作家・佐藤優氏のテロ対策に関する主張を新聞で読んだ。
主題であるテロ対策について共感することが多かったが、それ以上に、記事の冒頭に紹介された「元インテリジェンス・オフィサー(情報幹部)というものは存在しない」という情報機関出身のプーチン大統領の言葉である。また、アメリカの宇宙飛行士・上院議員で国立墓地に埋葬という栄誉に包まれたジョン・グレン氏の墓碑にその肩書は無く「海兵隊員」とのみ刻まれているそうである。いずれも、国家に奉仕した者は自分の人格形成に決定的に影響したであろう出身母体への紐帯を保ち、退役した場合にも国益のために誠実に生きなければならないとする人生訓と思う。健康寿命が尽きるのも目前で平均寿命も指呼の間にある自分としては遅すぎた教訓かも知れないが、両者ともに耳に残る言葉である。世には"晩節を全うする"という反面"晩節を汚す"という言葉が併立している。憲法9条改正という持論に生涯を捧げる中曽根氏、自分も原発推進の一翼に名を連ねながら廃止論に舵を切った小泉・細川氏、国辱的行脚と舌禍を繰り返す鳩山氏、元総理のその後も様々であり、同列に論じることはどうかと思うほどの小物ながら自分の現役時代と半生を否定した前川氏の例もある。代々墓に眠るため個人の生き様が伝わり難い日本にあっては、君子と呼べない豹変を気にしなくて良いのかも知れないが、墓碑銘となり得る晩節を過ごしたいと思うものである。
昨日は、羽生・宇野選手の活躍と、藤井五段の誕生に沸いた一日でもあった。若き3名に満腔の敬意を表するとともに、若くして頂点を極めたり、最年少記録を更新した彼等の将来において、昨日という日はどのように投影されるのだろうかと考えさせられた。願わくば、若き3名は昨日の快挙を終生に亘って輝かせ続けて欲しいと願うものである。