ガウディハウス 尾道空き家再生PTの拠点
今日は7月12日に紹介しました「猛暑の中、尾道建築塾に参加!!」の続編を写真を中心に紹介します・・・といいますのも前編の時 携帯電話で投稿したのはいいのですが写真はデジカメで撮っているというちぐはぐをやってしまい写真がアップ出来ませんでした。
写真の最初はやはりガウディハウスでしよう、当日のコースの最後に打ち合わせとPCによる勉強会をした建物ですが、「尾道空き家再生PT」の象徴ともいえる建物で尾道空き家・・・・代表の豊田雅子さん夫妻が1930年代の空き家を買い取り自力で再生された第1号物件です。
現在のロープウェイ乗り場前の山陽本線のガード下ですが、よく見ると上りと下りのガードの土台が異なります、山陽電鉄時代は単線でありその後山陽本線になり複線化されたものです、山陽電鉄時代の土台はレンガ積みで角を石で補強してあるとう丁寧な仕事になっています、山陽本線時代に増設されたガードはただのコンクリートの塊です。
ロープウェイ乗り場前のガード下 よく見てください丁寧な仕事、手前のコンクリート部分が写っていませんでした。
丁寧時の三重塔、1388年建立の塔ですが元々は五重塔として建てられたのですが落雷による火事で上部を損壊、修復時に損壊の階をなくし三重塔としたそうです。
これは塔の案内版に書かれています。
丁寧寺の三重塔
尾道幼稚園として使用されていますが昭和初期の近代建築です、ちなみに近代建築とは窓が引き違いでなく左右か上下に開くこと、更に窓は上下に長いこと、屋根は単純な切妻でなく側面を切り取り斜めにしてあること、鴨居?の柱が壁より出ていること等々なんだそうですが・・・全部覚えていません??
尾道幼稚園 窓に屋根に近代建築のなごりが・・・
個人の別荘だっただそうですがよく手入れがされ窓の木枠等ペンキで保護されています、塀、窓、屋根・・・・立派な近代建築が守られています。
個人の別荘 塀、窓、屋根立派なものです
尾道は坂だけでなく石の町で宝篋印塔が多い町だそうです・・・宝篋印塔とは何ぞやといわれても困りますが受け売りでいいますと石による細工物、石塔、石門等々だそうです。
持光寺の石の門 宝篋印塔の極めつけです!
舟形のお墓 さすが北前船の港の豪商
石塔 上段のかぶさるように出ている掘り出し技術は高いものだそうです。
坂の街尾道の観光PRに出てくる坂です、影がでてイメージがわきませんが・・・この石垣が大正時代の豪商天野春吉が作らせた大きな石垣です。
坂の街尾道 人が邪魔??これは失礼しました。
以上が尾道空き家・・・の第1回の追加コース「山手の洋館群とガウディハウスを歩く」ですが・・・今尾道空き家再生PTではこの会の趣旨に賛同される皆さんを会員に募集されています、正会員、賛助会員、ボランティア会員で尾道に居住かどうかなんてことは問いません。
7月始めにNPOの認可が正規におり6日には発足会を開催されたそうです、興味のある方は是非会員になって一緒に活動してください、遠方の方はカンパもあるようです、同PTのHPのアドレスは下記のとおりです。
http://www.onomichisaisei.com/
今日は7月12日に紹介しました「猛暑の中、尾道建築塾に参加!!」の続編を写真を中心に紹介します・・・といいますのも前編の時 携帯電話で投稿したのはいいのですが写真はデジカメで撮っているというちぐはぐをやってしまい写真がアップ出来ませんでした。
写真の最初はやはりガウディハウスでしよう、当日のコースの最後に打ち合わせとPCによる勉強会をした建物ですが、「尾道空き家再生PT」の象徴ともいえる建物で尾道空き家・・・・代表の豊田雅子さん夫妻が1930年代の空き家を買い取り自力で再生された第1号物件です。
現在のロープウェイ乗り場前の山陽本線のガード下ですが、よく見ると上りと下りのガードの土台が異なります、山陽電鉄時代は単線でありその後山陽本線になり複線化されたものです、山陽電鉄時代の土台はレンガ積みで角を石で補強してあるとう丁寧な仕事になっています、山陽本線時代に増設されたガードはただのコンクリートの塊です。
ロープウェイ乗り場前のガード下 よく見てください丁寧な仕事、手前のコンクリート部分が写っていませんでした。
丁寧時の三重塔、1388年建立の塔ですが元々は五重塔として建てられたのですが落雷による火事で上部を損壊、修復時に損壊の階をなくし三重塔としたそうです。
これは塔の案内版に書かれています。
丁寧寺の三重塔
尾道幼稚園として使用されていますが昭和初期の近代建築です、ちなみに近代建築とは窓が引き違いでなく左右か上下に開くこと、更に窓は上下に長いこと、屋根は単純な切妻でなく側面を切り取り斜めにしてあること、鴨居?の柱が壁より出ていること等々なんだそうですが・・・全部覚えていません??
尾道幼稚園 窓に屋根に近代建築のなごりが・・・
個人の別荘だっただそうですがよく手入れがされ窓の木枠等ペンキで保護されています、塀、窓、屋根・・・・立派な近代建築が守られています。
個人の別荘 塀、窓、屋根立派なものです
尾道は坂だけでなく石の町で宝篋印塔が多い町だそうです・・・宝篋印塔とは何ぞやといわれても困りますが受け売りでいいますと石による細工物、石塔、石門等々だそうです。
持光寺の石の門 宝篋印塔の極めつけです!
舟形のお墓 さすが北前船の港の豪商
石塔 上段のかぶさるように出ている掘り出し技術は高いものだそうです。
坂の街尾道の観光PRに出てくる坂です、影がでてイメージがわきませんが・・・この石垣が大正時代の豪商天野春吉が作らせた大きな石垣です。
坂の街尾道 人が邪魔??これは失礼しました。
以上が尾道空き家・・・の第1回の追加コース「山手の洋館群とガウディハウスを歩く」ですが・・・今尾道空き家再生PTではこの会の趣旨に賛同される皆さんを会員に募集されています、正会員、賛助会員、ボランティア会員で尾道に居住かどうかなんてことは問いません。
7月始めにNPOの認可が正規におり6日には発足会を開催されたそうです、興味のある方は是非会員になって一緒に活動してください、遠方の方はカンパもあるようです、同PTのHPのアドレスは下記のとおりです。
http://www.onomichisaisei.com/
ガンギ跡
前回に引き続き尾道空き家再生プロジェクト(建築塾)第3回目の「再生事例と路地裏建築ー商店街と海岸通りエリア」に先週7月5日(土)に参加してきました、当日朝方は相当の雨 上がると気温も真夏日という天候の中でした・・・(翌日 蕎麦打ち初段検定の私としては体力の温存が課題でした!?)
今回のコースは尾道の商店街と海岸通りを中心に歩きながらその間を結ぶ小路の由来も含め学ぶという設定です、講師の方は今回も尾道の人でなく岡山市のココロエ1級建築士事務所を運営される片岡八重子さんでした。
大まかなコースは尾道駅前をスタートし旧尾道松竹ーガンギ跡ー商工会議所記念館ー小路奥の漁師の住まいー荒神堂通りー住吉神社前の海岸通りでの昭和初期の建物ー浜の小路ー西山本館ー旧住友銀行尾道支店(市分庁舎)ー旧尾道銀行本店(おのみち歴史博物館)-本通りー尾道帆布ー旧大和湯ー本通入り口のpharaisoです。
私の印象に残ったいくつかを紹介しますと「尾道に映画館をつくる会」が再建中の旧尾道松竹の真っ暗な館内を見学し代表の川本女史からの挨拶を聞いた時、各ジャンルで若い方が頑張っているのだなーヒマな団塊世代は応援しなくてはと感じ恐縮した次第です、なにしろこちらは銀幕全盛期が少年・青年でしたから・・・
海岸通りのガンキ跡 今はコンクリートのただの石段となっていますが私の記憶ではほんの15年前までは昔のままのガンギの船付き場の後があり、その前には飯屋、一杯や、テンプラ屋等々が狭い軒先を連ねていたと思いますが すっかり整理され石段ときれいな船付き場となっています。
そのガンギの向かい側の商店・住宅街が昭和初期の市場であったことは全く知りませんでした、商店街・海岸通りは一応尾道に住んでいたことになっていますのでだいだい分かりますが小路の奥に行くと全く知らない世界が随所にありその歴史たるや知る由もありませんでした。
旧市場の事務所
旧住友銀行尾道支店・・・現市分庁舎
今では古い建物ですが明治から昭和初期の近代建築の多いことが講師の方の説明でよくわかります、更に幕末の豪商が建てた家は窓口は狭く南北の奥行きが長い尾道独特の立て方等がよく分かります、公開されている「ほっと蔵」は奥行きが60メートルあり中に2つの坪庭、蔵があるという規模で中に入ると何かほっとさせられます。
ほっと蔵 坪庭から次の坪庭を覗く・・・全長60m
小路と路地ついて解説を聞きましたが、小路とは中世の尾道町と呼ばれる港を中心にして東西に伸びる旧西国街道(山陽道)から南北に技分かれしていく路地だけが小路と呼ばれるそうです、西寺小路(西国寺)、水尾小路等々で千光寺斜面の住宅密集地(今は空き家が多い)の路地は「小路」とはいわないのだそうです。
ついでに言いますと観光者に知られている、うずしお小路、石畳小路は近年の観光プロモーションとして新たに付けられたものだそうです.
書けば切りがないくらい今回も勉強になりました、多くの尾道市民の方が参加し自分の住む街の近代史を学んでほしいものです。
今回の歩数7900歩でした。
前回に引き続き尾道空き家再生プロジェクト(建築塾)第3回目の「再生事例と路地裏建築ー商店街と海岸通りエリア」に先週7月5日(土)に参加してきました、当日朝方は相当の雨 上がると気温も真夏日という天候の中でした・・・(翌日 蕎麦打ち初段検定の私としては体力の温存が課題でした!?)
今回のコースは尾道の商店街と海岸通りを中心に歩きながらその間を結ぶ小路の由来も含め学ぶという設定です、講師の方は今回も尾道の人でなく岡山市のココロエ1級建築士事務所を運営される片岡八重子さんでした。
大まかなコースは尾道駅前をスタートし旧尾道松竹ーガンギ跡ー商工会議所記念館ー小路奥の漁師の住まいー荒神堂通りー住吉神社前の海岸通りでの昭和初期の建物ー浜の小路ー西山本館ー旧住友銀行尾道支店(市分庁舎)ー旧尾道銀行本店(おのみち歴史博物館)-本通りー尾道帆布ー旧大和湯ー本通入り口のpharaisoです。
私の印象に残ったいくつかを紹介しますと「尾道に映画館をつくる会」が再建中の旧尾道松竹の真っ暗な館内を見学し代表の川本女史からの挨拶を聞いた時、各ジャンルで若い方が頑張っているのだなーヒマな団塊世代は応援しなくてはと感じ恐縮した次第です、なにしろこちらは銀幕全盛期が少年・青年でしたから・・・
海岸通りのガンキ跡 今はコンクリートのただの石段となっていますが私の記憶ではほんの15年前までは昔のままのガンギの船付き場の後があり、その前には飯屋、一杯や、テンプラ屋等々が狭い軒先を連ねていたと思いますが すっかり整理され石段ときれいな船付き場となっています。
そのガンギの向かい側の商店・住宅街が昭和初期の市場であったことは全く知りませんでした、商店街・海岸通りは一応尾道に住んでいたことになっていますのでだいだい分かりますが小路の奥に行くと全く知らない世界が随所にありその歴史たるや知る由もありませんでした。
旧市場の事務所
旧住友銀行尾道支店・・・現市分庁舎
今では古い建物ですが明治から昭和初期の近代建築の多いことが講師の方の説明でよくわかります、更に幕末の豪商が建てた家は窓口は狭く南北の奥行きが長い尾道独特の立て方等がよく分かります、公開されている「ほっと蔵」は奥行きが60メートルあり中に2つの坪庭、蔵があるという規模で中に入ると何かほっとさせられます。
ほっと蔵 坪庭から次の坪庭を覗く・・・全長60m
小路と路地ついて解説を聞きましたが、小路とは中世の尾道町と呼ばれる港を中心にして東西に伸びる旧西国街道(山陽道)から南北に技分かれしていく路地だけが小路と呼ばれるそうです、西寺小路(西国寺)、水尾小路等々で千光寺斜面の住宅密集地(今は空き家が多い)の路地は「小路」とはいわないのだそうです。
ついでに言いますと観光者に知られている、うずしお小路、石畳小路は近年の観光プロモーションとして新たに付けられたものだそうです.
書けば切りがないくらい今回も勉強になりました、多くの尾道市民の方が参加し自分の住む街の近代史を学んでほしいものです。
今回の歩数7900歩でした。
昭和初期の備後畳表共同組合事務所
本日の最終ゴール今川茶舗の土蔵での一献
一週間のご無沙汰でしたが昨日布野ダッシュ村に帰って来ました、この一週間は陶芸教室、蕎麦の会そしてなりより尾道空き家再生プロジェクト主催の「建築塾」に参加して汗をかいてきました。
その尾道空き家再生プロジェクトの「建築塾」とは何か?といわれると私も始めての参加で正確にいえませんが誤解を恐れず言いますと尾道市中心部に残る古い木造家屋(主として大正~昭和初期の建物)の魅力を探り最終的にはその建物の再生を目指し尾道の町並みを再生する・・・・・というところでしょうか??
その尾道空き家再生PTの代表である豊田雅子さんは元スチュアーデスで退職後尾道に帰郷しご主人と尾道の駅裏の坂道にあった1930年代の古民家を再生し「尾道ガウディハウス」と愛称をつけ活動の拠点とされています。
建築塾は5月から第1期が始まり第4期までの予定です、今回は第1期の「たてもの探訪編」シリーズの2回目で「長江・久保編:地域の誇りとコミュニティ」と題して長江、久保の路地裏、山手を歩き明治・大正・昭和初期の建物、蔵、井戸等を探訪しその解説を聞くものでした。
参加して何より驚いたのは人生60年も生きてきて(20年はよそでしたが)故郷尾道の町のことを全く知らない自分でした、寺の街尾道といわれるように一応のお寺の概要は知っていましたがそんなことでなくほんの少し前の大正・昭和のことが全く欠落していました、おそらく市民の多くの方がそうではないかと感じましたが・・・
その講師を勤めるのが若い東京工業大学の准教授の真野洋介さんでなんともいえない感じです、尾道の近代史を他地域の人から学ぶ・・・勉強不足とかというものでなく自らの地域に関心を持っていない、関わっていないその証左のようなものでした。
参加者は市民で私のような年齢の人は数人で後の大半の方は学生さんのようでした、おそらく尾道大学・東京工業大学の学生さんでしょう、民家再生の時には若い力を発揮してくれるでしょう??贅沢を言えば尾道市民のおじさん・おばさんが多く参加していただけると今後の尾道の文化が変わるのですが・・・・・
布野ダッシュ村の住人?である私が何故参加したのか??これが全くの邪道でもし「蕎麦の店」を出すのであれば布野ダッシュ村か尾道の千光寺ルートかの内輪の議論があり、ひとつ空き家を探訪するかと考えていた時にこのPTの話が舞い込み飛びついた次第です、邪道で参加はしましたが今は協力して町並みの再生の手助けをしなくてはと考えています。
肝心の「蕎麦の店」構想は近未来の話でから・・・しかも土日営業程度でできるだけ蕎麦だけにも縛られたくない、もっと色々やりたいことはある・・・の発想ですからどうなることやら・・・
次回7月5日の「再生事例と路地裏建築」にも当然参加します、翌日が豊平流蕎麦打ち認定試験の日ではありますが・・・。
本日の最終ゴール今川茶舗の土蔵での一献
一週間のご無沙汰でしたが昨日布野ダッシュ村に帰って来ました、この一週間は陶芸教室、蕎麦の会そしてなりより尾道空き家再生プロジェクト主催の「建築塾」に参加して汗をかいてきました。
その尾道空き家再生プロジェクトの「建築塾」とは何か?といわれると私も始めての参加で正確にいえませんが誤解を恐れず言いますと尾道市中心部に残る古い木造家屋(主として大正~昭和初期の建物)の魅力を探り最終的にはその建物の再生を目指し尾道の町並みを再生する・・・・・というところでしょうか??
その尾道空き家再生PTの代表である豊田雅子さんは元スチュアーデスで退職後尾道に帰郷しご主人と尾道の駅裏の坂道にあった1930年代の古民家を再生し「尾道ガウディハウス」と愛称をつけ活動の拠点とされています。
建築塾は5月から第1期が始まり第4期までの予定です、今回は第1期の「たてもの探訪編」シリーズの2回目で「長江・久保編:地域の誇りとコミュニティ」と題して長江、久保の路地裏、山手を歩き明治・大正・昭和初期の建物、蔵、井戸等を探訪しその解説を聞くものでした。
参加して何より驚いたのは人生60年も生きてきて(20年はよそでしたが)故郷尾道の町のことを全く知らない自分でした、寺の街尾道といわれるように一応のお寺の概要は知っていましたがそんなことでなくほんの少し前の大正・昭和のことが全く欠落していました、おそらく市民の多くの方がそうではないかと感じましたが・・・
その講師を勤めるのが若い東京工業大学の准教授の真野洋介さんでなんともいえない感じです、尾道の近代史を他地域の人から学ぶ・・・勉強不足とかというものでなく自らの地域に関心を持っていない、関わっていないその証左のようなものでした。
参加者は市民で私のような年齢の人は数人で後の大半の方は学生さんのようでした、おそらく尾道大学・東京工業大学の学生さんでしょう、民家再生の時には若い力を発揮してくれるでしょう??贅沢を言えば尾道市民のおじさん・おばさんが多く参加していただけると今後の尾道の文化が変わるのですが・・・・・
布野ダッシュ村の住人?である私が何故参加したのか??これが全くの邪道でもし「蕎麦の店」を出すのであれば布野ダッシュ村か尾道の千光寺ルートかの内輪の議論があり、ひとつ空き家を探訪するかと考えていた時にこのPTの話が舞い込み飛びついた次第です、邪道で参加はしましたが今は協力して町並みの再生の手助けをしなくてはと考えています。
肝心の「蕎麦の店」構想は近未来の話でから・・・しかも土日営業程度でできるだけ蕎麦だけにも縛られたくない、もっと色々やりたいことはある・・・の発想ですからどうなることやら・・・
次回7月5日の「再生事例と路地裏建築」にも当然参加します、翌日が豊平流蕎麦打ち認定試験の日ではありますが・・・。