■「本当に来てくれてありがとうございます!
もう亡くなってから何年も経っていて、
どうしたらいいか途方にくれていたの。
これで母も私も安心できる。
どうもありがとうございます!!」
今回、お墓の名前を掘る仕事があり、
お隣の父島にまでやって来ました。
内地からやって来たお墓の名前を彫る職人さん。
海なし県の信州松本から道具と作業車を持参しての来島です。
彫枡(ほります)の杉本弦洋さんです。
陸続きの本土では問題なくできることが、
超遠隔離島である小笠原では難しいことがあります。
困っている人の為に、
自分にできる事をしたい。
そんな想いで開業した便利屋こまわりさん。
開業してから本当に色んな仕事を引き受けてきましたが、
今回も新しい分野に関わることになりました。
そこで冒頭のような言葉を頂き、
僕も職人さんも嬉しくて嬉しくて、
こうして関わってきて本当に良かったと思えたのです。
今日から母島に移動なのですが、今回はその父島編をまとめてみました。
■ところで、そんな戒名彫刻ってご存じですか?
僕は1年半まではさっぱり知りませんでした。
約2年前、母島で便利屋として一つの相談を受けました。
「お墓に名前を掘りたいんだけど、もう20年以上も彫れてないの。何とかできないかしら?」
お墓に名前を彫ることを戒名彫刻というそうです。
本土から1000km離れている小笠原諸島。
僕が小笠原に移住して約20年、その間に色んなレジェンドが天国へ旅立っています。
しかし、島で墓石に名前を彫れていないという事実は、
全く知りませんでした。
新規でお墓を創る場合は、内地に注文して、
島の業者さんに運んでもらい据えることはできているのですが、
すでに墓石がある場合、そこに名前を彫ることができていなかったのです。
今更ながらにそんな事実を知り、
早速、戒名彫刻できる人を調べてみました。
まあ、タウンページをめくるように見つかるだろうと安易に考えていました。
しかし、さすが小笠原の特殊な立地条件。
想像以上に難航するのです。
■小笠原には父島にも母島にも墓地が複数あります。
父島には村が管理している大根山墓地というのがあります(母島には村管理の墓地はありません)。
まずは村に紹介できる戒名食刻の職人さんはいないか相談してみました。
結果は分からないし、それらは皆持ち主に任せているので、
村は関与していないとの事でした。
それで社会福祉協議会とかにも相談してみました。
しかし、社協もそれは分からず、知っている職人さんも高齢化が進み、
島に来てくれる人を探すのは難しいという事でした。
そこで今度はお墓を持っている方々に聞いてみました。
やはり、島に名前を彫りに来てくれる人を知っている人はおらず、
石にはめ込むプレート型の墓誌にしている方もチラホラいたりしました。
中には自力で彫った方もいましたが、今はもうご存命ではなく、
なかなか厳しい状況でした。
そこでSNSにお墓に名前を彫れる人を紹介してくださいと書き込んでみたら、
母島にいたことがある友人が紹介してくれたのです!!
高齢化が著しいこの業界において、
LINEで画像のやりとり、オンラインでの打ち合わせができる世代の職人さんを
紹介してもらったのです☆
Nちゃん、本当にどうもありがとう!!
戒名彫刻職人の杉本さんを紹介してもらって、電話やビデオ通話でやりとりして、
何とか島で作業する方向で調整がはじまりました。
島まで来てくれる職人さんを見つけたと連絡した時の、
ご依頼人の安堵した顔は忘れられません♪
■そこから杉本さんに色んな小笠原の特殊事情をお伝えし、
宿や機材の運搬、ご依頼人の募集など、
沢山の調整をし始めました。
当初は天気も安定していて、
涼しい1月の実施を前の年の秋位から調整していたのですが、
なんとコロナの問題が発生してしまい、
スムーズに調整していた1月の来島が難しくなってしまいました。
しかし、ピンチはチャンス!
1年の延期をしたおかげで、
当初は母島での作業だけを考えていたのですが、
父島の方も募集し調整する時間的余裕ができたので、
父島も実施する方向で動き出せたのです。
ご相談を受けてから結果、1年以上も実施まで時間がかかってしまい、
沢山の時間をお待たせして申し訳ない気持ちでしたが、
ご依頼人の方が、
「これまで20年以上待ってもできなかったことが、
こうしてやってもらえるだけでも本当にありがたいのよ」
と言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。
そんなこんなで無事に職人さんを島に呼ぶことが出来て、
そのタイミングでなんと父島でジャズフェスが開催されることが分かって、
僕は入港日の前日に父島入りを果たしたのです。
■港で念願の杉本さんと初対面を交わし、
松本ナンバーでスタッドレスタイヤ(笑)の作業車がおがさわら丸から降りたので、
早速扇浦墓地へ直行し、作業を開始しました。
僕も今回初めて知ったのですが、
戒名彫刻はコンプレッサーで高圧の空気を使い、
カーボンの粉を吹き付けて削る作業を行うのです。
ご依頼の戒名に合わせて型をゴムで用意して来てくれていて、
万が一に備えて、島で型を作れる用意までして来てくれたのです。
忘れ物をしたから、ちょっと取りに行く、といくことが難しい小笠原と
この特殊な作業。
なかなかこれまで戒名彫刻がされてこなかったのもよく分かりました。
今回このご縁で職人さんに繋いでもらって、
こうして実施できる事が僕にとっても本当に有難く、嬉しい仕事です(#^.^#)
■扇浦の墓地を終えて、翌日は村の大根山墓地へ作業場を移動します。
戒名彫刻は雨の中では絶対に実施できない、
デリケートな作業だそうで、
とにかくお天気の間にできる限り作業を進めるというもの。
小笠原は週に1度のアクセスの日が決まっているので、
出来る限り余白のある日程を組んだつもりですが、
ずっとお天気の保証もないだけに、
作業終了まで気が抜けないシリアスさが常にあります。
しかし、職人さんが驚くほど、父島の大根山墓地は
お墓とは思えない不思議ないい空間でした♪
1日中お墓で作業してると、
ヨガをしていたり、
楽器練習する人がいたり、
お墓参りに来る人がチラホラいたり、
観光の案内スポットになっていたりするのです。
また、見晴らしがよくて、
和と洋のお墓が入り混じっていて、
なんだか欧米系の住民がいる父島らしい雰囲気の墓地だなぁと
しみじみ思いました☆
お墓で肝試しなんて全く成立しないほど、
気持ちのいい開かれた空間なのです(#^.^#)
■本土で独立開業し、法人化した杉本さんにとっても、
この小笠原での仕事はとても大きな意味合いを持っていたそうです。
ご依頼者さんと対面し、
感謝の言葉を頂きつつも、
こちら側もお陰で小笠原まで来れて、
こうして自分のできる事が人の役に立てているという手応え。
それが職人として、
人としてのアイデンティティーになっている。
僕にとってもそうでした。
ご依頼人、
職人さん、
双方から喜ばれるって、
調整した側の僕にも心底嬉しい事なのです(#^.^#)
もの凄い粉塵と音の中作業をしているその背景が、
小笠原の雄大な大自然と、
人らしく暮らしているみんながいる。
こんな所にも小笠原のポテンシャルの高さが伺えます。
■父島の作業を無事に終えて、
ようやくホッとした私達。
お天気にも恵まれ、とてもスムーズだったので、
杉本さんを島案内することが出来ました♪
僕にとっても以前住んでいた父島を周るのは
感慨深いものでした(#^.^#)
海なし県の長野から来てくれた杉本さん。
何度も何度も小笠原の海の絶景を見ては
「怖い~!!」の連発☆
水産センターでアカバの歯磨きにハマっていたり(笑)
小港海岸の圧倒的なスケールの砂浜に心底感動していたり、
コペペの戦跡で絶景と戦争の悲惨さを感じたりと
短い時間で弾丸ツアーでしたが、
父島の雰囲気は良く伝わったようでした(#^.^#)
■楽しみにしていたジャズフェスも強風でテントや機材が滅茶滅茶になり、
まさかの1日延期という展開のお陰で、
逆にゆっくりライヴを楽しむことが出来ました☆
母島にも何度も来てくれているBimBomBam楽団の皆さん、
元晴さんの最高のステージを楽しむことが出来ました!!
アンコールで楽器レクチャーに参加したみんなで
南洋踊りのウラメをやった時は、
思わず踊りで参加しちゃいました(^^♪
これで今日から母島に移動しての母島作業開始になります。
母島もどうか無事に作業を終えれますように!
→戒名彫刻 母島編に続く
※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!
戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋
もう亡くなってから何年も経っていて、
どうしたらいいか途方にくれていたの。
これで母も私も安心できる。
どうもありがとうございます!!」
今回、お墓の名前を掘る仕事があり、
お隣の父島にまでやって来ました。
内地からやって来たお墓の名前を彫る職人さん。
海なし県の信州松本から道具と作業車を持参しての来島です。
彫枡(ほります)の杉本弦洋さんです。
陸続きの本土では問題なくできることが、
超遠隔離島である小笠原では難しいことがあります。
困っている人の為に、
自分にできる事をしたい。
そんな想いで開業した便利屋こまわりさん。
開業してから本当に色んな仕事を引き受けてきましたが、
今回も新しい分野に関わることになりました。
そこで冒頭のような言葉を頂き、
僕も職人さんも嬉しくて嬉しくて、
こうして関わってきて本当に良かったと思えたのです。
今日から母島に移動なのですが、今回はその父島編をまとめてみました。
■ところで、そんな戒名彫刻ってご存じですか?
僕は1年半まではさっぱり知りませんでした。
約2年前、母島で便利屋として一つの相談を受けました。
「お墓に名前を掘りたいんだけど、もう20年以上も彫れてないの。何とかできないかしら?」
お墓に名前を彫ることを戒名彫刻というそうです。
本土から1000km離れている小笠原諸島。
僕が小笠原に移住して約20年、その間に色んなレジェンドが天国へ旅立っています。
しかし、島で墓石に名前を彫れていないという事実は、
全く知りませんでした。
新規でお墓を創る場合は、内地に注文して、
島の業者さんに運んでもらい据えることはできているのですが、
すでに墓石がある場合、そこに名前を彫ることができていなかったのです。
今更ながらにそんな事実を知り、
早速、戒名彫刻できる人を調べてみました。
まあ、タウンページをめくるように見つかるだろうと安易に考えていました。
しかし、さすが小笠原の特殊な立地条件。
想像以上に難航するのです。
■小笠原には父島にも母島にも墓地が複数あります。
父島には村が管理している大根山墓地というのがあります(母島には村管理の墓地はありません)。
まずは村に紹介できる戒名食刻の職人さんはいないか相談してみました。
結果は分からないし、それらは皆持ち主に任せているので、
村は関与していないとの事でした。
それで社会福祉協議会とかにも相談してみました。
しかし、社協もそれは分からず、知っている職人さんも高齢化が進み、
島に来てくれる人を探すのは難しいという事でした。
そこで今度はお墓を持っている方々に聞いてみました。
やはり、島に名前を彫りに来てくれる人を知っている人はおらず、
石にはめ込むプレート型の墓誌にしている方もチラホラいたりしました。
中には自力で彫った方もいましたが、今はもうご存命ではなく、
なかなか厳しい状況でした。
そこでSNSにお墓に名前を彫れる人を紹介してくださいと書き込んでみたら、
母島にいたことがある友人が紹介してくれたのです!!
高齢化が著しいこの業界において、
LINEで画像のやりとり、オンラインでの打ち合わせができる世代の職人さんを
紹介してもらったのです☆
Nちゃん、本当にどうもありがとう!!
戒名彫刻職人の杉本さんを紹介してもらって、電話やビデオ通話でやりとりして、
何とか島で作業する方向で調整がはじまりました。
島まで来てくれる職人さんを見つけたと連絡した時の、
ご依頼人の安堵した顔は忘れられません♪
■そこから杉本さんに色んな小笠原の特殊事情をお伝えし、
宿や機材の運搬、ご依頼人の募集など、
沢山の調整をし始めました。
当初は天気も安定していて、
涼しい1月の実施を前の年の秋位から調整していたのですが、
なんとコロナの問題が発生してしまい、
スムーズに調整していた1月の来島が難しくなってしまいました。
しかし、ピンチはチャンス!
1年の延期をしたおかげで、
当初は母島での作業だけを考えていたのですが、
父島の方も募集し調整する時間的余裕ができたので、
父島も実施する方向で動き出せたのです。
ご相談を受けてから結果、1年以上も実施まで時間がかかってしまい、
沢山の時間をお待たせして申し訳ない気持ちでしたが、
ご依頼人の方が、
「これまで20年以上待ってもできなかったことが、
こうしてやってもらえるだけでも本当にありがたいのよ」
と言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。
そんなこんなで無事に職人さんを島に呼ぶことが出来て、
そのタイミングでなんと父島でジャズフェスが開催されることが分かって、
僕は入港日の前日に父島入りを果たしたのです。
■港で念願の杉本さんと初対面を交わし、
松本ナンバーでスタッドレスタイヤ(笑)の作業車がおがさわら丸から降りたので、
早速扇浦墓地へ直行し、作業を開始しました。
僕も今回初めて知ったのですが、
戒名彫刻はコンプレッサーで高圧の空気を使い、
カーボンの粉を吹き付けて削る作業を行うのです。
ご依頼の戒名に合わせて型をゴムで用意して来てくれていて、
万が一に備えて、島で型を作れる用意までして来てくれたのです。
忘れ物をしたから、ちょっと取りに行く、といくことが難しい小笠原と
この特殊な作業。
なかなかこれまで戒名彫刻がされてこなかったのもよく分かりました。
今回このご縁で職人さんに繋いでもらって、
こうして実施できる事が僕にとっても本当に有難く、嬉しい仕事です(#^.^#)
■扇浦の墓地を終えて、翌日は村の大根山墓地へ作業場を移動します。
戒名彫刻は雨の中では絶対に実施できない、
デリケートな作業だそうで、
とにかくお天気の間にできる限り作業を進めるというもの。
小笠原は週に1度のアクセスの日が決まっているので、
出来る限り余白のある日程を組んだつもりですが、
ずっとお天気の保証もないだけに、
作業終了まで気が抜けないシリアスさが常にあります。
しかし、職人さんが驚くほど、父島の大根山墓地は
お墓とは思えない不思議ないい空間でした♪
1日中お墓で作業してると、
ヨガをしていたり、
楽器練習する人がいたり、
お墓参りに来る人がチラホラいたり、
観光の案内スポットになっていたりするのです。
また、見晴らしがよくて、
和と洋のお墓が入り混じっていて、
なんだか欧米系の住民がいる父島らしい雰囲気の墓地だなぁと
しみじみ思いました☆
お墓で肝試しなんて全く成立しないほど、
気持ちのいい開かれた空間なのです(#^.^#)
■本土で独立開業し、法人化した杉本さんにとっても、
この小笠原での仕事はとても大きな意味合いを持っていたそうです。
ご依頼者さんと対面し、
感謝の言葉を頂きつつも、
こちら側もお陰で小笠原まで来れて、
こうして自分のできる事が人の役に立てているという手応え。
それが職人として、
人としてのアイデンティティーになっている。
僕にとってもそうでした。
ご依頼人、
職人さん、
双方から喜ばれるって、
調整した側の僕にも心底嬉しい事なのです(#^.^#)
もの凄い粉塵と音の中作業をしているその背景が、
小笠原の雄大な大自然と、
人らしく暮らしているみんながいる。
こんな所にも小笠原のポテンシャルの高さが伺えます。
■父島の作業を無事に終えて、
ようやくホッとした私達。
お天気にも恵まれ、とてもスムーズだったので、
杉本さんを島案内することが出来ました♪
僕にとっても以前住んでいた父島を周るのは
感慨深いものでした(#^.^#)
海なし県の長野から来てくれた杉本さん。
何度も何度も小笠原の海の絶景を見ては
「怖い~!!」の連発☆
水産センターでアカバの歯磨きにハマっていたり(笑)
小港海岸の圧倒的なスケールの砂浜に心底感動していたり、
コペペの戦跡で絶景と戦争の悲惨さを感じたりと
短い時間で弾丸ツアーでしたが、
父島の雰囲気は良く伝わったようでした(#^.^#)
■楽しみにしていたジャズフェスも強風でテントや機材が滅茶滅茶になり、
まさかの1日延期という展開のお陰で、
逆にゆっくりライヴを楽しむことが出来ました☆
母島にも何度も来てくれているBimBomBam楽団の皆さん、
元晴さんの最高のステージを楽しむことが出来ました!!
アンコールで楽器レクチャーに参加したみんなで
南洋踊りのウラメをやった時は、
思わず踊りで参加しちゃいました(^^♪
これで今日から母島に移動しての母島作業開始になります。
母島もどうか無事に作業を終えれますように!
→戒名彫刻 母島編に続く
※離島の戒名彫刻で困っていたら、僕宛に連絡ください。
ブログ左欄のメッセージからどうぞ!
戒名彫刻専門・彫枡杉本弦洋