自民党で派閥第3位の額賀派(55人)の分裂が秒読みの段階と報じられている。
我々オールド世代には、かっての保守本流派閥の消滅で時の流れを感じさせる出来事である。自民党の派閥は、かっては親分子分の関係で成り立っており力(金)を持つ領袖の下には多くの議員が集まり、保守本流の大派閥は総理を含む大臣の生産工場的な様相を呈していた。額賀派の源流は岸(信介)派であると思うが、以後、佐藤(栄作)派~田中(角栄)派~竹下(登)派~小渕(恵三)派~橋本(竜太郎)派と続き、領袖は常に総理・総裁になるとともに、領袖に人を得ない時期にあっても圧倒的な数の力によって大平首相の実現等に暗躍した。現在の額賀派にあっては総裁選に候補者を擁立できない状態が長く続いており、前回の内閣改造にも閣僚を送り込めない凋落ぶりであった。政治資金規正法によって派閥領袖の集金力が減ったため、金で議員を縛り付けることができなくなった自民党の派閥は、〇〇研究会との看板の下に政策集団の体を装っているが民進党のように政策に大差がない以上、派閥構成員を大臣として送り込める人脈に恵まれた集団に議員が集まるようである。しかしながら、当選回数を重視した派閥からの大臣候補推薦は国会答弁も満足にできなかった法務大臣や、放言癖のある復興大臣が出現したような弊害も折に触れて指摘されているところである。不適格大臣の粗製乱造が、派閥政治の弊害として言い慣わされているが、議員立法等を目指すためには志を同じくする者の集合・団結が必要であり、民主主義の場において派閥は必要悪ではないだろうか。
田中角栄のようなカリスマ指導者が強引に国をリードする姿は、国民の喝采を浴るとともに国民を元気にする。額賀派の終焉を寂しく思うとともに、日本人のDNAに刷り込まれている艶歌・浪花節的な派閥指導者の出現を希求するものである。