もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

8月15日に思う

2018年08月15日 | 歴史

 73回目の終戦の日が訪れた。

 戦後長らく「終戦記念日」と呼ばれていたが、戦争に敗れた日を記念日と称することに違和感を感じていた。近年はようやく「終戦の日」と呼ばれるようになった。正式には昭和57年に閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と呼ぶべきであろうが、長すぎるので”終戦の日”で我慢することにしよう。大東亜戦争はアジア地域に対する数例の圧政や残虐行為のみが過大に評価されて侵略戦争と規定され、アジア地域の欧米による植民地・属国支配からの脱却を加速させた面については国内で評価することはタブーですらあった。近年は、大東亜戦争の功罪を冷静に分析した著書も流布されタブー視する空気も希薄になってきたが、まだまだ不十分であると感じている。戦後に独立を勝ち取ったアジア各国の指導者、ガンジー、ネール、スカルノ、リー・クワン・ユー、マハティール等々がこぞって大東亜戦争を肯定的に評価していることは語り継がれるべきではないだろうか。大東亜戦争は既に歴史の範疇とも受け取られ、ネット上では、米国の対日要求を受諾すべき、戦艦大和をディーゼル推進にすべき、艦載機の壊滅補完策として陸軍機を転用、等々の”大東亜戦争のIf"が氾濫しているが、その殆どが当時の民情、国際関係、技術力を無視して現在の価値観から論じたものであり、正しい歴史認識を教育してこなかったツケが回ってきた感がある。好例は、当時の国際感覚では朝鮮併合は許されるものであり、対独戦に参加したドゴールのフランス亡命政権が評価されているのに対し、中国にあったとされる大韓民国臨時政府の正統性は戦前戦後を通じて国際的には一顧だにされていない事が示していると思う。

 戦後半世紀以上を経て、ようやく、特別攻撃兵や兵士個人が狂信者ではないことが定着しつつある。後は、靖国合祀問題を含めて国家として単なる謝罪外交から抜け出る道を探す8.15であって欲しいと願うところである。


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