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生きること:過去と未来とエスペラントと

おもちゃ

2013-03-25 12:26:00 | 福祉と教育
 先週姪が自分の息子が使ったブロックの入ったバケツ二つを持ってきてくれまいた。孫の喜びようは大変なもので飽きずに遊んでいます。1歳3カ月過ぎの幼児には組み立てるのはが難しいですが、全てをばらまき、大人が組み立てた物を壊し、バケツに入れたり出したりと単純な遊び方です。わが家の狭い居間は足の踏み場もありません。ばら撒いた本人でさえブロックを踏み時には顔をしかめています。

 ラオスの広い居間でおもちゃを散らかしたら片付けが大変ねと言う私の言葉に息子が答えました。散らすことができるほどラオスの子どもはおもちゃを持っていないと。

 昨日姪がミニカーとかままごと遊びの道具を出したのでもらって欲しいと言う事で息子の所に行く途中受け取りました。驚きました。ミニカーが大きな袋に1つ、その他のおもちゃが同じくらいの量、そしてままごとセット。もしみかん箱に入れたら二箱はゆうに超えるでしょう。いらない物は捨てて欲しいとの事でした。中にはまだケース入りの未使用のミニカーもありました。

 このおもちゃの山を孫の母親はどういう思いで見るのでしょうか。

 少ないおもちゃで繰り返し工夫して遊んでこそ子どもの知力は育つと私には思えます。日本人はずいぶんと無駄なお金を使い、子どもの育つ力をさま妨げているのではないかと考えてしまいました。
コメント (6)
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