もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ゴミ捨て場騒動が最高裁へ

2022年11月19日 | 社会・政治問題

 ネット上の記事に「正邪はいずれに」と考えされられた。

 記事を要約すると、自治会が非加入者に「地域のごみ捨て場の利用を禁じた」ことに対して、20年前に自治会から離脱した夫婦が地元自治会に慰謝料とごみ捨て場を利用する権利の確認を求めて提訴した。
 1審の神戸地裁は、未加入者もゴミ捨て場を利用する権利あり、利用禁止は違法として自治会に20万円の慰謝料支払い。
 2審の大阪高裁は、未加入者には利用する権利はないが利用禁止措置は違法で30万円の慰謝料。  という経過を辿って現在は最高裁の判断に委ねられている。
 件のゴミ捨て場は、「平成31年に都市再生機構から自治会に所有権を譲渡したもの」とされているので、我が自治会の簡易なケージと違って立派な施設であるのだろう。
 所有権の譲渡を受けて自治会が策定した利用規約は、自治会の役員や掃除当番を負担する住民の年会費は3600円、掃除当番などを担わない住民は「準自治会員」として年会費1万円、会費を払わない非自治会員は利用禁止というもので、有態には「ゴミ捨て場の利用料金」であるように思える。
 同様の騒動は全国的であるらしく、国立環境研究所が2年前に行った全国調査では、7割の自治体で自治会非加入者が地域のごみ捨て場を利用できない問題を抱えていたとされている。

 自分が加入している自治会では、数年に1度「組長」と「ゴミ置き場の掃除当番」が回ってくるが、立ち居振る舞いが不自由な高齢者の増加で回ってくるインターバルは年々短くなっている。また、自治会非加入者であってもゴミ置き場は利用できるとされているが、高齢者の退会が続出する事態ともなれば、会費や労役負担に関わる不協和音が起きてもおかしくないように思える
ので、神戸の事例は明日の我が身と案じられるものである。

 一方、自治会に加入していることで平時に得られるのは、自治体広報誌の配布と回覧板に依る地域行事の案内くらいでしかない。震災有事にあっても避難所における名前確認くらいしか思いつかない。こんなこともあってだろうか、「自治会加入者は減少傾向にあって、住民間に摩擦が生じるケースは増えている」とされる。
 ネット記事は、《地方自治問題に詳しい東京都立大の玉野和志教授(地域社会学)は「ごみ収集は本来行政が担うべき仕事で、自治会は好意で協力しているにすぎない」とした上で「自治会ありきの仕組みは限界にきている。行政は根本的にごみ収集のあり方を見直す必要がある」と結ばれているが、大学教授に聞かなくても「ゴミ収集を根本的に見直す必要性」や「3割自治体では生活ごみの戸別収集など夢のまた夢である」ことは誰でも知っている。有識者にあっては、評論家的な問題点の指摘以上に、実現可能な方策を提言・啓蒙して欲しいものである。


「人斬り」と丁髷

2022年11月18日 | 美術

 グループ内での立ち位置は、毛色の違った作品を出す役目と自認しているので、次の題材は「人斬り」とした。

 「人斬り」と云えば「幕末四大人斬り」が有名であるので、イメージを見つけようとネット上の画像を検査した。結果は、
・田中新兵衛(薩摩)-画像なし。
・河上彦斎(肥後)-譜面姿の写真がWikipediaに
・岡田以蔵(土佐)-確たる画像なし。
・中村半次郎(薩摩)-断髪後の桐野利明時代のみ。 であったため、侍の写真を利用することにした。が





 

 

 

 

 

描きかけの「人斬り」

 髪型をどうすべきかと考えて、江戸末期の「丁髷(ちょんまげ)」について調べてみた。
 明治維新ごの断髪令以前の男性は全て「ちょんまげ」を結っていると思っていたが、一般的に結われた髷は銀杏髷といい、それも士農工商の各階層では大きく異なっていたようである。「ちょんまげ」とは髪の少ない老人などが結っている髷を指しているとされているので、今でいう「侮蔑用語」に近い使われ方をしていたのではないだろうか。
武 士の髪型と云えば暴れん坊将軍や桃太郎侍のよう、高々と月代を剃り上げた髷を想像するが、江戸末期にそのような髷を結えるのは高級官僚以上であったらしく、写真を見つけることができなかった。
 映画「たそがれ清兵衛」では君命を受けて上位打ちの大役を命ぜられた男やもめの下級藩士真田清兵衛が旧知の宮沢嬢に月代剃りを依頼する場面があったことから、武士と雖も常に桃太郎侍風の髷を維持することは困難であったのだろうと推測している。
真田清兵衛と宮沢嬢

 しかしながら、1890年に「ロバート・フレデリック・ブルム」によって描かれた職人像は、月代はヤヤ伸びているものの中村(萬家)錦之助演じる一心多助風に整えられている。現在でも、理髪に美容室を利用する人、QBカットで済ます人と千差万別であることを思えば、当時でも伊達・粋・金銭の多寡によって個人差が大きかったのではないだろうか。

 眉唾とされるが西郷隆盛が収まっているとされる志士の集合写真を眺めても、高々と月代を剃っている桃太郎侍は皆無で、多くの人が前頭部や側頭部をわずかに剃っている程度である。

 最後に、「ちょんまげ」とはこのようなものかと思える画像を一枚。
頼三樹三郎(幕末の儒学者、頼山陽の三男、1825(文政8)~1859(安政6)年)


外交・軍事のプロ

2022年11月17日 | 軍事

 産経抄の一部を意訳・紹介させて頂く。
 ≪15日に亡くなった加瀬英明氏とアメリカの元国防長との間で、加瀬氏「もし日本が原爆を持っていたら、(アメリカは)核攻撃を加えただろうか?」、米陸軍長官「あなたは答えを知っている。もしそうなら、日本に対して使用することは無かった」との会話が交わされたことが加瀬氏の自伝に紹介されている≫そうである。

 興味を持ったのは太字で示した「あなたは答えを知っている・・・」との個所である。
 加瀬英明氏は外交官の俊一氏を父に持つ外交サラブレットの血脈の故であろうか、福田赳夫・中曽根内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平・鈴木内閣の外相特別顧問を歴任した右派・保守の論客として知られ、まさに外交のプロであった。対する元国防長官は大国アメリカの軍事オプション司令塔を務めた軍事のプロであり、会話からは外交・軍事のプロの間では抑止力に対して共通の認識を持っている現実が見て取れると思った。相応若しくは手酷い反撃を食らうであろう攻撃力こそが敵の意思を挫く若しくは無法を思い留まらせる抑止力となり得るもので、それに値する抑止力(攻撃力)のみが有効な外交カードとしての価値を持つことを示しているように思える。

 憲法前文は「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義「に」信頼して・・・」と述べている。
 石原慎太郎氏や福田恆存氏が指摘する助詞の用法はともかく、日本国憲法は全ての国が平和憲法と同等の理念を共有する前提で成り立っており、例えれば「万民がお題目を唱えれば安寧が得られる」とする親鸞に近い宗教摂理に過ぎないように思える。
 1582(天正10)年、織田信長の甲州征伐での武田氏滅亡に際して、寺内に匿った六角義定等の引き渡しを拒否しての焼き討ちに対して恵林寺の快川僧都は「心頭滅却すれば火もまた涼し」と従容として信念・法難に殉じたとされるが、憲法教信者におかれても敵国の武力侵攻(信仰)に対して、快川僧都と同じように行動されるのだろうか。
 「日本は隠れ核保有国になるべき」を自論とするものの、核強国に抗し得る核の重武装は論外としても、核共有程度の「五分の魂」は整備する必要はあると考えるものである。


火力発電施設反対に触発され

2022年11月14日 | 野党

 自宅ポストに、当地で進められている火力発電施設更新に対する反対請願の署名依頼が投げ込まれていた。

 署名呼びかけ人(市民団体代表)はネットで「身内の公害病罹患によって自然・環境保護活動に挺身するようになった」と述べておられる。また、呼びかけ・依頼書も、多色刷りされた上質A4用紙2枚が返信用封筒に収められている立派さで、「さぞやお金が掛っただろう」という感想を別にして脱炭素社会実現を真剣に考えられてのことだろう。
 「脱炭素社会」の実現は喫緊の問題であるとは思っているものの、残念ながら商用電力の在り方についての自分の考えとは隔たりがあり過ぎて署名・返信はしないものの、問題に対して行動する気概の無い自分としては、考えさせられるところである。
 些か残念に思ったのは、資料に「再生エネはタダ」とゴチック強調されていたことである。種々の機関が発表している「発電コスト試算」を見ても、再生エネ発電コストは石油火力発電には勝るものの、原子力や石炭火力に対しては割高とされており、更には、大手電力会社が負担している送電網の維持費を再生エネが分担する形態ともなれば再生エネの発電コストは高騰するとの指摘もある。このような国民の負担増を隠して訴えることは、高邁な主張を損なうものではないだろうか。

 立民の前代表枝野氏が、自分が陣頭指揮した昨年10月の衆院選で消費税率引き下げを公約として訴えたことは「政治的に間違いだったと反省している」と講演会で語ったことが報じられている。
 記事では、この発言に「減税を信じて投票した有権者に無礼」等の批判が殺到していると付されているが、寄せられたコメントを眺めるとむしろ「当然」「分るのが遅すぎる」とする意見の方が多いように思う。党内からも塩村あやか参院議員が枝野氏に賛同、蓮舫参院議員すらも「・・・国の財源が決定的に不足している事実から目を背けてはいけない」と枝野氏の懺悔に賛同しているとされている。
 衆参両院選挙での大敗を、政策の未熟さと認めつつも地方組織の脆弱さが主因としてきた泉執行部としては足元を掬われた動きであるが、大敗野党の常套句である「解党をも辞さない出直し決意」のためには避けて通れない難題を突き付けられたものではないだろうか。それとも、復権のための枝野劇場第1幕に無きにしも非ずに過ぎないん尾だろうか。

 古来から現在まで騙しのテクニックとして「羊頭狗肉」は最もオーソドックスで有効な手段とされているが、前段の市民団体は伝統の羊頭狗肉に忠実に、後段の枝野氏はその弊害に漸く気付いた行動であるように思える。
 ちなみに、羊頭狗肉の類義語として「牛頭馬肉」という言葉もあるらしいが、日本人にとって狗(犬)肉はおぞましいが、馬刺し食が市民権を得ている現状では類義語としてはどうだろうか。


Jアラート&空襲警報

2022年11月12日 | 軍事

 乾正人氏のコラムを読んだ。

 コラムの大意は、Jアラートに関して「空襲警報に改称」と「発令権限を防衛相(省)へ一元化」であるが、一考すべき内容と思った。
 恐らくの域を出ないが、実質的な空襲警報を「Jアラート」としたのは空襲警報という言葉の持つ禍々しさを嫌ってのことで、乾氏の指摘するように「撤退」を「転進」・「敗戦」を「終戦」と呼び変えた歴史と国民性の轍を踏んだとするのが正鵠を射ているのだろう。
 Jアラートは、正式には「全国瞬時警報システム」と呼ばれて総務省が所管し、実質的には総務省隷下の消防庁が運用している。システム構成図を眺めると、発令には2つの系統があって、地震や台風等の自然災害情報は気象庁が、空襲警報に当る国民保護情報は「内閣官房」が出すことになっており、以後の情報の配布・伝達は「消防庁送信システム」によって自治体・テレビ・携帯に一斉送信される。
 では、精度云々は別に、緊急地震速報がほぼ発震前に送信されるのに対して、空襲警報(国民保護情報)が時期を失する原因は何故だろうと考えれば、ミサイル飛来を先ず把握するだろう防衛相(省)の情報(警報)が内閣官房を介してしか発信できないことに帰するように思える。
 乾氏は、大戦時の空襲警報は政治家・官僚の判断・思惑を超えて準軍事的に大本営が発令していたので、現在にあっても空襲警報発令は防衛相(省)に一元化すべきとされている。
 先日、韓国の集団崩壊事故に関連して「当直責任者(当直幕僚)の資質」に言及したが、方針決定の遅れは、当直責任者~意思決定者(決裁者)間の結節の多寡に依る場合が多く、その結節に連なるうちの一人でも逡巡すれば費消時間は更に長くなる。大方の人は驚天の報告を受けた人が先ず「本当か?」と反応した経験を持っていると思う。ミサイル発射に関しては「本当か?」に続いて「米軍情報は?韓国は?確度は?」と続いたならば、それらの応答だけで貴重な数分が消えてしまうだろう。国民保護情報を発令すべき内閣官房の当直体制と決済者がどのようになっているかは知らないが、当直責任者に仮眠が許されたり専決権が与えられていない場合には、逡巡に加えてそれらに対する諸々も消費時間に加味されるのではないだろうか。

 「ミサイル着弾後にJアラートを発令」した先日の失態について、政府(官房長官)はシステムの見直しに言及したが、防衛省それも自衛隊情報本部(制服)の判断で空襲警報(国民保護情報)が出せるようにすれば、現行よりも遥かに費消時間が短縮できるのは間違いのないところと思う。
 それでも誤報や発令遅れが生じた場合には、制服の情報本部に公の場での釈明・説明の機会を与えるのは当然で、そのような一連の手続きが制服の成長と健全なシビリアンコントロール育成に益あるものと考える。