Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

東武東上線の若葉駅から西武所沢駅までウォーキング

2025年02月03日 | マラソン

1月31日(金)

 

 元旦早々に痛めた右足の筋肉痛がだいぶ癒えてきたので、様子見がてらどれだけ長く歩けるかトライしてみました。目標地点は西武所沢駅、所沢市街地にそそり立つ高層マンション群が遠くからでもよく見えて、よい目印になってくれます。

 朝9時前後に若葉駅を出発して、最初は関越道の側道を沿うように南下して、入間川にぶつかると、川沿いの道を狭山市へと向かう。川沿いに続くサイクリングロードはよく整備され、眺めが良くて気持ちのいい散歩道です。

サイクリングロードから西武文理大学の校舎(ヨーロッパみたいな風景)

入間川から狭山市市街地

入間川の昭代橋から(富士山と奥多摩の山々)

 狭山市からは県道50号を所沢市に向って進んで行く。西武入曽駅付近のジョイフルでランチタイムとし、日替わり定食をツマミに昼間から飲む生ビールがいと旨し。

 県道50号を南下して西武新宿線を横切ると、やっと遠くに所沢市の高層マンション群が見えてくる。あそこがゴールと思ったら、重くなり始めた脚に再び脚力が蘇ってくる。

 天を突くような高層マンションの間を通り、賑わう駅前商店街を抜けて、午後3時前に西武所沢駅へゴールした。歩行アプリをチェックすると、約27キロ歩いた事になっていた。

所沢市の高層マンション群

西武所沢駅

 これだけ脚が回復したら、軽い山歩きもできそうです。そして少し暖かくなったらジョギングを始めて、ウォーカーから再びランナーにグレードアップするのが今年の目標です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の街灯りで白く輝く雲の夜景

2025年02月01日 | 日記

 晴れた夜に我が家のベランダから東の方向を眺めると、約40キロ彼方にある東京の街灯りが光の帯のように見える。中でも一際目立っているのが東京スカイツリーの灯りで、まるで宵の明星と見間違うほど輝いている。

 こんな時に東京上空を雲が覆っていると、その街灯りが雲を照らして夜空にほんのりと白い雲が浮かび上がって見える。稀な気象条件の時にしか見られないが、これも珍しい東京の夜景です。膨大な東京のエネルギーが発散しているように感じます。

東京の夜景

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TBSラジオ「生島ヒロシおはよう一直線」が、人権問題で突然の打ち切り

2025年01月30日 | 日記

  放送業界が、人権問題で大きく揺れ動いている。中居正広氏が絡む「フジテレビ」は馴染みの薄い番組だったらからそれ程興味も無かったが、TBSラジオの「生島ヒロシのおはよう一直線」は毎朝目覚まし代わりに聞いていたので、突然の番組打ち切りにはびっくりした。

 「生島ヒロシおはよう一直線」は27年前から続いている長寿番組で、私は始まった頃からズッと聞き続けている。人情味に溢れ飾らぬ人柄で、元気溌剌と活躍する生島ヒロシさんは好感の持てる人物だった。

 彼の明るい声に励まされ「今日も一日頑張るぞ」と、現役時代は仕事に出掛けていたものでした。20年くらい前には、私の投稿した記事が「おはよう一直線」に採用され、生島さんがラジオで読み上げてくれて、番組から3000円也の図書券を頂きました。

 どんな事情があったのか詳細は不明だが、生島さんはパワハラとは縁遠い人と思っていたのに、裏切られたような気持ちです。私の人生に寄り添ってくれた思い出多い番組が、7000回のメモリアムを目前に突然打ち切りとなったのは淋しい限りです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の蕎麦屋さん跡地にお洒落な軽食喫茶店がオープン

2025年01月28日 | 日記

 長らく地域の人達に親しまれてきた近所のお蕎麦屋さんが去年閉店して、空き店舗はしばらくそのままに放置されていた。ところが最近になってその空き店舗が改装され、新しいお洒落な店がオープンした。

 お店は「Oyaki Café Irori」という洒落た名前で、どうやら軽食喫茶店のようだった。どんなお店なのか興味があったので、さっそく妻と二人で昼食時に行ってみた。最初の物珍しさがあるのか、店内は意外に賑わっており満席に近い状態だった。

軽食喫茶店「Oyaki Café Irori」

 お店を経営しているのは、信州出身の若いご夫婦のようだった。店名にある oyaki は信州の郷土食「おやき」から来ているようで、お店の中でも一押し商品として売られていた。

おやきのメニュー

 ランチのメニューは「煮込みハンバーグ」「海老と季節野菜の土鍋ドリア」「無加水キーマカレー」「信州名物山賊焼き」の4種類、いずれもオーナーシェフ拘りの、地産地消のヘルシーな創作料理だった。妻は「海老と季節野菜の土鍋ドリア」、私は「信州名物山賊焼き」を注文したが、中々美味しく食べ応えがあった。ドリンク付きで¥1500円、リーズナブルな価格と思うがどちらかと言えば若者向きの味わいだった。

「海老と季節野菜の土鍋ドリア」

「信州名物山賊焼き」

 メニューの中にアルコール飲料の類は無く、閉店時間も18時と早い。営業的には大丈夫なんだろうかと気懸りだったが、でもせっかくできた新しいお店、地域に根付いてくれれば街の活性化にも繋がる。若いオーナー夫妻の成功を願いつつお店を後にした。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナスパ湯沢スキー場で今年の初滑り

2025年01月26日 | 旅行

 1月23日(木)

 「♫ゲレンデのカフェテラスで滑るあなたに釘付け♬ 派手なターンで転んで煙が舞い立つ・・♬」というユーミンの曲に乗せられた訳でも無いが、今シーズンの初スキーで、ナスパ湯沢スキー場へ日帰りで行って来ました。

 朝6時前に我が家を出発して、関越道を北上する。途中の道には雪が全く無くノーマルタイヤでも大丈夫なほど、8時半のゲレンデオープンに悠々間に合った。夜行列車に乗ってスキー場へ出掛けていた若かりし頃を思えば、便利な世の中になったものです。

 ナスパ湯沢スキー場は小さなゲレンデだが、スノーボーダーを排除したスキー専用のゲレンデなので、スキーヤーにとっては居心地の良いゲレンデです。そんなところとアクセスの良さが気に入って、毎年の初スキーは、此処で滑るのが定番になっています。

 しかしここでも値上げの波が押し寄せており、リフト一日券が6300円になっていた。別に5時間券というのがあって5300円だったから、こちらの券を購入した。

 スキーは引退と宣言し「カフェテラスで滑るあなたを見てるわ」という妻に車のキーを渡し、私は一人で高速リフトに乗った。リフト最上部のゲレンデからは、遠く巻機山や谷川連峰の累々たる山波が広がり、しばしうっとりと眺める。

サア、これから初滑り

高速リフトに乗って

巻機山(中央奥の白い山)方面の眺め

谷川連峰の眺め(我が家から北に見える万太郎山(右奥)が今日は南に見えている。

 最初は初心者コースで足慣らし、身体が馴染んできたら徐々にレベルアップしたコースでスキーを楽しんだ。雪質良好でゲレンデはガラガラと条件も良かったけれど、後期高齢者になってもやっぱりスキーは楽しいものです。

加齢 華麗?に滑る私

帰る間際の駐車場で妻の写真を1枚

 午前中目一杯滑ったので、昼飯を食べたらスキーはもう十分という気分になり、午後1時過ぎにゲレンデを後にした。帰りの道は関越道渋川インターから国道17号を経由してドライブを楽しみながら我が家へ戻った。一年ぶりに雪と戯れて今日はナイスな一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本三百名山回顧№134長野・富山県境、野口五郎岳(3百名山)

2025年01月24日 | 三百名山回顧

 野口五郎岳は北アルプスの裏銀座縦走コース上に聳える山で、広々として明るい山頂からは素晴らしい展望が広がります。標高3000mに迫る雄峰だが、ゆったりとして凡庸な山容が災いして、北アルプスの中では印象の薄い山です。 

 最初に野口五郎岳を登ったのは昭和55年の8月、職場仲間の I 君、A君を誘って裏銀座コースを縦走した時でした。この時は、まずまずの天気に恵まれて楽しい山行だったと思うのだが、何しろ遠い昔の事なので殆ど記憶に残っていません。二人と一緒に山を登ったのはこの時の一度だけ、彼等にとって登山はあまり魅力のあるものではなかったようです。職場を離れて以来音信不通だが、両君とも健在でいるのだろうか。

昭和55年8月11日野口五郎岳山頂

同上、山頂から水晶岳方面

 2度目の野口五郎岳は、令和元年8月に妻と二人で浦銀座コースを縦走した時でした。この時の記録が当時のブログに掲載されていたので、下記に転載してみます。

令和元年8月19日(月) 天気=晴れのち雨

烏帽子小屋~野口五郎岳~水晶小屋

05:55烏帽子小屋→ 07:25三ツ岳→ 08:38~57野口五郎小屋→ 09:13~19野口五郎岳→ 09:53~10:02真砂分岐→ 12:13水晶小屋

 

 芳しく無い天気予報だったが、青空が広がる気持ちの良い朝を迎えた。天気が良いとヤル気も出てくる。今日一日何とか持ってくれればと思いつつ烏帽子小屋を出発した。

烏帽子小屋から三ツ岳方面

 歩き始めてすぐにヒョウタン池があり、その周りはテント場になっている。テント場を過ぎると平坦な砂礫の道を歩いて行く。高瀬ダムの堰堤が左手眼下に見え、大声を出せば聞こえそうな近さに思える。

ヒョウタン池

眼下に高瀬ダム

 やがて三ツ岳に向かって緩やかに登って行く。道沿いにはコマクサの花も咲いており、気持ちの良い道が続く。道はだんだん急登に変り、三ツ岳前衛のピークに達し来た道を振り返ると、青い屋根の烏帽子小屋が見え、ゴミを燃やす白い煙が上がっていた。

三ツ岳への登り(左が三ツ岳、右奥が西峰)

 前衛ピークから三ツ岳(2645m)の山頂脇をトラバースし、僅かな登りで三ツ岳西峰に着き一息入れる。ここから行く手を見ると、野口五郎岳へ緩やかな尾根が続いている。

三ツ岳西峰山頂(右奥の山は水晶岳)

山頂から東沢谷を挟んで赤牛岳

山頂から野口五郎岳方面

 岩稜や砂礫が織り交ざる変化の多い道を1時間程進むと岩肌に「小屋まで500m」と書かれており、小さなピークを越えてしばらく歩くと野口五郎小屋の建物が見えた。

野口五郎小屋

 野口五郎小屋は裏銀座縦走路のオアシスみたいな存在で、多くの登山者が憩っていた。私も500円のポカリスエットを買って喉を潤した。小屋から砂礫の道を15分程登って野口五郎岳(2925m)に着いた。

野口五郎岳への登り

野口五郎岳山頂

 広々とした山頂からは360度の眺め、この山も日本三百名山の一つで標高も3千m近い高峰なのだが、登山者には縦走路の単なる通過点位にしか思われていないようだ。魅力に欠けるのは、茫洋として見栄えのしない山容からだろうか。

山頂から真砂岳方面

 野口五郎岳を後にすると、真砂岳の西斜面を巻き気味に降って行く。野口五郎岳から30分余で真砂岳直下の真砂分岐に着く。此処から高瀬川へ降る道が左へ分岐している。

真砂分岐への降りから水晶岳方面

真砂分岐付近(正面の山は真砂岳、高瀬川へ降る道が山腹のを右に分岐している。)

 分岐からは岩稜や岩屑の歩き難い道が続く。天気は降り坂で稜線を雲が覆うようになってきた。急坂を降った鞍部の東沢乗越に着き、一息入れてここから水晶小屋へ向かって岩尾根の急登になる。乗越から登り始めた途端、ポツポツと雨が降り始め、その後本降りの雨となった。

登山道から野口五郎岳(左奥)と真砂岳(右)

 慌てて雨具を着込み俯いて黙々と岩尾根を登って行く。やがて水晶岳から鷲羽岳へ続く稜線に達し、尾根上に建つ水晶小屋へ着いた。時間はまだお昼過ぎだし、予定では三俣山荘まで行く事になっていたが、雨は風を伴い増々強くなってきている。もうこれ以上歩く気力は無くなり、水晶小屋へ泊る事に決めた。

東沢乗越から岩尾根の登り

雨の中の急登

 小さな水晶小屋にはその後登山者が続々と詰めかけて、けっこうな混み合いとなった。でも手足を広げて寝られるスペースを確保できただけマシだった。小屋の人の話だと昨日はもっと酷くて、客室が足らずに食堂へ布団を並べて寝た人も居たそうだ。

水晶小屋

 乾いた服に着替え休憩スペースで小屋の衛星テレビを見ていると、この辺りの天気予報は明日以降もズーッと傘マークが続いている。せっかく台風一過の好天を狙って来たのに、これじゃ思惑違いもいいところだ。

 でも此処まで来たらもう戻る事はできず、新穂高温泉まで歩き通すしかない。それ程酷い天気にならぬ事を願いつつ、ビールを飲みながら午後の合間を過ごした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼飯食べに行ったら、何処も値上げの店ばかり

2025年01月22日 | 日記

 我が家の慣習で、普段の昼食は各自で食べる事になっている。私にとってそれは苦では無く、と言うよりも昨日はマック、今日は吉野家と気の向くままに食を楽しんでいます。

 しかし今年に入っていろんな食べ物が、一斉に値上げを始めたのが気懸りです。馴染みのパン屋さんでは、パン2~3個とコーヒーで計500~600円位で済んだのが、今じゃ700~800円もかかっている。

 先日丸亀うどん店に入って昼食を食べた時も、きつねうどんと天ぷら2個、おむすび1個をチョイスして会計したら、以前は800円前後だったのに、今回は何と1000円超える料金だった。今やファーストフードの料金は1000円超えが当たり前の時代になったのかと重い気分になった。

丸亀うどん、1000円超えの昼食

 ほんの少し前までは「ワンコインサラリーマン」何て言葉があって、500円硬貨1枚で普通の食事ができたのに、今じゃ500円ではまともなものが食べられなくなった。厳しい時代になったものです。

 これを山本リンダさん風に言うと・・「♬ 政治家信じちゃいけないよ、♫ 何処でも値上げの店ばかり、♫ アア、あの店も、アア、この店も、♫ もうどうにも止まらない♫」・・・・というところでしょうか。(今の若い人知らないか、この唄?)

リンダさん最近お見掛けしないが、ご健在なんだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「老人漂流社会」という本を読んで・・寝覚めの悪い夢を見た。

2025年01月20日 | 読書

 齢を取ると眠りが浅くなるせいか、よく夢を見るようになった。どんな夢を見たのか殆ど覚えちゃいないが昨夜見た夢は鮮烈だったので、目覚めた後もしっかり覚えていた。どんな夢だったかと言いますと・・・

 夢の中の私は40歳過ぎの冴えない中年男、結婚する事も無く世間の片隅でヒッソリと生きている。長年働き続けていた職場の上司から、「今月限りで辞めてもらう」と首を宣告される。仕事を失えば喰っていけず、住んでいるアパートも追い出される。

 天涯孤独で助けてくれる人も無く、「こんなはずでは無かった。人生お先真っ暗だ・・」と嘆いたところで夢から目が覚めた。振り向けば隣のベッドで妻が寝ており、アァ~夢の中の出来事で良かったと胸を撫で下ろした。

 こんな寝覚めの悪い夢を見たのは、きっと今読んでいる本のせいだ。その本は「老人漂流社会」という題名で、NHKスペシャル班がテレビ放送したものをまとめて出版した実録本です。

 本に書かれている「老人漂流」とは、「貧困」「認知症」「身体障害」など様々な要因が切っ掛けで高齢者が自立できなくなり、定住の場を失って「病院」や「養護ホーム」「無料宿泊所」などをたらい回しにされる社会問題を指しています。

 世の中は少子高齢化が進み、これからの日本は老人が増々生き難い世の中になっていくでしょう。後期高齢者となった私も同じで、夢の中の出来事と済ませてはいられない。人生の歯車が一つ二つ狂ったら、私も本の登場人物と同じ運命を辿る事になる。

 だからと言って何をどうすればよいのか、具体的な策は思い浮かびません。ソロソロ先がみえてきた我が人生、やりたい事をやれる時にやって、なるべく悔いの残らぬ日々を過ごすだけです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は小川町の玉井屋さんまでお昼を食べに行く。

2025年01月18日 | お出掛け

 1月14日(火)

 「今日は小川町の玉井屋さんでお昼を食べない」という妻の一声で、奥武蔵の小京都と呼ばれる?小川町へ車で出掛ける事になった。信号の少ない田舎道のドライブは、運転するのが楽しくてストレス解消にはもってこいです。

 国道245号沿いに在る「道の駅おがわ」はリニューアル工事で休業中だったが、そこの農産物直売所が小川パークニュタウンの仮店舗で営業していると聞いたので昼飯前に立ち寄ってみた。

 仮店舗は小川パークニュータウン内の廃校になった旧上野中学校の校舎を間借りしてヒッソリと営業していた。以前毎年のように小川和紙マラソン大会に参加していた頃は、この中学校が大会の駐車場になっていた。

 その頃中学校には大勢の生徒がいて、校庭でクラブ活動に励んでいたものだった。小川パークは1000世帯以上が居住する大きなニュータウンだが、少子高齢化が進んで10年ぐらい前に廃校となってしまった。なまじっか立派な校舎だけに、より寂寥とした寂しさが漂っているように感じる。

 ・・「廃校舎、若者共が夢のあと」・・

旧上野中学校の農産物直売所

 直売所で野菜を買った後、丁度よい時間となったので玉井屋さんへ向かった。小川町で一番大きな酒蔵「清雲酒造」直営する「玉井屋」は、地元の具材を活かした和食の美味しいお店で、私のブログでも何度か紹介しています。

駐車場から見た青雲酒造

 三連休の翌日というせいもあったのか、今日は珍しく空いていて我々の他に一組のお客がいるだけだった。

 上から「雪」「月」花」と三種類ある定食セットの中で、妻と私は月御前を注文した。メインの料理は妻が鮭の粕漬、私はポークの粕漬をチョイス、いずれも酒粕にじっくり漬け込んだお店自慢の料理、相変わらずの美味しさに舌鼓をうちました。

前菜のがんもどき(左)と自由にトッピングできるお惣菜(右)

妻が注文した鮭の月御前定食

私が注文したポークの月御前定食

 ここの料理は病みつきになるようで時々無性に食べたくなり、我々夫婦は年に5~6回このお店を訪れている。今度此処へ来る時は、小川町の里山に桜の花が色づき始めているんじゃないでしょうか。

(小川町を見下ろす堂平山(中央の山)と笠山(右の三角形の山)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東平野から見る事ができる山々

2025年01月16日 | 日記

 1月14日(火)

 関東平野から眺めると、何と言っても富士山が断トツに目立って見える山ですが、他にも意外と遠くの山々を見る事ができます。冬は季節風による雲が山々を覆い隠すので中々見る機会は無いが、今朝は珍しく大気が澄んでいたので、我が家のベランダから遥か遠くの山々をクッキリと望む事ができました。そんな山々を望遠レンズで写真に撮ったので、下記に掲載してみます。

 

 写真に写っている中で、白砂山の向こう側は長野県、谷川岳の向こう側は新潟県、至仏山の向こう側は福島県、そして男体山は栃木県の山、見渡していると日本列島の大きさを自分の眼で体感する事ができます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若葉ウォークで開催された新年恒例の消防出初式

2025年01月14日 | 日記

 1月12日(日)

 三連休中日の日曜日、最寄りのショッピングセンター若葉ウォークへ立ち寄ってみると、お店の駐車場では新年恒例の消防出初式が開催されていた。暇つぶしになりそうなので、しばらく見物させてもらった。

 メインのはしご乗りは既に終わっていたけれど、地震や煙火災の体験やダンスや書道パフォーマンスなど様々なイベントで行なわれ、会場は大賑わいです。中でも消防車が展示されたコーナーはチビッ子達に大人気で、制服姿の消防隊員達が笑顔で対応していた。

 乾燥した晴天が続く埼玉は、ここのところ火災の発生が多い。毎日、消防車のサイレン音を聞かぬ日は無いほどです。それでも我々市民が安心して暮らせるのも、頼もしい消防士の皆さんの存在があればこそ、感謝の思いを胸に会場を後にしました。

消防出初式会場

煙火災や地震の体験コーナー

坂戸高校書道部による書道パフォーマンス

ロープ渡り訓練を体験するチビッ子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家のパソコンがwindows10から11にアップグレード

2025年01月12日 | 日記

 マイクロソフト社が基本ソフトwindows11を発売して以降、「無償でwindows11にアップグレードできます」というマイクロソフトからの通知が、頻繁に我が家のパソコンに表示されるようになった。でも「windows11にアップグレードしたら、パソコンが使い難くなった」何て噂も聞いていたし、我が家のwindows10パソコンに何の支障も無かったので無視していた。

 しかしマイクロソフトが、今年の10月にwindows10のセキュリティサポートを終了するという情報が明らかになった。そうなれば状況が違ってくる。我が家のデスクトップパソコンは購入してから5年近く経つし、そろそろ買い替え時期なのかと思うようになった。

 そんな時再びマイクロソフトから「無償でwindows11にアップグレードできます」という通知が来た。ダメ元でもイイやという気持ちで通知にあった「windows11インストール」アイコンをクリックしてみた。

 パソコン内で密やかに進められていたインストール作業は、1時間足らずで終了し、我家のパソコンはwindows10からwindows11に入れ替わったようだ?あまりにアッケなくて、本当にアップグレードしたの?と疑いたくなるようだった。

 パソコンを再起動して恐る恐る使ってみると、デイスプレイ基本画面のレイアウトやペイントなどのアプリなどが変っていて戸惑う面もあったが、それ程使い勝手は悪く無かった。むしろ画面の動きが早くなったような気もする。こんなに簡単だったら、もっと早くwindows11へアップグレードしときゃよかった。

 今や日常生活に欠かせぬパソコンだが、ヤレ「アップグレードしろ」とか「ウィルスに侵された」などとやたら気難しい。そこんとこは「冷蔵庫」や「洗濯機」、「炊飯器」、「エアコン」など黙々と律儀に働く他の家電製品を見習ってほしいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬本番の便りを聞いて、スキー板の手入れとタイヤチェーンの装着練習

2025年01月10日 | 日記

 今年の最強寒波が襲来して、日本列島は日本海側を中心に大雪を降り続いています。冬本番を迎え、私も気になっていたスキー道具をベランダへ持ち出して手入れをした。幸いスキー板のエッジに錆は無く、リムーバースプレーで滑走面の汚れを落としエッジを研いて、後はワックスを塗ればいつでも滑れる状態にした。

 その後タイヤチェーンを車に積んで近くの空地へ行き、タイヤにチェーンを装着する訓練をした。そんな私に暇そうな同年輩のオッちゃんが近づいて来て、「チェーンは後輪に付けちゃダメなんだよ」と、上から目線で私に話しかけてきた。

 「分かってますよ。これは本番に備えて練習してるだけなんだから・・」と応えたら、「このチェーン何処で買ったの?幾らぐらいしたの?」などと親し気に会話を続けてくる。でも私がチョット迷惑そうな顔してるのが分かったのか、オッちゃんは「じゃあネ」と言って去って行った。

 同じ境遇だから、オッちゃんが私と話をしたかった気持ちが少しばかり分かり、チョット冷たい態度だったかなと反省した。これが妙齢の女性相手だったら、きっと余分な事までぺらぺらと喋ったんだろう。幾ら齢を取っても、人間変わりません。

 これでいつでもスキーへ行ける準備は整ったけれど、肝心のスキーに行きたいというヤル気が湧いてこない。どうも年齢が増えるのに反比例するように、スキーへの意欲が減っているようだ。ユーミンの「スキー天国」を聞いても心が弾まず、気持ちが熟成するまでもう少し待ってみましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年の計は元旦にあり、今年の目標は「RUN」

2025年01月08日 | 日記

 昨年の正月は能登半島地震や日航機衝突事故などの惨事が続き、不穏な幕開けでしたが、今年は大した事も無く割りと平穏な正月三が日でした。しかし私の場合は、あんまり平穏とも言えぬ正月となりました。

 昨年の秋頃から発症した右足の脹脛の筋肉痛が、良かったり悪かったりを繰り返して一向に治らず、今年初登山の加波山で再び悪化させてしまったのです。こんな時はジッと我慢の静養が一番の治療なんですが、ジッとしておれない性分なので、それも長引く一因です。

 しかし私は過去に脊柱管狭窄症や膝関節症などを発症して、満足に歩く事すらできなかった時期もあったけど、その都度何とか回復してきました。だから今回も治るとは思っているが、老化で自然治癒力が低下しているので、そこんとこに不安があります。

 そこで「一年の計は元旦にあり」、今年の目標は「ラン」とする事にしました。漢字の「乱」では無く、イングリッシュの「RUN」です。再び走れる脚力を取り戻す事が一番の目標で、更に願わくばマラソン大会に出場できればブラボーなんですが。

毎日鎮痛薬のバンテリン液αを患部に塗っているが効いているような・・いないような・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞の「株式市場欄」を廃止して「お悔み欄」を載せてほしい。

2025年01月06日 | 日記

  我が家は朝日新聞を購読しているが、読んでいて最近思ったんだけど経済面の「株式市場欄」って必要なんだろうか?

 私も株の投資をやっている一人だが、アナログの時代だったらいざ知らず、今は誰もがスマホやパソコンを持つ時代、チャチャと社名を検索すれば詳細な株価情報が即座に入手できます。

 とてもじゃ無いが、ネットに太刀打ちできない新聞の情報を頼りに、株の投資をやってる人が今時居るのだろうか。それに紙面の字が小さ過ぎて、虫メガネが無ければ老人には読む事すら困難だ。

朝日新聞の株式市場欄

 そんな株式市場欄何て廃止して、代りに載せて欲しいと思うのは「お悔み欄」です。大都市圏の新聞では見る事は無いが、地方の新聞では「お悔み欄」をよく見かけます。去年の10月北海道を旅した時も、「北海道新聞」や「釧路新報」にはお悔み欄がありました。

北海道新聞のお悔み欄

 日本人は新聞をよく読む国民だと思うが、特別な人を除いて殆どの一般人は新聞に名前が載らぬまま、一生を終えるのではないだろうか。

 社会の一員として一生懸命生きてきた無名の人々がその生涯を終えた時、その労苦に報いる意味でも広く世間に報じるというのは意義のある事ではないでしょうか。

 ちなみに私も過去に、自分の名前が新聞に載った事があります。それは何か良からぬ事件を起こした何ていう訳では無く、何処かの災害地への募金を朝日新聞に託し、その後紙面を飾った寄付者の一覧表に載っていたのです。まあ金の力で載せてもらったという事ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする