→前回(五能線編)⑥からの続き
■東北生まれの僕が、41歳で人生初の青森をたった2泊過ごした7月。
そこには想定外でたまらないギフトが詰まっていました。
だから旅はやめられない(#^.^#)
思い通りに行くだけの旅が味気ないなと思うのは、マイノリティなのでしょうか?(一言で言うとドМ)
合計3200㎞を走ったカブ90の旅の中の東北旅編。
人生初の秋田と青森を感じるのが今回の東北旅のメインでした。
そしてたった2泊の青森はブログ記事が三部作になってしまうほど、
濃厚な時間でした♪
想定外なハプニングのお陰で、
ずっと妻がお勧めしてくれていた竜飛崎の階段国道に行く事も出来ました。
元々行くつもりはなかったのに、です(#^.^#)
旅は予定通りに行かなかった時、より味わい深くなる気がします。
なので想定外をガッカリするどころか、ワクワクしてしまうのです(#^.^#)
バイクのマフラーが根元から折れるハプニングですら、
ドキドキワクワクで、結果素晴らしい出逢いに繋がっているので、
やはり八百万の神様の采配はすごいなぁと思ってしまいます。
■白神山地の青池や美味しいイカ焼きを堪能したあと、
僕は一路下北半島に向かうフェリーに乗るべく、
蟹田を目指しました。
フェリーでバイクとともに下北半島に渡り、下風呂温泉か恐山で野営をするつもりでしたが、
なんと蟹田に行ったら渡るフェリーがまだ夏ダイヤではなくて、
この日はもう下北に渡る便がないことが判明しました。(午後15時の時点)
天気も久しぶりの霧雨で、雨模様のキャンプは大変なので、
それを口実に今回の東北旅で初めてちゃんと宿を取ることにしました。
ここでも下北半島に渡れず、キャンプできずガッカリしている暇はなく、
さっさと気持ちを切り替えて、津軽半島を楽しむモードに切り替わっています(笑)。
ここまで来たら津軽半島の先端、竜飛崎に行きたくなるのは人の性です☆
■竜飛崎は青森の西側の半島、津軽半島の最北部にある岬です。
「竜飛崎」は「龍飛崎」と表記する場合もあり、どちらも混在しているようです。
名前はアイヌ語のタム・パ(刀の上端)で「突き出た地」の意味、
龍が飛ぶかのように強い風が吹くことが由来など諸説あるようです。
有名な石川さゆりの演歌「津軽海峡・冬景色」でも歌われていますね。
印象的な歌詞に特徴的な旋律は子供の頃に聴いて、強烈に覚えていました。
下北半島の超お目当ての下風呂温泉の宿(さつき荘)も満室で取れなかったし、
天気と船のダイヤの想定ミスでむつ湾を渡れなかった直後、
妻と電話で話しながら、いい宿を探していて、
ふと目に留まる宿がありました。
半分諦めの気持ちで龍飛旅館に連絡してみました。
「ちょうど空いてますよ~」
なんと、気持ちのいい返事が返って来ました!
宿仕事をしていたので、いきなりの飛び込みの客に対して
食事の用意が無理があるのは十分知っていたので、
夕食は付けれるかと聞いてみたら、
「ちょうどこれから準備するところだから大丈夫ですよ~♪」
とまたまた最高のお返事♡
一体どんな宿なのだろうと思って、ドキドキしながらバイクを飛ばして向かうと、
風情のある漁港の町に歴史がありそうな素敵な佇まいでありました♪
今どきの綺麗でおしゃれな景観ではなく、
昭和の落ち着いた雰囲気でした。
宿に着くと、なんとも上品で笑顔が素敵なお茶目なベテラン女将さんが対応してくれました。
これがまた話が弾むように面白いのです☆
ホスピタリティとユーモアに溢れ、
湧き出る水のように青森愛と旅人への真心が籠っていて、
今日はフェリーと天気で下北半島に渡れなかった悔しさは消し飛んでしまい、
一気にこの宿のファンになってしまいました(#^.^#)
屋内にもバイクを置かせてくれる場所を用意してくれていて、
お隣には見事なハーレーがいました☆
部屋もむつ湾を見渡せる、落ち着いた和室のお部屋でした♪
この後、まだ時間があったので竜飛崎に行くのですが、
感動したのがこの龍飛旅館の豪華な夕食でした。
こちらは夕方は地元の食堂もしていて、地元の方が飲み食いに来ていて、
とてもアットホームな夕飯でした☆
厨房では若い夫婦が押しい料理を作ってくれていて、
ステキなベテラン女将さんが絶妙な声掛けとトークで、
素晴らしい料理を運んでくれていました。
美味しかった大好きなお刺身も、聞いたのにコブダイ以外は忘れてしまいました😢
美味しいビールを飲みながら、最高の食事を食べつつ、
色んな地元の話を聞く、こちらは小笠原の話をする。
もう最高でした☆
ほろ酔いで素晴らしい青森ヒバで作られたお風呂に入って、気持ちよくなり、
もう一度食堂に飲みに行こうと思っていたら、気持ちよくて部屋でぐっすり寝てしまいました。
なんて素敵な老舗の宿なのだろう。
旅先の宿にあってほしいなと思う条件がすべて揃っていた気がします。
これは母島でお客さんを迎える時にもいい気付きの連続でした(#^.^#)
早朝は宿の周囲の海辺を散歩しました。
このひなびた漁村というものは何とも言えない雰囲気と風情があり、とても好きな情景です。
散歩していた地元の方と色んなお話して、深刻な過疎化の話などを聞いていました。
津軽半島に来て、驚くほど子供を見かけなかったからです。
■感動した龍飛旅館の夕食前に少し時間があったので、本州最北端の竜飛崎にカブで行ってきました。
そこにあったのが有名な日本唯一の階段国道!
僕は東北旅好きの妻に聞くまで知らなかったのですが、
何度も何度もこの本州の最北端にある階段の国道の話を聞いていたので、
今回初めて行くことが出来て「ここの事を言ってたんだなぁ~」としみじみ感じていました(#^.^#)
調べてみると国道は道路でなければならないと決まってないらしいです。
この階段が国道に指定されたのは1974(昭和49)年。
当時は坂道の中腹に中学校、上に小学校があったそうです。
つまり通学路だったようです。
国道指定は坂の上から下へのルートを途中で分断させないよう、とりあえずこの区間も指定したのではないかとのことです。
車が通れるように拡幅する検討はしたそうですが、勾配がきつすぎることなどから、断念したようです。
■そんな念願の階段国道を上っていくと、龍飛崎灯台があります。
まさに石川さゆりの津軽海峡冬景色の世界。
この龍飛崎灯台は津軽海峡を航行する船舶にはとても重要な灯台で昭和7年(1932年)に設置されたそうです。
海面からは119m、地面からは14mの高さがあります。
天気のいい日はここから北海道が見えるようですが、
僕が行った日はわずかにチラッと見える程度でした。
おかげで今度は家族で龍飛旅館に泊まり、
いい天気の竜飛崎にリベンジする宿題ができました☆
■龍飛旅館で美味しい夕食を食べてぐっすり寝て、翌日はいい天気でした。
旅館の素敵な女将さんに「源義経のお寺があるから寄っていくといいわよ」とアドバイスを頂き、
蟹田に向かう途中に立ち寄ってみました。
龍馬山 義経寺(りゅうばざん ぎけいじ)です。
源平合戦でも有名な源義経。
彼は色んな伝説、色んな最後が言われています。
奥州平泉の衣川で自刃したといわれていますが、源頼朝に追われ、
竜飛崎まで逃げて、荒れ狂う海を前に観音像に祈ると、3頭の龍馬が現れ、海峡を渡ることができたという伝説が残っているお寺です。
ここには義経が祈りを捧げたという観音像が安置されています。
義経が海を渡った500年後、厩石を訪れた円空は、義経の守り神だった観音様が岩の上で光っているのを見つけたそうです。
そこで流木で仏像を彫りその中に観音像を納め、小さなお堂を建てて祀りました。
そのお堂がこの龍馬山 義経寺となり、円空仏は1963年(昭和38年)に青森県重要文化財の指定を受けています。
長い月日を遡って、当時の義経の心境や当時のこの場所の雰囲気を想像するだけで、
色んな情景が目に浮かびます。
そんなすごくいい場所でした(#^.^#)
■下北半島に行くはずが津軽半島に一泊し、竜飛崎、龍飛旅館に泊まって本当に良かった♡
想定外がもはや必然に思えてくるから旅は不思議です☆
天気も良くなり、最高のコンディションで蟹田に戻り、むつフェリーに乗り、ついに下北半島へ!!
ライダーさんもちらほらいて、僕と同じように天気で昨日渡らなかった方もいました。
「昨日何回かすれ違ったね」とヤエーをしあった仲でした(#^.^#)
一緒に旅をしている愛車とフェリーに乗って1時間の船旅。
船の上でライダー同士はもちろん色んな会話をするのもいい時間でした。
下北半島に着いてからのコース、
大間でのいい食事処、
リタイヤして夫婦で旅する人達、
僕はやっぱりそんな会話のできる船旅が大好きです♪
■なんと過去に沖縄のやんばる、辺野古に先祖のルーツがあると知り、
驚いたのですが、今回はなんと津軽藩もご先祖の誕生の地だったそうです。
山鹿さんは幕末に津軽で産まれ、アメリカに渡って牧師になったそうです。
祖父母が結婚の挨拶で横浜に行った時に当時90代でご健在だったそうです。
東北学院設立にも関わったそうです。
その従妹の方が政府から賞をもらったり、宮中でお茶を賜ったりしたそうです。
祖母の先祖の動産は大河ドラマの主人公になったとか、
色々面白い先祖が揃った家計の様です(#^.^#)
そんな想定外も楽しめています♪
そんな訳で、
自分の先祖と津軽のご縁を知ったりしましたが、
次回の下北半島編で青森編三部作はおしまいです。
まだまだ3週間の資格取得ツアーは出来事が多すぎて、書ききれません(笑)。
僕の危うい記憶力でどこまで覚えていられるのか☆
ゆっくりと書いていきますので、お楽しみに♡
前回の記事
青の世界へようこそ!! 五能線編(資格取得ツアー⑥)
■東北生まれの僕が、41歳で人生初の青森をたった2泊過ごした7月。
そこには想定外でたまらないギフトが詰まっていました。
だから旅はやめられない(#^.^#)
思い通りに行くだけの旅が味気ないなと思うのは、マイノリティなのでしょうか?(一言で言うとドМ)
合計3200㎞を走ったカブ90の旅の中の東北旅編。
人生初の秋田と青森を感じるのが今回の東北旅のメインでした。
そしてたった2泊の青森はブログ記事が三部作になってしまうほど、
濃厚な時間でした♪
想定外なハプニングのお陰で、
ずっと妻がお勧めしてくれていた竜飛崎の階段国道に行く事も出来ました。
元々行くつもりはなかったのに、です(#^.^#)
旅は予定通りに行かなかった時、より味わい深くなる気がします。
なので想定外をガッカリするどころか、ワクワクしてしまうのです(#^.^#)
バイクのマフラーが根元から折れるハプニングですら、
ドキドキワクワクで、結果素晴らしい出逢いに繋がっているので、
やはり八百万の神様の采配はすごいなぁと思ってしまいます。
■白神山地の青池や美味しいイカ焼きを堪能したあと、
僕は一路下北半島に向かうフェリーに乗るべく、
蟹田を目指しました。
フェリーでバイクとともに下北半島に渡り、下風呂温泉か恐山で野営をするつもりでしたが、
なんと蟹田に行ったら渡るフェリーがまだ夏ダイヤではなくて、
この日はもう下北に渡る便がないことが判明しました。(午後15時の時点)
天気も久しぶりの霧雨で、雨模様のキャンプは大変なので、
それを口実に今回の東北旅で初めてちゃんと宿を取ることにしました。
ここでも下北半島に渡れず、キャンプできずガッカリしている暇はなく、
さっさと気持ちを切り替えて、津軽半島を楽しむモードに切り替わっています(笑)。
ここまで来たら津軽半島の先端、竜飛崎に行きたくなるのは人の性です☆
■竜飛崎は青森の西側の半島、津軽半島の最北部にある岬です。
「竜飛崎」は「龍飛崎」と表記する場合もあり、どちらも混在しているようです。
名前はアイヌ語のタム・パ(刀の上端)で「突き出た地」の意味、
龍が飛ぶかのように強い風が吹くことが由来など諸説あるようです。
有名な石川さゆりの演歌「津軽海峡・冬景色」でも歌われていますね。
印象的な歌詞に特徴的な旋律は子供の頃に聴いて、強烈に覚えていました。
下北半島の超お目当ての下風呂温泉の宿(さつき荘)も満室で取れなかったし、
天気と船のダイヤの想定ミスでむつ湾を渡れなかった直後、
妻と電話で話しながら、いい宿を探していて、
ふと目に留まる宿がありました。
半分諦めの気持ちで龍飛旅館に連絡してみました。
「ちょうど空いてますよ~」
なんと、気持ちのいい返事が返って来ました!
宿仕事をしていたので、いきなりの飛び込みの客に対して
食事の用意が無理があるのは十分知っていたので、
夕食は付けれるかと聞いてみたら、
「ちょうどこれから準備するところだから大丈夫ですよ~♪」
とまたまた最高のお返事♡
一体どんな宿なのだろうと思って、ドキドキしながらバイクを飛ばして向かうと、
風情のある漁港の町に歴史がありそうな素敵な佇まいでありました♪
今どきの綺麗でおしゃれな景観ではなく、
昭和の落ち着いた雰囲気でした。
宿に着くと、なんとも上品で笑顔が素敵なお茶目なベテラン女将さんが対応してくれました。
これがまた話が弾むように面白いのです☆
ホスピタリティとユーモアに溢れ、
湧き出る水のように青森愛と旅人への真心が籠っていて、
今日はフェリーと天気で下北半島に渡れなかった悔しさは消し飛んでしまい、
一気にこの宿のファンになってしまいました(#^.^#)
屋内にもバイクを置かせてくれる場所を用意してくれていて、
お隣には見事なハーレーがいました☆
部屋もむつ湾を見渡せる、落ち着いた和室のお部屋でした♪
この後、まだ時間があったので竜飛崎に行くのですが、
感動したのがこの龍飛旅館の豪華な夕食でした。
こちらは夕方は地元の食堂もしていて、地元の方が飲み食いに来ていて、
とてもアットホームな夕飯でした☆
厨房では若い夫婦が押しい料理を作ってくれていて、
ステキなベテラン女将さんが絶妙な声掛けとトークで、
素晴らしい料理を運んでくれていました。
美味しかった大好きなお刺身も、聞いたのにコブダイ以外は忘れてしまいました😢
美味しいビールを飲みながら、最高の食事を食べつつ、
色んな地元の話を聞く、こちらは小笠原の話をする。
もう最高でした☆
ほろ酔いで素晴らしい青森ヒバで作られたお風呂に入って、気持ちよくなり、
もう一度食堂に飲みに行こうと思っていたら、気持ちよくて部屋でぐっすり寝てしまいました。
なんて素敵な老舗の宿なのだろう。
旅先の宿にあってほしいなと思う条件がすべて揃っていた気がします。
これは母島でお客さんを迎える時にもいい気付きの連続でした(#^.^#)
早朝は宿の周囲の海辺を散歩しました。
このひなびた漁村というものは何とも言えない雰囲気と風情があり、とても好きな情景です。
散歩していた地元の方と色んなお話して、深刻な過疎化の話などを聞いていました。
津軽半島に来て、驚くほど子供を見かけなかったからです。
■感動した龍飛旅館の夕食前に少し時間があったので、本州最北端の竜飛崎にカブで行ってきました。
そこにあったのが有名な日本唯一の階段国道!
僕は東北旅好きの妻に聞くまで知らなかったのですが、
何度も何度もこの本州の最北端にある階段の国道の話を聞いていたので、
今回初めて行くことが出来て「ここの事を言ってたんだなぁ~」としみじみ感じていました(#^.^#)
調べてみると国道は道路でなければならないと決まってないらしいです。
この階段が国道に指定されたのは1974(昭和49)年。
当時は坂道の中腹に中学校、上に小学校があったそうです。
つまり通学路だったようです。
国道指定は坂の上から下へのルートを途中で分断させないよう、とりあえずこの区間も指定したのではないかとのことです。
車が通れるように拡幅する検討はしたそうですが、勾配がきつすぎることなどから、断念したようです。
■そんな念願の階段国道を上っていくと、龍飛崎灯台があります。
まさに石川さゆりの津軽海峡冬景色の世界。
この龍飛崎灯台は津軽海峡を航行する船舶にはとても重要な灯台で昭和7年(1932年)に設置されたそうです。
海面からは119m、地面からは14mの高さがあります。
天気のいい日はここから北海道が見えるようですが、
僕が行った日はわずかにチラッと見える程度でした。
おかげで今度は家族で龍飛旅館に泊まり、
いい天気の竜飛崎にリベンジする宿題ができました☆
■龍飛旅館で美味しい夕食を食べてぐっすり寝て、翌日はいい天気でした。
旅館の素敵な女将さんに「源義経のお寺があるから寄っていくといいわよ」とアドバイスを頂き、
蟹田に向かう途中に立ち寄ってみました。
龍馬山 義経寺(りゅうばざん ぎけいじ)です。
源平合戦でも有名な源義経。
彼は色んな伝説、色んな最後が言われています。
奥州平泉の衣川で自刃したといわれていますが、源頼朝に追われ、
竜飛崎まで逃げて、荒れ狂う海を前に観音像に祈ると、3頭の龍馬が現れ、海峡を渡ることができたという伝説が残っているお寺です。
ここには義経が祈りを捧げたという観音像が安置されています。
義経が海を渡った500年後、厩石を訪れた円空は、義経の守り神だった観音様が岩の上で光っているのを見つけたそうです。
そこで流木で仏像を彫りその中に観音像を納め、小さなお堂を建てて祀りました。
そのお堂がこの龍馬山 義経寺となり、円空仏は1963年(昭和38年)に青森県重要文化財の指定を受けています。
長い月日を遡って、当時の義経の心境や当時のこの場所の雰囲気を想像するだけで、
色んな情景が目に浮かびます。
そんなすごくいい場所でした(#^.^#)
■下北半島に行くはずが津軽半島に一泊し、竜飛崎、龍飛旅館に泊まって本当に良かった♡
想定外がもはや必然に思えてくるから旅は不思議です☆
天気も良くなり、最高のコンディションで蟹田に戻り、むつフェリーに乗り、ついに下北半島へ!!
ライダーさんもちらほらいて、僕と同じように天気で昨日渡らなかった方もいました。
「昨日何回かすれ違ったね」とヤエーをしあった仲でした(#^.^#)
一緒に旅をしている愛車とフェリーに乗って1時間の船旅。
船の上でライダー同士はもちろん色んな会話をするのもいい時間でした。
下北半島に着いてからのコース、
大間でのいい食事処、
リタイヤして夫婦で旅する人達、
僕はやっぱりそんな会話のできる船旅が大好きです♪
■なんと過去に沖縄のやんばる、辺野古に先祖のルーツがあると知り、
驚いたのですが、今回はなんと津軽藩もご先祖の誕生の地だったそうです。
山鹿さんは幕末に津軽で産まれ、アメリカに渡って牧師になったそうです。
祖父母が結婚の挨拶で横浜に行った時に当時90代でご健在だったそうです。
東北学院設立にも関わったそうです。
その従妹の方が政府から賞をもらったり、宮中でお茶を賜ったりしたそうです。
祖母の先祖の動産は大河ドラマの主人公になったとか、
色々面白い先祖が揃った家計の様です(#^.^#)
そんな想定外も楽しめています♪
そんな訳で、
自分の先祖と津軽のご縁を知ったりしましたが、
次回の下北半島編で青森編三部作はおしまいです。
まだまだ3週間の資格取得ツアーは出来事が多すぎて、書ききれません(笑)。
僕の危うい記憶力でどこまで覚えていられるのか☆
ゆっくりと書いていきますので、お楽しみに♡
前回の記事
青の世界へようこそ!! 五能線編(資格取得ツアー⑥)