glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

犬と云われて!

2009-09-08 08:38:42 | エスペラント
 火曜日(7月21日)は午後はバスで教会にヨアンナ(Joanna Albrziykowska)の歌を聞きに行き、夕方から演芸大会が行われたあの庭でバーベキューと言う事になっていました。

 バスを降りてただ仲間の後について歩いてゆくと盲人が二人戻ってきました。彼らが方向を間違えたのかと思い声をかけました。
 どこへ行くかわからないし、不安になったのでバスで待っているということでした。ここまで来てバスで待っているなんて…。
 それでは私と一緒にと、同行する事にしました。後で気がついたのですがハリナは私の数メートル先にいたのです。この人たちが、戻ってくるのに気付かぬはずは無かったのに目もくれないと言う事が私には驚きでした。

 二人はウクライナ人。女性の方は物の影が分かる程度に光を感じるが、男性は全く見えないと言うことです。
 盲人大会が終わったら、クラコウに1泊し、飛行機でウクライナに帰るのだそうです。彼女は私にクラコウの空港まで面倒を見てもらえないかと言いました。私は世界大会に行くので、クラコウには宿泊しないと話すと、誰かクラコウに行く人を知らないかと幾度も訊ねました。もちろん私にわかるはずもありません。

 彼女はエスペラントだけでなくロシア語も堪能だと言うことでした。しかし、それでも飛行機でやってきて現地で案内人を探すと言うのは、私の日本人的思考からすれば無謀です。
 教会の中で彼らの席とはかなり離れていて、列も違っていました。コンサート開始を待っていると彼らの声が聞こえてきました。

 『私たちの犬はクラコウに行かないんですって!・・・・』
 
 何の話かと思ったら、犬とは私の事でした。彼女達は私を単なる盲導犬とみていたのでしょうか。それとも盲人エスペラント界の同伴者を示す隠語なのか、あるいはウクライナの盲人社会だけの隠語なのか私にはわかりませんが、犬と表現されることに不快感を覚えました。プラハでウクライナのオレナが自分の娘を『私の犬』と私に紹介した時、家族だから冗談半分に言っているのだと思ったのでしたが・・・。

 帰りも同行しようと思っていたのですが、友人のPがやって来て自分達の方が慣れているからと二人を自分のグループに連れてゆきました。来る時、教会の前の大通りに出るまで、長い曲がりくねった階段を上りましたので、実のところホッとしました。


前日、大きな保養地クリニィッツァに行った時の写真。
ガイドとローマン。銅像はポーランドの山下清ともいえる放浪の画家。

コメント (2)
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