小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

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その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

硫黄島訪島記⑤ ~訪島事業を支える人々と自衛隊

2016年07月07日 | 硫黄島
■硫黄島訪島事業は多くの方に支えられていました。
おがさわら丸、食事を作る人、
自衛隊、通船の作業員、
その他多くの人が関わって初めて私たちが安全に硫黄島に上陸できました。

今回はそんなかけがえのない皆さんを紹介していきたいと思います。


■まずは通船作業を行う、小笠原建設の皆さんです。

隆起の激しい硫黄島はなかなか大きな船を着ける桟橋が作れません。
なので、おがさわら丸から小さな船に乗り換えて上陸をします。


硫黄島に着いたらまずその子船群が降ろされます。

まずはおがさわら丸のロープをブイに付けるところから活躍してくれていました。


半身海に浸かりながらも、懸命に係留ロープを繋いでくれていました。


その後は浮き島から小舟に乗り換えて行きます。


海況次第ですが、桟橋と砂浜上陸の2通りがある様です。

どちらも乗客が濡れないようにとても気を遣ってくれていました。


黒い砂浜に長く伸びる足場。
硫黄島ならではの光景ではないでしょうか。


何度も何度も往復します。


そして無事に上陸することができました!

年によっては悪天候で上陸できず、
洋上慰霊祭だったり、
2日間上陸のうち1日だけ上陸のことも過去にあったそうです。

小笠原建設の皆さん、どうもありがとうございました!


■次は自衛隊がマイクロバスを持って来てくれていて、
そちらに乗り込みます。

硫黄島にはこうした受け入れ用に5台以上のマイクロバスが準備されていました。


まず待ち受けていたのは自衛隊の歓迎の阿波踊りとエイサー集団でした!

これを通船している1時間以上ずっと炎天下の中踊ってくれていたのです!!!
本当にありがとうございます!

硫黄島に到着して2日目は自衛隊の施設を見学させて頂きました。

硫黄島は立派な滑走路があるので、色んな意味で重要です。
戦時中に、最前線基地として狙われたのもうなずけます。


見学中には大きな輸送機が着陸、離陸しました。

だいたい週3回来るそうです。


同じ島なのに地平線が見える硫黄島。
人が暮らすのに平らであることほど楽なものはないのではと思ってしまいます。


その他には父島の夜間や母島の緊急搬送用のヘリが待機していました。

島の島民の命を支える、とても有難い存在です。

コクピットに載せてもらい、少しハンドルを動かさせてもらいました♡


少し近くには管制塔があり、
離陸、着陸の際の状況やコースを制御する部屋がありました。


部屋を出てすぐのレーダーで島の周囲の状況をサーチし、
操縦の誘導やパイロットに指示を出すそうです。


飛行場で何らかの火事が発生しても、頼れる消防署はありません。
自前で何機も消防車が待機していました。
放水もみんなにさせてくれていました(*^。^*)


■「厚生館」という所には、硫黄島唯一の売店がありました。

硫黄島のお土産はここでしか買えません。

しかし、今回は数日前に米軍が来ていて、
ほとんどのお土産が買われてしまい、売り切れ続出でした(笑)。

土産物以外は一般雑貨が売られていました。


船に戻ってからのおつまみを買おうとした人は
「お土産以外は買わないで下さい」
と注意をうけていました(笑)。

結構色々置いていました。


入口に書かれた看板がなかなか特徴的でした。

やはり限りある品物なので注意書きが独特です。

服装や履物、飲み物の本数制限がありました。

基本的に普段は週に一度、金曜日の夕方1時間のみ営業しているそうです。


自販機は中身ゼロ!


値段はなんと…!!

懐かしの1コインの値段でした。


帰りにはまたエイサーと阿波踊りで見送ってくれました。


海岸では釣竿を使っての見送り凧揚げが行われていました。

大きな凧が硫黄島の美しい空を飛んでいます。

この美しい空も、かつては戦闘機が埋め尽くし、
空襲の嵐だったのです。


最後に丸1日島を案内してくれた自衛隊の隊員の方にお礼をして、島を後にしました。

島を離れる際には通船で使ったボートもおがさわら丸に載せます。


こうして硫黄島訪島事業は多くの人に支えられて、
今年も無事に終えることができました。

本当にありがとうございました!

訪島記⑥に続く