めに我が家を後にして、昔懐かしい小平の街並みを少し歩いてみた。西武小平駅から南へ真っすぐ伸びる通りを南へ進むと、右手に市民会館ルネ小平のモダンなビルが見え、その入口には日本一大きいと言われる郵便ポストが設置されている。

西武小平駅

ルネ小平前の日本一大きな郵便ポスト

 更に南へ歩いて行くと、五日市街道沿いに流れる玉川上水と交差する。ここらで丁度良い時間となったので、宴会場の一橋学園駅近くにあるスナック「和子」へ向かった。

喜平橋傍の玉川上水

 扉を開けると、懐かしい面々が居た。半年前の飲み会では10数名集まったが、今日の参加者は私を入れて5名だけ、師走の時期は皆さん何かと忙しいのだろう。でもこの位こじんまりした飲み会の方が、話が弾んで雰囲気が盛り上がるようだ。

 悲しかったのは、半年前の飲み会にも元気な姿を見せていたHさんが白血病で先月亡くなったという知らせ、彼は私とさほど変わらぬ齢なのに、人の命の儚さを思い知る。

 今日参加できなかった人の中にも、体調不良で来れなかった人が何人か居た。我々世代では今まで無病息災だった人は稀で、殆どの人が何がしかの病を患ってきた。こうして昔の仲間と楽しく飲めるのは、幸せな事なんだとつくづく思った。

スナック和子での飲み会

 

※西武一橋学園駅傍のスナック「和子」は目の覚めるような美人はいないけど、リーズナブルでフレンドリーな居心地よいお店です。お近くの方は、ぜひ気軽にお立ち寄りください。

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師走の今は、白菜と大根が旬の野菜

2024年12月15日 | 日記

 12月10日(火)

 「野菜の買い出しに」という妻の要請を受けて、日高市のJA日高中央農産物直売所へ車を走らせた。店内へ入ると今の時期旬の野菜は白菜と大根のようで、メインの販売棚に山のように積まれていた。

 「食欲の秋」とも言うが、私にとっては冬が一番食べ物の美味しい季節のような気がします。それはきっと冬の寒さに身体がより多くのエネルギーを欲し、それが食欲となるからではないだろうか。

 白菜と言えば「寄せ鍋」や「すき焼き」、大根は「おでん」などが思い浮かぶ。ホカホカと湯気が立ち昇るお鍋から、充分味の滲み通ったお肉や魚介、野菜を食べる喜び、日本に生まれて良かったと思える一時ではないでしょうか。

 今日の夕食で妻が作ってくれたのは、薄く味付けされた水炊きに野菜や魚介類を入れたもの、それに別皿のネギ味噌を絡めて食べる。「味噌だれ水炊き」とでも言ったらよいのだろうか、口には出さねど、思わず「星五つ」と心の中で叫びました。

 

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マイ誕生日プレゼントで、おニューのランニングシューズを買う。

2024年12月13日 | 日記

 先日都内の病院へ通院した時、神保町のミズノスポーツ直営店へ立ち寄って新しいシューズを買った。日常用に履いている古いランニングシューズの底が草臥れてきたので、ソロソロ買替えようと思っていたのです。

 以前毎年のようにマラソン大会に出場していた頃は、新しい順に試合用、練習用、日常用と3足のランニングシューズを持っていたが、6年前を最後に大会に出なくなってからは、ジョギング用、日常用の2足だけになった。

 今まで日常用として履いていた青色の靴は、3年前の冬にミズノで買ったものです。この靴でマラソン大会に参加した事は無かったが、北は北海道から南は九州まで、この靴を履いて歩き廻りました。

 どの位の距離を履いたかは不明だが、約1000日余使い続けました。それを物語るように、新品の頃に比べれば靴底は見事に摩耗していた。「長い間アリガトね」の言葉と共に、可燃ゴミの日に送り出してあげたいと思います。

 おニューの靴は前より一段と厚底になっていて、履いてみたら足が軽くなったような感じがする。この靴だったら若しかしてマラソン大会で走れるかも・・・という気がしてきたが、もし参加して「ただ今最高齢のFさんが、最後尾車と共にやっとゴール会場に戻ってまいりました。皆さん盛大な拍手を・・」何て放送されたらカッコ悪いしなあ。

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