
これ境内で説明員の方から、改修にお金がかかるので寄付をといわれ500円したら、お返しとしてお神酒と猪口がかえってきた、葵の門ですぞ。
前回に続いて日光東照宮だ、陽明門、御水屋、神輿殿、坂下門、本地堂紹介する。
日光東照宮は、当初から天海僧正の主張もあり山王一実神道による神仏混合を採用し薬師如来
を本地仏を祀り他の日光山内の寺社と渾然一体となっていたが、明治当初に発令された神仏分離
令により日光東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺に集約され、日光東照宮は正式の神社とな
っているそうだ。
前回も言ったが平成の大改修を今年3月に終え公開されたので、どこに行っても人人ばかりホ
ント疲れたというのが実感、しかも迷子にならないように専門の説明員さんについていくのが
精一杯、説明は聞こえたり聞こえなかったり・・・
もう少し落ち着いて見てみたい・・・が実感、しかしすべての建物、構築物は灯篭にに至るま
で各藩の寄進なんですねー、莫大な財産と労力を各藩に強いて武力を削いだ、よく考えたもの
です。

中央奥が陽明門、右側に鐘楼、左側に鼓楼が配置されている。

陽明門、寛永12年(1635)に建てられた、陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれていたところから授かったそうだ。

御水屋、寛永12年(1635)に建てられた、人ごみで写ってはいないが、手水鉢は元和4年(1618)に九州鍋島藩主が徳川家康3回忌に奉納した。

神輿殿、寛永12年(1635)に建てられ、内部には千人行列で渡御する徳川家康(中央)豊臣秀吉(左)、源頼朝(右)を祭った神輿が安置されている。

坂下門、元和4年(1608)に建てられ、この奥が徳川家康が眠る奥宮に続いていた爲、普段は閉められ開かずの門といわれていたそうだ、奥宮に続く欄干には有名な眠り猫の彫刻がある。

眠り猫、イガイに小さく、え これ といった感じ、左甚五郎の名作。

本地堂、寛永12年(1635)に建てられ、規模としては東照宮最大の建物、天井には狩野永真安信が描いた8mの竜があり、その下で手を打つと鳴き竜現象が起こる。(鳴竜)

昼食、近くの団体ツァー専門の食堂兼土産物屋で食事だ、山伏の昼食とかで精進料理風ゆばばかりやけに多かった、この器の下は空です。