玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」(2)

2015年06月20日 | ゴシック論
 実は私も騙されてしまったのだった。『夜のみだらな鳥』を読んだのはずいぶん前のことであるし、ヘンリー・ジェイムズの言葉が載っているなどということも忘れていた。しかし、ヘンリー・ジェイムズは生涯結婚せず、独身を通したのに、なんで息子がいるのか、おかしいではないかと思ったが、「夜のみだらな鳥」の原語を知りたいと思ったこともあり、ネットにあるThe Letters of Henry
Jamesのサイトに当たってみた。
 1920年にPercy Lubbock編集によりCharles Scribner’s Sonsという出版社から出ている。PDFファイルで掲載されているのは第1巻のみで、それだけで430頁以上ある。
 この中からどうやって目的の手紙を探すか? 目次を見れば見当がつくと思い、宛名を順番に見ていくとTo Henry James, juniorというのがあった。
 これだろうと思い、さほど長くはない本文をつたない英語力で読んでみたが、それに該当する部分はない。しかもこのjunior、Harryという名の人物がなんでjuniorなのか分からない。ヘンリー・ジェイムズが養子をもらったという話も聞いたことがない。
 同サイトにはテキストファイルも掲載されているので、キーワードで検索するしかないと思い、ワードに読み込んで検索してみた。ところがbirdsで検索しても、wolfないしwolvesで検索してみてもそれらしい部分は出てこない。
 ということで諦めた。現物に当たってみよう。「世界の文学」を見るとドノソ自身が「父と母に捧げる」との献辞のあとに、エピグラフとしてヘンリー・ジェイムズの文章を掲げている。そこには「その子息ヘンリーとウィリアムに宛てた父ヘンリー・ジェイムズの書簡より」という説明が付されている。
 それで納得した。実はヘンリー・ジェイムズの父親は息子と同じヘンリー・ジェイムズという名前だったのである。その子息ヘンリーとウィリアムというのは作家ヘンリー・ジェイムズと哲学者ウィリアム・ジェイムズのことなのである。
 つまりブログ氏はヘンリー・ジェイムズの父親の名前を知らなかったために、このヘンリー・ジェイムズをヘンリー・ジェイムズの父親ではなく、作家本人と思い込んでしまったわけである。ちなみに父親は宗教哲学者であり、作家ヘンリーはHenry James, juniorであったわけで、英語の検索エンジンではHenry James, juniorで作家ヘンリーのことが出てくる。
ところでエピグラフとして掲げられている文章はオビの文章のように簡略なものではない。鼓直訳を紹介しよう。
「分別のつく十代に達した者ならば誰でも疑い始める。人生は道化芝居ではない。お上品な喜劇でもない。それどころか人生は、それを生きる者の根が達している本質的な空乏という、いとも深い悲劇の地の底から花を開き、実を結ぶのではないかと。精神生活の可能なすべての人間が生得受け継いでいる貨財は、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ」


父ヘンリー・ジェイムズと
息子ヘンリー・ジェイムズ



ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」(1)

2015年06月19日 | ゴシック論
『夜のみだらな鳥』はチリの作家ホセ・ドノソ(1924-1996)の作品であって、もちろんヘンリー・ジェイムズの作品ではない。今回書くのは読後ノートではなくて、ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」という言葉についてのお話である。
 ドノソの『夜のみだらな鳥』は1976年に集英社版「世界の文学」の一冊として、さらに1984年には同じく集英社版「ラテンアメリカの文学」の一冊として翻訳出版されている。
 この作品はドノソの代表作であると同時に、ラテンアメリカ文学史上ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に唯一比肩することのできる大傑作であると私は思っている。ドノソがマルケス以上の大作家だという見方をする人もいるが、少なくとも『百年の孤独』と『夜のみだらな鳥』が20世紀の小説を代表する二作であることは間違いない。
 この「書斎」でヘンリー・ジェイムズをしつこく追ってきたのは、ホセ・ドノソについて最終的には書くためであるのだが、知らないうちにドノソが深く影響されたヘンリー・ジェイムズにはまってしまっている自分を発見するのであった。
 ところで集英社版「世界の文学」第31巻の『夜のみだらな鳥』のカバーに、次のような文章が引用されている。“夜のみだらな鳥”というタイトルの由来を示すものだ。
「人生は道化芝居ではない
 お上品な喜劇でもない
 それは、
 悲劇の地の底、飢餓から
 開花し、結実するものではないか
 すべての人間は
 狼が吠え、夜のみだらな鳥が鳴く
 騒然たる森を
 心に持っている」
 凄い言葉である。この言葉がインターネット上のブログの多くで「ヘンリー・ジェイムズが自分の息子に宛てた書簡からの抜粋」として紹介されているために、ヘンリー・ジェイムズ自身の言葉であるかのように誤解されているので、ここでその誤解を正しておかなければならない。


ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(4)

2015年06月18日 | ゴシック論
 ジュリアーナ・ボルドローの願望とはいったい何だったのか? それはジュリアーナの死後、姪のティータによって明らかにされる。世の中との交渉を絶ってひっそりと暮らすジュリアーナにとって大切なのは姪であって、姪のティータにたくさんのお金を残し、幸せな結婚をさせることが彼女の唯一の願望であった。
 ジュリアーナは「出版ごろ!」と罵るように、他人のプライバシーに土足で踏み込もうとする研究者としての「私」をまったく認めていない。だから決してアスパンの恋文を見せようとはしないのである。しかし、ジュリアーナは「私」を姪の結婚相手としては認めているのであって、だから「私」が姪と結婚し、アスパンの恋文を共有することは許そうと考えていたのである。
 ティータは叔母の願望に従って「私」に求婚するが、「私」は迷う。いったんは“ハイミス”であるティータを美しいとさえ思い、結婚を決断しかかるが、結局は撤退する。その拒絶によってティータは「私」がのどから手が出るほど欲しがっていたアスパンの恋文を焼き捨てるのである。
 思わずあらすじを書いてしまったが(基本的にあらすじは時間の無駄なので書きたくない)、それほどに『アスパンの恋文』のストーリーはよくできている。岩波文庫のカバーには「精緻な心理描写で、ストーリーテラーとしてのジェイムズの才能が遺憾なく発揮された中篇の傑作」と書かれているが、おそらくそのとおりだろう。
 しかし私にはもの足りない。この作品には『ねじの回転』に見るような、閉鎖空間における妄想を謎のまま引っ張っていく不可解さもないし、『聖なる泉』のような心理分析的な記述だけで読者を狂気の世界に引きずり込んでいくような実験性もない。
 やはり“読みやすさ”はヘンリー・ジェイムズの作品の美質ではあり得ない。ジェイムズの作品は晦渋で、不可解でなければならない。それこそがジェイムズが人間を見るときの哲学的視点であったであろうから。
 また“ストーリーテラーとしての才能”などをジェイムズに求める気はさらさらない。私にとってジェイムズは本家フランスにおける心理小説よりもさらに徹底した心理小説を書いた作家として偉大であり、イギリスのゴシック小説を継承しながらも、そこに古色蒼然たる意匠をではなく、現代に通じる問題を提起した作家として偉大なのであるから。
(この項おわり)

ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(3)

2015年06月17日 | ゴシック論
 叔母と姪の二人は現在を生きることなく、過去に生きているという意味で幽霊に似ている。また、閉ざされた空間の中で生活している二人の、現実生活との齟齬を思わせるおかしな言辞によって、ジェイムズは奇矯な二人の性格を目に見えるように描いていく。
 特にジュリアーナ・ボルドローの言動には突飛で謎めいたところがある。守銭奴のように法外な家賃を要求するかと思えば、「私」に対して決してうち解けようとはしないのに、姪のティータに「私」とのデートを勧めたり、「私」の目的を疑いを持ってみているにも拘わらず、突然「私」にアスパンの肖像画を見せたりする。
「私」にはミス・ボルドローの真意がまったく理解できない。この謎は小説の最後に明かされるのだが、それまで「私」はその謎を読み解くことができない。その謎はミス・ボルドローの秘められた願望にこそ潜んでいるのであり、ここでのジェイムズの仕込みは完璧と言ってもよい。
「私」はミス・ティータを通じて、ジュリアーナの腹を探ろうとする。押しては引き、引いては押す心理的な駆け引きは、「私」とミス・ティータの間に異常な緊張関係を作り出していく。この辺りの描写はヘンリー・ジェイムズならではのもので、この作品を一気に読ませる原動力となっている。
 最後にミス・ボルドローが斃れ臨終の床につくところで、「私」はアスパンの恋文を求めて彼女の部屋を物色するのだが、その時、病に伏していたはずのミス・ボルドローが突然目の前に現れる。幽霊の出現を思わせるほどの衝迫力を持った描写がある。
「その瞬間、目に映ったものに驚愕してもう少しでランプをとり落とすところだった。わたしは思わず後ずさりしてしまった。ジュリアーナが寝巻のまま戸口に立ってこちらをじっと見ていたのだ!(中略)腰を曲げ、よろめきながら顔を上げたミス・ボルドローの白衣の姿、表情、態度は永久にわたしの脳裏から離れることはないだろう。私が振り向いたとたんに凄まじい勢いで吐き出すように言ったあの言葉も永久に忘れられまい。――「この出版ごろめ!」」
 明らかにヘンリー・ジェイムズはこの場面を、ゴシック小説における幽霊の出現であるかのように描いているのであって、決して超常現象を描いているのではないが、それにも拘わらず、この作品を一編のゴースト・ストーリーと言いたくなるのも無理はないのである。


ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(2)

2015年06月16日 | ゴシック論
 夏目漱石はヘンリー・ジェイムズの兄である哲学者のウィリアム・ジェイムズの訃報に接して次のように書いた。
「教授の兄弟にあたるヘンリーは、有名な小説家で、非常に難渋な文章を書く男である。ヘンリーは哲学の様な小説を書き、ウィリアムは小説の様な哲学を書く、と世間で云われている位ヘンリーは読みづらく、又その位教授は読み易くて明快なのである」(「思い出す事など」)
 漱石のこの評言は『アスパンの恋文』については当たっていない。漱石がヘンリー・ジェイムズのどの作品を念頭に置いて、こんな事を書いたのかということは、漱石が所持していた『黄金の盃』への書き込みの存在によって明らかである。漱石はジェイムズ後期の心理小説の傑作群を念頭に置いているのである。
 ヘンリー・ジェイムズの作品が“難渋だ”という事は、前回書いたようにその短編作品については言えないし、哲学のような小説だとも言えない。『アスパンの恋文』についても同じことが言える。
『アスパンの恋文』は、これまた名前の与えられていない主人公「私」(文学研究者)がアメリカの大詩人ジェフリー・アスパン(架空の詩人である)のかつての恋人ジュリアーナ・ボルドローが所有する“アスパンの恋文”を手に入れようとする物語である。
「私」はミス・ボルドローが生きていて、ヴェニスに住んでいることを突き止め、名前を偽って彼女の邸宅に下宿させてくれるよう申し込む。その屋敷は300年は経とうという古めかしい大邸宅で、そこにジュリアーナ・ボルドローは姪のミス・ティータとともに隠棲している。二人はほとんど誰とも接触することもなく、まったく外出することもなくひっそりと生活している。
 こうした設定は『ねじの回転』のブライ邸の場合のように、ゴシック的であり、ヴェニスの大邸宅は、叔母と姪の二人の世捨て人を閉じこめる閉ざされた空間なのである。
 しかしそこで、超自然現象が起こるわけではない。そうではないのだが、ほとんど姿を見せない事においてジュリアーナは幽霊のような存在であり、姿を見せる時にはまるで幽霊のように出現するのである。だからこの小説を木村栄一が言うように、ゴースト・ストーリーと位置づけてもよいであろう。


ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(1)

2015年06月15日 | ゴシック論
 というわけで、アメリカのゴシック小説には大いに注目しなければならないということが分かっていただけるだろう。
アメリカン・ゴシックの第一人者はエドガー・アラン・ポオであるというのが一般的な考え方であろうが、私にとってポオの小説はイギリスのゴシック小説の重苦しさ、息苦しさを思う存分に引きずっていて、あまりにも古風に過ぎ、現代につながる要素を感じることができない。
 一方、ヘンリー・ジェイムズの小説は、とくに中短編にあっては、必ず“ひとひねり”(the turn of the screw)が利いていて、イギリス本国のゴシック小説とはかなり距離をとった書き方がされているし、そこに心理主義的な要素が加味されて極めて現代的である。私がヘンリー・ジェイムズの小説を偏愛する理由はそこにある。
 木村栄一は「現代イスパノアメリカ文学とゴシック」という論考(例によって国書刊行会『城と眩暈――ゴシックを読む』収載)で、ラテンアメリカの現代作家におけるゴシック小説の影響について論じている。木村はホルヘ・ルイス・ボルヘス(アルゼンチン)や、ガルシア・マルケス(コロンビア)、アレホ・カルペンティエール(キューバ)やカルロス・フェンテス(メキシコ)など多くの作家を取り上げているが、それほどにラテンアメリカにおけるゴシック小説の影響には無視できないものがある。
 ここでは、アメリカ(英語圏としてのアメリカ)におけるゴシック小説の影響と併行した関係があるのかどうか、ということがテーマになってくるだろうが、今はそんな大きなことを考えている余裕はない。しかし、木村が次のように書いてアメリカ文学を経由してのゴシックの影響ということを指摘する時、テーマは俄然興味深いものになっていく。ホセ・ドノソについてのくだりである。
「十九世紀アメリカ文学を代表する作家ヘンリー・ジェイムズは『ねじの回転』や『アスパーンの手紙』といったゴースト・ストーリーによってゴシック文学史にその名を留めているが、そのH・ジェイムズから大きな影響を受けたホセ・ドノソ(チリ)もまたゴシック風の作品をいくつか書いている」
 ドノソについて書くには私はまだ準備不足なのだが、木村が『アスパーンの手紙』を、ジェイムズのゴースト・ストーリーの代表作のひとつとして紹介している以上、これを読まないわけにはいかない。
 ヘンリー・ジェイムズの1888年の中編作品であるこの小説は『アスパンの恋文』という邦題で岩波文庫に収められている。『ねじの回転』の10年前、『聖なる泉』の13年前の作品である。
『アスパンの恋文』の最大の特徴はその分かりやすさにあり、読みやすさにある。あれほど晦渋な文章を書いた同じ作家の作品とは思えないほどに分かりやすい。そのことはジェイムズの作品にあっては例外的なこととして強調されることがあるが、必ずしもそうとは言えない。
『幽霊貸家』とか『オーウェン・ウィングレイヴ』といったゴースト・ストーリーの中期の短編もまた、非常に分かりやすい作品であり、これはジェイムズの短編の特徴であろう。『アスパンの恋文』は『ねじの回転』と同じくらいの長さの中編作品ではあるが、『ねじの回転』のような複雑さはなく、むしろ短編的な作品なのだと言える。
ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(1998、岩波文庫)行方昭夫訳


C・B・ブラウン『ウィーランド』(5)

2015年06月14日 | ゴシック論
 だからC・B・ブラウンの作品が、後のアメリカの偉大な作家達に影響を与えたというよりも、八木俊雄の言うようにアメリカはもともとピューリタニズムの国として(あるいはピューリタニズムに限らず、宗教的狂熱の国として。このことは後でラテンアメリカにおけるゴシック小説の影響について考える時に、詳しく考えなければならない問題である)ゴシック小説を繁栄させる風土を持っていたのだと結論づける方が正しいと思う。
 訳者の志村正雄は解説で、ポオの作品のいくつかの冒頭部分に『ウィーランド』の各章の書き出しの反響を読み取っているが、ポオについてもブラウンの影響というよりはイギリス本国のゴシック作家達の強い影響を見るべきと思う。恐怖小説の書き出しというのは一定のパターンがあって、一人称で書かれた場合には自分が恐怖の体験にあって、狂気の淵にあるというようなことはいつでも言われうることに過ぎないからである。
 セオドアは狂信の故に狂気に陥った人物として描かれてはいるが、決して批判や否定の対象にはなっていない。むしろセオドアは敬虔なピューリタンとして純粋な宗教性を求めながら、現実の世界では狂人として妻子を惨殺してしまう“犠牲者”として描かれているのである。おそらくそのあたりが、アメリカにおけるピューリタニズムとゴシック小説の親和的関係の中核にある精神性なのだろう。
 ともかくもブラウンの『ウィーランド』は決して優れた小説ではないし、後の大作家達に大きな影響を与えたなどとも思わない。まして「アメリカ文学のゴシック性を決定した」などとは夢にも思わない。
 しかし、『ウィーランド』はアメリカの持つ“ゴシック的精神風土”というものに気づかせてくれる好個の例であって、その意味でもアメリカン・ゴシックの原点に位置づけられる作品であるということに異存はない。
(この項おわり)


C・B・ブラウン『ウィーランド』(4)

2015年06月13日 | ゴシック論
 チャールズ・ブロックデン・ブラウンの『ウィーランド』と『エドガー・ハントリー』については、八木俊雄が「アメリカン・ゴシックの誕生」という論考を書いている(国書刊行会『城と眩暈~ゴシックを読む』収載)。
 この論考はC・B・ブラウンからウィリアム・フォークナーまでを射程に入れて書くことを目指したものだが、ブラウンの小説にこだわりすぎてその目的は途中で挫折している。しかし八木俊雄の言いたいことは、ブラウンを直接論じていない部分によく表れていて極めて説得力がある。
 八木はアメリカにおけるゴシックの系譜とイギリスのそれとを比較している。アメリカの代表的な作家を列挙していくと、ブラウン-アーヴィング-ホーソーン-メルヴィル-トウェイン-ジェイムズ-ヘミングウェイ-フォークナー-ベロー-カポーティ-バース-ピンチョンという系譜が出来上がるが、ヘミングウェイとベローを除けばそれはそのまま“ゴシシズムの系譜”になるというのである。続けて八木は次のように言う。
「すくなくともアメリカでは、現実に起こりそうなことがそれらしく描かれるリアリズム小説が主流ではなく、どこか異常な、非日常的な、グロテスクな、極端なことが平気で展開するロマンスが主流である」
 そしてそれはイギリスにおける事情とは大いに違っている。イギリスの作家の系譜を辿ってみると、リチャードソン-オースティン-エリオット-ジェイムズ-コンラッド-ロレンス、あるいはフィールディング-デフォー-スィフト-ディケンズ-ブロンテ姉妹-ハーディ-ウルフとなるが、このうち「ゴシシズムの気配がある」のは、ジェイムズとコンラッド、ブロンテ姉妹だけということになる。しかもジェイムズはアメリカ人(ヘンリー・ジェイムズはアメリカで生まれそこで活躍した後、イギリスに移住しているからどちらにも名前が出てくる)、コンラッドはポーランド人なのである。
 ゴシック小説の元祖はイギリスであるのに、イギリスの主要作家の系譜の中にゴシック小説が位置づけられることはないと八木は言う。だからホーソーンの『緋文字』やメルヴィルの『白鯨』などがアメリカ文学史で占める高い地位を、ウォルポールの『オトラント城奇譚』やマチューリンの『放浪者メルモス』が占めることはとても考えられないことなのだ。
 八木はこれと同じ現象を宗教上の歴史に見ている。英国国教の反主流派であったピューリタンが、新大陸に渡って絶対的な主流派となり、その精神が今日まで続いているというアメリカの歴史である。八木はさらに次のように書いているが、その指摘はおそらく正しいし、アメリカにおけるゴシックの展開にとって最も重要な部分を押さえていると私は考える。
「もしこの文学のジャンル(ゴシック小説のこと)が恐怖と夢想を共通項とし、エトスにおいてプロテスタント、パトスにおいてロマンチックなジャンルであるとするなら、またもし宗教の次元で失ったものを空想の次元で奪回しようという想像力の営みであるとするなら、この「新しい小説」はもともとアメリカという国の精神風土とうまが合っていたのだ。アメリカとは、元来が宗教上のロマンチシズムであるプロテスタンチズムの、そのまた純粋派のピューリタニズムの、神の王国をこの世に来たらそうという極端な夢が新大陸の荒野に生み落とした国ではなかったか」


C・B・ブラウン『ウィーランド』(3)

2015年06月12日 | ゴシック論
 ただしこの作品にも評価すべき点はある。それはこの小説の中で起きる最大の事件、クララの兄セオドア・ウィーランドによる愛する妻と子供達の殺害に関わる部分である。
 セオドア・ウィーランドは変死した父と同様狂信的なピューリタンであり、神の御前に出てその御意を知り、それを行いたいという激しい願望に生きている。そんなセオドアに神の宣託が下される。神は「汝の祈りは聞いた。信仰の証明として、汝の妻を渡せ。それこそ我が択ぶ犠牲」と要求し、ただちにセオドアは神の宣託に従って、妻子を殺害するのである。
 この狂信よるセオドアの家族惨殺の引き金になったのが、カーウィンの引き起こした腹話術による超自然的現象であったとされているが、いかにもとってつけたようでいただけない。この小説の本当のテーマが狂信による妻子殺害にあるのであれば、そのような小細工は要らない。ジェイムズ・ホッグの『悪の誘惑』のように、狂信の論理を突き詰めていけばよいのだから。
 また、セオドアの狂気に至る過程がほとんど描かれていないのも、この小説が説得力を欠く要因の一つである。狂気の過程どころかセオドアの人となり自体も全く描かれていないに等しい。『悪の誘惑』における“義人”の場合のように、その狂信の有様が執拗に描かれるということがない。これでは狂信による妻子殺害がテーマとして深化されようはずもないのである。
 ところでセオドアは、殺人を犯した後にも「神の命に従って正しいことを行ったのだ」と、まったく罪の意識を抱くことなく、自らの正当性を主張し続ける。そのことに対してクララは同情的である。それはC・B・ブラウン自身が狂信的なクエーカー教徒(ピューリタン最左翼の一派とされる)の子であったことと関係しているのであろう。
 しかしクララの叔父ケンブリッジが言うように「セオドアが狂気のうちに止まっているならば、自分の正当性を信じ平穏な気持でいられる。しかし彼が正気に戻ったら妻子を殺害した罪の意識に耐えられずに自殺せざるを得ない」という見方は人間の狂信と狂気についての穿った考え方と言わなければならない。
 だからセオドアをそのままにしておけばいいのに、偶然とはいえクララは兄セオドアに会うという愚を犯す。セオドアはクララの言葉に正気を取り戻し、自身の罪を認識し、自害して果てるのである。
 このあたりが『ウィーランド』を小説として救える部分である。アメリカにおけるピューリタニズムの狂信とそれによる狂気に対する追究がそこにはあるからである。


C・B・ブラウン『ウィーランド』(2)

2015年06月11日 | ゴシック論
 推理小説の創始者はエドガー・アラン・ポオだとされているが、ポオより以前の『ウィーランド』もまた推理小説的な構成をもっている。この小説は全部で27章からできているが、第1章から第18章までは、連続して起きる超自然的な現象と、その中での主人公クララの恐怖を描き、第19章から第26章ではその超自然的現象が、カーウィンという男の腹話術によるものであったことが、カーウィン自身による告白によって明かされるという構成になっている(第27章は単なる蛇足にすぎない)。
 だからこの小説では、超自然現象は発生しない。その点でブラウンは彼が最も高く評価したというウィリアム・ゴドウィンの『ケイレブ・ウィリアムズ』に習ったのであろう。ただし、超常現象が起きる(この方が多いのだが)ゴシック小説においても、最初に謎が提出され、どうしてそんなことが起きたのかが次第に明らかにされていくという構成の作品も多くある。
 だからゴシック小説は推理小説の源流にあるのであって、ブラウンの作品はその中間地点にある作品だとも言える。ストーリーを引っ張っていき、読者の興味を煽っていくのは、ブラウンの場合いつでも謎とその謎の解明への期待であって、『ウィーランド』に探偵は登場しないが、基本的に推理小説的な構成をもった作品と言える。
 しかし、推理小説が好きではない人間(私はその典型だと自分自身思っている)にとって、謎の解明がいかにつじつまを合わせて行われようが、そんなものはすべて“つくりもの”であって、小説にとって重要な要素となりうるはずもない。
ましてや事件の犯人が誰であるかなどということはどうでもいい話であって、そんなことに一喜一憂するのは時間の無駄に過ぎない。
 だから第19章から始まるカーウィンの告白はちっとも面白くないし、ブラウンがカーウィンという人物を登場させたのは、推理小説的な興味で読者を引っ張るためだったとしか思えない。ブラウンはこのカーウィンを主人公とした『腹話術師カーウィンの回想録』なる作品を書こうとしたが、途中で投げ出したと伝えられているが、当然のことであろう。
 カーウィンのような中途半端な人物が主人公となる回想録など、書かれようはずもないのである。そして『ウィーランド』の魅力を減殺しているのも、このカーウィンという登場人物なのに他ならない。