透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

都忘れ

2013-06-26 16:59:26 | 日記

晴れ。最低気温13.8℃、最高気温24.3℃。

我家のミヤコワスレが満開となった。群生しているのも好きだが、一本一本も端正で美しい。今日のように日中少し汗ばむほどの気温になると、この花の色や姿が一抹の清涼剤になる。玄関や居間に飾ると、静かに微笑んでいるようで、見ているだけで心が落ち着く。宿題?をするそばに置くと、逃げようとする心に喝を入れてくれる。これは、私だけに効果があるのかもしれないが・・・・・・・・・・。

ミヤコワスレは都忘れとも。広辞苑には「ミヤマヨメナの園芸品種。野春菊。」とある。この名の由来は承久の変で佐渡に流された順徳天皇(後の順徳院)が詠んだ次の歌からという説もある。「いかにして契りおきけむ白菊を 都忘れと名づくるも憂し」

順徳天皇は鎌倉前期の天皇。後鳥羽天皇の第三皇子。和歌に秀で、藤原定家に師事する。歌論書「八雲御抄」、家集「順徳院御集」などがある。父、後鳥羽天皇に似て歌才があり、活発明朗であったという。激動の中で、思いもよらぬ境遇に身を落としたのは25歳の時。世をはかなみ、在りし都での生活を忘れ難く、自ら食を断ったとも。1242(任治三)年9月12日、46歳で崩御された。

藤原定家の「小倉百人一首」の最終を飾るのは順徳院の歌である。『田辺聖子の小倉百人一首続』には順徳院と父である後鳥羽天皇、異母兄にあたる土御門天皇との関係が詳細に書かれていて興味深かった。

才能に恵まれ、心身活発でトップを極めた25歳の青年が、幕府を相手にことごとく破れ、都から離れた佐渡に流され、その地で20年余りも暮らしたことをどう考えたらよいのだろう。「都忘れ」の花に、都を偲びつつこの世を去った歌人の心を重ねてみようか・・・・・・・・。

                       

                          

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