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昨日ブログをアップした後、ブログのレイアウト・テンプレートの変更やらブログパーツの追加をすべく昼まで奮闘。
元々はブログパーツに「天気予報」を追加しようと、「ブログの使い方」を読んだつもりでやり始めたのですが、「このテンプレートではできません・・・・」のメッセージ。
なんでも変更が可能なカスタム仕様のテンプレートでないと、追加のパーツは駄目とのこと、現在のテンプレートを確認するとカスタム仕様でなし・・・うーんこうなれば皆変えるか。
でもってテンプレートのカスタム仕様を選択、確か今のテンプレート12月初めに冬仕様にしたのではと思いつつ変更、あまり寒いので少し暖かい色に変えておきました。
ついでにプロフィール、カレンダー等のモジュールの位置も変更、いよいよ「天気予報」パーツの追加をすべくパーツを選択していますと、日めくりカレンダーにミニチュアダックスフンドの画像の付いたパーツ。
お!!これは布野ダッシュ村の住人「マロン」と同種ではないか・・・ということで「日めくりカレンダー」も追加することに、ようやく全て終わったのは昼過ぎです、朝一からパソコンにカブリ付いていたことに・・・・
何はともあれ、何とか変更できました出来はどうでしょうか?
そして昼から、この冬一番の寒波とかで外は尾道でも「ぶちー寒い」ので、部屋の中で一昨日からやっている蕎麦の種から割れた実を選別する作業に。
年末のブログで紹介してましたように、粉にする蕎麦の実はゴミとり・石とり・研磨は終えていますが、この夏に植える種用の実はゴミとりで止めています、いつもならそれでいいのですが・・・
今年は脱穀に千歯を使ったことは既に何回も紹介したとおりですが、千歯を使ったばかりに多くの蕎麦の実が割れたり、ひびが入っています、粉にするなら多少は無視できるのですが種に割れた実はいただけません。

そこで一昨日から目と手で辛抱の作業を始めたわけです、12月の作業と同様ただただ辛抱です、たった6キロ程ですが進捗の悪いこと。
結局5時前で本日は終了ということに約7割の進捗です、それにしても1日中目を使い疲れた1日でした。

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昨日のミニログハウスづくりの続編です。
送られてきたコンボウの中から部材と共に図面らしきものが、しかし残念ながら私には分からない文字、文字は無視して図面と寸法(これはアラビア数字)を頼りにここから苦悩がスタート。

まず図面の寸法に沿って基礎づくり、ツルハシで30センチほど掘り、板の型枠を取り付け、砂利をいれコンクリートを流し込む、書けば簡単ですがこれがなかなか、特に掘る・残土を運ぶ、コンクリートを借りてきた電動ミキサーで練る、バケツで運び型枠に流す作業はかなりの重労働でした。
ログのサイズを紹介してませんでした、サイズは横5.5m、縦5メートルほどですが縦の5mにはベランダ部分が入りますので実質の室内部分は横5m、縦4mで12畳ほどのイメージです。
基礎部分での苦労は重労働と水平出しでした、水平出しは原始的なサイホォン方式でやりましたが、これが少し動かすとすぐ目盛りが変動し合わせは至難の業でした、今や赤外線での便利な水平器があるのですが。
確か、秋に始めて翌年の春まで基礎工事が掛かったと思います、何しろ現役で広島に単身赴任中の工事でしたから・・・すぐさまログの組み立てに掛かりたいのを梅雨明けまで我慢しての開始でした。
ところが思うようにならないのが宮仕え、丁度そのころ職場の仕事もピークに毎晩午前さまです、土日連続して尾道に帰ることも出来ず、月にせいぜい2日程度の工事が半年くらいあったと思います。
その年の暮れぐらいから、土日連続して帰れる状況になり組み立てが急速に進みましたが、職場の午前さまはずーと続いてました、そのころ噂を聞きつけた森田さんが毎週のように応援に来ていただき大いに助かりました。
壁部分が組みあがったころ2回目の正月を迎え、明けて屋根板、アスファルトピッチの屋根敷き、床板はり、電気工事、塗装と順調に進み秋の終わりにようやく完成に至るのですが、いまだに窓枠の白ペンキは正面しか塗っていません。
年が明けたら細かい部分を綺麗?に仕上げる予定でしたが、明けて転勤になりまた中断というより、そのまま使用しています。
基礎工事からほぼ2人で完成出来たことから自信がついたのは当然ですが、専念して工事をすれば基礎からでもおそらく1ヶ月と少しで完成できるのではと思うのは後づけですかね?
その自信のついたはずのログでなく、何で布野の民家で布野ダッシュ村になったのか??はまた別の機会に報告します。
そうそう、当時の大型テントまだ庭にたってます・・・・

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昨日の「堆肥づくり」に少しばかり登場する、「ミニログハウス」今では女房殿に占領され物置と化していますが、思い出多い私の労作です。
そのミニログハウスを建てるに至った経過やら苦労話を紹介します。

建てたのは8年前ですが当時はまだサラリーマン現役、その現役中に何故と言うことですが、このブログのプロフィールで触れていますように「田舎暮らし・自給自足?」を50才くらいから考え夢を膨らませていました。
その夢?の一つが、山奥に山林を求めログハウスを自力で建て、蕎麦や野菜を自給することでした、そこで当時検討したのが本格的なログハウスを自力で、女房殿と二人でも建てれるか?ということです。

いろいろ検討した結果、尾道の庭の片隅にミニログハウスを基礎工事から自力で建てて試してみる、ミニで駄目なら大型は当然に不可能との発想、もちろんミニログハウスそのものはマシンカットの組み立て式のものです。
早速に始めるため、ログハウスメーカー経由でフィンランド製のマシンカットのミニログハウスキットを購入、注文から約2ヶ月くらいと経ったとき連絡が確かあったと思いますが・・・
「●月●日、船でキットが横浜港に着くので大型トラックに積み替え、翌日の午前中にはお届けします」・・・といった内容でした。
受け入れの段取りが大変でした、大型トラックがギリギリの道路、トラックからのホイストでは家が邪魔でキットは庭には直接入れそうに無い・・・道路脇の空き地を借りる段取り、キットのコンボウを受ける馬の準備。
更にコンボウを解体し部材を庭に移すので、その受け皿となる大型テントの設営等々と約1ヶ月間の土日はバタバタの記憶があります。
そして迎えた当日、トラックは予定どおり10持過ぎに到着、荷物?は縦・横1.5メートル・長さ8メートルのコンボウが一つ、もう一つは縦・横はほぼ同じで長さが5メートルくらいのコンボウが一つの計2個。
受け取った後、コンボウを即解体し庭のテントまで搬入したのですが・・・とんでも無い部材の数でした、応援に来た妹夫婦と4人で結局 夕方遅くまでかかりヘトヘトになった記憶があります。
ログを建つ時と同じで段取りが悪く、今日で終わりそうにありませんので続きは明日ということで・・・・

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午前中に血液やら尿やらの検査のためM記念病院へ、採血等が終わり精算のため窓口付近でまっていると池本さーんの呼び出し、カウンターにいくと私の前を年配のご婦人が精算をしようとしています。
おかしいと思い「今誰を呼ばれましたか?」とたずねるとやはり「池本さん」、すると当のご婦人「あれ私は●●です」・・・、料金を支払って頂くのはいいのですが?保険証やらカードが危うく行方不明となるところでした。
あるのですねー、はやとちり 受付のお姉さんよく確認してよ・・・と言いたいが、私にもありそうなことで「いいですよ」と円満に。
余談が多くなりましたが、帰って午後から布野ダッシュ村の春に向け今日は「堆肥づくり」です、何故布野でなく尾道分村で作るのか理由は2つありまして。
1つは既に布野ダッシュ村は雪の中で出来ません、2つは山は昨年手に入れましたが肝心の境界線がはっきりせず手をつけるのを控えています、そこで尾道分村となるのですがこちらはあまり木の葉がありません。
庭(庭というより放置しぱなし土地)の隅に竹や潅木があり、その中にどんぐりの木やクヌギがあり毎年一面に落葉します、今日はその落ち葉を集めて堆肥作りです。
昨年の秋に作っておいた「堆肥製造ボックス」??は縦1.2m、横1m、高さ1メートルのパイプと板を組み合わせた簡単なもの、このボックスに庭の隅のミニログハウスの周りに落ちている落ち葉を集めて入れる・・・
入れて糠をかけ水を撒いたら上に載って踏んで圧縮、更に上に落ち葉を入れる糠・水を・・・・の繰り返しでだんだんと積み上げます、残念ながら落ち葉不足で1メートルの高さまで今日は達せず80センチくらいで終了です。



今日積んだ落ち葉の高さが落ち着いて沈んだころ、更にゲシの上の落ち葉を集め追加しよう思っています、春にはいい堆肥になっているハズです。
布野ダッシュ村に運び、蕎麦には使いませんが夏野菜の堆肥として使います、期待できるトマト・ナス・キュウリ・・・・となればいいのですが。

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昨日は七草粥の日、我が家の夕食にほんの少し出された、主力は女房殿のうん才の誕生日祝いを兼ねた寿司だ。
七草粥で私が知り得ている知識は「正月料理で疲れた胃をいたわるため」、七草はナズナ、スズナ、ゴギョウ、スズシロ・・・うーん後は何だったか?程度。
何年も前から調べようと思いつつそのままでしたので、昨日ネット辞典ウィキペデァで検索してみると、ありましたねー詳しいことが以下はその受け売りです、しかし便利な時代になったものです。
「七草(ななくさ)は人日の節句(1月7日)の朝に7種の野菜が入った粥を食べる習慣のこと。本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、正月のものは七種と書いて(ななくさ)と読むが一般的には正月のものも七草と書かれる。」
とありました、続いて七種(ななくさ)を見ると芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)の7野菜というか草でした。


ここで「人日」(じんじつ)について、「人日、五節句の一つ、1月7日七草粥を食べることから七草の節句ともいう」更に続いて。
「古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、夫々の日にはその動物を殺さないようにしていた、そして7日目を人の日(人日)とし犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。」
・・・・とありました、「人日」とはそーゆーことでしたか、しかしいい勉強になりました。
検索の後、アルコールで弱った胃をいたわるべく七種粥を頂きましたが、湯割りを飲みながらで効果の程は分かりませんが・・・・
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年末から年始にかけて「派遣切り」・「年越し派遣村」等の報道がTV・新聞等のマスコミを通じ毎日のように流され、セーフティネットのあり方等を各局のキャスターを中心に論じている。
炊き出し、テント村、厚生労働省の軒先貸し、若いボランティアの方の懸命な姿、助け合い・・・美しく正しいのですが私には何か違和感を感じます。
利益優先で大量解雇する無責任経営者が悪者だ!、この寒空に住む場所を追い出すのは非人間的行為だ!・・・等々全くそのとおりですが、悪徳?経営者の責任にしておけば済むのでしょうか?
元々は国会で経営者団体の要請と圧力?を受け「労働者派遣法」を立法し、改正を重ね「物の製造に係わる労働者派遣法」を2004年に解禁し、製造に係わる労働者の派遣を可能としたことが大きく起因するのでは。
もちろん製造に係わる労働者でけではなく、他の業種についても同様の契約解除・解雇等が行われていますが、一時期に集中して大量の契約解除・解雇等が発生するのは、やはり製造業です。
この根本原因の「労働者派遣法」、その中でも「物の製造に係わる労働者派遣法」の改正でなく廃止をしなければ解決しないのでは・・・
この法律がある限り経営者としては景気の変動に合わせて生産調整=雇用調整するのは当然といえます、この法律を放置しておいて「経営者はけしからん」だけではものごとは解決しないしないのでは。
経営者の責任は当然にありますが、この派遣法をつくった与野党の国会議員・政府に最も責任があるのでは、何故なら「物の製造に係わる・・・・」を立法した時から、雇用調整は当然に予測できたのですから・・・
その観点からは人災といえます、繰り返さないために廃止を早急にすべきです、廃止すれば更に失業者が、そんなことはありません段階的に契約社員化、更に段階的に社員化する等方法はあります、それを考えるのが官僚でしょう。
しかし、同じ労働者として言いにくいですが、派遣労働者のサイドにも景気のいい時は高賃金の会社を渡り歩くとか、派遣そのものが期間契約という大原則にあるという認識が薄れていたのでは・・・
しかしゴチャゴチャ言っている時ではありません、当面の食・住・雇用のセーフティネットは政府の責任で無意味な定額給付金をやめて即刻対応すべきですそして法律の廃止です、元をつくったのは政府ですから。


年末から年始にかけて「派遣切り」・「年越し派遣村」等の報道がTV・新聞等のマスコミを通じ毎日のように流され、セーフティネットのあり方等を各局のキャスターを中心に論じている。
炊き出し、テント村、厚生労働省の軒先貸し、若いボランティアの方の懸命な姿、助け合い・・・美しく正しいのですが私には何か違和感を感じます。
利益優先で大量解雇する無責任経営者が悪者だ!、この寒空に住む場所を追い出すのは非人間的行為だ!・・・等々全くそのとおりですが、悪徳?経営者の責任にしておけば済むのでしょうか?
元々は国会で経営者団体の要請と圧力?を受け「労働者派遣法」を立法し、改正を重ね「物の製造に係わる労働者派遣法」を2004年に解禁し、製造に係わる労働者の派遣を可能としたことが大きく起因するのでは。
もちろん製造に係わる労働者でけではなく、他の業種についても同様の契約解除・解雇等が行われていますが、一時期に集中して大量の契約解除・解雇等が発生するのは、やはり製造業です。
この根本原因の「労働者派遣法」、その中でも「物の製造に係わる労働者派遣法」の改正でなく廃止をしなければ解決しないのでは・・・
この法律がある限り経営者としては景気の変動に合わせて生産調整=雇用調整するのは当然といえます、この法律を放置しておいて「経営者はけしからん」だけではものごとは解決しないしないのでは。
経営者の責任は当然にありますが、この派遣法をつくった与野党の国会議員・政府に最も責任があるのでは、何故なら「物の製造に係わる・・・・」を立法した時から、雇用調整は当然に予測できたのですから・・・
その観点からは人災といえます、繰り返さないために廃止を早急にすべきです、廃止すれば更に失業者が、そんなことはありません段階的に契約社員化、更に段階的に社員化する等方法はあります、それを考えるのが官僚でしょう。
しかし、同じ労働者として言いにくいですが、派遣労働者のサイドにも景気のいい時は高賃金の会社を渡り歩くとか、派遣そのものが期間契約という大原則にあるという認識が薄れていたのでは・・・
しかしゴチャゴチャ言っている時ではありません、当面の食・住・雇用のセーフティネットは政府の責任で無意味な定額給付金をやめて即刻対応すべきですそして法律の廃止です、元をつくったのは政府ですから。

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昨日はブログを発信後すぐ、尾道の奥座敷ともいうべき御調町の「天然温泉 尾道ふれあいの里」を目指しました。 (尾道の奥座敷は元々は原田温泉でした、合併後私が勝手いってますので念のため)
相方は女房殿一人いい感じです・・・と言いたいのですが、実は今日はばぁさん(私の母)をつれて行く予定でした、しかし土壇キャン、想定はしていましたが最近はいつもそうです。
近場の温泉等にもほとんど行かないし、デイサービスも嫌いよく土壇キャンし、施設の迎えの方に平身低頭となります、人間 歳と共に仕方ないのでしょうねー
まぁーそーゆーことは置いて、そいじゃー我々でちょっと行ってくるでー・・・となた次第、そういっても私自信は尾道ふれあいの里には行ったことがありません、女房殿は既に入浴された由。
184号線と府中市からの486号線が交わる御調町中心部の小高い丘の上、圓鍔記念館のある一角にありました、立派な館です・館のみならず中の温泉も広く、お風呂も各種あります。

能書きによりますと、泉質は単純弱放射能冷鉱泉・鉱泉分類は低張性アルカリ性冷泉とあります・・・何となく分かるでしょ私にきかなくても、お風呂は大浴場に炭酸風呂、露天かけ流し湯、露天風呂、水風呂等と片側(男性)だけでも8種類全体では14種類とか。
料金は800円、タオル・バスタオル、浴衣付きです、どう感じるかは夫々ですが、私のように布野ダッシュ村から近い加田の湯に浸かっているものは加田の湯の400円に愛着を感じます。
しかし、お風呂の広さ・種類の豊富さ、設備等の全体を見ると一方的にいえません、この温泉が流行る理由その辺にあるのでしょうねー
いずれにしてもいいお湯でした、女房殿に車の運転を拒否されお湯に浸かりすぐ折り返した尾道ふれあいの里でした。

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三次ケーブルTVで親子そば打ち教室が放映・・・と言っても布野ダッシュ村ブログ参加暦が浅い方には分かりませんが。
昨年の12月14日「ほしはら山のがっこう」で親子での蕎麦打ち体験教室があり、私もお手伝いに参加しスタートの「手本打ち」に失敗、冷や汗をかいたことは既に同日のブログで紹介していますので参照ください、
その時「ほしはら山のがっこう」の活動を撮るため、三次ケーブルTVの委託を受けたRCCの撮影クルーがこられて、蕎麦打ち教室の撮影・インタビューをされており、私もインタビューをうけました。
その放映が正月2日の夜、三次ケーブルTVであったようです、ようです・・・とは私が見たわけではなく、布野の楽農まちづくり事業組合の升井さんが見られ、メールでお知らせと共にTV画面の写真を送って頂きました。
私にとっては ほろ苦い経験となったほしはら山のがっこうでの蕎麦打ちでしたがお正月の放映とは・・・・しかしいい体験と反省にもなった蕎麦打ちであり更に精進しています。
三次ケーブルTVといえば、もう一つ三次市の定住促進用の撮影を布野ダッシュ村の蕎麦の取り組みを中心にされていましたが、こちらは3月の放映予定とかすこし気にしつつ完成のCDをまってます。
見られてどんどん蕎麦の自家栽培・自家製粉、手打ちをされる方が増えるといいのですが・・・
升井さん、写真ありがとうございました。

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今日は生垣刈りの初仕事、何といっても正月を迎えてから刈り込むという布野ダッシュ村尾道分村特有?のルールです。

まぁホントはルールなんぞ無いのですが、少しばかり理由がありまして、ここ1年くらいで移転の予定ですから植木等も最終的には伐採となりますので、植木の刈り込みは止めていました。
ところが道(道路と言うほどのものでなく軽4が通る程度)に面したところは、やはり出ました生垣が道を圧迫して車に傷がつきそうだ・・・・・
年末ギリギリの苦情?でした、とりあえずその狭い道から道路に出る直角カーブの面にある植木の枝2本を大晦日に切り応急手当、年が明けたら早々に刈り込もうと決めてました。
しかし三が日にすることにもならず今日の初仕事になった訳です、基本的にもう綺麗に仕上げる観点があまりなく通行の邪魔にならないようするのが一番、それに若干体裁も。
従って道に面した側のみ刈り込み、家側・上部はそのままという手抜きです、それでも暖かいうちにと午後12持半から3時10分まで約2時間40分かかりました。
まぁ40年のカイズカ26本、高さ約3メートル、長さ20メートルくらいですから早く出来た方だと思います、電動式の生垣バリカンのおかげです。
約8年くらい前に購入したのですが刃渡りが30センチの長尺を求めたのが正解でした、成れるとフリーハンドでも刈りそろえができます。
しかし終わってみると上部の伸び放題がやはり気になります、これは近いうちに改めて刈り揃えなくては・・・悩み始めました。
忘れるのがはやいか、移転が早いか、悩んだ末刈るのか・・・・