小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

ただいま!母島!! ~ツアーを終えて(資格取得ツアー③)

2022年07月21日 | 資格取得ツアー2022

■カブ90の走行距離がなんと3200kmにも及んだ、
3週間の資格取得ツアーも終わり、無事に母島に帰ってくることができました♪

辛いこと、辛い状況が何もなくて、
やりたかったこと、
行きたかったところ、
出逢いやハプニングも絶妙で、
天候にも恵まれた奇跡のような旅でした☆

帰りのははじま丸の船上で、
周囲を飛び回るカツオドリたちを眺めていると、
ようやく自分のホームに帰って来た実感が湧いてきました。

母島で色んな人に「お帰りなさい!」と声をかけられるのが、
とても嬉しい気持ちでいっぱいでした(#^.^#)

前回の記事で、
次は葉山のカヌーレースについて書こうと予告していたのですが、
旅の最中で記事を書く隙間が無くて、
気付けばあっという間に帰って来たので、
少しずつまとめて記事をあげて行ければと思います(#^.^#)

■母島に着いて、
葉山のカヌーレースで頂いたレイ(ずっと共に旅をしてきました)を海に還したとき、
本当に多くの人の支えで無事に事故もケガもなく帰って来れたのだなぁと
感じました。

僕自身、事故もケガも、場合によっては死も覚悟していました。
だけど、不思議とそんな事には巡り合わず、
帰って来れたのはみんなのお陰だったと心底思うのです。

僕の旅の無事を祈って、日々神社に通ってくれた家族、
東京に着いて、バイク旅のファーストエイドセットを持たせてくれた友人、
旅のお守りにと小さなカブの模型を持たせてくれた友達、
「本当に気を付けて行って来いよ!」と何度も念を押すように声をかけてくれた職場の仲間、
20年ぶりのバイク旅の不安を払拭してくれた島のライダー先輩たち、
「絶対に無事に帰ってきてください!」と念を押してくれて、
無事に帰って来た記念を用意してくれていた友達、


出逢った先でも無事の旅路を祈ってくれていた多くの人たち、
本当に沢山の人の支えで無事に帰ってくることができました。
本当にありがとうございました(^^♪


■帰りの船(おがさわら丸)で、
荒天だったので後ろの外デッキで夕焼けを眺めている時、
前出したみんなに守られた旅だったなぁとひしひしと感じる中、
今回の旅のテーマが見えてきました。

今回の旅は
「いのち」というのを
心底考えさせられる旅でした。

僕自身、
バイクという生身の体むき出しの旅だったので、
常に死と隣り合わせだと感じていたのももちろんですが、
その旅路の中で、幾つもの「いのちとの関り」を感じる出来事があり、
今こうして旅できるのも、
島で幸せに暮らしていけてるのも、
命があり、有難い奇跡に包まれているからなのだなぁと思ったのです。

生まれて初めて秋田にいた時、
安部元総理大臣が選挙演説中に撃たれて亡くなったと聞きました。
この日本でまさかこんな事が起きるようになってしまったとは…

旅の中で
友人の命に関わるシビアな話もありました。
大事な人が亡くなってしまっていたり、
深刻な病気に侵されて、今頑張って乗り越えようとしていたり、
太平洋戦争で神風特攻隊として命を落とした若者の手記を読んだり、
東日本大震災の生々しい爪痕と復興を目の当たりにしたり、
本当に多くの「いのち」を考えさせられる旅立ったのです。

今回、あきる野にお邪魔した、
ヨガの不久先生に教わった事なのですが、
「有難い」の反対語は「当たり前」であるという事。

こうして今生きていられるのは、
当たり前ではなくて、
本当に有難い奇跡の中にいるということを、
まざまざと感じさせてくれる旅でした。

知識としては分かっている事だったのですが、
こうして出来事や出逢いを通じて語り掛けてきたのが
とても身に沁みました。


■最後に旅の最後に観た映画「TELL ME」についてです。
この映画は亡くなったX JAPANのギタリストhideのドキュメンタリー映画です。

僕は中学生の頃からずっとhideが大好きで、
彼の音楽や生き方、
インタビューや映像で、
思春期の哲学を養ったと言っても過言ではありません。

映画が7/8公開と知ってからずっと観るのを楽しみにしていました♪
映画はまだ公開中なので内容には触れませんが、
突然のhideが事故死してしまい、
その側近や家族の情景を描いたドキュメンタリーでした。

映画を見ている間、
ずっと涙が止まりませんでした。

感動で泣いていたのではないのです。
ただ、ずっと当時のことが走馬灯のように心を巡って、
静かにずっと涙が溢れてきていたのです。
こんなことは生まれて初めての経験でした。

hideが亡くなった当時、高校生でリアルタイムにhideのソロライヴにも行っていた僕。
高校生の時の学校の軽音楽部でコンテストに出た時に演奏したのもhideのTELL MEという曲でした。
ピンクスパイダーとever freeのシングル発売直前のゴールデンウィークに突然他界し、
ニュースでも引っ切りなしに流れ、若者の後追い自殺が止まらず、
XのリーダーのYOSHIKIが必死にそれをやめてと訴えていたのを覚えています。
亡くなった後の奇跡のツアーのファイナルを見に横浜アリーナにも足を運びました。

この旅で最後に観た映画も「いのち」に深く関わったものでした。

揺れる帰りのおがさわら丸の船尾で、
僕はhideのHURRY GO ROUNDを聴いていました。

Hideが亡くなったあとに制作された、
最初の曲です。

今までのhideにはなかった歌声、
彼らしい散文詩のような詞。

亡くなった直後に歌で
「また春に逢いましょう」だなんて…

不思議とこの旅のフィナーレにマッチしていて、
今生きている有難みを感じまくりでした。

母島に帰って早速SUPで沖に行き夕陽を見ました。

次の日はサンセットシアターで夕陽を眺めました。

みんな大好きです😊
本当にありがとうございました☆



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