■自分が忘れないうちに(笑)、再び2月の沖縄のお話です。
馬と米軍基地に続いて、今回学びたいテーマその4は「やんばるの自然とそれに関わる人々」です。
沖縄本島の北部は別名「やんばる」と呼ばれています。
それは森林が多く残っており「山原」と書いてやんばると読むそうです。
100万人を超える人口の水道水をこのやんばるの豊かな水が支えており「水甌(みずがめ)」と言われています。
その豊かな自然の中にそこにしか住んでいない貴重な鳥が生き残っていました。
ヤンバルクイナです。
1981年に新種として報告されました。
翼は退化しており、
高く飛翔することはできません。(1m位は飛べるそうです)
日本で唯一飛べない鳥なのです☆
食べ物はミミズやカタツムリ、
木の実や種も食べるそうです。
とても警戒心が強く、
滅多に人前に現れないそうです。
主に日中に活動し、
夜は高い樹上で休んでいます(枝から枝に飛び乗って高くに上がるみたいです)。
走るとかなり早いです!
キョキョキョキョキョというとても特徴のある大きな声で鳴きます。
これは一度聴いたら忘れません☆
母島でも見られるバンの仲間なので、確かによく似ています。
やんばるには「ヤンバルクイナふれあい公園」というのがあり、
きょんちゃんという珍しく人前でも堂々と行動できる個体が生態展示されていて、
色んな事が学べます☆
■ヤンバルクイナは今から10数年前、絶滅に瀕していました。
外敵は元々ハブとカラスなどだった様ですが、
人が持ち込んだマングースとネコが深刻なダメージを与えてしまったそうです。
一時は500羽以下にまで減ってしまったヤンバルクイナも、
環境省をはじめ、地元の人々の活動のおかげで1300羽程度にまで回復してきたそうです。
今回は僕が小笠原でノネコから貴重な鳥を守る仕事をしているので、
ヤンバルクイナの保護に関わる関係者の皆さんを訪ね歩かせて頂きました。
そして、マングースの対策をしている現場を見させてもらいました。
色んな施設や活動、動物病院などを見学させてもらい、
とても充実した学びとなりました。
やっぱり現場で動いてきている人たちは本当に素晴らしいです!
戦前の1910年にネズミ・ハブ対策としてインドから21匹が沖縄に導入されたマングース。
ハブは実験でハブに噛まれても死なずに退治したので、
さとうきびをかじるネズミと、
猛毒のハブに悩まされていた為、導入したのですが、
予想に反して、肝心のハブはあまり食べず、
ニワトリやアヒル、野鳥などを襲いながら次第に数を増やしていったそうです。
そして、ついに沖縄にしかいない貴重なヤンバルクイナが生息するやんばるにまで範囲を広げたそうです。
生きているマングースはとてもすばしっこく、
とても愛らしい存在でした。
■大宜味村と東村にはやんばるの南の縁にマングース侵入防止柵が設置されていました。
ところどころ、跡切れ目はありますが、効果はあるようです。
ヤンバルクイナの絶滅の危機に人がものすごい活動を展開し、
どうにかやんばる地域のマングースは低密度化に成功したそうです。
ノネコの捕獲も進め、
今ではヤンバルクイナは推定1000羽を超えるまでに回復したそうです。
しかし、沖縄ではGWなどにやんばるにネコやイヌなどペットを捨てに来る人が
今でも後を絶たず、困っているそうです。
生き物は最後まで人が責任を持って飼わねばなりません。
去年からニュースになっている野犬の問題もあり、
事態は深刻でした。
小笠原はそういう意味では捨て猫はゼロになり、
飼い猫はほとんどが登録されているので、
ネコ対策ではとても進んでいると沖縄の関係者の方に言われました。
小笠原でのネコ対策のページ(捕獲したノネコの譲渡、飼い主を探しています!)
小笠原のネコも沖縄のマングースも悪いのは生き物ではなく、それを自分勝手に入れた人間です。
人間の不始末のせいで、絶滅する生き物がいるということを知るのはとても大切だと思います。
そしてそれに対して何ができるかを考え、動くこと。
希少なヤンバルクイナやケナガネズミを補食してしまい、
本来の意図していた働きはあまり望めないことが分かり、
今度は駆除される身になったマングース…
小笠原のノネコ対策と同じで、
マングースは何も悪くありません。
いつも悪いのは人間です。
手前勝手な倫理観で態度を変える私たち人間達。
対策をしている方も
「子供に説明するときにとても困っている」と言っていました。
僕が学校で授業するときにいつも話すことですが、
「今していることが正解かどうかは分からない。
でも今対策をしなければ地球上から滅んでしまう命は確実に存在する。
悩みながら実践しているということ。
大人達が言うことを鵜呑みにしないで、
自分たちでも考え行動していって欲しい」
と話していると伝えました。
本当に貴重な時間を割いて、
多くの人が関わる現場を見させて頂きました。
ありがとうございました!
■他にはヤンバルクイナは交通事故「ロードキル」で死亡するケースが続いており、
様々な対策を進めていました。
道路下にバイパスを作り、
ヤンバルクイナが道路を横切らず下を通れるように工夫したりしています。
道路に飛び出さないように、フェンスを張ってある個所がありました。
道路には出にくく、
山側には入れるように穴を開ける工夫がしてありました!
他にはL字側溝に雛が落ちて、出れなくならないように、
片側がスロープになっている側溝も設置されていました。
多くの方の努力が様々な野生動物の命をも守っているのだなとひしひしと感じました。
沢山の案内をしてくれたTさん、N先生、Nさん本当にありがとうございました!
美しい東村の日差しです♪
■僕が生まれたのもヤンバルクイナが発見された1981年。
「宮城」の名字のルーツも沖縄のやんばる。
これは何かの縁があるといっても過言ではないでしょう(笑)♪
東村には美しいマングローブの森が残っていました。
朝早くに向かっては小さなシオマネキが集まるこの美しい景色に見とれていました♪
沖縄は
ツバメもいたし、
カンムリワシなど、
猛禽類の宝庫でした♡
そして、こんな可愛いイモリもいたり、
2mを超えるハブの死体をカラスが食べていたりしていました。
僕は蛇を含む爬虫類が大好きです♪
沖縄本島にはやんばるを除くとほとんど山林が残っていません。
そういう意味でやんばるは
野生の生き物の貴重な聖域でした☆
これは歴史の皮肉ですが、
小笠原も米軍統治時代がなくて、
戦後の高度経済成長の時代にもずっと日本人が住んでいたら、
今のような自然は残っていなかったかもしれません。
そう思うと、人という存在が自然界に与えるの影響の大きさを感じさせられました。
しかし、人は自然がなければ生きていけません。
もっともっと、残された自然を大切にして、
謙虚に生きていかなければいけないなと感じるきっかけになりました。
どうもありがとうございました☆
★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ
沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)
馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)
沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)
やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)
やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)
馬と米軍基地に続いて、今回学びたいテーマその4は「やんばるの自然とそれに関わる人々」です。
沖縄本島の北部は別名「やんばる」と呼ばれています。
それは森林が多く残っており「山原」と書いてやんばると読むそうです。
100万人を超える人口の水道水をこのやんばるの豊かな水が支えており「水甌(みずがめ)」と言われています。
その豊かな自然の中にそこにしか住んでいない貴重な鳥が生き残っていました。
ヤンバルクイナです。
1981年に新種として報告されました。
翼は退化しており、
高く飛翔することはできません。(1m位は飛べるそうです)
日本で唯一飛べない鳥なのです☆
食べ物はミミズやカタツムリ、
木の実や種も食べるそうです。
とても警戒心が強く、
滅多に人前に現れないそうです。
主に日中に活動し、
夜は高い樹上で休んでいます(枝から枝に飛び乗って高くに上がるみたいです)。
走るとかなり早いです!
キョキョキョキョキョというとても特徴のある大きな声で鳴きます。
これは一度聴いたら忘れません☆
母島でも見られるバンの仲間なので、確かによく似ています。
やんばるには「ヤンバルクイナふれあい公園」というのがあり、
きょんちゃんという珍しく人前でも堂々と行動できる個体が生態展示されていて、
色んな事が学べます☆
■ヤンバルクイナは今から10数年前、絶滅に瀕していました。
外敵は元々ハブとカラスなどだった様ですが、
人が持ち込んだマングースとネコが深刻なダメージを与えてしまったそうです。
一時は500羽以下にまで減ってしまったヤンバルクイナも、
環境省をはじめ、地元の人々の活動のおかげで1300羽程度にまで回復してきたそうです。
今回は僕が小笠原でノネコから貴重な鳥を守る仕事をしているので、
ヤンバルクイナの保護に関わる関係者の皆さんを訪ね歩かせて頂きました。
そして、マングースの対策をしている現場を見させてもらいました。
色んな施設や活動、動物病院などを見学させてもらい、
とても充実した学びとなりました。
やっぱり現場で動いてきている人たちは本当に素晴らしいです!
戦前の1910年にネズミ・ハブ対策としてインドから21匹が沖縄に導入されたマングース。
ハブは実験でハブに噛まれても死なずに退治したので、
さとうきびをかじるネズミと、
猛毒のハブに悩まされていた為、導入したのですが、
予想に反して、肝心のハブはあまり食べず、
ニワトリやアヒル、野鳥などを襲いながら次第に数を増やしていったそうです。
そして、ついに沖縄にしかいない貴重なヤンバルクイナが生息するやんばるにまで範囲を広げたそうです。
生きているマングースはとてもすばしっこく、
とても愛らしい存在でした。
■大宜味村と東村にはやんばるの南の縁にマングース侵入防止柵が設置されていました。
ところどころ、跡切れ目はありますが、効果はあるようです。
ヤンバルクイナの絶滅の危機に人がものすごい活動を展開し、
どうにかやんばる地域のマングースは低密度化に成功したそうです。
ノネコの捕獲も進め、
今ではヤンバルクイナは推定1000羽を超えるまでに回復したそうです。
しかし、沖縄ではGWなどにやんばるにネコやイヌなどペットを捨てに来る人が
今でも後を絶たず、困っているそうです。
生き物は最後まで人が責任を持って飼わねばなりません。
去年からニュースになっている野犬の問題もあり、
事態は深刻でした。
小笠原はそういう意味では捨て猫はゼロになり、
飼い猫はほとんどが登録されているので、
ネコ対策ではとても進んでいると沖縄の関係者の方に言われました。
小笠原でのネコ対策のページ(捕獲したノネコの譲渡、飼い主を探しています!)
小笠原のネコも沖縄のマングースも悪いのは生き物ではなく、それを自分勝手に入れた人間です。
人間の不始末のせいで、絶滅する生き物がいるということを知るのはとても大切だと思います。
そしてそれに対して何ができるかを考え、動くこと。
希少なヤンバルクイナやケナガネズミを補食してしまい、
本来の意図していた働きはあまり望めないことが分かり、
今度は駆除される身になったマングース…
小笠原のノネコ対策と同じで、
マングースは何も悪くありません。
いつも悪いのは人間です。
手前勝手な倫理観で態度を変える私たち人間達。
対策をしている方も
「子供に説明するときにとても困っている」と言っていました。
僕が学校で授業するときにいつも話すことですが、
「今していることが正解かどうかは分からない。
でも今対策をしなければ地球上から滅んでしまう命は確実に存在する。
悩みながら実践しているということ。
大人達が言うことを鵜呑みにしないで、
自分たちでも考え行動していって欲しい」
と話していると伝えました。
本当に貴重な時間を割いて、
多くの人が関わる現場を見させて頂きました。
ありがとうございました!
■他にはヤンバルクイナは交通事故「ロードキル」で死亡するケースが続いており、
様々な対策を進めていました。
道路下にバイパスを作り、
ヤンバルクイナが道路を横切らず下を通れるように工夫したりしています。
道路に飛び出さないように、フェンスを張ってある個所がありました。
道路には出にくく、
山側には入れるように穴を開ける工夫がしてありました!
他にはL字側溝に雛が落ちて、出れなくならないように、
片側がスロープになっている側溝も設置されていました。
多くの方の努力が様々な野生動物の命をも守っているのだなとひしひしと感じました。
沢山の案内をしてくれたTさん、N先生、Nさん本当にありがとうございました!
美しい東村の日差しです♪
■僕が生まれたのもヤンバルクイナが発見された1981年。
「宮城」の名字のルーツも沖縄のやんばる。
これは何かの縁があるといっても過言ではないでしょう(笑)♪
東村には美しいマングローブの森が残っていました。
朝早くに向かっては小さなシオマネキが集まるこの美しい景色に見とれていました♪
沖縄は
ツバメもいたし、
カンムリワシなど、
猛禽類の宝庫でした♡
そして、こんな可愛いイモリもいたり、
2mを超えるハブの死体をカラスが食べていたりしていました。
僕は蛇を含む爬虫類が大好きです♪
沖縄本島にはやんばるを除くとほとんど山林が残っていません。
そういう意味でやんばるは
野生の生き物の貴重な聖域でした☆
これは歴史の皮肉ですが、
小笠原も米軍統治時代がなくて、
戦後の高度経済成長の時代にもずっと日本人が住んでいたら、
今のような自然は残っていなかったかもしれません。
そう思うと、人という存在が自然界に与えるの影響の大きさを感じさせられました。
しかし、人は自然がなければ生きていけません。
もっともっと、残された自然を大切にして、
謙虚に生きていかなければいけないなと感じるきっかけになりました。
どうもありがとうございました☆
★沖縄本島旅行記2017 記事アーカイブ
沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)
馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)
沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)
やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)
やんばるの百姓たち~自然農とパーマカルチャー(沖縄本島滞在記⑤)