■小笠原はGWちょい前から雨の日が多いです。
沖縄、奄美が梅雨入り宣言されていますが、だいたい小笠原も同じタイミングで雨季に入ります(小笠原は梅雨入り宣言されないのです)。
雷に始まり、雷で終わる小笠原の雨季。
去年、一昨年などは渇水でダムの水が30%を切り、切実な状況でした。
最終的には5月下旬の大雨で回復するのですが、この雨季の雨が島の生活には欠かせないのです。
まさに天の恵み。
有難さが身に沁みます(*^。^*)
そんな最中、先日の仕事は島内中のある虫の調査でした。
学校に行けてない、娘たちも同行でした(*^_^*)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3d/36fa6d700ad3f41c64a8fa20a8e737bc.jpg)
鬱蒼とした霧が立ち込める幻想的な石門の情景です♪
次女も「なんか、雰囲気がある森だね~」としみじみ言っていました。
6月中旬の梅雨明けが待ち遠しいです♡
■さて、先日興味深い出来事が続きました。
新型コロナによってカナダ留学から緊急帰国してきた長女と色々相談している中で、
「将来、自分がやりたいことがない。わからない」
というのです。
まあ、彼女は思春期真っ盛り。
海外に行っているとはいえ、まだまだ自分で暮らせてもいないので、
将来に向けてぼやけているのは何ら不思議ではありません。
そして、別にやりたいことがないのが悪いわけでもないのですが、
何か少し気になったのです。
現状に満足いっているならそれでいいのだけれど。
もちろん僕自身も今は明確に将来のヴィジョンがありますが、
20代前半までは、どこかぼやけていました。
家族でWWOOFの旅をした25,26歳あたりから目標がフォーカスされて、
ハッキリ見えてきたのを覚えています。
しかし、“やりたいことがわからない”という状態は、僕の人生で一度もなかったと思うので、
これはなんでなのだろう?
きっとこれについて考える機会なのだなと考えました。
長女は考えを根詰めると、思考停止してしまうと自覚しているのです。
思考停止はもったいないと僕は思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1d/15502ae5d388412457ba8512a4109ae8.jpg)
■畑で長女とそんな話をしていた時、
母島出身のとてもカッコいい若者が似たような内容の発信をしている偶然がありました。
彼女は現在21歳。
小笠原高校在学中に、
当時は「島からの参加は無理だけど」と教員に突き離された低コストの留学プログラムのチラシに対して、
とても真剣に向き合い、諦めずに根気よく調べ、勉強し、
なんと実現にまで漕ぎつけたという素晴らしい実績があります。
彼女のお蔭で今では毎年、小笠原から留学生が参加しています。
彼女はその先駆者となり、オーストラリアに10か月留学していました。
その後、帰国して高校を卒業し、
進学か就職が決まる周りと先生を振り切り、
なんとクラウドファンディングで資金を調達し、
パラリンピック2020ハンドスタンプアートを集める目的で世界一周を実現させたのです。
僕から見ても、
彼女はとても素晴らしい十代を謳歌しているように見えました。
彼女が演説しているトークイベントをぜひご覧ください。
沢山の人の前で、様々な工夫をしながらも、丁寧にスピーチするかれん。
とても素晴らしいと思いました♪
この発信の中に、僕にとってタイムリーで重要な部分がありました。
「将来何をしたいの?次は何をするの?」という質問が苦痛である事、
「自分がやりたいことがわからないときに、それを見つける秘密の方法を発見しました」
彼女は語っています。
あんなに活発に活動しているように見える彼女も、
そんな苦悩の最中にいたのです。
そして、彼女は自分なりにそれを克服する方法を発見したというのです。
彼女は母島で学生をしていた頃もとても印象深い存在でした。
正義感と責任感が強く、
生徒会長時代には長女の学校でのいじめに対し、
教員がまったく本気で動かない中、できることを全力でやってくれて、
辛い長女の気持ちに寄り添ってくれました。
本当にカッコいい存在だと思います♡
親としても嬉しく、有難かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/16/4216549b1606e6bf146a1a3e223e43b5.jpg)
■さて、学校が子供たちに聞く、描かせる「将来の夢」は、
今僕が想い描いている「やりたい事」とは違います。
僕が学生時代に想い描いていたのは夢=職業でした。
今は夢=職業に限らず、
チャレンジしたい事、知りたい事、試したい事、将来の世代に向けてしたい事、島の未来に向けてやりたい事が溢れています。
職業だけに絞っている印象のある、学校での問いかけに、とても視野の狭さを感じるのです。
そして、進路なんて、気持ちが変わったらどんどん柔軟に変えて行っていいと思うのです。
世界を見てきた彼女が言っているように、卒業後に進学か就職かの2択ではなく、
もっと多様で、深い選択肢があっていいと思うのです。
まったくお金にならないやりたい事をする、続ける為に、
アルバイトで食い繋ぐ事をあまり推奨されませんし、
卒業後に単独で世界一周するなんて、先生の想い描く進路からは大きく外れているのです(笑)。
これは去年のハワイで学んだことですが、クレアナ(自分の命題、役割みたいなもの)を意識して、
生きるというのがひとつ大事な気がするのです。
やりたいことがなければいけないわけでないのですが、
自分のクレアナを意識する、しないというのはとても違いがあると思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b8/8a11d197e2e2256af5dbb0dffbc7ab2b.jpg)
■そこで、同じ21歳の頃の僕は何をしていただろうか?と思いを馳せました。
僕にとっての21歳は小笠原に移住し、働き始めた年でした(*^。^*)
19歳の時にたまたま読んでいたサンデーのテニスマンガ「LOVE」をきっかけに、
高校の担任が「小笠原は楽園らしいぞ」と進めてくれた小笠原諸島。
高校を卒業した19の春に初めて小笠原に来たのが大きなターニングポイントになりました。
20歳は西表島。
21歳は再び父島と母島、
22歳はもう結婚しておりました(笑)。
39歳の今でもやりたいことが星の数ほどあるし、
やりたいことが分からないという状態に陥った記憶がありません。
では、しかしなぜ現代の若者はこうも「やりたいことがわからない」に苦しんでいるのだろうか?
それはもちろん、大人や社会からの「やりたいことがなければいけない」的な強制感もあると思いますが、
それを差し引いても、どこか違和感を感じるのです。
そこに僕は「教育」と「環境」が大きいと感じたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4f/b4ada205b487d9d155dc301ff75f9fa6.jpg)
■そんな事を漠然と考えていたら、とても興味深いオンラインのZOOMセミナーがありました。
経営コンサルなどの会社を設立している並木 将央さんが中心となり、新コロナ後の円熟社会を語るというものでした。
彼は「成熟社会のビジネスシフト 10年後も会社が続くために」という本を出版しており、とても興味深い内容でした。
その中で長女と島っ子21歳の彼女の「やりたいことが、わからない」事に関して質問をしたら、
とても面白い回答が帰って来ました。
それは、戦後の教育の影響が大きいというのです。
僕はこの時初めて知った言葉なのですが、現代人は魂魄(こんぱく)が足りない、というのです。
魂魄と言うのは、調べると魂と心みたいなもののようですが、
僕がその時受け取ったニュアンスは、困難に打ち勝つ心の強さや忍耐強さ、力みたいな印象でした。
戦前は「修身」という授業があり、
道徳教育が中心で自分の行いを正しくするようにつとめることを教えていたようです。
日本人特有の忍耐強さ、しぶとさ、細かさの精神はこの修身で魂魄を鍛えることが大事だったというのです。
しかし、戦後GHQが日本の教育として修身を撤廃し、
なるべく日本人がみんな同じで、誰も特別でないように意識的に教育して来たそうなのです。
大事なのは大量生産。
個人が個性を生かして、特筆して能力を延ばしたりするよりも、
とにかくみんながだいたい同じであることの方が重要であるとの考えです。
60年代安保・学生運動などを経て、
国民が政治に口出ししたり、一揆じみた行動をしないように、
国民の関心を政治から芸能やスポーツ、性的なものに関心を持たせるという作戦です。
地下鉄サリン事件を契機に国内では宗教めいた活動もご法度となり、
さまざまに精神的に鍛える場が失われてきたのも、大きな弊害と語っていました。
学校教育でも自分で考えて行動するよりも、
知識を覚えて、言うことを聞くのを大事とする教えにシフトしていきました。
もちろん、修身の教えが良い悪いではないと言っていました。
神風特攻隊など、他国ではあり得ないような人の在り方を生み出してしまう要因でもあるので、とのことでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c8/e6ff0522b5f94c254f9934096dbeb5b1.jpg)
■結果、修身教育をカットして出来上がった新しい人間の特徴として、
・自分で考えて積極的に行動できない
・支持されるまで待つ
・困った時には自分で考えず、思考停止になる
・自己肯定感が低い
などの特徴を持った人間が増えていくというのです。
なるほど、現代人に多くあてはまる部分な気がします。
根気がない、気力がないと言われる現代の若者の原因なのでしょうか。
こうならないためには、7歳位までの幼少期に、
とにかく理不尽に躾され、我慢して働くなどが魂魄を育てるというのです。
そういう苦行のようなものが必然であると思っていない僕は、
ここの部分に関して少し、違和感があるのですが、
概ね腑に落ちました。
しかし、並木さんももちろんそうですし、
僕自身も同じような教育を受けていますが、
あまりそういう人間に仕上がらなかったのは、どうしてか?
少し分析してみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/9a/4bf0a0ad3d067ede511b882aa3245a9a.jpg)
■さっと思いつく限りで書くと、
・片親で育ち、小学5年生から仕事をしていた
・親が病弱で、高校からは家計を主に支える状態
・ロックンロールに出逢った
・天邪鬼だった(人と同じことをするのが嫌だった)
・先生や友人など出逢いに恵まれた
と思いました。
確かに中学生くらいから僕は、他の同級生とは違うなという感覚はありました。
別居していた父親が僕が中1の時に他界し、
ロックを聞き始め、
X JAPANやハイロウズ、ミッシェルガンエレファントやBLANKY JET CITY、Hi-STANDARDなどのメンバーインタビューを読み漁りました。
今でも自分の人生哲学はこの頃に形成されたと自覚しています。
そして、高校を受験中に「このままではいけない」と強烈に思って白紙で答案を出して、
2次募集の夜間の工業高校に昼間は働きながら通います。
周りは多年齢。通うのは4年間。
そこで出会った2人の先生。
そして巡り合う小笠原諸島。
若い二人の苦悩を耳にしたときに、
現代の課題みたいなものが浮き上がってくるのを感じました。
もちろん、彼女たちも彼女たちなりに頑張って今を生きています。
でも、僕から見てどこかフワフワしていて、心配な気がするのです。
そこで、どうやって魂魄を育てて、強く生きて行けるようになるかを考えました。
少なくとも困難にぶつかった時に思考停止ではなく、
誰かのせいや、お金や時間のせいにするでもなく、
考えて、対応し、受け入れる事ができるように。
精神が自立できるように願っているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/1f/3f22803ce94f326e882fe6434fe50aba.jpg)
■「やりたいことがわからない」
それでいて現状に満足がいかない時、
そんな時はまずは何にでもチャレンジしてみては?思うのです。
でも、チャレンジしなければいけないというものではありません。
強制ほど人の意欲を奪い、思考停止にするものはないと思うからです。
失敗を恐れず、
時間がない、お金がないを言い訳にしないで、
“できない理由”を探すより“できる理由”を探して、がむしゃらに挑戦を続けるのが大事な気がします。
もちろん、ただやみくもにやるのではなく、
やはり自分が好きな、興味のあることをやっていけばやりやすいと思うのです。
ただ淡々と日々行っている活動に少しの挑戦のエッセンスを入れるもいいと思います。
そして、それは仕事という概念ではなく、
生きがいみたいなものでしょうか?
毎日が「今日は何しようか?」をワクワクしてしまうような…
僕も30代後半になって気付いたことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/90/3c660a36fbf238347bb5bff4d4ed765d.jpg)
歳と共にやりたいことは明確になるし、
経験値も上がるので、実現が容易になってきている気がします。
でも圧倒的にエネルギーというものは低下している気はします。
それが魂魄なのかは分かりません。
僕自身20代の頃のような勢いは弱くなってきているし、
50代後半の先輩たちはどこか疲れていて、
新しい何かを作り、支える舞台からはどこか離れて行く印象を抱いています。
やはりエネルギーが湧き出る若い時代は、
経験が浅くて、考えがぼやけていても、
いっぱい挑戦して、
いっぱい失敗して、
肥やしにしてほしいと思うのです。
現代はインターネットなどの情報化社会の影響か、
体験や経験に伴う経験値よりも、
情報による知識が専攻し、頭でっかちな人が多き気がします。
例えは違うかもしれませんが、
火すら起こせず、獲物や作物を獲得できないのに、
料理を語るみたいなものでしょうか?
以前、記事にしたように、
失敗するかも、できないかも、自分には合わないかも、などジャッジする前に、
【まずはやってきること】がとても大切な気がするのです。
思ったが吉日。
まずは行動。
そしてその行動の責任を自分で負う。
まずは挑戦をどんどんしていこうぜ!と思います。
僕は中学の頃に呼んだ雑誌のインタビューでバイブルとなる言葉があります。
YOSHIKI「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」
hide「何にもないってこと。それは何でもありってこと。まずは自分が楽しまないとね」
このXのふたりの言葉は思春期から今に続く、僕に欠かせない力となる言葉でした。
そして高校の尊敬する先生二人に出逢えたこと。
「そこに必要なものがないなら、創造するんだ」
「既成概念にしばられるな。常に自分の挑戦を忘れるな」
Y先生、N先生の二人の言葉には本当に今でも僕を支えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/86/1a37d36c2b8226c5f0f3f45e627146e7.jpg)
■今回の島っ子21歳の彼女と長女のお蔭で、
日々新しいことにチャレンジする気持ちを再確認させてもらいました♪
どうもありがとうございます!!
今とこれからを思い悩む彼女たちには、
是非、精神と経済の自立を目指して頑張っていってほしいと思います。
自分も含め、良くも悪くも影響力の大きな親なのだと思います。
親に依存せず、
親の関わらない自分の世界で、
どんどん色んな事を自分の責任において、自由に挑戦していってほしいと思います。
ちなみに僕は今は些細なチャレンジを続けています。
1日ひとつ、前の日にやらなかったことに挑戦する。
それで日々はもっとワクワクしています♡
今朝は朝日を浴びる中、
日々ヨガをして1日に感謝することからはじめています。
これからが楽しみな21歳のかれん。
自分の娘たちもこれからがとても楽しみです。
そして、実はこれからも楽しみな39歳の自分(笑)。
素敵な気付きに感謝です♪
今日も1日楽しんじゃいます♡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d4/d1da21114a657debb54d748f8388a4e2.jpg)
5/17追記
昨日のこの投稿に対して、Facebookで本当に沢山気付かされるコメントを頂きました♪
みなさん、本当にありがとうございます
そう、目指す先はやはり精神の自立なのだなと思いました。
どんな時も人のせいにせず、時間やお金のせいにせず、
誰も代わるとこのない自分の人生に責任を持って、
自立して生きる。
これが目標なのだなと思いました。
「やりたいことがなければいけない」訳でもないし、
「チャレンジしなければいけない」訳でもない。
強制ほど意欲を失うものはないと思うのです。
どんなときも現状に満足できる、
現状を受け止めて自立できる、
生活も自立して生きていける、
自分の立ち位置を自覚して、行動していく。
これは子供だけでなく、大人のテーマでもあると思います。
人は死ぬまで学びなんだなぁと気付かされました。
みなさんに感謝です♪
沖縄、奄美が梅雨入り宣言されていますが、だいたい小笠原も同じタイミングで雨季に入ります(小笠原は梅雨入り宣言されないのです)。
雷に始まり、雷で終わる小笠原の雨季。
去年、一昨年などは渇水でダムの水が30%を切り、切実な状況でした。
最終的には5月下旬の大雨で回復するのですが、この雨季の雨が島の生活には欠かせないのです。
まさに天の恵み。
有難さが身に沁みます(*^。^*)
そんな最中、先日の仕事は島内中のある虫の調査でした。
学校に行けてない、娘たちも同行でした(*^_^*)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3d/36fa6d700ad3f41c64a8fa20a8e737bc.jpg)
鬱蒼とした霧が立ち込める幻想的な石門の情景です♪
次女も「なんか、雰囲気がある森だね~」としみじみ言っていました。
6月中旬の梅雨明けが待ち遠しいです♡
■さて、先日興味深い出来事が続きました。
新型コロナによってカナダ留学から緊急帰国してきた長女と色々相談している中で、
「将来、自分がやりたいことがない。わからない」
というのです。
まあ、彼女は思春期真っ盛り。
海外に行っているとはいえ、まだまだ自分で暮らせてもいないので、
将来に向けてぼやけているのは何ら不思議ではありません。
そして、別にやりたいことがないのが悪いわけでもないのですが、
何か少し気になったのです。
現状に満足いっているならそれでいいのだけれど。
もちろん僕自身も今は明確に将来のヴィジョンがありますが、
20代前半までは、どこかぼやけていました。
家族でWWOOFの旅をした25,26歳あたりから目標がフォーカスされて、
ハッキリ見えてきたのを覚えています。
しかし、“やりたいことがわからない”という状態は、僕の人生で一度もなかったと思うので、
これはなんでなのだろう?
きっとこれについて考える機会なのだなと考えました。
長女は考えを根詰めると、思考停止してしまうと自覚しているのです。
思考停止はもったいないと僕は思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1d/15502ae5d388412457ba8512a4109ae8.jpg)
■畑で長女とそんな話をしていた時、
母島出身のとてもカッコいい若者が似たような内容の発信をしている偶然がありました。
彼女は現在21歳。
小笠原高校在学中に、
当時は「島からの参加は無理だけど」と教員に突き離された低コストの留学プログラムのチラシに対して、
とても真剣に向き合い、諦めずに根気よく調べ、勉強し、
なんと実現にまで漕ぎつけたという素晴らしい実績があります。
彼女のお蔭で今では毎年、小笠原から留学生が参加しています。
彼女はその先駆者となり、オーストラリアに10か月留学していました。
その後、帰国して高校を卒業し、
進学か就職が決まる周りと先生を振り切り、
なんとクラウドファンディングで資金を調達し、
パラリンピック2020ハンドスタンプアートを集める目的で世界一周を実現させたのです。
僕から見ても、
彼女はとても素晴らしい十代を謳歌しているように見えました。
彼女が演説しているトークイベントをぜひご覧ください。
沢山の人の前で、様々な工夫をしながらも、丁寧にスピーチするかれん。
とても素晴らしいと思いました♪
この発信の中に、僕にとってタイムリーで重要な部分がありました。
「将来何をしたいの?次は何をするの?」という質問が苦痛である事、
「自分がやりたいことがわからないときに、それを見つける秘密の方法を発見しました」
彼女は語っています。
あんなに活発に活動しているように見える彼女も、
そんな苦悩の最中にいたのです。
そして、彼女は自分なりにそれを克服する方法を発見したというのです。
彼女は母島で学生をしていた頃もとても印象深い存在でした。
正義感と責任感が強く、
生徒会長時代には長女の学校でのいじめに対し、
教員がまったく本気で動かない中、できることを全力でやってくれて、
辛い長女の気持ちに寄り添ってくれました。
本当にカッコいい存在だと思います♡
親としても嬉しく、有難かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/16/4216549b1606e6bf146a1a3e223e43b5.jpg)
■さて、学校が子供たちに聞く、描かせる「将来の夢」は、
今僕が想い描いている「やりたい事」とは違います。
僕が学生時代に想い描いていたのは夢=職業でした。
今は夢=職業に限らず、
チャレンジしたい事、知りたい事、試したい事、将来の世代に向けてしたい事、島の未来に向けてやりたい事が溢れています。
職業だけに絞っている印象のある、学校での問いかけに、とても視野の狭さを感じるのです。
そして、進路なんて、気持ちが変わったらどんどん柔軟に変えて行っていいと思うのです。
世界を見てきた彼女が言っているように、卒業後に進学か就職かの2択ではなく、
もっと多様で、深い選択肢があっていいと思うのです。
まったくお金にならないやりたい事をする、続ける為に、
アルバイトで食い繋ぐ事をあまり推奨されませんし、
卒業後に単独で世界一周するなんて、先生の想い描く進路からは大きく外れているのです(笑)。
これは去年のハワイで学んだことですが、クレアナ(自分の命題、役割みたいなもの)を意識して、
生きるというのがひとつ大事な気がするのです。
やりたいことがなければいけないわけでないのですが、
自分のクレアナを意識する、しないというのはとても違いがあると思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b8/8a11d197e2e2256af5dbb0dffbc7ab2b.jpg)
■そこで、同じ21歳の頃の僕は何をしていただろうか?と思いを馳せました。
僕にとっての21歳は小笠原に移住し、働き始めた年でした(*^。^*)
19歳の時にたまたま読んでいたサンデーのテニスマンガ「LOVE」をきっかけに、
高校の担任が「小笠原は楽園らしいぞ」と進めてくれた小笠原諸島。
高校を卒業した19の春に初めて小笠原に来たのが大きなターニングポイントになりました。
20歳は西表島。
21歳は再び父島と母島、
22歳はもう結婚しておりました(笑)。
39歳の今でもやりたいことが星の数ほどあるし、
やりたいことが分からないという状態に陥った記憶がありません。
では、しかしなぜ現代の若者はこうも「やりたいことがわからない」に苦しんでいるのだろうか?
それはもちろん、大人や社会からの「やりたいことがなければいけない」的な強制感もあると思いますが、
それを差し引いても、どこか違和感を感じるのです。
そこに僕は「教育」と「環境」が大きいと感じたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4f/b4ada205b487d9d155dc301ff75f9fa6.jpg)
■そんな事を漠然と考えていたら、とても興味深いオンラインのZOOMセミナーがありました。
経営コンサルなどの会社を設立している並木 将央さんが中心となり、新コロナ後の円熟社会を語るというものでした。
彼は「成熟社会のビジネスシフト 10年後も会社が続くために」という本を出版しており、とても興味深い内容でした。
その中で長女と島っ子21歳の彼女の「やりたいことが、わからない」事に関して質問をしたら、
とても面白い回答が帰って来ました。
それは、戦後の教育の影響が大きいというのです。
僕はこの時初めて知った言葉なのですが、現代人は魂魄(こんぱく)が足りない、というのです。
魂魄と言うのは、調べると魂と心みたいなもののようですが、
僕がその時受け取ったニュアンスは、困難に打ち勝つ心の強さや忍耐強さ、力みたいな印象でした。
戦前は「修身」という授業があり、
道徳教育が中心で自分の行いを正しくするようにつとめることを教えていたようです。
日本人特有の忍耐強さ、しぶとさ、細かさの精神はこの修身で魂魄を鍛えることが大事だったというのです。
しかし、戦後GHQが日本の教育として修身を撤廃し、
なるべく日本人がみんな同じで、誰も特別でないように意識的に教育して来たそうなのです。
大事なのは大量生産。
個人が個性を生かして、特筆して能力を延ばしたりするよりも、
とにかくみんながだいたい同じであることの方が重要であるとの考えです。
60年代安保・学生運動などを経て、
国民が政治に口出ししたり、一揆じみた行動をしないように、
国民の関心を政治から芸能やスポーツ、性的なものに関心を持たせるという作戦です。
地下鉄サリン事件を契機に国内では宗教めいた活動もご法度となり、
さまざまに精神的に鍛える場が失われてきたのも、大きな弊害と語っていました。
学校教育でも自分で考えて行動するよりも、
知識を覚えて、言うことを聞くのを大事とする教えにシフトしていきました。
もちろん、修身の教えが良い悪いではないと言っていました。
神風特攻隊など、他国ではあり得ないような人の在り方を生み出してしまう要因でもあるので、とのことでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c8/e6ff0522b5f94c254f9934096dbeb5b1.jpg)
■結果、修身教育をカットして出来上がった新しい人間の特徴として、
・自分で考えて積極的に行動できない
・支持されるまで待つ
・困った時には自分で考えず、思考停止になる
・自己肯定感が低い
などの特徴を持った人間が増えていくというのです。
なるほど、現代人に多くあてはまる部分な気がします。
根気がない、気力がないと言われる現代の若者の原因なのでしょうか。
こうならないためには、7歳位までの幼少期に、
とにかく理不尽に躾され、我慢して働くなどが魂魄を育てるというのです。
そういう苦行のようなものが必然であると思っていない僕は、
ここの部分に関して少し、違和感があるのですが、
概ね腑に落ちました。
しかし、並木さんももちろんそうですし、
僕自身も同じような教育を受けていますが、
あまりそういう人間に仕上がらなかったのは、どうしてか?
少し分析してみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/9a/4bf0a0ad3d067ede511b882aa3245a9a.jpg)
■さっと思いつく限りで書くと、
・片親で育ち、小学5年生から仕事をしていた
・親が病弱で、高校からは家計を主に支える状態
・ロックンロールに出逢った
・天邪鬼だった(人と同じことをするのが嫌だった)
・先生や友人など出逢いに恵まれた
と思いました。
確かに中学生くらいから僕は、他の同級生とは違うなという感覚はありました。
別居していた父親が僕が中1の時に他界し、
ロックを聞き始め、
X JAPANやハイロウズ、ミッシェルガンエレファントやBLANKY JET CITY、Hi-STANDARDなどのメンバーインタビューを読み漁りました。
今でも自分の人生哲学はこの頃に形成されたと自覚しています。
そして、高校を受験中に「このままではいけない」と強烈に思って白紙で答案を出して、
2次募集の夜間の工業高校に昼間は働きながら通います。
周りは多年齢。通うのは4年間。
そこで出会った2人の先生。
そして巡り合う小笠原諸島。
若い二人の苦悩を耳にしたときに、
現代の課題みたいなものが浮き上がってくるのを感じました。
もちろん、彼女たちも彼女たちなりに頑張って今を生きています。
でも、僕から見てどこかフワフワしていて、心配な気がするのです。
そこで、どうやって魂魄を育てて、強く生きて行けるようになるかを考えました。
少なくとも困難にぶつかった時に思考停止ではなく、
誰かのせいや、お金や時間のせいにするでもなく、
考えて、対応し、受け入れる事ができるように。
精神が自立できるように願っているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/1f/3f22803ce94f326e882fe6434fe50aba.jpg)
■「やりたいことがわからない」
それでいて現状に満足がいかない時、
そんな時はまずは何にでもチャレンジしてみては?思うのです。
でも、チャレンジしなければいけないというものではありません。
強制ほど人の意欲を奪い、思考停止にするものはないと思うからです。
失敗を恐れず、
時間がない、お金がないを言い訳にしないで、
“できない理由”を探すより“できる理由”を探して、がむしゃらに挑戦を続けるのが大事な気がします。
もちろん、ただやみくもにやるのではなく、
やはり自分が好きな、興味のあることをやっていけばやりやすいと思うのです。
ただ淡々と日々行っている活動に少しの挑戦のエッセンスを入れるもいいと思います。
そして、それは仕事という概念ではなく、
生きがいみたいなものでしょうか?
毎日が「今日は何しようか?」をワクワクしてしまうような…
僕も30代後半になって気付いたことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/90/3c660a36fbf238347bb5bff4d4ed765d.jpg)
歳と共にやりたいことは明確になるし、
経験値も上がるので、実現が容易になってきている気がします。
でも圧倒的にエネルギーというものは低下している気はします。
それが魂魄なのかは分かりません。
僕自身20代の頃のような勢いは弱くなってきているし、
50代後半の先輩たちはどこか疲れていて、
新しい何かを作り、支える舞台からはどこか離れて行く印象を抱いています。
やはりエネルギーが湧き出る若い時代は、
経験が浅くて、考えがぼやけていても、
いっぱい挑戦して、
いっぱい失敗して、
肥やしにしてほしいと思うのです。
現代はインターネットなどの情報化社会の影響か、
体験や経験に伴う経験値よりも、
情報による知識が専攻し、頭でっかちな人が多き気がします。
例えは違うかもしれませんが、
火すら起こせず、獲物や作物を獲得できないのに、
料理を語るみたいなものでしょうか?
以前、記事にしたように、
失敗するかも、できないかも、自分には合わないかも、などジャッジする前に、
【まずはやってきること】がとても大切な気がするのです。
思ったが吉日。
まずは行動。
そしてその行動の責任を自分で負う。
まずは挑戦をどんどんしていこうぜ!と思います。
僕は中学の頃に呼んだ雑誌のインタビューでバイブルとなる言葉があります。
YOSHIKI「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」
hide「何にもないってこと。それは何でもありってこと。まずは自分が楽しまないとね」
このXのふたりの言葉は思春期から今に続く、僕に欠かせない力となる言葉でした。
そして高校の尊敬する先生二人に出逢えたこと。
「そこに必要なものがないなら、創造するんだ」
「既成概念にしばられるな。常に自分の挑戦を忘れるな」
Y先生、N先生の二人の言葉には本当に今でも僕を支えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/86/1a37d36c2b8226c5f0f3f45e627146e7.jpg)
■今回の島っ子21歳の彼女と長女のお蔭で、
日々新しいことにチャレンジする気持ちを再確認させてもらいました♪
どうもありがとうございます!!
今とこれからを思い悩む彼女たちには、
是非、精神と経済の自立を目指して頑張っていってほしいと思います。
自分も含め、良くも悪くも影響力の大きな親なのだと思います。
親に依存せず、
親の関わらない自分の世界で、
どんどん色んな事を自分の責任において、自由に挑戦していってほしいと思います。
ちなみに僕は今は些細なチャレンジを続けています。
1日ひとつ、前の日にやらなかったことに挑戦する。
それで日々はもっとワクワクしています♡
今朝は朝日を浴びる中、
日々ヨガをして1日に感謝することからはじめています。
これからが楽しみな21歳のかれん。
自分の娘たちもこれからがとても楽しみです。
そして、実はこれからも楽しみな39歳の自分(笑)。
素敵な気付きに感謝です♪
今日も1日楽しんじゃいます♡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d4/d1da21114a657debb54d748f8388a4e2.jpg)
5/17追記
昨日のこの投稿に対して、Facebookで本当に沢山気付かされるコメントを頂きました♪
みなさん、本当にありがとうございます
そう、目指す先はやはり精神の自立なのだなと思いました。
どんな時も人のせいにせず、時間やお金のせいにせず、
誰も代わるとこのない自分の人生に責任を持って、
自立して生きる。
これが目標なのだなと思いました。
「やりたいことがなければいけない」訳でもないし、
「チャレンジしなければいけない」訳でもない。
強制ほど意欲を失うものはないと思うのです。
どんなときも現状に満足できる、
現状を受け止めて自立できる、
生活も自立して生きていける、
自分の立ち位置を自覚して、行動していく。
これは子供だけでなく、大人のテーマでもあると思います。
人は死ぬまで学びなんだなぁと気付かされました。
みなさんに感謝です♪
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