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Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№92、群馬、朝日岳(3百名山)

2021年04月04日 | 三百名山回顧

 朝日岳という名前の山は、駒ヶ岳や地蔵岳などと共にけっこう聞かれる山名で国内の各地にある。例えば山形県朝日連峰の大朝日岳や小朝日岳、那須の朝日岳、北アルプス&南アルプスの朝日岳などなど・・

 そんな中で群馬県の朝日岳はチョット地味な存在だ。それは山頂部が山の連なりの小さな高まりに過ぎないのと、西隣りに谷川岳という極めて個性の強い人気の山があり、その引き立て役になっている・・からなのかも知れない。

◎その群馬朝日岳へ初めて登ったのは昭和55年の7月の事でした。遠い昔の話なので当時の山行は薄っすらとした記憶しか残ってませんが、その概略を記してみます。

昭和55年7月20日(日)前夜発日帰り(単独)

 土合駅~白毛門~朝日岳~宝川温泉

 

 前夜上野発の夜行列車で土合駅に降り立ち、駅から白毛門への登山道に入る。白毛門山頂での写真を見ると懐かしいフレームのザックを使用しているのが分かる。これは私が登山用に初めて購入したザックだ。

白毛門山頂直下

白毛門山頂

山頂から谷川岳一ノ倉沢

山頂から笠ケ岳(左のピーク)方面

 白毛門から朝日岳へ向かう途中の尾根道で、黒いカラス蛇と遭遇した事が記憶にある。初めて訪れた朝日岳は谷川岳の眺めが素晴らしく、草原の広がる気持ちの良い山頂だった。

朝日岳山頂

山頂から谷川岳方面

山頂部に広がる池塘と草原

 山頂から宝川温泉降る途中に宝川を渡渉する地点があり、川の流れがけっこう早く此処で流されたら行方不明者になってしまうだろうなと緊張しながら渡った事も覚えている。降り立った宝川温泉は、川沿いにプールのように大きな露天風呂があり、とても心地よい温泉だった。

 

◎次に登ったのは昭和57年の10月で、この時は山岳会の仲間4人と一緒に登り朝日岳の山頂でテント泊をした。この時の行動記録が当時の会報に残されていたので下記に転載してみます。

 

 

期日:昭和57年10月9日(土)~11日(月)

白毛門~朝日岳(泊)~清水峠

参加者:CL、N子、以下女×2名、男×3名 計5名

10月9日(土)

20:11 N子、S子上野駅を出発

10月10日(日)

02:52 前日、※ご沢を登ったF(私)、T,Fと合流。土合にて仮眠をとる。

04:45 土合駅を出発。

08:22~09:45 白毛門、天気図をとり明日の行動を検討する。天気が悪いので朝日より下山か?

10:37~11:05笠ヶ岳

12:22朝日岳、霧のため周りの景色は何も見えず明日清水峠を降る事を決定して山頂直下でテントを設営する。(朝日岳は山頂近くに水場が在るので大いに助かった。)

山頂直下のテント場(真ん中が私のツェルトでテントから顔を出しているのはT君)

20:15 就寝

10月11日(月)

07:50 朝日岳を出発。

朝方の朝日岳山頂

08:50 ジャンクション・ピーク、先行するNoパーティのメモを見つける。

09:30~10:40 清水峠

清水峠から柄沢山(左のピーク)、横倉岳(右のピーク)方面と思われる?

12:20 清水着

 天気が悪く天気図をとっても明日の晴天は期待できず、清水峠から降るに

全員の意見が一致した為、清水へ下山した。

 

 この山行のリーダーだったN子さんの記録が上記のように書かれていた。

この記録から察するに、我々は白毛門~朝日岳~谷川岳の馬蹄形縦走を計画

したけれど、天気が良くないので中間地点の清水峠からエスケープして清

水へと下山したようだ。

 この時の仲間4人とは、F君を除いて今では賀状のやり取りさへ無くなっ

てしまった。皆さん元気に過ごしているんだろうか。

 

 この後も平成元年5月に白毛門から巻機山まで縦走した時や、平成27年

10月に白毛門から谷川岳まで馬蹄形縦走をした時に、も朝日岳の山頂を踏

んでいる。それらの記録は私のブログ「三百名山回顧」の中で、「№86巻

機山」と「№90谷川岳」に掲載されているので、興味があればそちらを参照

してみてください。

 

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