もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

新コロナウィルスの感染者統計に思う

2020年03月17日 | コロナ

 新コロナウィルス感染者等の国別統計をよく目にする。

 報道される感染者や死者数は絶対値で報道されることが多いが、人口の多寡が考慮されていないのであまり意味が無いのではと考える。人口1万人当たりの感染者数を試算(素人の概算)すると、イタリア(4.1人)、イラン(1.7人)、スペイン・韓国(1.6人)、フランス・ドイツ(0.8人)、中国0.6人、日本・アメリカ(0.1人)となる。学術的に感染危険率を算出するためには更に人口密度や都市への人口集中度などの要因が加味される必要があると思うが、失敗したとされる日本の水際防御は予想以上に機能していたことになる。クルーズ船対処や学校閉鎖等の措置を冷ややかに報じていた欧米が、相次いで非常事態を宣言して国境閉鎖、商業活動禁止、学校閉鎖、外出禁止等に大童で、ダイヤモンド・プリンセスの防疫を失敗と捉えていたアメリカも、グランド・プリンセス号に起因する感染拡大に苦慮しているのは皮肉である。遅ればせながら諸外国からの訪日者を局限して保菌者の流入を断ち得た日本は、国内感染を断ち切るべくクラスターの特定に努めて蔓延連鎖の根絶を目指している状況で、今こそ国民の結束と自重が求められる時期にも関わらず一部の自治体で学校再開等が始まったのはいかがなものであろうか。改正新型インフルエンザ等対策特別措置法での緊急事態宣言を見送った政府もさることながら、自治体内に感染者がいない(発見されていないだけと思うが)ことを理由にしての足並みの乱れは、一部の首長の「木を見て山を見ない所業」と云うべきではと懸念する。群馬県太田市が政府の意向を無視して学校閉鎖に応じなかったが、感染者の発生を受けて急遽閉鎖したことは記憶に新しい。憲法に緊急条項を持つEU諸国はこぞって非常事態を宣言して、国家が公権力を以て個人の人権と自由を制限しているが、政府が要請しかできない日本、果たしてどちらが公共の福祉に力を発揮できるのだろうかと考えざるを得ない。

 冒頭に書いた単位人口当たりの感染者数が識者や指導者で取り沙汰されないのは、「なんだ。この程度か」との安易な考えを防ぐ意図があるのだろう。致死率は年代や基礎疾患の有無によって大きく異なるが、乱暴(過大)に2%と仮定しても百万人に2人しか死なないことになる。こうなると宝くじの1等当選確率と大差ないと思うが、宝くじと大きく異なるのは買わない・買いたくない人にも公平に感染機会があることである。さりながら、このような冷めた・投げやりな考えは隣人に迷惑を掛ける危険性が大きいので、御上の御意向を純朴に守ってつつましく生活しようと思うところである。