玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

谷川渥監修『廃墟大全』(2)

2015年06月02日 | ゴシック論
 ピラネージについては岡田哲史が書いている。岡田はピラネージの代表作である「牢獄」シリーズにはまったく触れておらず、「ローマの景観」など古代ローマの遺跡を描いた作品にしか言及していない。まるで、ピラネージの偉大さは「牢獄」によってではなく、「ローマの景観」によって証されると言わんばかりだが、実は私もそう思っている。
 岡田によれば、ピラネージは20歳で故郷のヴェネツィアを出てローマにやってくるが、失われゆく古代ローマの遺跡に魅了され、それを紙の上に再現しようという壮大な意欲を持つに至る。岡田は次のように書いている。
「そこでピラネージは、古代ローマ建築の遺跡から『語りかける廃墟の精神』を汲み取り、その創造の精神で自らを鼓舞し、古代建築に匹敵する壮麗な現代建築を紙の上に創作しようと意欲を燃やす」
 ピラネージは生涯に1000枚を超える作品を残したが、そのうち「ローマの景観」だけで137枚にも及び、『ローマの古代遺跡』『古代ローマの壮麗と建築』『古代ローマのカンポ・マルツィオ』という3冊の考古学書に描かれた作品を加えれば、ローマの遺跡を描いた作品は膨大な数に上る。ピラネージはローマの廃墟を描くことに生涯を費やしたのだと言ってもよい。
 古代ローマの廃墟を描いたいくつかの作品を見ていると、眩暈に襲われそうになることがある。「牢獄」シリーズについてはそういうことはない。たとえば『ローマの古代遺跡』の一枚「カエキリア・メテッラの墓の背面の景観」は、ピラネージの誇張された遠近法による壮麗(エドマンド・バークにならえば崇高)の実現の典型的な一例である。
 この作品が遠近法を現実よりも加速させていることは明らかで、しかも消失点を画面左横に設定している。そのため見る私はまるで左横に水平に“落ちていく”ような錯覚にとらわれてしまう。通常は真下にあるべき奈落の底が左横にあって、そこに向かって落ちていくような感覚に眩暈を覚えてしまうのである。
「古代マルスの競技場」では消失点は左斜め上に設定されているが、同じように遠近法が加速されているため、私は消失点に向かって落ちていくような錯覚に襲われてしまう。ピラネージの作品は高所恐怖症の私にとって、この上なく恐ろしい作品でもあるのだ。


〈カエキリア・メテッラの墓の背面の景観〉

谷川渥監修『廃墟大全』(1)

2015年06月02日 | ゴシック論
 ピラネージやデジデリオの廃墟画を、驚嘆とある種の快感をもって眺め暮らしているうちに、谷川渥監修の『廃墟大全』(1997年)という本があったことを思い出した。
 この本は発行がトレヴィルで発売がリブロポートになっている。どちらも堤清二率いる西武グループの傘下にあった出版社である。トレヴィルがコンテンポラリーな写真や美術の紹介に果たした役割はよく知られているが、このような分野にまで守備範囲を持っていたことは驚くに足りる。
 トレヴィルは1995年から1997年にかけて「ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ」という、ほとんど狂気じみた美術全集を出していて、その中には「廃墟画集」とも言うべき『モンス・デジデリオ画集』と『ジョン・マーティン画集』も含まれていた。この2点はトレヴィルの業務を引き継いだエディション・トレヴィルによって復刻されている。
さて、『廃墟大全』はゴシック小説と廃墟の美学というテーマに関してはそれほど画期的な部分はもっていない。そのテーマについては小池滋、志村正雄、富山太佳夫編集による『城と眩暈~ゴシックを読む』がすでに1982年に出ていて、遙かに先行している。国書刊行会の先見の明を再確認させられる(こちらの本もいずれ取り上げなければならない)。
『廃墟大全』の特徴はと言えば、それは18世紀ピラネージの時代、あるいは廃墟趣味が蔓延した18世紀イギリスのことだけでなく、テーマを現代にまで拡げていることである。ジャンルもSF、アニメ、映画、写真と多岐にわたり、地域もイギリス、フランス、ドイツ、日本、中国へと拡げている。
 滝本誠は映画と廃墟について書いているが、まずタルコフスキーを挙げ、ソクーロフを挙げ、そして我らがリドリー・スコットを挙げている。リドリー・スコットの映画における廃墟といえば、何よりもまず「ブレード・ランナー」を挙げなければならないし、滝本は「デュエリスト」の最後の決闘場面が城の廃墟を舞台としていたことを思い出させてくれている。
 私ならさらに「エイリアン」とその続編である「プロメテウス」における巨人族の巨大な宇宙船の廃墟を挙げたいし、廃墟映画そのものであるような「ブレード・ランナー」の価値を強調したいところだ。
 アニメと廃墟というなら、私は押井守の「イノセンス」を挙げたいが、永瀬唯は「エヴァンゲリオン」(見たことがない)しか取り上げていない。漫画なら大友克洋の「AKIRA」だろうが、『廃墟大全』は漫画をテーマにしていない。
 さらに、執筆陣は谷川を含めて17人と数多く、一人一人のボリュームが少なすぎることは指摘されなければならない。しかし、いくつかの示唆に富んだ論考がこの本には含まれていて、廃墟と現代ということを考える時には必須の文献と言えるだろう。ぜひ増補改訂あるいは新たに編集し直して、名実ともに“大全”としての充実を図って欲しいものだ。
『廃墟大全』(1997年、トレヴィル)谷川渥監修