熊本県産山村が、伝統行事「うさぎ追い」を来年以降廃止すると発表した。
廃止の理由は、今年の「うさぎ追い」で担当者が「野兎」の足を持ってぶら下げていたことをインターネット上などで虐待と非難されたことであるらしい。
当該行事は、戦後に学校行事として始まったが1996(平成8)年以降は産山村が主催していたとされる。学校行事として始められた背景は報じられていないが、体育教材も乏しく、かつ戦前の軍事教練の廃止で失われた集団行動教育のために、先生方が知恵を絞った結果ではないだろうかと推測している。また、子供向け娯楽も無かった郡部の小学生にとっても年に一回の娯楽でもあったのだろうかとも思える。
兎、それも野兎をぶら下げ・追い掛け回すことが動物の虐待に当るのだろうか?
これまで「野兎」と書いていたが、ノウサギは旧和名で正式には「ニホンノウサギ(日本野兎)でウサギ目・ウサギ科・ノウサギ属に分類される日本固有種」とされている。
また、野兎は、ペットとして飼われる家兎と違って動物愛護法に定める愛玩動物とはされていないものの、鳥獣保護法によって許可なく狩猟・捕獲・飼育などが禁止されているようである。
以上のことから、法的に見れば「うさぎ追い」には若干の疑義があるように思えるが、1914(大正3)年に文部省唱歌として発表された「故郷(ふるさと(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)」では《♬兎おひし彼の山 小鮒つりし彼の川・・・」とされているように、小動物を追い掛け回すことは、里山の原風景であり、幼児における情操体験であったと思っている。それ以上に、先人が兎を鳥と同じように「1羽・2羽」と数えた裏側には、宗教的に忌避されていた四つ足獣食下にあっても、生存本能が求める蛋白源としての兎食が貴重であったことを示しているように思える。
また、兎の毛皮によって寒さを凌げたことで助かった命も少なくないのではとも思える。
自分も野生動物保護と共生は必要と思っているが、動物界が種の闘争によって進化したことを考えれば、保護・共生も無限であるべきではないと思う。猿・猪・鹿・羚羊に依る農林業被害、鳥の糞害、熊による人員被害などの報道に接すると、野生動物との共生には個体数の制限などの一定の歯止めが必要であると思っている。
産山村の「うさぎ追い」には、小学生に対して「野生動物の保護と人間との共生」を教える場にできたのではないかと思うとともに、先人の営み・文化を考えさせる意義もあったのではないだろうかと思えば、廃止決定は残念に思う。
自論の繰り返しであるが、今様の倫理観で眺めた全ての過去・歴史を定説化し、将来までも縛ろうとする硬直化は避けるべきと思っている。食糧危機が到来すれば野兎の捕獲禁止は雲散霧消し、繁殖・飼育が比較的容易な家兎も食肉化が当然とされることがあるかもしれない。
都市伝説では、《兎の肉は「つなぎ」として有効であることから、現在流通しているソーセージなどの加工品にも混入されている》とまことしやかであるが、???。
動物虐待にせよ様々なサービスに対するSNS上での批判やコメントにも極端な少数意見に注目しすぎだろうと思うのです。
自然や動物との共生共存は素晴らしく理想的でもあります。
しかし、一方でカラスのゴミ荒らし、猿や猪などによる農作物被害、熊による家畜襲撃など、当事者にとっては看過できない問題もあります。
とはいえ最近では報道されませんが、入江でのイルカ漁だけはやめて欲しいものです。日本人が食べるのに困って、野蛮な行為をしていると世界から誤解されていると危惧しますね。
コメントを有難うございます。
貴ブログで、大分の市部のお生まれであろうと推測するとともに、アライグマなどの鳥獣被害を受けられているご様子を拝見しております。
野生若しくは野生化した外来種を徒に野放しにすることが、正しい動物愛護や自然保護ではないのではと思っています。人間の生活を守るとともに、在来固有種を守ることも、自然保護ではないだろうかと考えます。