フランス人俳優のカトリーヌ・ドヌーブさんが、セクハラ告発の行き過ぎにやんわりと抗議したそうである。
日本でもセクハラの告発報道に接する機会が増えるとともに、自分を取り巻く環境下でも、軽い(と自分では思う)艶話やY的ジョークに対して「セクハラだ!」と反撃される機会が増えたような気がする。ドヌーブさんの母国フランスはエスプリの効いた艶笑小話の国であることから、些細なセクハラに寛容な風土のみならずセクハラの基準が相当に高いと考えられるが、確かに近年のセクハラ告発には行き過ぎがあるように思われる。ドヌーブさんは過度なセクハラの告発が男女間の垣根を高くするものと捉えている。女性がセクハラと感じる基準は全く主観的な場合が多く、その基準は男性の美醜にあると実感している。ブ男の代表格と自認する自分が結婚できたのは、昨今のようなセクハラ・付きまといの概念が希薄であった世相の恩恵であり、現在の若年者の結婚離れの遠因の一つにセクハラ告発による男女間の垣根の高さがあるようにも思える。男女雇用機会均等法等により女性の社会進出が増えてきたが、社会進出した女性には男女間の垣根を和らげるであろう軽度のY的ジョーク程度には笑える余裕を持って貰いたいと思う。
男女の性別がある限り男女の個性は存在し、個性に基づく価値観の違いは永続するものと思う。今は、女性の権利保護のために男性が歩み寄ることを強要されている時代と思うが、今少し女性が我が方に歩み寄って貰えないかと思う醜男の所感である。