もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

額賀派の終焉

2018年01月26日 | 与党

 自民党で派閥第3位の額賀派(55人)の分裂が秒読みの段階と報じられている。

 我々オールド世代には、かっての保守本流派閥の消滅で時の流れを感じさせる出来事である。自民党の派閥は、かっては親分子分の関係で成り立っており力(金)を持つ領袖の下には多くの議員が集まり、保守本流の大派閥は総理を含む大臣の生産工場的な様相を呈していた。額賀派の源流は岸(信介)派であると思うが、以後、佐藤(栄作)派~田中(角栄)派~竹下(登)派~小渕(恵三)派~橋本(竜太郎)派と続き、領袖は常に総理・総裁になるとともに、領袖に人を得ない時期にあっても圧倒的な数の力によって大平首相の実現等に暗躍した。現在の額賀派にあっては総裁選に候補者を擁立できない状態が長く続いており、前回の内閣改造にも閣僚を送り込めない凋落ぶりであった。政治資金規正法によって派閥領袖の集金力が減ったため、金で議員を縛り付けることができなくなった自民党の派閥は、〇〇研究会との看板の下に政策集団の体を装っているが民進党のように政策に大差がない以上、派閥構成員を大臣として送り込める人脈に恵まれた集団に議員が集まるようである。しかしながら、当選回数を重視した派閥からの大臣候補推薦は国会答弁も満足にできなかった法務大臣や、放言癖のある復興大臣が出現したような弊害も折に触れて指摘されているところである。不適格大臣の粗製乱造が、派閥政治の弊害として言い慣わされているが、議員立法等を目指すためには志を同じくする者の集合・団結が必要であり、民主主義の場において派閥は必要悪ではないだろうか。

 田中角栄のようなカリスマ指導者が強引に国をリードする姿は、国民の喝采を浴るとともに国民を元気にする。額賀派の終焉を寂しく思うとともに、日本人のDNAに刷り込まれている艶歌・浪花節的な派閥指導者の出現を希求するものである。


安倍総理平昌五輪訪問へ

2018年01月24日 | 与党

 安倍総理が平昌五輪出席の方向で検討されている。

 報道では、日韓合意の見直し要求には1ミリも応じないこと、在韓大使館前に設置されている慰安婦像の撤去、韓国の対北人道支援の見直しを直接文大統領に伝える意向であることも併せて報じられている。思うに、韓国(朝鮮族)ほど真意を図り知ることのできない国は見当たらないのではないだろうか。反日のためには司法・国際条約・国際慣例まで無視する被抑圧意識には百歩譲るとしても、大統領選で示される左右の振れ幅や対北政策の相違については到底理解できないものである。悲願とする南北統一についても単に地図上の線引きを李朝末期の状態に戻すことを求めているだけで、朝鮮族の統一や共生ではないように思われる。世界中の各国で母国からの分離独立を主張する動きがあるが、その主張には同一民族による国造りを求めているものと思う。朝鮮族は朝鮮戦争等で満州(中国北東部)やソ連に逃れた者、戦後も引き続き日本に定住する者、等々アジア各国に分散しているが、彼等をまで統合しようとする動きは報じられていない。民族の悲願といえばイスラエルの建国、バルト三国の独立、旧ユーゴスラビアの解体等が思い起こされるが、韓国のいう南北統一はそれらとは違い、ドイツ統一と同種の方向と思われる。

 世界最強のポピュリズムの国、条理の通じない未熟の国、被抑圧意識から抜け出せない国。韓国を表現する際の冠詞には事欠かないところであるが、安倍総理の訪韓・五輪出席が、韓国並びに文大統領の方向性を正す一助になればと思うところである。


小室哲也報道に思う

2018年01月23日 | 報道

 小室哲也氏が、不倫騒動の末に引退を発表した。

 不倫騒動は週刊誌の報道を契機として、ほぼ全てのマスコミが同調して報道したものであり、小室氏が不倫に至る経緯を話した会見の前後では、日馬富士の暴行事件と同じ手のひら返しの論調に変化したのは例のとおりである。思うに、極めて興味が沸くものの他人の寝室と懐具合を覗くのは卑しい行為であるとの節度がかって存在した。そのため、欧米先進国には、新聞に関しては一般紙、ゴシップ紙等と呼び分けられる区分(棲み分け)が存在し、テレビについても全国ネットCh、ゴシップChがあって報道内容に明らかな差があったものと思う。しかしながら、日本には最初からその棲み分けが存在せず、物事の大小・品性の有無にかかわらず「ニュース」と一括りに取り扱われ、報道の自由を隠れ蓑としてやりたい放題の状況である。さらには種々の情報が雑多に取り扱われているネットの普及もあって、欧米でもマスコミの棲み分けが消滅して全ての事象を劇場的・激情的に報道して、取捨選択は読者・視聴者に委ねることが一般的となってしまった。このためポピュリズム全盛状態・フェイクニュース氾濫の世となってしまった。また、報道各社には他社のスクープ記事についての追随・続報は「提灯記事」であるとして潔しとしない風潮があったとも聞き及んでいるが、現状は腐肉に群がるハイエナよろしく、いや本家を凌駕するために更に過激・更に推測・ねつ造を加えることさえいとわない報道姿勢に堕してしまった感さえある。

 マスメディアに対して、寝室・閨房と懐具合のような秘事については一定の節度を持って報道に当たって欲しいと思うのは、自分一人だろうか。

 

 


立民の独り勝ちに一言

2018年01月22日 | 野党

 野党の再編が加速しており、立民の独り勝ちの様相を呈してきた。

 そもそも、国会議員を選ぶ際に有権者は政党公認(推薦等を含む。)候補者に対しては所属政党の主張を基に、無所属候補者に対しては候補者が無所属である理由とともに以前の政治活動を念頭に置いて投票する場合が殆どと思う。そうであれば、「代議士」という言葉が示すように当選した議員は投票者の意志を預かる代表者として、以後の議員活動は選挙時の公約に基づいて行わなければならないはずである。今回の野党再編において合従・離党・分党する議員の行動は理解を超えるもので、投票者への裏切りに他ならない。野合・数合わせを攻撃することは野党のお家芸・常套手段であったはずであるにも拘らず、いかなる政治信条に基づく行動か理解できない。少なくとも憲法・外交・国防の3要件については志を同じくすることが政党の必要要件とされてきた。改憲論議を進めるとともに現行安保法を遵守・深化させるとした希望の党が、選挙後3か月に改憲反対・安保法廃止に転舵したことは、許せない暴挙と断じるところである。岡田氏率いる無所属会派(衆院旧民進党)が立民に吸収されそうな現状をも考え合わせると、なんのことはない、民進党が中道勢力を排除して「より左傾化政党」に看板を掛け変えただけに過ぎない結末となるのだろう。

 ドイツでもメルケルの左派的政治が危殆に瀕している等全世界的に左翼思想が低調な現在、左翼が強いのは日本と韓国のみ。立民の一人勝ちも憂うべきことではある。


また蓮舫・辻元清美議員か

2018年01月21日 | 野党

 立憲民主党の国対委員長に衆院/辻元、参院/蓮舫が起用された。

 蓮舫・辻元議員に共通するのは、かっての主家政党を混乱と退潮に導いた議員であることと、知名度(悪名)は高いものの国家経営の経綸を持たないということであると思う。政権に繋がる不正の噂を追及しての印象操作には長けているものの、その主張には井戸端会議の延長程度の印象しかない。辻元議員は多くの議員立法の成立に尽力したとする政治家としての成果を誇示されているが、ジャンヌダルクともてはやされたように全ての事象を声高な黒白2極の対立として捉え、サイレントマジョリティを顧慮しない思考が根底にあるように思われる。蓮舫議員には創造力と長期的視野に疑問符が付けられる。東日本大震災後のスーパー堤防論争や事業仕分け人としての発言、2030年原発0達成の前倒しや共産党との選挙協力、いずれもが創造力と長期的視野の欠如が生んだものと思う。しかしながら、特筆すべきは両議員とも泥船を見捨てて新造船に乗り換えるという保身の術に長けていることであると思う。特に辻元議員が社民党から民主党に鞍替えした際は、自身が社民党を危機的な状況に陥れた張本人であるにも拘らず平然として民主党に入党したもので、その行動には人格的な疑問さえ感じさせるものであったと思う。また、辻元議員には反戦・反軍を掲げるピースボートの一員として青年の船を運航した際に、自衛艦による護衛を甘受する不条理に平然としたいた姿も思い出すことができる。

 両議員ともに、過去に在籍した政党で国対委員長としての実務経験があるが、存在感発揮を唯一の信条とする性格から質問時間や総理の委員会出席時間の割り振りに一悶着あると思う。国会はもっと政策協議に時間を費やす場であって欲しいと願うものである。